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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地編
190/462

第190話

 既に何度も述べ、そしてヤマト自身もその身をもって痛感していることであるが。

 この北地という地は一年を通して溶けない氷に閉ざされ、並の生物では立ち入ることすら困難な寒気に包まれている。木の実や野草を主食とする獣は瞬く間に淘汰され、己の力と技を頼りに狩りを行う獣だけが生き残ることができた。自然、この大地に住まう獣は皆大型であったり、強靭な牙や爪を宿したり、並大抵の衝撃は受けつけない毛皮をまとったりしている。

 大陸南部――人が生活できる環境に住む魔獣と比べることすらおこがましい、絶対強者の風格。北地に住む魔獣の一頭一頭がそれを宿しているのだ。彼らの内一頭だけが南部に入り込んでしまったならば、国を挙げて対処すべき大事件となることは想像に難くない。

 それだけの魔獣が、群れを成している。


(これは、想像以上だな)


 吹き荒れる粉雪に目を細めながら、ヤマトは周囲の気配を素早く探る。

 気を抜けば上体を持っていかれそうな強風が吹く中、鮮血を流しながら力なく横たわる狼型魔獣が数頭。それに臆することなく――むしろ、更に血気盛んな様子を顕わにして襲いかかる魔獣が十数頭。ただそこに佇むだけでヤマトたちと同程度の大きさを持つ狼が、互いに高度な連携を組みながらジリジリと包囲網を築き上げていた。

 対するこちら側は、腰を抜かしたらしい少女を中心に、互いに背を向け合うようにして円陣を組んでいる。誰一人として怪我を負うことなく、むしろ戦いを目前にして戦意を高揚とさせてはいたが。


「これはよくないねぇ」

「何とか喰い破る他あるまい」

「まぁその通りなんだけど」


 若干顔を顰めたノアの言葉に、ヤマトも眉を僅かにひそめる。

 視界の悪い吹雪の中、ざっと視認できただけでも十頭以上。それだけの数の狼型魔獣が、魔獣にあるまじき戦術眼を発揮して僅かな隙もない包囲網を構築している。無闇に飛び出そうとすれば、瞬く間に数頭に群がられて殺されることだろう。

 魔獣らは一向に手出しする気配を見せないが、それはヒカルたちの気迫に圧されている訳では決してない。むしろ、この状況で気圧されているのはヒカルたちの方だ。


(判断を誤ったか?)


 束の間だけ小さな後悔がヤマトの脳裏によぎるが、即座に否定する。

 奇襲のタイミングは完璧だった。獲物である少女を目前に隙を晒した狼型魔獣の群れに切り込み、事実としてそれなり以上の打撃を与えることに成功はしている。想定外であったのは、奇襲を受けた魔獣たちが取り乱した様子を一切見せず、即座に態勢を立て直したことだ。元々目論んでいた半分程度の損害も与えることができず、あろうことか奇襲を仕掛けたヒカルたちの方がいつの間にか包囲網の中に捕らわれてしまった。

 ここは自分たちの不足を嘆き悔いるよりも、相手を称賛すべき場面であろう。


(何にせよ、あまり悠長にはしてられんな)


 辺りを多少なりとも照らしていた陽が沈みつつあり、空も赤く染められ始めている。あと数十分もしない内に辺りの寒気は厳しさを増し、まともに身動きを取ることすら難しくなるだろう。そうなれば、北地という過酷な環境に適応した狼型魔獣の猛威に抗えるかは分からなくなってしまう。

 加えて、先程から魔獣らが動きを見せないことが不気味だ。これがただ隙を伺っているだけであればまだマシなのだが。


「増援、来るかな」

「だろうな」


 ノアの言葉に首肯する。

 魔獣が包囲網を保って動かない理由。それは恐らく、増援の到着を待っているからだ。少数で危険のある戦いに臨むよりも、多数で蹂躙してしまう方が効率的。事実、現在包囲網を築いている魔獣全頭が一斉に襲いかかってきたとしても、ヒカルたちは何とか対処することは可能であろう。だが、魔獣の数が更に増えてくるとあれば、話は別だ。

 増援が到着する前に包囲網を突破しなければならない。そうしなければ、待っているのは圧倒的な数の暴力による蹂躙だ。


(その鍵となるのは――)


 チラリとヒカルの方へ視線を投げる。

 救世の勇者として破格の加護を授けられた彼女の力であれば、この状況を打破するきっかけを生み出せるはずだ。そこから状況を好転させることがヤマトたちの仕事。

 そんな思考とときを同じくして、ヒカルは正眼に構えていた聖剣を空高く掲げた。


「――聖剣起動!」


 勇者ヒカルがまず初めに手に入れた退魔の力。辺りの魔力を尽く浄化し、ヒカルが有利となる光の力で場を満たす御技。戦場そのものを支配する力であり、噂に聞く魔王に近い実力者でもなければ抗うことは難しい。

