第158話
「――さ、着いたわよ」
既に太陽は地平線の下へ沈み、空は瑠璃色に染め上げられている。
いよいよ寒さを増してきた風に身体を震わせていたヤマトたちは、その言葉に面を上げた。
「ここが……」
「私たちの集落よ」
一目見た感想を率直に言うならば、キャンプ地だろうか。
青々と草が生い茂る高原に、人の腰ほどの高さの柵が円を描くように並べられている。その内側を集落として使っているようで、キャンプ用品のテントよりは頑丈そうな天幕が幾つか、地面の上に設置されていた。遊牧民らしき装束を身に着けた人々は、忙しなくそこら中を歩き回り、その人数を大きく上回る頭数の馬や羊の世話をこなしているようだ。
「牧歌的、と言うのか?」
「それとは少し違う気がするが」
物珍しい様子で辺りを見渡すヒカルの言葉に、ヤマトは小さく首を横に振る。
牧歌的と形容するには、彼らの表情は真剣そのものであった。それもそのはず、彼ら遊牧民にとって、馬や羊は文字通りの生命線に等しいのだ。飼っていた獣が死ねば、自ずと人も死の運命を待つばかり。そんな事実を全員が共有しているからこそ、獣たちの体調管理には余念がなく、まるで宝物を扱うような慎重さで仕事をこなしている。
(見事なものだな)
エスト高原で育った馬は上質な個体が多い、とはよく言われることであるが。
彼らの仕事振りを見れば、それも納得できることだ。魔導具に守られて安全な生活を営む者には、彼らのように馬を扱うことはできないだろう。その気持ちに応えるように、ヤマトの目の前にいる馬たちの毛並みも、上を通り越して特上がつくほどの艶やかさを放っている。
「珍しいのかもしれないけど、まずは長老のところへ行きましょう」
「うん、お願いする」
未だ興奮覚めやらぬ様子で辺りを見渡しているレレイを押さえながら、ヤマトたちは先導する女性の背中を追う。
(しかし、妙だな)
魔獣の脅威も去り、平和な空気が流れ出している中、ヤマトは訝しげに目の前を歩く女性を――正確には、その髪を見つめる。
高原で魔獣の群れから救い出されたときにも圧倒されたが、相変わらず、彼女の髪は銀色の輝きを放っている。ともすれば純銀よりも輝かしい光は神秘的だが、それゆえにヤマトの目には、どこか奇妙なものに映る。
(他の者は茶髪が多いのか)
チラッと視線を逸らして、馬や羊の世話に勤しむ人々の様子を伺う。
彼らは大陸人の中でも、東方人のそれに近しい血筋なのだろう。その髪と瞳はほとんどが栗毛であり、稀にその明度が高い者がいる程度だ。少なくとも、銀色の髪と瞳を持つような者は、この場には一人を除いて見当たらない。
外の生まれなのか。それにしては、ずいぶんとこの集落にも馴染んでいる様子だったが。
(……考えても仕方ないことか)
ポツポツと浮かんでくる疑問を、頭を振って思考から追い出す。
幸いと言うべきか、先導する女性から敵意のようなものは感じられなかった。まだ距離は感じるが、一応は友好的に接してくれているのだ。機会があれば、直接尋ねてみるのが早いだろう。
そうヤマトが結論づけたところで、ちょうど一行は目的地に到着したらしい。「そこで待っていて」とヒカルたちを手で制した後、女性は天幕の中へ身体を滑り込ませた。
「長老、お客様がいるの。――えぇ、分かったわ」
話は手短に済んだようで、ほとんど待つことなく女性はヒカルたちの方に向き直る。
「会ってくださるそうよ。失礼のないようにね」
「助かる」
コクリと小さく頷いたヒカルが、ヤマトたちの先頭に立って天幕の中に入る。
(ほう)
その背中に続いて天幕に滑り込んだヤマトの目に、天幕の内装が映る。
外から見た限りでは、ただ頑丈そうなだけのテントにしか見えなかった天幕だったが、内側からではずいぶんと印象が異なっていた。床には柔らかな羊毛の絨毯が敷き詰められ、天井から吊り下げられたランタンが暖かな光で照らしている。天幕の内側にも羊皮を縫い込んでいるようで、外の寒気とは裏腹に、中は魔導具でも使っているのかと思えるほどの暖かさがあった。
思わず、ホッと溜め息を零したヤマトは、天幕の中央に腰掛けている老人に目をやる。
