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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地編
189/462

第189話

「うーーーっ!!」


 獣狩りの集落を出て、民らの姿も見えなくなった頃合い。

 吹き荒れる粉雪の冷たさを忘れたかのように、突如としてリーシャが奇怪な叫び声を上げた。何か目には見えないものを削ぎ落とすように、必死に二の腕の辺りを擦っている。


「……大丈夫か?」

「大丈夫な訳ありますか!!」


 集落の中では必死に抑え込んできただろう嫌悪感を剥き出しにして、リーシャは息を荒げた。防寒着の中から除く頬にはビッシリと鳥肌が立っており、彼女がどれだけの不快感を覚えていたのかが分かる。


(無理ない話ではあるのだろうな)


 些か大げさにも見えるリーシャの反応に苦笑いしながらも、ヤマトは内心で頷く。

 普段の凛々しく勇ましい佇まいから思わず忘れそうになるが、リーシャは相応に繊細な心の持ち主だ。騎士然とした立ち居振る舞いの裏では様々なことに苦悩し、思い通りにならない諸事に心を惑わせる。そんな彼女にとって、先程の獣狩りの集落はとても耐え難い環境だったはずだ。

 誰もが遠慮という言葉を知らず、好色の視線を不躾にぶつけてくる場所。迂闊に隙を見せれば取って食われ、そのままどうなるかなど想像することすらおぞましい。内心を駆け巡る嫌悪感を必死に腹の中に封じ込め、凛々しい騎士という姿を保ち続ける。それに伴う心労がどれほどのものなのかは、ヤマトには実感できないながらも、思わず顔を顰めてしまうほどであることは間違いない。

 その意味でも、集落で族長の誘いを断ったのは正解だったように思える。


「ふーっ、ふーっ、ふーっ!」

「まぁまぁ、落ち着いて落ち着いて」


 毛を逆立てて息を荒げるリーシャを、苦笑いを浮かべたノアが制する。

 かく言うノア自身もリーシャが受けていたものと同程度の視線を浴びていたはずだが、こうも平然としているのは何故なのか。思わず首を傾げそうになったところで、ヤマトはすぐに疑問の答えを得る。


(奴は図太いからな)


 常日頃から、己の美貌を活かして他人をからかうことを楽しみにするような性悪だ。たかが獣欲の視線を向けられた程度で、何か感じ入るということもなくなってしまったのだろう。

 憐憫にも似た感情と共に視線を向けたところで、ノアは無言のままギロッと睨みつけてきた。思わず視線を逸らす。


「あの人たちも悪気があった訳じゃないだろうし。それに、もう関わることもないでしょ?」

「……そうね。そうね……」


 悪気がなかったから許される、というものでもないように思えるが。

 ノアの言葉に、リーシャは自分に言い聞かせるように呟きながら首肯する。それなりに落ち着きを取り戻しつつあるようだが、いつも通りの調子を取り戻すまでにはもう少し時間を必要としそうだ。

 荒ぶるリーシャと宥めるノアから視線を外して、ヤマトは段々と暗くなり始めた空を見上げる。


「とは言え、今夜はどうするか」

「野宿は勧めない。寒さは防げても、獣は脅威だからな」


 和やかな面持ちでリーシャとノアのやり取りを眺めていたレレイが、ヤマトの言葉に応える。

 まだ完全に陽は没していないものの、既に余裕はない頃合いだ。後数時間もしない内に辺りは夕闇に包まれ、満足に出歩くこともできなくなることだろう。となれば今晩をすごす場所を定めなければならないのだが、レレイの言う通り、この雪の中で野宿を敢行するのはあまりに無謀だった。

 いざとなれば、再び峠を越えてエスト高原側で野宿をしなければならないだろう。持ち込んだ魔導具の数々ゆえに不便はないものの、一度歩いてきた道を戻るというのは、精神的には避けたいところであった。


