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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
グラド王国編
18/462

第18話

 ときは少し遡る。




 陽が昇ってからしばらくした頃。グランダーク中を一望できる展望台の上に、ヒカルの姿はあった。


「ここまで護衛を出さなくてもよかったのだぞ」

「いえいえ! 勇者様の身に万が一があってはなりませんから! それに彼らも、勇者様の護衛ができる誉れを喜んでいるでしょう!」


 展望台の上から街中を見渡すヒカルの隣にいるのは、グランダークに置かれた太陽教会の支部で大神官を務める男だ。歳は五十は優に越しているだろう。質素な生活を掟としているにも関わらず、その身体にはぶくぶくと脂肪がついている。鼻を刺すような香水の臭いも漂ってくる、生臭坊主という単語がよく似合う神官だった。

 顔面中に大粒の汗を滲ませながら媚を売ってくる神官に、ヒカルは思わず溜め息をつきそうになる。


「それにしても、勇者様はなぜ突然、こんな場所に?」


 そんな神官の言葉には、若干の非難の響きが混じっているように聞こえた。普段なら眠りこけている時間に、こうして展望台の階段を昇ってきたのだから、文句の一つでも言いたくなったのだろうか。


「もしや、昨日会ったという冒険者共に……!」


 またこれだ。ヒカルは今度は溜め息を隠さない。

 昨日はヤマトたちと街を散策するために、教会には何も伝えずに抜け出した。王宮にはそれとなく伝え、また認可も下りていたために気兼ねなく散策することはできた。だが、教会は――目の前の神官は、それが気に入らなかったらしい。夕暮れに王宮へ戻ったヒカルを待ち構え、そのままグチグチと説教を続けているのだ。


「勇者様! 何度も申し上げておりますが、冒険者などという下劣な生き物と関わるのはおやめください! 奴らは知性の欠片もない蛮人、いったい勇者様にも何をなさるか……!!」

「蛮人とは、ずいぶんな言い方だな」

「笑い事ではありません! 奴らは目的のために手段を選ばず、平気で神を冒涜するような連中ですよ!!」

「彼らはそんな人間ではない」

「勇者様は純真な心の持ち主がゆえに、お分かりにならないのです。彼らとて、心の底にどんな欲望を抱いているのか……」


 お前が持っている欲望はよく分かっているぞ、と言いたくなる気持ちをぐっと堪える。

 初めにヤマトたちのことを愚弄されたときは憤りもしたが、かくも偏見でしか語らない男の言葉を聞き続けていれば、自ずと憤りも萎えるというものだった。


「そのくらいにしておけ。聖職者の品が落ちるぞ」

「神も、彼らの行いには心を痛めているはず。それを正そうとするのは、私たちの正義です!」


 無茶な反論だ。とても聖職者が言っていい言葉とは思えない。少なくとも、この世界に迷い込んだばかりのヒカルを保護してくれた神官は、皆清く正しい心の持ち主であったのだが。

 諦めて口を閉ざしたヒカルに対し、我が意を得たとばかりに神官は口早に何かを喋っている。それを言葉として理解することを放棄して、ヒカルはグランダークの外縁部へ目を向ける。建物が雑多に入り組んで暗がりになっている辺りが、昨日黒ローブと出会った場所であろうか。

 嵐が来る。黒ローブの男が残したその言葉は、ヒカルの胸の中にしこりとなって残っていた。おかげで神官の説教をよく聞いていないと揶揄されてしまったくらいだ。


「今のところは大丈夫か」


 グランダークを見渡す。なんとも不吉な分厚い雲に空が覆われていること以外は、いつも通りの街並みだ。外縁部の人影は活気に溢れているようで、中心部の人影は穏やかにすごしている。平和な一日と言えるだろう。――今のところは。


