第19話
「ぉおおおおッッッ!!」
獣のような咆哮を上げて、バルサは剣を振り抜く。
身に掠るだけでも大惨事になりそうな威力に脂汗を滲ませながらも、ヒカルは手にした聖剣でその一撃を受け止めた。
「ぐ、重い……っ」
「ハハッ、受け止めるとはな! どうやら勇者の加護ってのは本物らしい!」
無理矢理聖剣を押し跳ねると、バルサはそれに抵抗せず飛び退る。少し間合いが離れたところで、ぐるぐると剣を振り回している。
「安心したぜ。今ので沈むようじゃ興ざめだったからな!」
「ぺらぺらとよく回る口だ」
「そりゃ悪かったな! ハハハッ!!」
憎まれ口を叩きながらも、ヒカルに余裕はなかった。この世界では経験したことがなく、元の世界で風邪を引いたときのような気怠さが、身体を絶えず包んでいる。身体にどれほどの力を込めれば、どれだけのことができるのか。これまでの生活で培った感覚が失われ、気を抜けばすぐに体勢を崩してしまいそうだ。
そして、それを見逃してくれる相手ではないだろう。
「にしても、ずいぶんと辛そうじゃねえか。それだけこいつの効果があったってことか?」
「さて、どうだろうな」
「ったく。できれば全力のお前と戦ってみたかったんだがな」
剣を再び肩に担ぎ、バルサは姿勢を落とす。
「もう勝った気でいるのか?」
「へぇ? ――なら楽しませてくれよ!!」
弾丸のような速さでバルサが突っ込んでくる。
その姿を正面に捉えながら、脳裏に武術大会で相対したヤマトの姿を思い描く。ほんの一時だけ相対したばかりだが、その技量は身に沁みて理解していた。だからこそ、分かる。
(こいつはそこまで強くない!)
見えた剣の軌跡を避けるために飛び退る。力の加減が利かずに予想よりも跳ねているが、大きな問題ではない。
空振りするや否や、バルサは即座に次の攻撃を放つ。それでも、回避は容易い。
二撃目と続けざまの三撃目を避け、痺れを切らして大振りになった一撃は聖剣で弾く。すぐに反撃を繰り出すが、それよりも速くバルサは飛び退った。
「お前……」
「どうした? さっきまでの威勢は」
額に青筋を立てるバルサに対して、兜で隠されているものの、ヒカルの方は比較的余裕の表情だ。
「そんな攻撃では当たらないぞ? もっと気合いを入れて振ってみたらどうだ」
「……違うな。タネは未来視か」
舌打ちしたくなるのをぐっと堪える。
「お前は俺の剣に、振る前から反応していた。流石にそれは速すぎるぜ」
「そうだな。私は未来が見えている。お前の剣に当たる道理は――」
「あるさ」
戦いの興奮に酔ったような目つきから一転して、バルサの目は真理を見通そうとする学者のような落ち着きを取り戻していた。
「一回目を避けたとき、二回目には反応していなかった。見えるのは一秒足らずの未来か、使えるのが一瞬だけなのか。詳しいことは分からねえが、完璧な未来視じゃあない」
正解は両方だ。
一度の発動で見えるのは、せいぜい一秒先まで。そして発動は連続させることはできても、継続させることはできない。脳が感じる負担が大きいらしく、それ以上を見通そうとすれば、尋常ではない頭痛に見舞われることになる。
無論、そんな事実は秘しておくに越したことはない。
「ならば、どうする」
武術大会でのヤマトは、無意識であっただろうが、この未来視を破ってみせている。ヒカルの行動へ見てから対応することに特化して、未来視では何の動きも見えないような状態になっていた。
ヒカルの考えでは、未来視破りの方法は他にも様々にある。
