第167話
さながら要塞の如き物々しい雰囲気だった駅構内から一変して、客室の中は穏やかな空気に満ちていた。
部屋の各所に並べられた工芸品――エスト高原に住む遊牧民による作品だろうか、これまでに見覚えはないものばかりだった――を一瞥してから、ヤマトは対面のソファーに腰掛けたカインへ視線を向けた。
(将軍カインか)
この客室までの道中、帝国出身のノアから大雑把に彼のことを聞き出していた。
その話によれば、彼は帝国本土ではそれなりに名の知れた将軍であるらしい。未だに役職はそれほど高くないものの、軍に所属してから数年で昇進を遂げた手腕は本物であり、将軍職に就いた者の中ではかなりの若年なのだとか。ヤマトが先程察知した通り、中々の武闘派将軍の一人でもあり、帝国の軍事の要を担っていると言っても過言ではない存在。
端的に言えば、相応の大物ということだ。エスト高原のような辺境の地へ訪れることが異例なくらい、一般兵からすれば縁遠い将軍。駅構内の雰囲気が物々しかったのも、そんな将軍カインが突然来訪してきたからというのが、主たる理由らしい。
(確かに、腕は立ちそうだ)
あまり露骨になりすぎない程度に抑えながら、カインの手腕を探る。
ヤマトが「腕が立つ」と評するのは、武術の腕に限った話ではない。鷹のように鋭い目を持ちながらも、その眼光は見る者を安心させるような柔らかい光を装い。人好きのする穏やかな笑みを浮かべながらも、その身のこなしは何事へも対応できるよう、常に気が張り巡らされている。彼ならばきっと、政略も策謀も練ることができるはずだ。
一つ気になるとすれば、ギラつくような野心の輝きが、どことなく滲み出ているところだろうか。だがそれも、彼が名将軍であろうことを否定するものでは、決してない。
(一度くらいは刃を交えてみたいものだな)
人知れず闘志を滾らせる。
その眼前では、件のカインとミドリの会話が進められていた。
「ふむ、アブラムと名乗る商人ですか」
「私たちの聖地を、自分のものだって主張しているのよ。当然、認められるものではないわ」
腕を組んで静かに思案を巡らせる様子のカインに向かって、ミドリは語気荒く詰め寄っていた。集落の皆全員の期待を背負っていると自負しているからこそ、その肩にも力が入ってしまっているのだろう。
そんなミドリの感情は確かに理解できたが、だからと言って看過していいものでもない。
「落ち着け」
「だけど――」
「そう焦っては、伝わるものも伝わらん」
「……分かったわ」
頭に血が昇っていたことは自覚していたのか。ヤマトの言葉を受けて、今一つ納得し切れていない様子ながらも、ミドリは口を閉ざした。彼女のケアは、案じるように視線を向けているノアに任せれば問題ないだろう。
それを確かめてから、ヤマトは隣のノアへ視線を投げる。
「まぁ、そういう訳でね。ひとまず、彼が持っていた権利書が本物なのかどうか、ここに確かめに来たんだ」
「なるほど。確かにそれは道理ですね」
遊牧民らの推測とアブラムの主張を頼りに、権利書が本物か偽物かを判断するなどというのは不毛極まりない。ならば、その権利書を発行したであろう帝国に問い合わせてしまうのが、最も合理的であった。
ノアの説明に首肯したカインは、すぐに視線を上げてミドリを見やる。
「分かりました。我ら帝国としても、あなた方とはよき隣人でありたいと願っています。今回の件についても、できる限りの協力を約束しましょう」
「本当!?」
勢いよく迫ったミドリを前に、カインは苦笑いをしながら頷く。
ひとまずは一歩前進か。だが、本題と言うべきはここからかもしれない。
「えぇ、勿論です。まずは帝国の行政部に連絡を入れましょうか。早ければ一週間後には、事の真相が判明するはずですよ」
「……一週間」
カインの言葉を受けて、ミドリは表情を陰らせる。
役所仕事であることを踏まえれば、一週間という時間も相当に早いと言えるだろう。それも、連絡や業務の体系が固まっている帝国だからこそ可能な速度であり、他の一般的な国々であれば、一ヶ月以上かかる可能性も否定できない。そのカインの言葉に不満を漏らすのは、いささか道理に合わないとも言えよう。
だが、今回は緊急を要する事態だ。時間をかければかけるだけ、アブラムはエスト遺跡の遺品を荒らす。遺跡を聖地として祀るミドリたち遊牧民にとっては、それは何よりも避けなくてはならない事態だった。
