第173話
「シャァッ!」
駆け抜けざまに刀を一閃し、ガーディアンと呼ばれた石像の脇腹を斬り裂く。ガーディアンが反応する隙すら与えずに放たれた斬撃だが、刃は像のゲル状な身体を薙ぐに留まり、有効打には至らない。――だが、それでいい。
「ノア!」
「任された!」
打てば響くように上がったノアの声。次いで、ヤマトと呼吸を合わせてノアが前へ躍り出る。
傷は浅いとは言え、ヤマトの斬撃も決して無視できるものではなかったということだろう。刀で薙がれて上体を泳がせていたガーディアンは、突如後退したヤマトと、入れ替わりに身を滑り込ませてきたノアを前にして反応することができていない。
動きの鈍いガーディアンの胸部を、ノアの手の平がそっと押し込む。直後に、触れた場所を中心に小さな稲光が奔った。
『―――――』
「よしっ、成功!」
キュルキュルと何かが軋む音を漏らして、ガーディアンはガクッとその身体を沈黙させる。ゲル状だった身体が一瞬で硬質な石のようになり、完全に機能停止したことが分かった。
ノアの方は会心の手応えが得られたらしく、先程までの切迫した表情を抑えて喜色の笑みを浮かべる。
ヤマトもそれに応えてやりたいところだったが、今はその時間すらも惜しい。
「聖剣よ!」
刀を握る手へ力を入れ直したところに、ヒカルの凛々しい叫び声が届く。同時に、眩い光の斬撃が回廊を照らしながら、辺りを一気に薙ぎ払う。
思わずその弾道に視線を流せば、ノアが沈黙させた個体とは異なり、原型を留めないほど木っ端微塵に砕かれたガーディアンの残骸が幾つも目に入る。あれら全てが、今のヒカルの一撃によって破壊されたものだ。
ヒカルに勇者として規格外の加護を与えられていることを加味しても、その戦果は上々を凌駕するものだろう。ヤマトが刀を振り回しても到底倒せないものを、ただ聖剣を一振りしただけで多数沈黙させてしまう姿には、勇者という名に相応しい威容が備わっているように見える。
(大したものだが――)
そのヒカルの力をもってしても、今の戦況は打破し難いのが現実だ。
どこまでも続くかと錯覚するほどの長い回廊。その全てを埋め尽くす勢いで、無数のガーディアンがひしめき合っていた。彼らの視線が向いている先にいる者は、ヤマトたち三人だ。
およそ常識外れな勇者ヒカルの力だが、彼女の助けがなかったならば、ヤマトとノアは今頃は呆気なくガーディアンの群れに蹂躙されていたことだろう。ヒカルが参戦している今ですら、徐々に劣勢に立たされている有り様なのだから。
「くそっ、キリがないな!!」
「どうにか抜け出すしかないのは、分かっているんだけどね!!」
苛立ち混じりで叫ぶヒカルに、ノアも油断なく周囲のガーディアンを見渡しながら応える。
何とかエスト遺跡から脱出するために奔走していたヤマトたちであったが、あえなくその進路をガーディアンに塞がれ、応戦せざるを得ない状況になっていた。そうした足留めを数度重ねられた末に、今や四方八方をガーディアンに取り囲まれ、活路の見えない消耗戦へと持ち込まれたのだ。
当初は万全の態勢であったヒカルも、度重なる戦いを経て、既にかなり疲弊してしまっている。もう数度程度ならば問題なく戦えるだろうが、そこから先については、いつ体力切れを起こしてもおかしくない状況だ。頼りの綱である彼女が倒れてしまえば、この戦線が瞬く間に崩壊してしまうだろうことは想像に難くない。
(何か、事を起こさなければならんのだが)
現状、最も余力を残しているのはヤマトだ。対ガーディアン戦の主力となっているヒカルや、彼女に次いで決定打を与えられるノアとは違って、ヤマトはガーディアンとの戦いでほとんど役割を担えていない。せいぜい、先程もやってみせたように隙をこじ開ける程度か。
ヒカルとノアがガーディアンの対処で手一杯ならば、ヤマトが戦況を打破しなければならないのだが。
(手が浮かばんな)
そも、ヤマトではガーディアンとの相性が悪すぎる。ヤマトがどれほど鋭い斬撃を放ってみせようとも、魔力の流れを断たない限りは、ガーディアンは何のダメージも受けることなく動き続けるのだ。せいぜい体勢を崩すくらいのことはできても、そこから先の展望が全く見えてこない。間違いなく、この場で最も無力なのはヤマトだった。
