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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
古都エスト編
164/462

第164話

 吹き荒ぶ冷たい風が、眠気の混じっていたヤマトの意識を叩き起こす。

 既に数度目かのエスト高原で迎える朝だったが、この寒風に覚醒させられる経験には、とても慣れそうにない。そのことに嘆息しそうになりながら、ヤマトは朝の集落をグルっと見渡した。


(今日は人出が少ないのだな)


 まだ陽も昇り切っていない刻限ではあるが、この集落に住む遊牧民の朝は早い。先日も、ヤマトが起き出したときには既に、彼ら自身の仕事を始めていたことは間違いない。だと言うのに、今日に限ってはほとんどの人がまだ起き出していないように見える。

 思わず首を傾げたところで、すぐにその理由に思い当たった。


(昨夜はずいぶん荒れていたからか)


 ヤマトの脳裏に蘇ったのは、昨夜の集落の光景――ミドリが持ち帰った情報を耳にして、各々が憤慨して血を滾らせていた集会の様子だ。

 これまで交流したこともないアブラムという男が、遊牧民らの聖地であるエスト遺跡を荒らそうとしている。そんなミドリやヤマトたちの言葉を聞いた面々は、あっという間にその表情に憤怒を浮かべた。ある者は槍を手に馬を叩き起こし、またある者は夜闇の中へ弓矢を手に飛び出していこうとする。ともすれば、このまま戦いが始まってしまうのだと直感させられるほどの有り様であった。


(無理ない話では、あるのだろうが)


 それほどまでに、アブラムの行為は彼らにとって許し難い暴挙であったということだ。

 人々は血に飢えた様子で憤慨し、即座にアブラムへ報復すべしという方針で固まっていた。そのまま事態が進んでいれば、今頃のアブラムは物言わぬ死体になり、帝国との間に緊張感が漂うことになっていたかもしれない。

 だが、今ヤマトの目の前に広がっている光景は、少なくとも表面的にはいつもと変わらない平和なものだった。その理由は、紛糾する会議に一石を投じた人物にある。


(人々の長たるには、ああした姿が必要なのかもしれんな)


 もはや誰の言葉も聞かぬと憤る面々を制止した、集落の長老の姿を思い浮かべる。

 先日相対した際の好々爺のような穏やかな雰囲気は鳴りを潜め、脇から傍観していたヒカルたちすら背筋を正してしまうような、ある種の覇気をまとった姿だ。自然と頭を垂れたくなるほどの威厳を放った長老は、冷水を浴びせられたような表情を浮かべる面々を宥め、その場を解散させた。

 あれほどの人物であるから、この過酷なエスト高原にて、人々を率いることができるのだ。そう思わずにはいられないほどの、圧倒的な光景だったように思える。

 その言葉がどれほど効いたのかは定かではないものの、ひとまず人々は集落を抜け出るようなことはせず、天幕の中で眠れぬ夜をすごしたらしい。起きている者がほとんど見えないのは、誰も早寝できなかったことの証左だろうか。


「――む?」


 何気なく人の姿を探して視線を彷徨わせたヤマトは、先日の鍛錬に使った空き地にて、和やかな様子で談笑するレレイとミドリの姿を認める。

 昨日見たのと同様、ミドリの手には弓矢が握られている。だが、他方のレレイの手にも、真新しい弓矢が握られているようだった。


(そういえば、弓を習っているのだったか)


 思い出すのは、昨日の早朝にミドリと出会った記憶だ。

 弓を未だ引いたことがないというレレイが、華麗な弓術を披露したミドリに心奪われ、その手ほどきを願ったことを覚えている。その時点で、持ち前の身体能力を発揮して並以上の腕前を披露していたレレイだが、その関心は今日になってもまだ続いているらしい。

 何となく温かい気持ちになってから、ヤマトは二人の元へ歩を進める。


「朝から精が出るな」

「む、ヤマトか」

「おはよう。そっちも早いのね」


 ヤマトの挨拶に、レレイは懸命に矢をつがえた姿勢を保ったまま、ミドリは穏やかな笑みを浮かべて応えた。

 不慣れな鍛錬ゆえか、既にそれなり以上の疲弊が見えるレレイに対して、ミドリの方はずいぶんと優雅な様子であるように見える。


「弓術の調子はどうだ」

「ひとまず、当たるようにはなったという程度だ。先は長いな」

「そんなことないわよ。普通の人なら、そのくらい飛ばせるようになるまで結構な時間がかかるんだから。レレイは早い方よ?」

「そう言ってもらえると、嬉しくはあるが」


 照れくさげに頬を緩めたレレイを見やってから、しばらく先に置かれた的の方へ視線を投げる。

 レレイが立っている場所から的までの距離は、およそ二十五メートルほどだろうか。極東で出回っていた長弓はともかく、ミドリが使っているような短弓で考えるならば、決して短くない距離に思える。

