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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
古都エスト編
169/462

第169話

 アブラムが得意気に掲げていた権利書を、サインや文面は本物であると断じながら、カインは手にしたライターの火で燃やし始めた。

 咄嗟に止めることもできず、呆然と見つめるしかない一同の中。最も早く我を取り戻したのは、権利書を燃やされた張本人であるアブラムだった。


「な、ななな……っ!?」


 顔を真っ青にした後、憤怒をたたえて頬を紅潮させ、終いにはドス黒い色にまで変じる。

 視線だけで人を殺せるのではないかと思えるほどの目つきになって、アブラムは震える口を開いた。


「貴様!! 貴様が今何をしたのか、分かっているのかッ!!」

「えぇ、勿論ですとも」


 口から唾を飛ばして怒声を上げるアブラムを前に、カインは先程までと同じ平然とした表情を浮かべている。自分は何もしていないとでも言いたげな、白々しいほどの穏やかな笑みだ。


「こ、この責任は取ってもらうぞ! 貴様は儂がここで得るはずだったものを、台無しにしてくれたのだからな!!」

「どうぞご勝手に。果たして、偽物を燃やされたと訴えて、どれほどの人が賛同してくれるのかは分かりませんが」

「何だと!?」


 何気なく声に出された事実を耳にして、一行は揃って目を剥いた。血気だっていた遊牧民たちも、今は弓を引くことも忘れて、カインの次の言葉を待つように目を向けている。

 周囲をグルリと見渡したカインは、まるで演説を始めるかのような仰々しい手振りを添えて、口を開く。


「きっと皆さんはこう思っているのでしょう。私は、先の権利書が偽物であると判断したために、火を灯した。アブラムさんからすれば、本物であるともう分からないようにするために、火を灯したと見えたかもしれませんね」

「違うとでも言いたいのか!? 貴様、儂に中立を騙っておいて、そいつらと手を組んでいたのだろうが!!」

「違いますよ。偽物だから燃やした、のではないのです。偽物だから燃えたのですよ」

「なにぃ……!?」


 今にも噛みつきそうな勢いのアブラムを制して、カインは淡々と言葉を続ける。


「帝国において、ああした権利書というやつはかなり重要視されていましてね。偽装が困難であるようにインクやサインに細工を施すのは述べた通りですが、それ以外に、万が一にも損なわれないように紙へも細工が施されているんです」

「紙に?」

「えぇ。コーヒーを零して契約が無効になった、なんて間抜けな事故を起こさせないためですね」


 帝国の外の常識に染まったヤマトからすれば、にわかには信じ難い話だ。軽く見渡してみれば、遊牧民らやアブラムですら、カインの語る話には半信半疑な面持ちであるらしい。

 そっと確認するようにノアの方へ視線を向けると、ノアは小さく、だが確かに首肯してみせる。


「事実だよ。そもそも、只の紙を契約書や権利書には使わない。それ専用に作られたものがあるんだ」

「えぇ、そちらの彼が言う通りです」


 ノアの言葉をカインが引き継ぐ。


「厳密には紙ではなく、布と言った方が正しいのでしょうね。シルクスパイダーの糸を織って作られた生地を加工して、元々の紙面が完成します。魔獣由来の素材を使ったその布地は、多少の汚れは寄せつけることもせず、火に炙られても燃えることはない」

「それは、つまり――」

「言った通りです。あのライターで燃えてしまったあの権利書は、紛うことなく偽物。記載されたものこそ本物同然でありましたが、只の紙に記された以上は、そう断じる他ないでしょうね」


 それが結論。

 アブラムが散々に威張り散らした権利書は偽造されたものであり、このエスト遺跡は未だに遊牧民らの聖地として機能している。ならば、アブラムは書類の偽造を働いた罪のみならず、異民族の聖域を荒らした罪をも科せられる。

