第161話
かつて、この大陸にて栄華を極めたとされる古代文明。
その詳細を記した文書や記録はほとんど残されておらず、人々はその存在を、僅かに残された遺跡や遺物から伺い知ることしかできない。分かったことはと言えば、古代文明は大陸を丸ごと統治下に置いていたことや、現代からは想像もできないほどの技術力を有していたこと、そして何の前触れもなく滅んでしまったこと程度だった。
未だに実態を掴むことが困難でありながら、その遺物の強大さゆえに、存在を無視することは誰にもできない時代。それが、古代文明と呼ばれるものであった。
「あれは、古代文明の遺跡か」
「状態がいいな」
「人の手がほとんど入ってないみたいだね」
目の前にそびえ立つ“それ”を見やって、ノアが感慨深げな言葉を漏らす。それに同意するように応じながら、ヤマトも“それ”へ目をやった。
辺りに木々の一つも生えていないエスト高原に鎮座する、相当に風化した遺跡だ。岩とも鉄とも違う材質で作られた外壁は、長年の雨風に晒された影響で、元々が何色であったのかすら分からないほどに変色してしまっている。ところどころに欠けた部分も見られるのは、風に乗った砂に削られた痕だろうか。
既に倒壊寸前のような有り様ではあるが、それでもヤマトが「状態がいい」と言ったことには、無論理由がある。
(ここは荒らされていないようだな)
古代文明の研究が始まったのは、つい最近のこと。具体的には、帝国の権威が大陸中に広まった頃が契機となっている。それ以前の常識では、古代文明は伝承に僅かに登場する程度であり、その実在が信じられていたということもなかったのだ。
自然、古代文明の遺物が残されていた遺跡も、丁重に扱われる道理はなかった。国に指示された軍や研究機関、一攫千金を目論んだ冒険者が遺跡へ立ち入り、中を散々に荒らし回ることが当たり前だったのだ。帝国が主導して研究が始まった頃には、大陸に現存する遺跡の大半は破壊し尽くされ、もはや原型を留めない有り様になっていたという。
それと比べれば、今ヤマトたちの目の前にある遺跡は、経年劣化の痕こそあれども、人が荒らした痕跡はどこにもないという点で、非常に貴重なものと言えるだろう。
感心するように遺跡を眺めるヤマトを尻目に、ノアはここまで案内したミドリの方に向き直る。
「ここはミドリたちが管理していたのかな?」
「えぇ。この神殿には、風の神が祀られているからね」
「風の神?」
「この大地を吹き抜ける風を司る神。いつ如何なるときでも私たちを見守り、ときには支えてくれる大いなる存在――なんて、長老は言ってたわね」
要は、ここを精霊信仰の聖地と定めているということだ。
かつて海洋諸国アルスでも目にしたように、ここエスト高原においても精霊信仰が根づいている。神官服を着て格式張るような者の姿は見えないものの、遊牧民のほとんどが、この遺跡――彼らは神殿と呼ぶ建物を丁重に扱っているのだろう。遺跡の損傷が少ないのは、その甲斐あってのことか。
そんなことを思い浮かべたヤマトは、ふと、隣に立っているレレイの表情が訝しげになっていることに気がつく。
「どうした?」
「む? いや、少し妙な感覚がしてな」
「妙な感覚?」
言われて辺りの気配を探ろうとしたヤマトに、レレイは首を横に振る。
「既視感と言うべきか? ここは、私の島にあった“あの場所”と似ているように思えたのだ」
「ふむ」
“あの場所”とレレイが語る地のことは、ヤマトには心当たりがあった。
ザザの島に漂着したヤマトが、レレイと縁を築く一環として踏み入った遺跡だ。レレイの家の中に隠されたその場所は、驚くほど状態のいい古代文明の遺跡であり、そこには『水竜の鏡』と呼ばれる遺物が鎮座していた。その鏡を守護することが、レレイが代々受け継いできた役割であり、ザザの島から一歩たりとも出ることの叶わなかった理由でもある。
そのことを一通り思い出してから、ヤマトは小首を傾げた。
(まあ、確かに似ているだろうが)
言われるまでもなく、両者共に古代文明の遺跡だ。その文明は大陸一帯を覆っていたというのだから、遺跡の建築様式も自ずと似通っていることだろう。その意味で、エスト高原の遺跡もザザの島の遺跡も、似ているのは至極当然な話ではある。
だが、レレイが言いたいのはそういうことではないだろう。
「具体的に、何が似ている?」
「分からん。遺跡のまとう気配、と言うべきか?」
「気配か」
普通、気配とは生物が自然と発している存在感のことを指す。呼吸や脈拍などによって生み出される、そう容易には消すことのできない空気のことだ。ゆえに、無生物である遺跡を指して気配と言うのは、いささか不釣り合いなように思えるが。