「簡単さ。お前じゃ捌けない攻撃をする。それで終わりだ」
「脳筋め」
「難しく考えるのは苦手なのは確かだな」
ニヤリと笑みを浮かべて、バルサは腰を沈める。三度目になる、剣を肩に担ぐ構え。――違う。
剣は更に背中の奥へ滑らせ、柄を握る腕を引き絞る。腰は更に深く沈み込み、脚には尋常ではない力が込められる。
「おおぉおおおおッッッ!!」
「―――っ!?」
直感で、未来視での回避は間に合わないことを悟る。
先の二回の構えから大まかに軌道を予想し、そこから外れるように大きく飛び退る。力の加減もない、全力の跳躍。
それでも、避け切れなかった。
胸元で横に構えた聖剣の腹を通して、凄まじい衝撃がヒカルを打つ。体勢を崩し、背中から地面に叩きつけられる。
「ぐぁ!?」
「もう一つッ!」
そして、そんなヒカルを見逃すほどの優しい相手ではなかった。
すぐに二度目の跳躍を果たしたバルサは、頭上に剣を構える。その切っ先は潰れているが、大質量の鉄塊を勢いよく振り下ろされて、無事で済むはずもない。
咄嗟に身体に力を込めて、祈るような気持ちで剣を直視する。そんなヒカルの目の前で、剣を振り下ろそうとしていたバルサが上体を仰け反らせ、たたらを踏んだ。
「――避けてっ!」
その声に従って、無我夢中でバルサから距離を取る。
ヒカルと入れ違いになるように投げ込まれた黒い物体が、バルサに命中した途端にもうもうと白煙を吐き出す。
「煙幕……」
「よかった、無事だよね!?」
思わず放心したヒカルに、ノアが駆け寄ってくる。全速力で展望台を駆け下りてきたためか、息が上がって頬が上気している。
「あ、あぁ。助かった。礼を――」
「それは後! まずはあいつをどうにかしないと」
言われて、気を取り直す。
ノアが投げ込んだ煙幕は急速に大きさを増していき、バルサがいた場所を中心に十メートル四方を覆い隠している。バルサの姿が見えなくなったというだけで、ヒカルの鼓動がどんどん落ち着きを取り戻していくのを感じる。
深呼吸をして立ち上がるヒカルを見ながら、ノアは無造作に短銃を煙幕の中へ数発撃ち込んだ。直後に、男の苦悶の声が煙幕の中から漏れ出る。
「当てた!? いったいどうやって……」
「魔力を探っているから、場所は分かる。あとは当てずっぽうだよ」
言いながら更に数発撃ったところで、手を止める。
「障壁を張っている。煙が落ち着くまではそのまま動けないはずだよ」
「大したものだな」
「このくらいは誰にでもできるって」
そんなことはないだろう、と言いたくなる気持ちを抑える。今はそれを議論している暇はない。
「しばらくは時間が稼げる、と見ていいのだな?」
「うん、何があっても僕が時間を稼いでみせる」
ノアは、ヒカルが言わんとしたことを察しているらしい。
ほとほと気の利く少女――いや少年だと感心させられながら、ヒカルは頷く。
「聖剣を起動する。しばし時間をもらうぞ」
「了解。大丈夫だと思うけどね」
煙幕の中へ弾を撃って牽制するノアから目を離して、手元の聖剣を注視する。
バルサの無茶苦茶な威力の攻撃を受け止めてもなお、この聖剣は輝きを曇らせることがない。刀身は初めて見たときと同様に美しく煌めき、刃も立っている。
(頼むぞ)
ヒカルの心の声に応じるように、聖剣がキラリと輝く。
それに微笑んでから、聖剣を身体の正面に構える。
「――聖剣起動」
唱えると同時に、聖剣から眩しい光が放たれる。その光に包まれて、教会を黒い炎が包んでから感じていた虚脱感が消えていくのを自覚する。