 その事実が徐々に浸透するに連れて、ミドリたちのまとう雰囲気が剣呑なものになっていく。離しかけていた弓の弦に再び力を込めながら、ジリジリとアブラムとの間合いを詰めていく。彼ら一人一人の表情に浮かんでいるのは憤怒であり、もはや言葉による和解は不可能であると悟ってしまうほどの激しさが秘められていた。

 若者の一人が前へ足を踏み出す。それと同時に、アブラムは決死の形相で口を開いた。


「お、落ち着け貴様ら! 全てあの男の出鱈目だ! 儂の持っていた権利書は間違いなく本物だった!!」

「ふむ。それでは、その大切な紙が燃えてしまったことは、どう説明するつもりですか?」

「き、貴様のライターに細工がしてあったのだろう!? 儂をハメて、いったい何が目的だ!?」

「やれやれ、話になりませんね」


 会話を諦めたように首を横に振り、カインはアブラムから視線を外す。そしてそれは、遊牧民らによる私刑の開始を告げる合図にもなった。

 聞くに堪えない罵声を浴びせながら、拳を固めて走り出す若者たち。彼らの気迫を受けて悲鳴を漏らし、アブラムは後方へ――エスト遺跡の中へ駆け戻っていく。


「そ、そいつらの足止めをしろ!!」

「そんな無茶な!?」

「お前らも野郎と同罪だ! 囲め!!」


 アブラムの指示に悲鳴を漏らした護衛の男二人は、あっという間に若者たちに取り囲まれ、そのまま拳を振り下ろされる。

 肉を打つ鈍い音と、男の苦悶の声、口汚い罵声が辺りを飛び交う。


「酷いものだな」

「見るに堪えないね」


 ノアと共に顔を顰めて、ヤマトは視線をそれから外す。

 どうやら、アブラムだけはこの場から脱することができたらしい。好き勝手に私刑を行う若者たちの輪に彼の姿はなく、怒りの面持ちで遺跡に踏み込もうとする面々の姿が目に入る。


(蛮族、か)


 ふと、アブラムが遊牧民の彼らを罵倒した言葉が脳裏に蘇る。

 罪を犯したらしい彼に同情するつもりはないが、確かに、感情の赴くままに拳を振るって他者を痛めつける彼らの姿は、蛮族と言うに相応しいように思えた。

 何となく、アブラムが無事に彼らの手から逃れられることを祈りながら。ヤマトはそっと、カインの横顔へ視線を送った。


(妙に引っかかる奴だ。何か企んでいるのか?)


 ここへ来てから――否、ヤマトたちと出会ってからというもの、その表情を一切変えていないカイン。常に人好きのする穏やかな笑みを浮かべた彼だが、ヤマトの目からは、どうにも胡散臭いものを感じないではいられなかった。笑顔という仮面で、奥にある素顔を覆い隠しているようですらある。

 ヤマトの目に映る笑顔がカインの本性であると信じられたら、どれほど楽なことか。


「何か気になることでもあった?」

「む? うむ、そうだな……」


 ジッとカインを見つめていたヤマトを訝しく思ったのか、ノアが小声で尋ねてくる。

 ノアにも尋ねてみようかと思い立つものの、胸中に渦巻くモヤを上手く言語化することができない。

 そのまま曖昧に言葉を濁してしまうヤマトをちらりと一瞥して、ノアは小さく頷いた。


「まぁ、何を考えているかはだいたい分かるけどさ。その感覚は、たぶん間違ってないと思うよ」

「何だと?」

「また時間があるときに詳しく話すけど。あの人、別に見たまんまの善人って訳じゃないから」


 人ならば誰しも、その腹に一物を抱えているとは言うが。

 ノアが言わんとしていることが、そうした話ではないのは想像に難くない。カインが裏でヤマトたちが予想もできないほどの計画を立てているかもしれない、くらいのことは想定しておくべきだろうか。そのように考えておく方が、ヤマトの直感には沿っているようにも思える。


(とは言え、か)


