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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
古都エスト編
157/462

第157話

(空が高いな)


 天井に広がる蒼穹を一望して、ヤマトはそっと感嘆の息を漏らす。

 エスト高原の上空に広がる空は、間もなく冬が到来するということを忘れたかのように、透き通って青く輝いていた。雨や雪を降らせる雲は影も形もなく、見た目だけならば、春頃の爽やかな空模様にすら思えるほどだ。

 それでも、ヤマトたちの身体を撫でていく風の鋭さと冷たさは、季節相応に厳しいものではあった。


「ふむ。服を買って正解だったな」

「レレイは特にね。あんな薄着のままで出ていたら、確実に体調崩していたでしょ」


 吹き抜ける風に顔を顰めたレレイに、ノアが苦笑いを浮かべながらそう言う。

 魔導列車での旅路ならばまだしも、自分の足を頼りにする旅路においては、体調管理というものは何よりも優先される。そのためにも、行く先の気候に合った格好を整えていくというのは、冒険者稼業を営む上ではかなり重要視されることでもあった。

 ヤマトも、先程の駅で購入したコートの襟を立てて、ホッと息を吐く。

 揃って寒さを堪えるような素振りを見せている一同だったが、それらを全く意に介していない様子であったのが、銀甲冑で全身を覆い隠しているヒカルだ。ヤマトたちが寒さに身を震わせている姿を、まるで他人事のように眺めている。甲冑自体に耐寒性が備わっているのもあるだろうが、それよりも、ヒカルに備わった時空の加護による恩恵が大きいのだろう。

 微妙に恨めしい思いと共に視線を向けると、ヒカルは僅かにたじろいだ。


「な、何かな?」

「……何でもない」


 他人の目がないからか、ヒカルの雰囲気は普段よりも和らいでいるようだった。

 そのことを改めて確認するのと同時に、小さく溜め息を吐いてから、ヤマトは視線を上げた。

 どこまでも広がる地平線だ。その先には薄っすらと険しい山の姿が浮かんでいるだけであり、それ以外には何も目には映らない。


「話によれば、近くに遊牧民の野営地があるはずなんだよね?」

「らしいな」


 ヤマトが辺りを見渡していることに気がついたのか、ノアが口を開く。

 駅に駐在していた鉄道憲兵隊の補給係に聞いた話では、このエスト高原には、各地を転々として生活を営む遊牧民の集落が多数存在しているという。彼らに宿と馬を借りつつ、はしご渡りをするようにエスト高原を北上するのが、一番現実的な案であるらしい。

 その言葉に従い、ヤマトたちは高原へ出て、駅の付近にちょうどやって来ているという遊牧民の姿を探し回っていた。


「見当たらんな」

「駅近くって言ってたけど、具体的にどの辺りかまでは分からなかったしねぇ」


 憲兵たちが彼らの存在を知ることができたのは、定期的に物資交換に訪れる遊牧民と言葉を交わしたかららしい。つまり、憲兵たち自身が集落に訪れたわけではなく、ただ交渉にやって来た遊牧民の言葉を通じて、その集落の場所を大まかに把握しているにすぎないのだ。

 そんな事情は分かっているとは言え、こうも遊牧民たちの影を捉えられないとあれば、段々と焦りも湧いてくる。まだ日没まで時間があるとは言え、それほど余裕がある訳でもないのだ。


「ここで野宿するのは、流石に無謀だしねぇ」

「まったくだ」


 ノアの言葉に頷いたヤマトの脳裏に浮かんだのは、一年前の記憶だ。

 今のヤマトたちと同様に北地を目指していた当時のヤマトとノアだったが、ろくに情報を集めずにエスト高原へ足を踏み入れた結果、誰にも会えないままに数週間彷徨い続ける羽目になったのだ。そのときはやむなく野宿を繰り返していたものの、夜行性の魔獣の襲撃に警戒する毎日に、少しも気が休まらなかったことを覚えている。

