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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地編
186/462

第186話

 エスト高原に足を踏み入れてから、既に何日が経ったことだろう。

 いい加減見飽きてきた、緑色の草原が果てしなく広がる光景。辟易とした気分でしか見られなくなっていたその光景も、今はヒカルたちの背後にあるばかりだった。辺りにはゴロゴロと岩を転がした山肌が広がり、僅かな草すらも生えていない。これから行く先の光景を暗示するかの如く、山を懸命に昇り進めるヒカルたちの身体を、凍てつくほどの寒風が撫でていった。


「いやぁ、寒いねぇ」

「まったくだな」


 エスト高原を吹き抜けていた風が暖かく思える、身も心も凍てつくような風。とても人の身で耐えられるようなものではない風は、平時であればただ顔を顰めて引き返すに留まったことだろう。

 だが、何日も変わり映えしない景色に飽き飽きしていたヒカルたちにとってみれば、その過酷な刺激すらも心地よいものに思えた。「寒い寒い」と不満を漏らすノアですら、その声の奥から滲み出ている喜色を隠せていない。嫌そうに顰められた表情も、瞳の奥に宿った興奮の光のせいで台無しだ。

 かく言うヤマト自身も、身体を突き刺すほどの寒風を受けてなお、胸の奥からふつふつと興奮が湧き起こっていることを自覚する。まだ見ぬ新たな光景というのは、ただそれだけで無性に心が騒ぐようだ。


「気を引き締めてよ? 噂しか伝わっていないけど、北地ってここ以上に過酷な場所らしいから」

「それは分かってるんだけどね」


 苦言を呈するリーシャだが、彼女も本心から窘めようとしている訳ではないらしい。寒風にかじかんだ手を擦り合わせながら、その目は優しげに細められていた。

 ヤマトたちが今いるのは、エスト高原と北地の境目にあたる地だった。実際はどうであれ、見た限りでは豊かに生い茂った緑色の草原も終わり、そこかしこに巨大な岩塊が転がる荒山がそびえ立つ。高原の遊牧民すら通り抜けようとは思わないほどの荒れた山を抜けた先に、永久凍土の大地たる北地が広がっているという。


「北地かぁ。ここで見聞きしたことを持ち帰れば、あっと言う間に有名人だね」

「違いない」


 冗談混じりのノアの言葉に、ヤマトは半ば本気で頷く。

 帝国の魔導技術によって生活水準が向上した今であってもなお、人類が踏破することが叶っていない過酷な地が北地だ。その場所の存在も、かつてエスト高原を抜けたという冒険者が伝えた眉唾ものでしかなく、誰かが実際に確かめたというものではない。今なお大陸に残された秘境を代表する地であり、数多の冒険者がその地に夢を馳せては、その手前で呆気なく散っていくのだ。

 勇者たるに相応しい力を持ったヒカルを伴ってなお、苦難を伴う旅路であった。それを思えば、ただ北地の知識を持ち帰ったというだけでも、大陸中からもてはやされることは想像に難くない。

 感慨深げに言葉を交わすヤマトとノアを窘めるように、リーシャが苦笑いを漏らす。


「もう帰ったときの話? 気が早くないかしら」

「確かに。むしろ、ここからが本番だからね」


 ノアが首肯する。

 今回の旅の目的は、この先の北地に眠ると伝えられる初代勇者の遺物を回収することだ。仮にも人の文明圏で話が完結していたこれまでとは異なり、北地は文字通りに人類未踏の地であるのだ。想像を絶する困難が待ち受けていることは、火を見るより明らかである。

 リーシャが諫言する通り、ここからが本当の試練の始まり。エスト高原を抜けるなどは前哨戦に等しく、そこから解放されたと喜んでいても仕方ないのだ。

 腰元の刀に手を伸ばし、柄をそっと握りしめる。


「ヒカルとレレイも。準備はできているわね?」

「うん。大丈夫よ」

「私も問題ない」


 リーシャの言葉に、ヒカルとレレイも頷いた。

 ヒカルは辺りに人目がないことを知っているからか、その言葉遣いは素のもの――ただの町娘同然のものだ。特に何の変化もない、ある意味では平和そのものであり、ある意味では苦難の道のりの中で、ずっと勇者としての役を演じ続けることにも疲れたらしい。気がつけば、遊牧民の集落に立ち寄るときを除いて、彼女は素の姿を晒すようになっていた。どうせならば兜も脱いでしまえばいいとヤマトは想うのだが、それさえしてしまえば、勇者稼業に戻れなくなりそうだとヒカルは恐れているらしい。