それでも、ガーディアンの大群の中へ単身踊り込んで暴れ回れば、ヒカルとノアが脱出する程度の隙を作ることはできるだろうか。
「ヤマト」
「む?」
「勝手に動くのは駄目だよ」
危うい考えに囚われていたヤマトの耳に、ノアの鋭い声が滑り込んでくる。
相変わらず、この相棒はヤマトが考えていることに妙に鋭い。「頼もしいことだ」と苦笑いと共に言葉を漏らしながら、ヤマトは辺りのガーディアンを見渡す。
「ならば、どうする。手立てはあるのか?」
「それは……」
悔しげにノアが唇を噛み締める。彼も薄々感づいてはいたはずだ。誰かが決死の覚悟でこの場をかき乱さない限りは、活路を見出すことはできない。
今こうしてヤマトとノアが言葉を交わしている間にも、押し寄せるガーディアンの波をヒカルが必死に喰い止めている。これ以上の時間をかけてしまえば、極僅かに残された活路すらも断たれてしまうだろう。
それでも首を縦に振れないでいるノアの姿に、ふっと笑みを零れる。
「案ずることはない。俺の悪運が強いことは、お前もよく知っているだろう?」
「そうだけど、そうじゃなくって!」
これ以上の問答を重ねていては、本当に脱出の可能性が失われてしまうかもしれない。
ノアの制止を振り切り、刀を構えて駆け出そうとしたところで。ふと、何かが飛来する風切り音がヤマトの耳に滑り込む。
「む?」
「これは?」
小首を傾げながら視線を巡らせたヤマトの目に、暗闇を貫く矢が映る。
その一瞬で見た限りでは、何の変哲もない普通の矢。だが、その鏃が一体のガーディアンの頭部を捉えた瞬間、そのガーディアンの身体がガクッと硬直する。
『―――――』
「仕留めただと?」
灰色の身体を白に変色させ、ゲル状の身体が只の石へと変じる。
ただ一射で機能を停止させたガーディアンの姿を前に、ヤマトとノアは目を見開く。ノアが魔導銃で狙撃した際には、ガーディアンはその弾丸を堪えるような様子もなく、何発受けても平然としていたものだったが。
思わず、只の石像のように佇むガーディアンの残骸の頭部に目を流したヤマトだったが、その耳に聞き馴染んだ声が届く。
「皆、無事か!?」
「待っていて! すぐに片づけるわよ!」
どこか武士を思わせるほど凛々しい声に、鋭いながらも優しさが滲み出ているように思える声。――レレイとリーシャだ。
さっと互いの目を見合わせたヤマトたちだったが、どこからともなく笑みを零す。
「何とか粘った甲斐があったな!」
「本当に。誰かさんが無茶せずに済みそうで何よりだよ」
「……面目ない」
今になって思えば、ガーディアンとの戦いで助けになるどころか足手まといになっている現状や、相対するガーディアンのあまりの数を前にして、無意識の内に弱気になっていたのかもしれない。大した勝算もないのに玉砕覚悟の特攻を仕掛けようなど、愚か者と謗られても仕方ない行為だ。
ふっと溜め息を吐いて、頭に血が昇っていることを自覚する。身体の中心から末端の方へ、芯を熱くさせていた血流を分配させていくような意識を持てば、徐々に視界が鮮明になっていくのが分かる。
(まだまだ未熟だな)
自身の状態に気がつくこともできず、ただ熱に浮かされたままに動こうとしていた己を恥じる。
それと同時に、刀を正眼に構え、気の揺れを抑える。満月を映す水面を心の中に思い描き、段々と鼓動を鎮めていく。そうして落ち着いてみれば、何の手立ても浮かばないように思えた対ガーディアンの戦いについても、まだ手段が残されているような気がしてくる。
容易に斬れない相手だから、何だと言うのだ。斬れないのならば斬るように専心し、それでも及ばないのであれば、別の道を模索する。相手は鏡に映った幻像ではなく、紛れもなく目の前に存在しているのだ。何の手立てもないなど、あるはずもない。
「――ふぅ」
整息。
心の中で徐々に勢いを増す闘志の炎を自覚して、ヤマトは一歩前へ進み出る。手にした刃の向く先は、相変わらずの大群でいるガーディアンだ。
レレイとリーシャという援軍の登場に、ヒカルとノアの雰囲気も明るくなっている。先程までの疲労も、完治したとまでは言えなくとも、幾分か改善したようにも見えた。
(ならば、もう思い煩うこともないな)
すなわち、思うがままに刀を振ればいいということ。
意識から余計なものを排除していきながら、一歩足を前に進めた。
「冒険者ヤマト。いざ、参る――!」