 今の面々ならば、野宿をしたとしても負担は軽く済みそうではある。だとしても、できれば避けたいことに変わりはなかった。


「何とか見つけられたらいいんだけど――お?」


 溜め息と共に軽く辺りを見渡していたノアが、一点で視線を止めた。


「見つけたのか?」

「うん。うん? いや、あれってもしかして……」


 問えば、今一つ煮え切らない様子でノアは首を傾げる。

 疑問符を頭に浮かべながら、ヤマトたちもノアが見ている方へ視線を向ける。が、特に変わったようなものは見えてこない。


「ふむ。人影はないようだな」


 ノアに次いで視力の優れたレレイが、小首を傾げながら呟く。

 ヤマトも無言のままそれに同意すると、ノアはぐるりと辺りを見渡した後に、「あっ」と声を上げた。


「どうした」

「あちゃー、これはしくじったね」


 ノアにしては珍しく、渋い表情になっている。

 訝しげに目を細めようとしたヤマトだったが、次の瞬間に背筋を駆けた悪寒に、一気に表情を強張らせる。


「囲まれてるか?」

「間違いないね。それに、こっちが気づいたことにも気づかれたみたい」

「厄介な……」


 要領を得ない様子のリーシャとヒカルを尻目に、続いてレレイが辺りを見渡した。


「これは、鳥か?」

「うん、鳥型魔獣ってやつだね」


 そこで、リーシャとヒカルも何が起こっているかに気がついたらしい。それぞれの得物に手をかけて、グルっと辺りを見渡す。


「数はどのくらい?」

「数え切れないくらい。だから、迎撃の選択肢は正直なしかな」


 鳥型魔獣というだけあって、彼らは高空に陣取って獲物を狩ることを得意としている。自由に空を飛ぶことができないヤマトたちからすれば、それだけでも厄介極まりないのだ。そんな魔獣が、ヤマトたちを包囲するように無数にいるという。それらに一斉に襲われては、如何にヤマトたちが手練れであったとしても、やがて来る体力の限界と共に倒れることとなる。

 未だ穏やかな風景に反して、事態は相当に深刻だった。


「身を隠せるような場所もなし。どうしよっか?」

「駅に戻るのが一番確実かな」


 ヒカルの言葉に、ヤマトも曖昧に頷く。

 確かに、駅へ戻ることができるのならば、駐在している鉄道憲兵隊の手を借りることもできるだろう。


「可能ならば、それが一番だろうが」

「正直、分は悪いよね」


 既に駅を出発してから相当な時間だけ、高原を歩いてきたのだ。魔獣から逃れるためと言っても、すぐに戻れるような場所ではない。その道中で襲撃されることは間違いなく、また一度交戦してしまえば、そのままズルズルと消耗戦に持ち込まれるだろうことが容易に想像できる。

 時空の加護を宿したヒカルであれば、魔獣を振り切り、駅まで瞬間転移で戻ることは可能だろう。だが、それもヒカル一人だけならばの話だ。ヤマトたちはここで置き去りにされることになるとあれば、ヒカルもその手をよしとはしないだろう。


「さて、どうするかな」


 一行に問うように口を開きながら、ヤマトは腰の刀を緩く握る。どう動くにしても、魔獣との交戦は免れないだろうと判断したからだ。

 ピリッと身体に緊張感を漂わせたヤマトの視界の先に、空を飛ぶ無数の影が薄っすらと浮かび上がってくる。


「あれだな」

「凄い数だねぇ」


 どこか呑気なように聞こえるノアの言葉に嘆息してから、ヤマトはヒカルに視線を投げる。


「どうする?」

「早く駅の方に戻ろう。途中で追いつかれるとしても、早く動き始めた方がいい」

「道理だな」


 頷いて、これまで歩いてきた方向を振り返る。既に駅の影もほとんど見えない場所にまで来てしまったことに改めて気づかされて、妙な感慨を覚える。

 思わず足を止めたヤマトの背中を、ノアが急かすように小突いた。


「ささっ、そうと決まれば早く――」

「いや、待て」


 唐突に、一行の間をレレイの声が通る。

 小首を傾げてそちらの方を見てみれば、レレイが遠い目つきで地平の先を眺めている姿が目に入る。


「どうかした?」

「うむ。何か妙な気配がしてな」

「気配?」


 訝しげに問い返すノアに対して、レレイの方は不思議と自信あり気な様子だ。その妙な気配の主を、彼女は明確に捉えられているらしい。

 ヤマト自身も疑念を抱きながら、周囲の気配を探っている。


「ふむ」

「どう?」

「よく分からん、というのが正直だが」


 思わず、首を傾げる。

 辺りは鳥型魔獣から立ち昇った猛々しい気配にかき乱されて、とても正確に気配察知ができるような状況ではない。魔獣の気配の中に“何か”が紛れているのだとしても、とてもその正体を掴むことはできそうにない。

