第154話
秋も終わりに近づき、いよいよ冬が間近に迫ってきた頃合い。
夏の名残もすっかり失せて寒々しい風が吹きすさぶようになった平原地帯を、短い魔導列車が一直線に駆け抜けていた。
『間もなく、終点エスト高原に到着いたします。ご乗車のお客様はお忘れ物のないよう、お気をつけください。間もなく――』
がタンッと音を立てて揺れた魔導列車の内部に、女性のアナウンスが響く。
その声に釣られてか、人気の少ない車内で微睡んでいた青年がゆっくりと目蓋を開いた。
大陸には珍しい、黒髪黒目の青年。その身を包む装束は大陸風のものであったが、その腰元から下げられているものは、遥か東方にある島国で作られる刀という剣だ。むっつりとした無愛想な表情ではあるが、その目は優しげな光を宿していた。
寝ぼけていた意識をはっきりさせるように頭を振った後、黒髪の青年はふと顔を上げた。
「そろそろか?」
「あ、おはようヤマト」
黒髪の青年――ヤマトに声をかけてきたのは、その隣の席に腰掛けていた少女(?)だ。
紺色の髪と目は、ヤマトのそれと似た色に見えはするものの、その顔立ちは明らかに大陸人のそれだ。目鼻立ちはスッキリとしており、十人の内で十人が美少女だと認めるほどの美貌を放っている。その身体つきは強く力を込めれば折れてしまいそうなほどに華奢だったが、その他方で、どことなく活動的な力強さも秘めていた。
(とは言え、な)
ふっと溜め息が漏れそうになる。
時代が移れば傾城との呼び声高かっただろう少女(?)ではあるが、その正体はノアという、れっきとした男性だ。更に性質の悪いことに、彼自身が自分の美貌についてよく理解しており、己の悪戯心を満足させるために躊躇なく利用しようとまでしてくる。既に長く共に旅したヤマトは慣れたものだが、初めて訪れた地で、彼を巡った騒動が起こるのはもはや日常茶飯事に等しいものであった。
段々と焦点の合わさってきた目をヤマトが向ければ、ノアは小さな微笑みを浮かべる。
「あと十数分くらいかな? 終点だから、時間の余裕はかなりあるけど」
「……そうか」
応えながら、気怠い身体に力を入れ直す。鈍った筋肉がピキピキッと音を立てる感覚に心地よさに頬が緩む。
「皆は寝てるよ。起こす?」
「いや、まだいいだろう」
ノアの言葉に、ヤマトは首を横に振る。
先程ノアも言ったことだが、この列車は次の駅が終着点だ。折り返しで発車するまでには相応の時間が空くため、列車が駅に到着してから起こすくらいでも余裕はあるだろう。
ふっと身体から力を抜けば、暖かい血が全身を巡る感覚を覚える。明晰になっていく意識の中、ヤマトは周囲をざっと見渡した。
(乗客は俺たち以外にはいないようだな)
いつもは商人や旅行客で溢れる魔導列車だが、今の車内には、ヤマトたち以外の人影は見当たらなかった。事実上の貸し切り状態だ。外の寒々しい空気とは打って変わった、空調の魔導具で暖められた車内の空気が相まって、ここがちょっとした異空間であるかのような気分にすらなってくる。
すぐ傍に置いておいた水筒を手に取り、乾いた口内を潤す。そのまま車窓の外へ視線をやれば、どこまでも続く雄大な草原が広がっているのが目に入る。
「エスト高原か」
「前に来たときと、ほとんど変わってないみたいだね」
どことなく安心しているような面持ちで、ノアがヤマトの呟きに言葉を返す。
「結局、前は何の成果もなく引き返すことになったから。今回は何か手を考えておかないとね」
「そうだな」
ヤマトとノアがこの地に訪れたのは、ちょうど一年前のこと。
武者修行の一環として来訪したのだが、見た目とは裏腹な過酷極まりない大自然を前に、誰に会うこともできずに引き返す羽目になったのだ。
そのときのことを思い返し、感慨深げな溜め息を漏らす。
「――むっ」
「あ、レレイ。おはよう」
「うむ、おはよう」
そんな二人の会話に釣られたのだろうか。これまで静かな寝息を立てていた少女が、パチッと目を覚ました。
健康的に焼けた小麦色の肌と、それによく似合う茶色の髪と瞳。目覚めて間もないというのに、その猫のような丸い目は、パッチリと開かれていた。
落ち着かない様子で辺りを見渡し始めたレレイの様子を見て、ノアが小首を傾げた。
「どうかした?」
「む? いや、妙な感じがしたのだが……気のせいか?」