「何もなければよいが」

「胸騒ぎというやつですか? 勇者様は心配性ですねぇ」


 神官の嫌味な言葉に思わず声を荒げたくなるが、必死に堪える。こうした手合いは相手にするだけ無駄だ。


「だいたい、先の魔族も馬鹿なものです。どんな敵であろうと、神の威光にかなうはずがないというのに」


 またお得意の演説が始まった。

 耳を閉ざすこともできず、ただ遠い目になって、ヒカルは外を眺める。――ふと。


「‥…何か騒がしいな」

「どうしたというのでしょう。私の演説を妨げるとは、信仰心の足りない連中です」


 ぶつぶつと文句を言っている神官を置いて、ヒカルは騒ぎになっている方へ歩いていく。

 展望台を使って街の見張りをしていた守護兵たちの集団だ。どこか焦った様子で話し合っている。


「何があった?」

「これは勇者様! お楽しみのところを失礼しました!」

「よい。で、何があった?」

「はっ。実は、街の外に魔獣の集団が見えまして……」


 促されて、ヒカルは兵士が指差す方へ目を向ける。あいにくと肉眼のままでは、町の外はぼんやりとしか見えない。


「何も見えんではないか! いちいち騒がしい奴らめ!」

「はっ、しかし……!」

「もうよい!! ささ勇者様、彼らは見間違えていたようです。戻りましょう」


 神官と兵士のやり取りを無視して、ヒカルは目に意識を集中させる。どういう原理なのかは分からないが、加護で視力を強化する。

 まるで望遠鏡を覗き込んだように、視線の先が徐々に鮮明になってくる。あまり強化しすぎると、景色の鮮明さに頭痛がしてくるので、適度なところで強化を止めて見渡す。


「勇者様? いかがなされ――」

「確かに、魔獣がいるな」


 勇者の言葉に、神官はあからさまに溜め息をつくような表情を作る。


「勇者様、ここは王都グランダークですぞ? 魔獣の一体や二体、ましてや十体ほどが来たところで、そう騒ぐほどのことでもありません」

「さて、正確な数は分からないが――」


 改めて、ざっと見渡す。


「百や二百では、到底済みそうもない数だぞ」

「は?」

「下手をすれば、千を越しているかもしれんな」

「何を馬鹿なことを――」


 信じられないという表情で神官は言い募ってくるが、全て無視する。どうせすぐに分かることだ。

 その通りに、肉眼でも見えるほどに魔獣が近づいてくる。地平の端から徐々に黒い波が見えるようになってきた。それは一つ一つが姿形がバラバラな魔獣である。キリングベアが森の獣を殺し尽くした現場を見たヒカルからすれば、異なる魔獣が一直線にグランダーク目指して行軍する様は、異様の一言に尽きた。