 既に放たれた矢を痕を探してみれば、その多くが的を捉えていることが見て分かる。とは言え、その着弾点はバラバラな上に入りも浅く、まだまだ実用的とまでは言えないのだろうが。


「――ふっ!」


 短く息を吐くのと同時に、レレイが構える弓から矢が放たれる。

 吹き荒れる寒風を斬り裂いて進む矢は、その軌道を横へズラしながら、的の端へ心地よい音と共に突き刺さる。


「逸れるわねぇ」

「風が厄介だな」


 顔を顰めたレレイが、ボヤくようなミドリの言葉に首肯する。

 大陸北方かつ高地に位置しているこのエスト高原には、まともに受けるだけで身を凍らせるほどの寒風が吹き荒れていた。とても素人には読み切れない複雑な乱れ方をする風は、苦心してレレイが放った矢を容易く翻弄し、その軌道を捻じ曲げてしまう。正直、矢を撃つにはあまり適さない気候なようにも思える。


(とは言え、戦場でそんな泣き言は通用しないからな)


 黙したまま頷いて、ヤマトは脳裏にこれまでの戦場を思い描く。

 風が吹き荒れている程度ならば、まだ可愛いものだった。ときには、目の前が見えなくなるほどの雷雨や、油断すれば吹き飛ばされるような突風の中で戦う必要も出てくる。弓を得物として扱いたいのであれば、こうした中でもそれなり以上に使えるように習熟する必要が、レレイに求められている。

 そんなことは言われずとも、レレイには分かっているのだろう。鬱陶しそうに吹き抜ける風を睨めつけながらも、その横顔は真剣そのものであり、どうにかして弓術の腕前を向上させようという意欲に満ちているように見えた。


「そうだ、ヤマトもやってみる?」


 半ば感心しながらレレイを見つめていた姿を、どう受け取ったのか。

 手にしていた弓をゆらゆらと揺らして、ミドリはそんなことを口にした。


「ふむ」

「見ているだけっていうのもつまらないでしょう。どう?」


 正直に言えば、その提案には心惹かれるものはあったのだが。


「……遠慮しておこう。どうにも、俺は弓の扱いは不得手なようでな」

「あら、習ったことがあるの?」

「故郷で多少な。だが、ろくに前へ飛ばすこともできず、ほとほと呆れられてしまった」


 口にすると、苦々しい思い出が蘇ってくる。

 確か、刀術に目覚めたばかりの頃だったか。同じ武術なのだからと弓術に触れてみたのだが、ただ一射しただけで才の欠如を見抜かれたらしく、弓術の師範から諦めるよう説得されてしまった。その言葉に意固地になり、しばらくは弓を握り続けていたものの、まったく上達しない弓術を前にヤマト自身が諦めてしまったことを思えている。


(今ならば、少しは変わっているのだろうか)


 そんな思いと共に、弓を見下ろす。

 そろりと手を伸ばしかけたところで、ヤマトは首を横に振ってその思いを振り払う。


(刀術すら未だ道半ば。ならば、他所へ手を伸ばす余裕などないな)


 兎にも角にも、今は刀術の道を極めることに専心するべきだ。

 ヤマトの決意を朧気に感じ取ったのか、どことなく名残惜しそうな顔を浮かべながら、ミドリは弓を背負い直す。


「なら仕方ないわね」

「うむ。では、邪魔をしたな」


 何故かは分からないが、無性に刀を振り回したい気分だった。

 レレイとミドリから充分に距離を離し、気が散る心配もないところまで歩み出てから、腰元に下げた木刀を抜き払う。


(今日は多少の余力を残すべきかもしれんが……)


 なにせ、この後にノアと共に為さなくてはならない用事がある。アブラムの暴挙を止め、遊牧民たちからの信頼を勝ち取るためにも、失敗することは許されない要件だ。ならば、そちらに支障を来さない程度の鍛錬に自重するべきなのは間違いなかったが。


(果たして、抑えられるものか)


 レレイが真摯に鍛錬に打ち込む姿を見て、いつになく心が昂ぶっているらしい。

 そのことを自覚しながら、ヤマトは手にした木刀を正眼に構えた。

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