聖剣の光は、魔を浄化する。それは大気中の魔力も例外ではなく、周囲の魔力をことごとく変質させてしまう。ゆえに、魔導具も魔導も、聖剣の近くでは使うことはできない。
突然動きを止めた短銃に驚くことなく、ノアはスムーズに懐からナイフを取り出すと、煙幕の中へ投げ込む。続いて、バルサの悲鳴が聞こえる。聖剣の光に飲まれて、張っていたはずの障壁も解除されてしまっていたらしい。
「成功したみたいだね」
「待たせた。本来ならば即時起動できるものだと聞いているのだが」
「とりあえず、今回に関しては問題ないんじゃない?」
肩をすくめるノアに、ヒカルも笑みが零れる。
「……雨か」
ふと、頭上から雨が降り注いでいることに気がつく。戦いに無我夢中で気がつかなかったらしい。
「嵐になりそうだな」
「なら、早く終わらせないとね」
ノアの言葉に頷く。
煙幕は既に小さくなり、その中からバルサがゆっくりと歩み出てきた。その身体には、幾つもの弾痕と一本のナイフが残っている。血が身体のあちこちから流れ出ている上に、ナイフは太ももに刺さっている。
「少し見ない間に、ずいぶんと傷が増えたな?」
「……言ってくれるじゃねえか」
バルサの顔は怒りのあまり、赤を通り越してドス黒くなっていた。血走った目で辺りを見渡して、新しくナイフを取り出しているノアを捉える。
「てめぇか……!!」
「あぁ、運がよかったよ。当てずっぽうだけど食らってくれたみたいだし」
「――許さねえッ!!」
激昂するバルサの視線からノアを隠すように、ヒカルは前に出る。
「あぁ? てめぇは後で相手をしてやる。そこをどけ」
「それは聞けない話だな」
光り輝く聖剣を構えると、バルサはそれを直視できないというふうに目を隠す。
「そいつは……!」
「聖剣の、本当の姿というやつだ」
舌打ちをついたバルサの姿が、ヒカルたちが見る中で急速に変化していく。
皮膚が、人間の肌色から魔族の紫色へ。頭に雄々しい角が二本生え、身体は幾ばくか細くなった。その姿は、正しく魔族の青年と言うべきもの。歳は、変装していたときは三十すぎに見えたものだったが、今は二十程度の若者に見える。
「変装の魔導具。やはり使っていたか」
「クソ……!! クソクソクソッ!」
喚きながら、バルサは手の中に黒い弾を生み出す。大きさは拳大で形は不安定な弾だが。
「まさか、この中で魔力を扱えるとは。流石と言うべきか。だが、それでは――」
「――クソッタレ!!」
それでは攻撃することもできない。
そんなヒカルの言葉を遮って、バルサは手の中の弾を握り潰す。バルサ自身も理解していたのだろう。
「形勢逆転だな」
「………」
バルサは黙ったままうつむいている。
魔族は、生まれたときから魔力と共に暮らしている。魔力を使うことは身体を動かすことと同義であり、その片方が失われた状態では満足に動けない。
聖地で聖剣を渡されたときに説明されたことを思い出しながら、広場の先を見やる。騒ぎを聞きつけた守護兵たちだ。
「お前には聞きたいことがある。大人しく――」
「――――よ」
「……何?」
バルサの方を振り返る。
うつむいていたはずのバルサは、いつの間にか顔を上げ、存外に強い目でヒカルを睨めつけていた。
「舐めるなよ人間……!!」
「やるつもりか」
正直、負ける気はしない。
先程までとは、まるで正反対の状況。聖剣の力によってヒカルの加護は強化され、バルサの力は弱まっている。更にこちら側にはノアに、駆けつけている守護兵がいる。圧倒的な有利状況だ。
そこまで考えてから、ふと気がつく。
(私は、不安なのか?)