「これは……!!」

「すぐに迎撃しなければまずい」


 頷いた見張りの兵士が、そばに置いてある鐘を打ち鳴らす。それに呼応するように、グランダーク中のあちこちから同じような警鐘の音が聞こえてくる。

 それから、グランダークの様子は一変した。街を歩いていた人は家へ駆け込み、扉を閉ざしていく。守護兵の小隊が幾つも街中を慌ただしく駆け回り、外縁部の守備を強化する。


「嵐が来る、か」


 その光景を確認したヒカルは、頷きながら踵を返す。


「勇者様! いったいどちらへ!?」

「知れたことを聞くな。私も前へ出て戦う」

「そ、それはなりませんぞ!? 勇者様は神から遣わされた使徒! まずは教会を守っていただけませんと!!」

「教会を守るも街を守るも、同じことであろう」


 口角から泡を飛ばしながら、神官はヒカルの前に立ちはだかっていた。その顔は青ざめている。


「街は兵共が守ります! ですから勇者様には教会を直接――」

「………はぁ」

「で、では王宮に参りましょう! 私共も王宮に入りまして、勇者様にはそこを守っていただくと!」


 名案だとばかりに顔を輝かせる神官に、ほとほと呆れる他ない。

 ここに来てこいつが考えているのは、全て保身だ。どうにか言い訳して、ヒカルに直接守ってほしいのだ。


「私の力がほしいならば、最前線まで出てくればいい。嫌ならば、教会に引きこもってろ」

「し、しかし……!」

「問答は無用だ。さあ道を開けろ」


 強引に押し通ったヒカルは、階段を降りようとしたところで見覚えのある姿を目にする。


「ノアか、ここに来るとはな」

「ヒカル! よかった、ここにいた!」


 いつも快活な様子を見せていたノアが、珍しく慌てた表情を見せている。よほどここまで急いで来たのか、額にも薄っすらと汗が滲んでいる。


「魔獣のことか? 案ずるな、これからすぐに――」

「ギルドに昨日の男が現れた」

「………」


 黒ローブの男。あからさまに怪しい雰囲気を出していた男だ。

 今の今まで、どこにいるのかを失念していたが。


「あいつは間違いなく、この騒動に関わっている」

「ではヤマトは?」

「それに応じている。たぶんだけど、すぐに戦いになるはずだ」

「ならば私もすぐに応援しよう。ギルドだな?」

「いや、それは必要ない」


 存外にノアは強い眼差しで断言する。それほどまでにヤマトの腕を信用しているということなのか。


「……そうか。ノアがそう言うならば、信じるとしよう。では私は魔獣の迎撃に向かうとしよう。ノアの方は――」

「ついていくよ。ヤマトにもそれを頼まれたしね」


 変わらず、仲間思いな冒険者だ。

 昨日の散策を思い出して緩みそうになる頬を引き締めて、ヒカルは頷く。


「よし。ならばすぐに向かうとしよう」


 一歩踏み出した。それと同時に。

 肌が一斉に粟立った。


「これは……!?」

「――伏せてッ!!」


 ノアに言われるがままに地に伏せる。

 直後、凄まじい爆音と衝撃波が辺りを駆け抜けた。


「ぐ、お……」


 耳の奥が高鳴りをしている。目の奥にもチカチカと星が散っているようで、平衡感覚を取り戻せない。

 必死の思いで膝を立てて辺りを見れば、そこに広がっているのは死屍累々という言葉が似合う光景であった。守護兵は壁や床に叩きつけられてうめき声を上げ、神官や観光客は完全に気を失ってしまっている。擦り傷や打ち傷から血を流す者こそいるが、重傷を負ったらしい者がいないのは不幸中の幸いか。


「ヒカル! 怪我は!?」

「だ、大事ない。すぐに立てる」


 ヒカルに比べると幾分か余力を残していそうなノアに声をかけられる。それに応じながら、ヒカルは立ち上がった。

 ぼやけていた頭を振れば、何とか思考も元に戻る。咄嗟に街の様子を伺えば、多くの建物に大きな亀裂が入っていることが分かる。見るからに帝国製の建物は無事である辺りに、何か感じるものもないではないが、今は放っておく。


