第180話
外からはただの風化した岩壁にしか見えなくとも、その実態は古代文明の技術による硬い障壁で築かれたエスト遺跡。
ドーム状の遺跡の盛り上がっていた部分が、おぞましい咆哮が轟くのと同時に弾け飛んだ。
「――頭上に注意を! 岩塊を避けてください!!」
突然の事態を前に呆気に取られるしかなかったヤマトの耳に、カインの焦りを滲ませた声が滑り込んできた。
ハッと我に返って頭上を見上げれば、遠目には粉々に砕け散ったように見える遺跡の上部から、無数の岩塊が降り注いでくる様子が目に映る。その一つ一つがヤマトたちの頭を優に上回る大きさであり、直撃したならば大怪我は免れないだろう。
とは言え、岩塊の数は相当なものだ。ヤマトたちが何とか逃げ切れたとしても、ここで骨を休めていた遊牧民たちでは避け切れまい。
そんな焦燥感に襲われたヤマトの耳に、ヒカルの凛々しい声が届く。
「聖剣よ!」
雨のように降り注ぐ岩塊の弾を目前にして、ヒカルは聖剣を振りかぶった。剣の刃から漏れ出す白光が、夕焼け色の周囲を染め上げる。
思わず目を覆った次の瞬間、聖剣から放たれた光の斬撃が空を斬り裂く。
「んなっ!?」
「無茶苦茶だな……」
驚愕の声を上げるノアに、ヤマトも疲れたような面持ちで同意する。
規格で言えば戦略級兵器に等しい岩塊の雨を、聖剣の一撃が尽く撃ち落とす。さながら神話の一幕を再現するような光景を前に、誰もがポカンと口を開けて見つめる他なかった。
何はともあれ、ヒカルの活躍によって危機を免れたことに間違いはない。
「今の内に避難誘導を行います! 憲兵隊員は速やかに行動しなさい!」
「「「イエス、サー!!」」」
一息吐く間もなく、カインの指示が辺りに飛ぶ。それに一斉に応えた鉄道憲兵隊の面々は、魔獣駆除用の魔導銃を手にしながら遊牧民らの避難誘導を行う。こうした非常事態に備えた訓練もこなしてきたのか、その手際に淀みはない。
彼らに任せてしまえば、人々の心配をする必要はないだろう。
即座にそう判断を下したヤマトは、ヒカルの一撃によってその大半を払われながらも、未だ遺跡からもうもうと立ち昇る土煙の方へ視線を転じる。
(ミドリ、なのか?)
まず最初に胸中に浮かんだ可能性がそれだった。
竜として本来の力を解放したミドリであれば、確かに今程度の破壊を行うことは造作もないだろう。ヤマトたちが遺跡内部で見てきたガーディアンの力ではあれほどのことは起こせないから、彼女がやったのだと考える方が自然だ。
だが、なぜミドリがそれを為したのかが分からない。彼女であれば、ガーディアンの大群を前にしても全力を出すことなく、辺りに被害を漏らすことなく鎮圧することが可能――否、容易であるはずだ。わざわざ派手に動き回ることによるメリットは皆無に近い。
(あるいは、それをせざるを得ないほどの敵が現れたか)
そんなヤマトの疑問に答えるように。
巨大な雲のように立ち込める土煙を斬り裂いて、緑色の竜が天に舞い上がった。
『―――――ッッッ!』
「ミドリ……!?」
「怪我をしているのか?」
夕焼け空にあってより鮮やかに浮かび上がる深緑の巨躯。遠目であってもなお感じられる威容に背筋が凍るが、その竜鱗から漏れ出る真紅の流血を目の当たりにして、ヤマトは目を丸くする。
竜種の鱗の強固さは尋常ではない。並大抵の武人では傷一つつけることも叶わず、ヤマトが渾身の斬撃を放ったとしても一、二枚が斬れるかどうかという程度。加えて、その内側にある竜の皮や肉も相当な硬さを誇っており、斬撃や衝撃を通すことはほとんど不可能に近いのだ。
(いったい何があった)
ガーディアンの大群に襲われたとしても、ミドリがああした手傷を負うことはないはずだ。
何か、予想もできないことが起こっている。
そんな嫌な予感に答えるように、土煙から抜け出たミドリを追って一つの影が空を舞った。
「あれは……」
「人型、に見えるね」
一番目のいいノアが、天空を舞うミドリに襲いかかる影を見て呟く。
何事かとヤマトたちが見守る中で、新たに飛び出した人型の影がミドリに肉薄し――その拳を、ミドリの胴に叩きつける。
『―――ッ!?』
「嘘でしょ!?」
思わずノアが驚愕の声を上げるが、それも無理ないことだ。
人型の影は、大まかに見積もってもヤマトたちと同程度。対するミドリの方は一般の成竜をも越える巨躯であり、今も空を覆うほどの大きさが見て分かるほど。にも関わらず、影が放った拳を受けて、ミドリが身体をくの字に折り曲げたのだ。
どれほどの怪力があれば、そのような芸当が可能になるのだろうか。少なくとも、勇者として破格の膂力を有しているヒカルであっても、今と同様のことを起こすのは無理であろう。