「時間をかけていいなら、転移はできるよ」

「転移か」


 対外用の勇者モードを終了して、気楽な口調に戻ったヒカルがそれを言う。

 勇者としての任を果たすために与えられた時空の加護。その権能の一つである転移の力を使えば、ほんの一瞬で遠く離れた場所まで瞬間移動することができる。これまでは短距離転移が限界であったものの、時空の加護を使いこなす鍛錬の甲斐あってか、長い準備を経れば長距離転移することも可能になったらしい。

 要は、転移を使うことで少しずつ探索範囲を広げていこうという提案。探索完了まで相当の時間を要するだろうことと、ヒカル個人にかかる負担が大きくなってしまうことが難点ではあるが、それでも採用する価値のある案のように思える。


「とりあえず、さっきの峠だったらすぐに転移できるから。今はもう少し奥まで進んでいいと思うよ」

「ふむ。ならばすぐに――」


 「すぐに動くとしよう」。その言葉をレレイが吐き切るのを遮るように。




『『『―――――ッッッ!!』』』




「これは……」

「遠吠えか」


 獣の遠吠え。その声量から察するに、それなり以上の大型であることも推測できる。そんな吠え声の主が、最低でも数頭。

 にわかに緊張を帯びた面々を一瞥してから、ヤマトは周囲の気配を探る。


(……辺りにはいないのか?)


 雪で気配察知が途切れているという訳ではない。そのことを示すように、より遠くの気配を探ろうとしたヤマトの知覚に、どこか遠くで駆けている獣の気配が引っ掛かった。


「俺たちが狙いではないようだな」

「魔獣同士の縄張り争いとかかな」


 ひとまず、身近に危険が迫ったのではない。

 そのことが明らかになって身体の緊張を緩めるヒカルたち。ヤマトとノアもそれに従いながらも、周囲に厳しい視線を巡らせることを止めない。


「何か見えるか?」

「ちょっと待ってねー……」


 ノアが懐から取り出したのは、峠で獣狩りの民を見つける際にも役立った双眼鏡だ。雪が降って視界が思わしくない環境ではあるが、それで機能不全になるほどやわな代物ではない。

 双眼鏡に目を当てたノアは、ヤマトが無言で指差した方向へ視線を投げる。


「うーん、確かに魔獣がいるね。四足歩行の狼だけど、ずいぶんと図体が大きい」

「他には?」


 理性なき魔獣とは言え、意味もなく遠吠えするとは思えない。何か他の魔獣ないしは獣狩りの民がいるはずだ。

 そんな推測を秘めたヤマトの言葉に、ノアはしばし双眼鏡で眺めた後。


「人がいるね」

「人だと?」


 獣狩りの民が正解だったか。既に日没近いから、この日最後の狩りだったのかもしれない。

 思わずリーシャが顔を顰めたのを横目にしながら問い返すと、ノアは小さく首を傾げた。


「うん。遭難者なのかな。小さな女の子が逃げてる」

「む」


 一瞬だけ思考が止まる。

 大陸南部の平原ならまだしも、こんな秘境で何故女児が一人ではぐれている。大の大人であっても抗い難い環境の中に少女が入り込むなど、自殺行為にも等しい愚行に思える。何か理由があるのか。

 思わず様々なことを勘繰りそうになったところを、ヒカルの声が遮った。


「助けよう」

「……そうだな」


 ヒカルの言葉にヤマトも頷く。

 どんな事情があるのかは分からないが、ここで少女を見捨てるような連中が勇者一行を名乗ることは許されないだろう。助けを求める声を無視する選択肢など、ヒカルたちには許されていない。

 リーシャとレレイもヒカルの言葉に即座に頷く。ノアは一瞬だけ考え込む素振りを見せた後に、やがて諦めたように首肯した。


「よし。ならば急ぐぞ!」


 勇者としてのスイッチも完全に入ったらしい。既に感じ慣れた凛々しい雰囲気を身にまとって、ヒカルは高らかに宣言した。

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