「今の爆発は……」

「あそこからみたい」


 ノアが指差す方へ視線を向けると、真っ赤な炎に包まれた建物が見える。――教会だ。


「な――っ!?」

「教会が爆心地。どこかから魔導が飛んできた様子もないから、あそこに魔導具をしかけたってことかな」


 教会には、聖職者見習いやシスターがいたはず。彼らは大丈夫なのか。

 必死に目を凝らしたヤマトの視界に、わらわらと教会から抜け出す姿が見える。あちらは怪我もひどいようだが、どうにか助かっている者もいるようだ。


「くそっ! いったい誰が……!!」


 安心したのも束の間、すぐにヒカルの頭は回転し始める。

 このタイミングでの教会の爆破。その犯人は間違いなく、外の魔獣と関係した者だ。


「―――っ! 誰か出てくる!」


 ノアが叫ぶ。目をやれば、業火に包まれた教会の中から、平然とした様子で歩き回る人影が出てきた。


「あいつは……!」

「『剛剣』」


 筋骨隆々の体躯に、背負った巨大な剣。違う点があるとすれば、これまでに見たときのくたびれた様子はどこかへ行き、意気揚々としているところだろうか。

 『剛剣』が燃える教会へ振り返り、満足げに頷いている。その懐から何かを取り出したのを見た瞬間、ヒカルは足を展望台の手すりにかけていた。


「ヒカル!? いったい何を――」

「先行する! ノアは後から頼む!」


 向こうの世界の感覚から、あまりの高さに恐怖心も湧いてくる。だが、この身体は一級の加護を授かっているのだ。

 これまでの経験を信じて、踏み出す。急速に流れていく景色を見る暇もなく、すぐに迫ってくる地面に両足の底を向ける。


「おぉおおっ」


 着地。

 靴底から雷のように痺れが走るが、全て無視する。地面の石畳は粉々に砕け散ったが、自分の身体に傷はないことだけを確かめる。

 轟音に後ろを振り返って呆然とする『剛剣』に向けて、腰の聖剣を抜き払って構える。


「そこで何をしている」

「………。クククッ、クハハハハッ! 最高の現れ方じゃねえか勇者さんよぉ!!」


 街中で見た陽気さこそ健在なものの、『剛剣』の身体には殺気が溢れている。手にしていた何か――黒い液体が入った瓶を持ったまま、背中の剣の柄に手をかける。


「もう一度言う。そこで何をしていた」

「気づいているんだろ? 愉快に爆発させてやったのさ」


 近くで見れば、教会はひどい有り様だ。

 炎が燃え盛っているのみならず、衝撃波で大半が木っ端微塵に砕け散っている。半壊どころではない。全壊だ。


「何が狙いだ」

「てめぇだよ、勇者さん。まあちっと待っててくれや。すぐ仕上げに入るからよ」


 言いながら、瓶を炎が燃える教会の方へ放り投げる。

 慌てて魔力で撃ち落とそうとしたヒカルの目の前で、瓶が粉々に砕け散った。黒い液体は教会前に燃え移っていた炎に飲まれていく。


「はぁ? いったいどこのどいつが――」


 『剛剣』に続いて目を巡らせたヒカルは、展望台の中程で短銃を手にしたノアを見つける。小さく手を振ってみせた辺り、やはりノアが撃ち落としてみせたらしい。


「はっ、器用な奴だなおい」

「どうやら目論見は外れたらしいな」


 何をしようとしたのかは分からないが、未然に防げたならば僥倖だ。

 そう思って剣を構え直したヒカルに対して、『剛剣』はニヤリと笑みを浮かべる。


「何を笑っている」

「まあ確かにヒヤッとはさせられたがな。一応は成功だ」


 言い切った直後に、教会に異変が生じる。

 教会を包み込んでいた炎が急に黒くなっていく。黒い炎が教会全体を瞬く間に包み込んだ瞬間、ヒカルの身体から何かが失われていく感覚を覚える。


「これは……!?」

「へえ、奴らの研究は当たってたってことだな」


 身体の調子を探る。

 加護が薄まっていた。その減少量は大本から比べれば微々たるものではあったが、これまで経験したことのない感覚に、身体がついてこない。


「ネタバラシをするぜ。この黒い炎は、邪神の炎なんて名前で呼ばれていてな。詳しい理屈は知らねえが、神の力を穢すものらしい」

「邪神の炎」


 聖地の神官から聞いた話が脳裏に蘇る。

 確か、勇者の加護は神々から授けられたものであり、神への信仰の大きさに応じて強化されるのだとか。


「とりあえず教会をぶっ壊せばいいかと思ったが、それじゃ足りねえみたいだからな。仕上げにこいつで、神とやらの力を穢してやろうって話だ。うまく行ったみたいでよかったぜ?」

「く……っ」

「さぁて話の時間は終わりだ。これで俺の仕事も終わったんでな、じっくり楽しむとしようぜ?」


 『剛剣』は剣を抜き払う。肉厚で鈍い輝きを放つ刃が、二メートルほども伸びている。

 明らかに使い手の身体よりも大きな剣を、『剛剣』は軽々と振り回していた。


「んじゃまあ、せっかくだし名乗るとしようか!」


 キリングベアと対峙したときなど、比べ物にはならない。それほどの闘志と殺気が、ヒカルの身体を飲み込む。


「――第五騎士団の団長、『剛剣』のバルサだ! せいぜい楽しませてくれよ勇者さんよぉっ!!」


 剣を肩に担ぐような姿勢のまま、腰を低くして。

 『剛剣』――バルサは、ヒカル目がけて一気に飛び込んできた。

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