「もう少し早くはならない?」
「正直、難しいですね。相当の手続きが必要ですから」
「そう……」
要は、望み薄ということだ。
難しい表情になって俯いてしまったミドリを前に、カインは困ったように眉尻を下げる。
そんな二人の顔を順番に見やってから、ノアが口を開いた。
「一応、別の手もあったよね」
「直接監査ですか」
「そそ。それを実行するってのはどう?」
ノアの提案に、カインは難しい表情を浮かべる。
「要請するのがどういうことかは、理解していますか」
「勿論。それくらい、こっちにも確信があるってこと」
「ふむ……」
自信満々なノアの言葉を受けて、その真意を探ろうとしてか、カインは目の光を鋭くさせる。
そんな二人のやり取りを見て、ミドリとレレイは目を白黒させていた。帝国の文化に馴染みのない二人にとっては、ここでの会話内容は要領を得ないものに聞こえるのだろう。
(直接監査か)
要は、行政機関の手続きを経ないままに、役人に直接動くように要請する制度のことだ。今回の件に当てはめるのならば、駅に駐在している憲兵に、エスト遺跡を我が物顔で占拠するアブラムの権利書を鑑定するように要請することになる。
本来ならば避けては通れない手続きを省略できるため、迅速に事態を片づけられる点が長所だろうか。だが、その代償としてそれなりに強引な手を認めてしまうことになるため、申請通りの結果が得られない場合――もし、アブラムの権利書が本物であった場合には、要請者に何らかの刑罰が科せられることになる。刑罰の内容は様々であるが、どれも総じて軽いものではない。
(思い切ったな)
声には出さないままに、ノアの胆力に感心する。帝国出身の彼はその制度についてもよく知っているはずだが、刑罰に臆する様子は一切見せない。それだけの確信があるという面もあるだろうが、隙を見せたときに要請を却下される可能性を危惧しているのだろう。
ならば、それをヤマトが裏切る訳にもいくまい。ノアの方を一瞥もしないままに、堂々と背筋を正す。
ノアの表情を伺っていたカインの眼差しが、ヤマトの瞳を捉えた。
「………」
「………」
視線を交わしていたのは、数秒か数十秒ほどか。
カインの奥底から感じられる闘気に感じ入っていたヤマトは、ふっとカインが視線を逸らしたことに気づいた。そのまま再びノアの方を一瞥してから、はぁっと大きな溜め息を漏らす。
「――分かりました。要請を承諾しましょう」
「お」
「そんなに自信あり気に言われては、受けない訳にはいきません。個人的にも、そのアブラムという男は許し難いところでしたからね」
「いいのか?」と意外そうに問うようなノアの視線に、カインは言い訳のようなものを矢継ぎ早に口にした。
それを耳にしたヤマトとノアは、互いの目を見合わせて、思わず噴き出しそうになるのを堪える。
「ありがとう。おかげで何とかなりそうだよ」
「早速ですが、段取りを決めましょう。なるべく速く監査した方がいいのでしょう?」
ノアとカインの会話について行けなかったなりに、話が上手くまとまりそうなのを察したらしい。ミドリは無言のまま、こくこくと首肯する。
「ここに監査を行える者は勤めていませんが、幸い、私はここの視察を終えたら手隙になります。少々異例にはなりますが、私が行くとしましょうか」
「へぇ、構わないの?」
「えぇ。私程度の将軍職であれば、案外仕事も空いているものですから」
心配無用だと頷いたカインは、軍服の内ポケットに仕舞っていた時計を取り出す。
「まだ真昼ですね。近場ならば、今すぐ向かうことも可能でしょうか」
集落からエスト遺跡までは、徒歩で数時間もかからない程度だったか。馬を使うのであれば、一時間もかからない内に着くはずだ。この駅を出立して集落を経由するとしても、合わせて二時間かからないくらいだろう。
その記憶を確かめるようにミドリへ視線を向ければ、ミドリはカインに向けて力強く首肯していた。
「馬を使えば、そう遠くない距離よ。真っ直ぐに遺跡まで向かうなら、一時間もかからないはず」
「ならば、決まりでしょうか。少し支度をしたら出るとしましょう。あなた方も、ここで準備を整えていってください」
「何が起こるか分かりませんからね」とつけ足すカイン。
その言葉に、ヤマトたちは揃って首を縦に振った。