「お客人、よくぞいらっしゃった。ささ、大したもてなしはできませんが、腰を下ろしてください」
「かたじけない」
ヤマトと同様に身体を緩めた様子のヒカルたちが、老人に促されるまま、絨毯の上に腰を下ろす。
彼女たちに続いてヤマトも腰を下ろしながら、そっと老人の気配を探る。
(これが遊牧民の長老か)
油断ならない、というのが第一印象だ。
既に引退した好々爺のような見た目をしているが、その気配は引き締まっている。若かりし頃は名のある武人だったのではないかと伺えるほどに、洗練された気を秘めているようだ。緩やかに弧を描いた目の奥からは、穏やかな相好とは裏腹に、ヒカルたちの真意を探ろうという鋭い眼光が感じられた。
一筋縄ではいかない相手だ。そう直感したヤマトは、そっと息を零すのと同時に気を引き締める。
「それでお客人方。早速で申し訳ないが、ここへはどういった要件で参られたのかな?」
柔らかな眼差しをヒカルに向ける。それと同時に、ピリッと痺れる視線がヤマトの方へ向けられているような錯覚を感じる。
(気取られたか)
ヤマトが老人の様子を探っていることに、老人の方も気がついたようだ。
敵意がないことを示すように軽く会釈をすれば、その視線はふっと霧散する。
「駅の者から、北上するならあなたたちを頼るのがいいと教えられたのだ」
「私たちの目的は、この高原を更に北へ抜けた先にあります。そこへ行くため、一晩の宿と、足とする馬の手配をお願いしたいのです」
言葉足らずなヒカルの後に、リーシャが補足の説明をした。その手には袋が握られており、中には対価として用意した魔導具や金貨などが入っている。
彼女たちの言葉に首肯を一つした老人は、しばし黙考した後に、ゆっくりと口を開く。
「なぜ、北の地を目指すのです?」
「そこに探しものがあると、伝え聞いたからです」
探しもの――要は、初代勇者の武具のことだ。
既に剣、鎧、篭手を手に入れたヒカルだが、それはまだ完全には程遠い。伝え聞いたところによれば、まだ兜と靴の二つが残されているというのだ。魔王との決戦の前に、ヒカルはそれらを揃える必要がある。
そんな事情を秘めたヒカルとリーシャの視線に、老人は「ううむ」と声を漏らす。
「話は分かりました。寝所は貸しましょう。ですが、馬の手配については、今は返事をしかねますな」
「……やはり、そうですか」
老人の言葉に、リーシャは落胆の色を見せずに首肯する。
ここまでの道中で、遊牧民がどれだけ馬を大事に扱っているのかを目の当たりにしたのだ。彼らにとって人生の相棒に等しい馬を、見知らぬ他人にそう易々と渡す訳にもいかないのだろう。その感情は至極当然のものであるし、ヤマトが彼らの立場にいたとしても、渋い表情をするのは想像に難くなかった。
とは言え、広大なエスト高原を徒歩で踏破しようというのは、あまりに無謀な話でもある。ヤマトたちからすれば、何としてでも馬を得たいところであった。
強く言い切ることもできず、口を曖昧に動かすリーシャに対して、老人は慈愛の表情で小さく頷く。
「我らとて、見知らぬ者に馬を貸すほどの余裕はないのです。とは言え、あなた方をこのまま放り出すような真似は、我らの誇りに反します」
「ふむ?」
「今夜のみならず、幾晩かの宿泊を許可しましょう。その間に、あなた方が信頼に足る方だと判断できれば、馬を貸すこともやぶさかではありません」
その言葉に、ヒカルとリーシャは顔を上げた。
見知らぬ他人に馬を貸すことはできない。ゆえに、どうしても馬を借りたいのであれば、親しい友人になってみせろということか。
(道理ではあるな)
ヤマトも密かに頷く。
個人的に遊牧民の暮らしぶりには興味があったことに加えて、今は気になる者のこともある。二つの興味を晴らすためにも、ここでしばらく逗留するという選択肢は魅力的なように思える。
「……なら、しばらく世話になりたい。その分の謝礼は払おう」
「ふふっ、それは構いませんとも。あなた方と、よき縁を築けることを願っていますよ」
ヤマトたちの総意を悟ったヒカルが、一行を代表して首肯する。
その言葉に、老人はシワだらけの顔をクシャクシャにすると、好々爺のような笑みを浮かべるのだった。