胸騒ぎだ。
言いようのない不安感が、胸の中に広がっていた。
「少し遊んでやった間にいい気になりやがって……!! ここからは本気で行かせてもらうぞ!!」
バルサが叫ぶ。それと同時に、バルサの身体からかつて感じたことのない魔力の奔流が溢れ出した。
魔力は瞬く間に聖剣の光を押し流していく。絶えず浄化しているものの、それが間に合わないほどの勢い。
「これは……!?」
「ヒカル、そこから離れて!」
ノアに言われるがままに飛び退る。直後、数瞬前までヒカルが立っていた地面が盛大に爆ぜた。
ヒカルが立っていた場所だけではない。広場のあちこちで、地面の魔力が引き込まれ、爆発となって現れている。
「いったい何が起きている!?」
「あいつ、魔力で聖剣の力を抑え込んでいる!」
大まかに理屈は掴めた。
聖剣から放たれる浄化の光を、バルサ自身の魔力で相殺させる。それと同時に大気の魔力を引き込むことで、ここを再び魔力が使える場所に仕立て上げたのだ。
だが、そんなことが可能なのか。神話の遺物である聖剣の力に、個人が拮抗してみせるなど。
「まだこんなものではないぞ! 俺の前に立ったことを後悔させてやる!!」
その言葉と共に、バルサの魔力が更に勢いを増す。
「魔力を空にするつもりか!?」
「舐めるなと! 言ったはずだぞ人間!!」
目を開けられないほどの魔力の中で、バルサは足を開いて踏ん張る。
「―――――――ッ!!」
言葉にならない雄叫びを上げる。
空を震わせ、地を揺らし、人を凍りつかせる雄叫び。バルサを中心に放たれていた魔力は収束し、巨大な渦となってバルサの姿を覆い隠す。
聖剣から放たれた光など児戯に思えるほどの光景が、そこに広がっていた。
瞬く間に小さくなっていく魔力の渦は、やがて人ほどの大きさにまで縮まる。刹那、目を焼くほどの閃光が放たれる。
「ぐ、お……!?」
「何が起こって……!?」
直視できずに目を逸らす。
強烈すぎるほどの光がやがて収まってから、白くなった視界で状況を確かめる。
先程までの光景が嘘のように、辺りは閑散としていた。石畳や石壁は粉々に砕け散り、人の動く様子も見えない。大雨ばかりが、視界をかき乱す。
「………っ!?」
気づいた。
気づいてしまった。
渦のあった場所に、仁王立ちする青年の姿があった。その姿は変異しており、頭の角は更に巨大に。紫色の皮膚は漆黒に染め上げられ、体躯も一回り巨大に、筋肉質になっているように見える。――そんな違いは、些末なものだ。
あれは違う。戦ってはいけない。本能が全力で警鐘を鳴らしていた。生物としての格が違う。違いすぎるのだ。
虚空を見つめていたバルサの目が、ふとヒカルを捉える。それだけで、身体の芯から震えがこみ上げてくる。
「ここからが俺の本気だ。せいぜいあがけよ人間?」
「う……」
本能は恐怖を叫ぶ。確定した敗北を知り、何が何でも逃げて生き延びろと高らかに警鐘を鳴らす。――なのに、身体は勝手に立ち上がる。
まるで自分の意思で動かない。手にした聖剣を正眼に構え、バルサに対峙しようとする。
(何をやっているんだ!? なぜ身体が勝手に動いている!?)
心の中で幾ら泣き叫んでも、身体は淡々と動き続けている。
バルサに切っ先を向ける。それで表情が苛立ちに歪んだのを見て、本能はすくみ上がる。
「生意気だ。後悔させてやる」
バルサがおもむろに右腕を空に掲げる。手のひらから溢れ出した魔力が黒い弾丸へと姿を変えていく。その大きさや硬度は先程のそれと比べ物にならない。あれ一つで、王宮すらも破壊できてしまうのではないだろうか。
ヒカルがただ見つめるしかできない先で、弾丸はその弾頭をヒカルに向ける。
「――死ね」
右腕を振り下ろす。バルサのその動きに呼応して、弾丸は発射された。
目で捉えられない速さ。未来視を使わずとも分かる、必殺の一撃。
ただ目を見開くしかできないヒカルへ迫る弾丸は――唐突に姿を消した。
ヒカルの目の前に、見覚えのある男が立っている。手には刀が一振り握られ、斬り抜かれた形で静止している。
「……誰だ」
「――ヤマト。ただの冒険者だ」