 一方のレレイも、少なくとも傍目から見る限りでは、その言動は普段通りのものに見える。エスト遺跡で起こったガーディアン騒動の後しばらくは、どこか気落ちした様子であったレレイも、この長い旅路の中で乗り越えることができたらしい。すっかり元通りの凛々しい表情を取り戻したのみでなく、日頃の鍛錬にもより身が入っているらしい。当初は格闘術ばかりを磨いていたレレイは、今は弓術剣術槍術と分野を選ばずに武術を修める意欲を見せていた。


(結果を見れば、ひとまずよい方向に転がってくれたか)


 眼前の岩山を見て瞳を輝かせているレレイを横目に見て、ヤマトはそっと安堵の息を漏らす。

 あまり清々しい想いで振り返ることのできない、エスト遺跡でのガーディアン騒動。ヤマト自身も苦々しいものを感じずにはいられないその騒動さえも、レレイは己の糧として昇華してみせたようだ。そうなることを期待して予想していたヤマトにとっても、それは喜ばしいことであった。

 ここ最近は、以前にも増して意欲的に鍛錬に励むレレイに喰らいつくため、ヤマト自身も己の研鑽に打ち込んできたのだ。その甲斐あって、エスト高原に足を踏み入れる前より一段上へと至れたと自負している。


「あ、そろそろ登り切るみたいだね」


 密かに胸の内を熱くさせていたヤマトの耳に、呑気なノアの声が滑り込んでくる。

 それに釣られて視線を上げれば、確かに後十メートルほど登ったところで山肌が途切れているのが分かる。山頂はまだまだ高い位置にあるが、山を通り抜けることが目的なヒカルたちからすれば、目の前の峠を越えるだけでいい。

 後少しで折り返し地点。それを示す分かりやすい場所が目の前に現れたことで、一同の士気がぐんと上がったことを肌で感じる。


「行くよ!」


 ヒカルの朗らかな声に従い、ヤマトたちは疲れた脚に力を入れ直す。

 ここまで登山することしばらく。道なき道を登り続けたヤマトたちの脚は疲れを訴え始めていたが、今はそれを努めて無視する。

 足元に散乱する岩に足を取られないよう用心しながら歩を進めて少し。


「――着いた!!」


 真っ先に峠へ辿り着いたヒカルが、ペタンとその場に腰を落として喝采の声を上げた。

 それに続いて、リーシャとレレイも岩塊を登り切る。その後にノアが登り、殿を努めていたヤマトが最後だ。


「ふぅ――」

「お疲れ。水飲む?」

「貰おう」


 ノアから手渡された水筒を受け取り、冷水を喉に流し込む。

 登山している最中には自覚していなかったが、思いの外ヤマトの身体は疲労していたらしい。冷たい水が喉元をすぎるたびに、身体に活力が染み渡っていくような感覚を覚える。吹き抜ける風が火照った身体を冷まし、疲れで鈍っていた意識が急速に目覚める。

 古来より、武の鍛錬と言えば険しい山で行われるのが通例であった。その理由は様々に考えられるが、こうした充実感と意識が冴え渡る感覚もまた、一つの要因なのかもしれない。

 疲れの滲んだ息を吐いてから、ヤマトは重い頭を上げて前方の景色を見やった。


「これは……」

「圧巻の景色。って感じだよね」


 エスト高原も圧巻の光景であったが、それでも人の営みが為されているなりの近しさは感じられた。実態はどうであれ、一面に広がる草原からは牧歌的な雰囲気すら感じることができていたのだ。

 だが、目の前に広がる北地はそんなものは一切ない。ただ一言でその景色を表すあらば、銀世界。一年を通して降り止まない雪に閉ざされた大地は白く凍てつき、生き物全てを拒絶するかの如く寒々しい威容を晒している。ただ遠くから一望しただけで、ここが秘境である所以を悟らずにはいられず、そして足を踏み入れるという愚行の浅はかさを理解せざるを得ない。

 これこそが北地。長きに渡る人の歴史を経てもなお、人が住むことができないと万人が理解してしまう秘境。生半可な実力では足を踏み入れることが許されず、猛者であろうとも死がすぐそこに待ち構えている過酷な大地。

 そんな死の大地を目前にして。


「―――」


 ヤマトはふと、腰元の刀が蠢くような感覚を覚える。同時に、右腕がジクッと疼く感触。


(何かが、眠っているのか?)


 それは只の直感だ。長らく修羅場に身を捧げてきた恩恵とでも言うべき、戦士の直感。

 それを受け取ったヤマトは、何物であろうと身動き一つ取れないだろう大地を前にして、めらっと闘志の炎を灯した。

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