 とは言え、ヤマトが積んできた気配察知の能力は、主に武人として対人目的で培われてきたものだ。狩人として魔獣との戦いを多く経験してきたはずのレレイの方が、魔獣の気配を探ることについては長けているのかもしれない。


「……すぐ近くに感じているのだがな」

「近くだと?」


 ヤマトが声を上げたのと、ほぼ同時に。

 辺りを甲高い笛の音が通り抜けた。


「これは……!?」


 どこか鳥の声にも似た、勇壮な音だ。音程をブレさせることなく鳴り響いた後、波打つように音が高低を行き来する。

 思わず笛の音に耳を奪われたヤマトたちへ、馬の蹄の音と共に、女性の勇ましい声が届いた。


「――そこの人たち、大丈夫!?」

「うむ。ちょうど、手をこまねいていたところだ」


 すぐに振り返ったヤマトは、そこにいた人物の姿に息を呑んだ。

 まず目に入ってきたのは、吹き抜ける風に揺られる銀色の髪だ。一点もくすんだところがなく、純銀もかくやというほどの輝きをその髪は放っている。次いで、病的なほどに青白い肌。思わず死人を想起させてしまうほどに血色を感じられない肌の色だが、それに反して、不思議なほどにその佇まいから力強さが感じられる。

 絵画の世界の住人かと考えてしまうほどに幻想的でありながら、確かにこの世に立っているのだと訴えかけるような逞しさを備えた存在。街中で見かけたならば、一目だけで只ならぬ人物だと察せてしまうほどのものが感じられる。


(だが、何だこれは)


 とても尋常ではない佇まいの女性。

 その気配に圧倒された様子のヒカルたちとは打って変わって、ヤマトの脳裏によぎったのは、驚くほど強い既視感だった。


(どこかで会ったのか?)


 思わず必死になって、記憶の海を探り始める。

 そんなヤマトのことを尻目に、突如現れた女性は平静を保っているレレイと会話を続けていく。


「助かった。礼を言うぞ」

「そんなことはいいわ。それより、今は笛のおかげであいつらは近づいてこないけど、すぐに来るようになるはずよ。行く先はあるの?」

「ふむ」


 一つ頷いたレレイが、ヒカルたちの方へ視線を投げる。

 全員に先んじて平静を取り戻したノアが頷くのを確かめると、レレイは女性に向き直り、口を開く。


「この地にある集落を目指していたところなのだ。よければ、そこまで案内してほしい」

「あら、集落に?」


 訝しげな表情をする女性に対して、後ろ暗いところなど何一つないと示すように、レレイは力強く頷いてみせる。


「うむ。北地の方へ用があるのだ。そのための足を借りたい」

「へぇ、結構遠い場所に行くのね。けど――」


 何かを言いかけたところで、女性は上空にいる魔獣たちをさっと一瞥する。

 笛の音に圧されて動きを沈静化させていた魔獣が、にわかに騒がしくなってきている。先程言っていたように、笛の効力が切れ始めているのだろうか。


「今は移動するのが先決ね」


 あまり時間がないことを悟ったのか、諦めたように女性は頷く。

 駆ってきた馬の頭を翻し、まだ何も見えない平原の方に歩を進めさせる。


「いいわ、私について来て。集落まで案内してあげる」

「………! そうか、かたじけない!」


 その言葉に、これまで沈黙を保っていたヒカルが声を上げる。

 それにふっと笑みを零す女性の横顔を見やって、ヤマトは一向に失くならない既視感の正体を掴めず、モヤモヤとした心地を抱えるのだった。

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