茫洋と遺跡の全体を眺めてみた後、そっと溜め息を零す。
「俺には分からんな」
「……思いすごしかもしれないな、すまない」
レレイとしても、何か確証があったものではなかったのだろう。眉尻を下げて謝罪する姿に、ヤマトは困ったように苦笑いを浮かべた。
「さて。俺には気づけずとも、レレイにだけ気づけることはあるかもしれないからな。気をつけてみるとしよう」
「……そうか」
ザザの島という辺境で生まれ育ったレレイの感覚は、ヤマトを始めとする常人のものよりも遥かに鋭い。加えて、レレイは長年を遺跡の傍で暮らしてきたのみでなく、かつては水竜の巫女と呼ばれる存在だったのだ。何らかの超常的な力を持っていたとしても、正直不思議ではない。
ひとまず、気を引き締めて臨むべきだろう。
そう考えたヤマトに、一通りの会話を終えたらしく、ミドリが視線を向けてきた。
「そろそろ行きましょうか。いつまでもここで見ている訳にもいかないし」
「おう」
その言葉に、短く頷く。
数時間前、天幕で朝食を摂っていたヒカルたちの前に現れたミドリは、とある依頼を出した。冒険者稼業を営むヤマトたちの腕を見込んで、集落の護衛と、これから行く神殿管理の護衛を頼みたいという話だ。元より遊牧民の手助けをしようと考えていたヒカルは、一も二もなくこれに同意。ヒカルとリーシャが集落の護衛として残り、他のヤマトたち三名はミドリに連れられて、この遺跡へと足を運ぶことになったのだ。
今回の任は、遺跡を管理するというミドリの護衛だ。ミドリ自身、魔獣にも引けを取らないほど腕に覚えがある様子であったが、それでも一人で気楽に出歩けるほど、エスト高原という地は生易しくないということなのだろう。高原に生息する魔獣の対処法を学ぶという意味も込めて、ヤマトたちはミドリに同行していた。
「神殿の管理か。具体的に何をするのだ?」
「簡単なものよ。祭壇を綺麗に掃除するのと、魔獣が住み着いていないかの確認をするだけ。何か問題がありそうだったら、集落にその報告をするって感じ」
「ふむ」
それを積み重ねた結果が、遺跡の状態のよさということか。
感心するように頷くレレイに、ミドリは少し照れくさそうに頬を緩める。
「そんなことはそう起こらないから、実際はただ掃除しに行くだけみたいなものなんだけどね」
「いや、それでも立派なものだ」
家にある遺跡と似ているからか、少なくない関心を寄せているらしい。
熱を持ってそう言っていたレレイだったが、遺跡の入り口に近づくと、その表情を怪訝そうなものに一変させた。
「ミドリよ。神殿の管理というのは、また別の者も行っているのか?」
「いえ? 集落がこの近くにある間は、私がやることになっているけど」
その言葉に、ヤマトは直感めいた閃きを得る。
無言のままで遺跡の中にある気配を探ってみれば、確かに、吹き抜ける風に乗って微かな気配を感じられた。
「誰かいるな」
「嘘っ!?」
驚いたように目を見開いたミドリだったが、すぐにその表情を改める。背負っていた弓を手に取り、矢の一本を携えながら奥を覗き込む。
「距離は?」
「そう遠くない。が、少々物々しい気配だな」
「……荒らすつもりかしら。最近は多いわね」
「ほう」
「そうなのか」と尋ねるようなレレイの視線に、ミドリは小さく頷く。
「近くに駅ができてから、この辺りに入る人も多くなってね。遺跡を荒らそうとする人が出てきたのよ」
「それは……」
帝国が発展したことによる、悪い側面と言うべきか。
語気こそ平静ながらも、ミドリの目にはメラメラと炎が燃えている。精霊信仰をすぐ身近なものとして捉えている彼女からすれば、その聖地を荒らされることは、許し難い蛮行に等しいのだろう。
その戦意に当てられて、ヤマトたちも各々の得物を手にした。
「捕縛するのが手っ取り早いな」
「つき合ってくれるの?」
「当然。ここで退くようでは、護衛の名が泣く」
依頼主たるミドリがやる気満々なのだから、それの補佐に走るくらいはするべきだろう。
そんなヤマトの言葉に、ミドリは少し嬉しげに目を細めた。
「そう、ありがとう」
「気にすることはない。それより、道案内は頼むぞ」
ヤマトがどれほど優れた気配察知能力を持っていても、それで入ったことがない遺跡の内部構造が分かる訳ではない。
一行の中で唯一遺跡の構造に詳しいミドリが、ヤマトたちの前に立った。
「分かったわ。戦いになりそうだったら、前衛を任せてもいい?」
「無論だ」
「任せておけ」
確かめるようなミドリの言葉に、ヤマトとレレイは力強く頷く。
それにホッと頬を緩めてから、ミドリは遺跡の中へ視線を投げた。
「――なら、行きましょうか」