 カインを観察していた視線を、そのままノアの方へズラす。


「妙に詳しげだな?」

「帝国でも有名な話だから」

「どうだかな」


 言葉短く返すノアに、ヤマトは肩をすくめる。

 断言こそできないが、帝国の民と将軍というだけでは説明できないような縁がノアとカインの間にはあるように、ヤマトの目には映った。二人が実は親戚だったと明かされても、逆に納得できてしまうほどだ。


(考え込んでも仕方ない話ではあるか)


 頭を軽く振り払い、ムクムクと立ち昇っていた興味を意識の外へ追いやる。

 カインの手によってアブラムの権利書偽造が明かされたとは言え、まだ事態が解決し切った訳ではないのだ。


「ひとまず、大事にはならなさそうか」

「結局暴走はしちゃってるけど、帝国に盾突くようなことにはならなかったからね。最悪の事態は避けられたのかも」


 最悪の事態。つまりは、エスト高原の民と帝国との全面戦争の幕開け。アブラムの権利書が本物であるとされていたならば、そうなった可能性は決して低くない。そのことを思えば、アブラムの将来には思うところがあれども、ひとまず上々の結果に落ち着いたのだろうか。

 血に飢えた様子で下品な声を上げる人々から意識を逸らしながら、ヤマトは遺跡の奥を覗き込む。


「ずいぶんと時間がかかっているな」

「そうだねぇ。案外、あの人の逃げ足が速かったのかも」


 過酷な地での暮らしに鍛え上げられた遊牧民と、贅肉のこびりついたアブラム。どちらの足が速いかは、火を見るよりも明らかなように思えるが。

 それなりの大人数が踏み込んだとは思えないほどに、遺跡の中は静寂に閉ざされている。


「何かあったのか?」

「見てくる?」

「……そうだな」


 この場での蛮行を見るに、あまり気は進まないところだったが。だからと言って、遺跡の中へ入った人々を置き去りにしていい理由にはならないだろう。

 思わず漏れそうになった溜め息を噛み殺しながら、ゆっくり足を動かそうとした――そのときだった。




『――警告。侵入者多数を確認、即刻退去せよ。警告。侵入者多数を確認、即刻退去せよ』




 辺りを吹き抜ける風の音と、空高くから微かに響く鳥の声。

 それのみに占められていたはずの辺り一帯に、突如として耳障りな警告音が鳴り響いた。鐘を打ったかのような甲高い爆音が、高低を何度も行き来しながら響き続ける。さながら獣の遠吠えにも聞こえる音の波に、辺りの空気そのものがビリビリと震えているような気すらする。

 すぐに周囲に視線を巡らせる。ヒカルたちは突然の音に呆然とした様子を隠せないようで、互いに困惑の瞳を見合わせていた。私刑を行っていた遊牧民の若者たちすら、頭に冷や水を浴びせかけられたような面持ちで、虚空へキョロキョロと視線を彷徨わせる。


「いったい、何が起こった」


 思わず言葉が口をついて出てくる中。

 ヤマトの目は自然と、カインの姿を捉えていた。


(あいつは――)


 後頭部を思い切り殴りつけられるような、凄まじい衝撃がヤマトの意識を襲う。

 その正体がいったい何であったかを確かめる前に、再び、機会的な音声が言葉を紡ぎ始めた。




『警告の無視を確認。これより、侵入者の排除を開始します。施設関係者は速やかに退避してください。これより、侵入者の排除を開始します――』




 その直後のことだった。

 ヤマトたちの立っていた大地が、突然グラリと揺れ始めた。何かを口にする間もなく、地面に無数の亀裂が走る。グッと地面が沈み込む感覚の中、咄嗟にヤマトは隣にいたノアの腕を掴み、そのままヒカルたちの方へ身体を寄せる。


「衝撃に備えろ!!」


 叫んだ、その瞬間。

 ヤマトの身体を支えていた地面の感覚がふっと失せる。世界が崩れていくような錯覚の中で、何の抵抗をすることもできずに、身体は大地の下へ引きずり込まれた。

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