ヤマトたちが身震いを漏らすほどの痛撃を受けてもなお、ミドリの戦意は留まらない。即座に崩れた体勢を立て直し、空中にいる影に尾の一撃を叩き込む。
「入った!」
「人であれば、耐えられるものではないが」
言いながらも、ヤマトはそのすぐ先の未来を半ば直感していた。
ミドリの尾で薙ぎ払われ、大地に一直線へ叩き落とされる人型の影。その威力を現すように土煙が巻き上がるが、数瞬後には、それを払い除けて人型はすっと立ち上がっていた。
「尋常ではないな」
「ガーディアンなのかな。流石に、ただの人間ではなさそうだけど」
遠目で見てみれば、確かにそれはガーディアンなのだろうと分かる。動きは人間のものと瓜二つではあったが、その表面は鈍色の輝きを放った金属質なもので覆われていた。
傷一つなく立ち上がった人型ガーディアンに向かって、ミドリが一直線に降下した。そのまま大地を突き抜けて地下へと入り込むのかと思うほどの勢いだ。
対する人型ガーディアンは、避けようという素振りすら見せず、むしろ迎撃するように上空へ向けて拳を構える。
『―――――ッッッ!!』
激突。
相手を貫かんと剥き出された竜の鋭牙は空を斬り、そのままの勢いで大地を抉り出す。対する人型ガーディアンは、砲丸もかくやという竜の衝突の余波に押され、弾き出されるように大地を転げ回る。
一進一退の戦い。ミドリが圧倒的に優れた体格と力で大波のような一撃を繰り出すのに対して、人型ガーディアンはその小ささに見合わない膂力で拮抗してみせる。とてもヤマトたちの常識では推し量れない光景であり、間違ってもその内に足を踏み入れてはならないと直感できる規格外の世界。さながら、天変地異と言うべきか。
とても人が触れていい世界のことではない。本能がそう叫び声を上げるような光景を前にして、頭の血がスッと下がっていくような感覚を覚える。
――それでも。
「ミドリ……」
暴れ狂い、その巨躯を振るいながらも血を流す竜の姿を目にして、レレイが物憂げな声を漏らす。
それを耳にした瞬間、ヤマトの心は自ずと定まった。半ば無意識に怖気づいていた自身を叱咤し、腰の刀の重みを改めて思い出す。
「加勢するぞ」
気がついたときには、ヤマトの口はその言葉を放っていた。
ギョッと目を剥く面々の中で、ノアは真意を探るように目を細めて口を開く。
「本気?」
「無論。ここで手をこまねいていても、何にもなるまい」
「何もできないと思うけど」
「あのまま暴れ回らせては、色々不都合になりそうだ。その意味でも、ここで加勢するのがいいと思うが」
竜と人型ガーディアンの戦いは一秒ごとに激化している。相手を捉え損ねた一撃が大地や遺跡を破壊するのは無論、その余波までもが、辺りの地形を一変させかねないほどの威力を秘めていた。このまま決着を待っていては、ここら一帯が焦土になっていてもおかしくない。
それは皆――ミドリも含めた全員にとって、本意ではないだろう。
そんな理屈にひとまずの得心がいったのか、ノアは疲れたように溜め息を漏らしながらも、やがてゆっくりと頷いた。
「……分かった。だけど、やり方は慎重に練るよ。下手に手を出したら返り討ちに――」
何とか説得できたことに胸を撫で下ろしながらも、迫る戦いの予感にヤマトは腕を疼かせる。
レレイは決意を秘めた瞳でミドリを見つめ、ノアの次なる言葉を待つ。
ヒカルとリーシャは疲れたような表情をしながらも、戦意は十分なようで、強い意思を瞳の奥に覗かせながらノアを直視する。
それぞれが戦意を昂ぶらせ、いざミドリのために動こうとした――その出鼻を挫くように。
「――将軍! 魔導砲部隊、全て到着しました!」
「分かりました。それでは総員、射撃用意!!」
視界の隅に映ったのは、鉄道憲兵隊員から報告を受けるカインの姿。
ハッとして辺りを見渡してみれば、暴れ回る竜と人型ガーディアンを包囲するように、辺りに大型魔導砲が幾つも設置されていた。
「これは!?」
「まさか、攻撃するつもりか!?」
ヒカルが驚愕の声を上げる。
片や世界最高峰の竜種であり、片や古代文明の遺物。そのどちらも尋常な方法で傷つけられるはずもなく、ゆえにヤマトたちもその方法に頭を悩ませようとしていたのだが。
そんな懸念をどこかへ蹴飛ばすように、魔導砲全てが起動し始める。大筒に刻み込まれた魔導術の刻印が紫色に輝き、得体の知れない圧力が漏れ出る。迅速な憲兵隊員らの働きは迅速。カインが指示を出してから数秒もしない内に、全魔導砲の射撃用意が整えられた。
もはや止めることは叶わない。
半ば諦めに似た気持ちを自覚するヤマトの目前で、カインはその腕を天に上げ――振り下ろした。
「撃てぇぇえええッッッ!!」