 沈みゆく太陽に代わる新たな光源の登場を前に、魔獣たちは苦しむ素振りを一瞬だけ見せて、


『―――――ッッッ』

「く……っ!?」


 咆哮。

 反射的に戦意を昂ぶらせたヒカルたちを一瞥し――そのまま踵を返して駆け去っていく。


「む」

「……逃げた?」


 思わず、途方に暮れたような言葉をノアが漏らす。

 ほんの数秒にも満たないほどの間に、魔獣たちは辺りに充満させていた殺気が嘘のように姿を消した。降り積もる雪で視界が悪いことがなかったとしても、もはやその足取りを追うこともできないだろう。一瞬の意識の間隙を縫うように、一切の躊躇いを見せない鮮やかな逃げ足――否、あれは最早“転進”と言った方が相応しい。


(敵ながら天晴)


 刀を鞘に収めたヤマトも、思わず感心の唸り声を上げた。

 戦士にとって最も必要な素養は、戦う才ではなく逃げる才や生き残る才にある。常に生死と隣合わせにある戦場においては、勝者とはすなわち生者のことを指すのだ。そのことを思えば、追撃するという発想すら与えずに逃げおおせた魔獣たちは優れた戦士と言える。労せず拾える勝ちを求めながら、その前に困難――今回における勇者ヒカルの存在を認めた瞬間に、これまでの計画全てを捨てて逃亡する。それは熟練の戦士であっても難しい行動だ。

 結果だけ見れば、魔獣たちが数頭の犠牲を払ったことになる。それでも、ヤマトの心の中にはある種の敗北感が芽生えていた。


「流石は北地の魔獣だな」

「うむ。中々驚かされたぞ」


 頷くヤマトに同意したのはレレイだ。彼女もザザの島という辺境で魔獣狩りを営んでいた経験があるから、先の狼たちの行動に理を見出だせたのだろう。どこか悔しげで、それでいて清々しい表情を浮かべていた。

 身体の奥に残った行き場のない熱を吐き出しながら、ヤマトは振り返る。


(ひとまず一難は去ってくれたようだが)


 まだ気を抜くには早いだろう。

 凍てつくような風を吸い込み、寒さに引き締まる意識で視線の先に意識を向ける。


「無事か?」

「は、はい……」

「怪我は――ないな。よかった」


 狼型魔獣の群れに追い回されていた少女がヒカルに看護されている。ヒカルの態度に戸惑いがちな様子だが、今のところは害意のようなものを持っていないらしい。

 身体の大きさから察するに十歳前後だろうか。魔獣の毛皮を幾重にも縫い合わせたような服に包まれた姿は子熊のようにも見える。深いフードで素顔どころか素肌一つ露出していないところから、そんな印象が芽生えているのかもしれない。


(とは言え、警戒を怠るべきではないか)


 外見こそ普通の少女のようであるが、明らかに北地という場所には相応しくない。

 チラリと視線を外せば、ノアも小さく頷く。ヒカルは全く無邪気に少女に語りかけているようだが、リーシャとレレイも大なり小なりの警戒心を抱いている。

 つくづく頼れる仲間たちだ。そのことにそっと頬を緩ませながら、ヒカルと少女の会話に耳を傾ける。


「何故こんな場所に一人でいるんだ? 家族と逸れたのか?」

「うん……」

「そうか。ここは危ないから、フラフラと出歩いてはいけないぞ」

「ごめんなさい」

「分かればいいんだ」


 ずいぶんと和やかな会話である。

 思わずヒカルに白い目を向けそうになったところを必死に自粛する。


「それで? 家族は――いや、家はどこにある? 送っていこう」

「いいの?」

「構わんとも。いいよな?」


 確認するように視線を向けてきたヒカルに、ヤマトたちは苦笑いを浮かべる。確認という形こそ取っているものの、ヒカルの方に譲るつもりがないだろうことを察してしまったからだ。何がそんなに気に入ったのかは分からないが、どうやらヒカルはその少女にご執心らしい。


(虎穴に入らずんば虎児を得ず、とも言うからな)


 どうせ行き先にも困っていたところだ。何らかの情報を得られるかもしれないと思えば、ヒカルの行動にもある程度の納得はできる。それに、いかにも庇護欲を誘うような少女を見捨てる真似ができそうにないのも、確かな事実である。

 小さな首肯を返せば、ヒカルは兜で表情が見えないながらも嬉しげな様子を見せた。


「うん。構わないそうだ。家の方向に見当はつくか?」

「……たぶん、あっち?」


 ヒカルの問い掛けに、少女は自信なさ気に指を差す。

 ただでさえ荒れる吹雪で視界が閉ざされている上に、魔獣に散々に追い回された後なのだ。半分以上に直感に頼った指差しに思えるが、それでも一応は指を差せたのは、北地の民ゆえの何かが関係しているのか。

 果たしてその信憑性は限りなく低くはあったが、ヒカルは特に躊躇う素振りを見せないで頷く。


「分かった。ならば、そちらの方へ行くとしようか」

「了解だ」


 二度目だが、ちょうど行き先に困っていた頃合いなのだ。どの方向へ進んだところで何かが変わるようなものではない。途中で夜闇に包まれたならば、ヒカルの力に頼ってエスト高原まで転移してしまえば済む話でもある。

 少女と手を繋いで雪原を歩き始めたヒカルの背を追って、ヤマトたちも半ば諦めに似た気持ちを抱きながら足を進めた。

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