「妙な感じ?」
問うような視線をノアから向けられ、ヤマトもサッと辺りの様子を探る。
「……特におかしな気配は感じないな」
せいぜい、魔導列車内で働いている職員たちの気配が感じられる程度だ。その中で息を潜めているような気配もないし、誰かがヤマトたちに注意を向けている様子もない。
そんなヤマトの言葉を受けて、ややあってからレレイも小さく頷く。
「そのようだ。すまない、寝ぼけていたのかもしれんな」
「まあ、そう気にしなくていいって。空調の風が乱れたとかかもしれないし」
「ふむ」
場を和ませるようなノアの言葉に釣られて、ヤマトは列車の天井に備えられた空調の魔導具に視線を送る。
様々に画期的な開発を成し遂げてきた帝国だが、その内の幾つかは特に評価されて、大陸各地に普及するほどにまで広められている。ヤマトたちの視線の先にある空調の魔導具も、その一つと言えよう。
外の季節を問わず、一定範囲の温度を調節する魔導具だ。これが登場したおかげで、夏の暑さに苦しむ人々は涼を得、反対に冬の寒さに凍える人々は暖を得られた。帝国が運営する魔導列車やホテルにも空調は完備されており、人々が積極的に観光旅行へ出かける一助にもなっているほどだ。
ヤマトとノアと同様に空調を見上げていたレレイが、やがてふっと息を零す。
「そろそろ着きそうなのか?」
「うん。あと十分くらいかな」
そう言われて、車内に視線を巡らせていたレレイが車窓の外へ目をやった。
「これは……!」
「広いでしょ?」
「あぁ、大地の先が見通せない。その草地はどこまで続いているのだろうな」
釣られて、ヤマトも外へ視線を送った。
辺り一面に青々とした草が生えており、更に見渡す限りずっと遠方にまでそれが続いている。どのくらい広いのかと考えれば、思わず頭がクラクラしてしまうほどの広大さだ。
ザザという狭い島で長らく暮らしてきたレレイからすれば、広大な水平線を望むことはあっても、こうした地平線を望むことはなかっただろう。呆気に取られた様子で、食い入るように窓の外を眺めていた。
くすりと笑みを零したノアが、口を開く。
「ここはエスト高原って言ってね。大陸でも一番広い高原地帯として知られているんだよ」
「エスト高原か」
「見て分かると思うけど、この高原には街がない。ほとんど手つかずな状態のままで残されて、今も少しだけの遊牧民族が暮らしているだけだね」
「ふむ?」
問うような視線をレレイが送れば、ノアは即座に首肯する。
「一見すれば豊かな土地に見えるけど、ここって結構危険な場所なんだよね。魔獣はやたら多い上に、やたら強い。加えて、滅多に雨が降らない」
「雨が降らない?」
島内にジャングルが広がっているような高温多湿の環境で育ったレレイからすれば、想像の難しい世界かもしれない。だが、ノアの言っていることは事実だ。
エスト高原には、季節を問わずにカラッと乾いた空気が流れている。そこら中に生えている草は、時折降る雨水を頼りに育つことができる品種ばかりであり、それも頻繁に枯れてしまう運命にあるのだ。ゆえに、この高原に木々が立ち並ぶような光景は望めず、豊かな自然の恵みを期待することも叶わない、半ば不毛の大地に近しい環境であるとさえ言える。
「雨が少ないから、作物を育てることもできない。自然、人はここで定住することはできないってわけ」
「ほう。……だが、僅かなれども人は住んでいるのだろう? ユウボクとか言ったか」
レレイの言葉に、ノアは小さな笑みと共に頷いた。
「遊牧民族。詳しい暮らしぶりはまだ解明できてないけど、彼らは獣を飼い慣らして、それを食べながら生活しているらしいね」
「共に生きた者を食べるのか?」
ギョッとした面持ちをレレイは浮かべる。
「それしか食べられないからね。人じゃ食べられない草を獣たちに喰わせて、しっかり育った羊を人間が食べる。そうすることでしか、この地で生きることはできなかったんだ」
「……難儀なものだな」
狩猟採集を中心とした生活を送ってきたレレイからすれば、あまり馴染めない生活様式ではあるかもしれない。だが、ノアが言っていた通り、エスト高原で生き抜くためには、それ以外の道を選ぶことはできなかったという事情がある。
獣の狩猟をしようとも、それで大人数を賄うだけの食料を得ることはできない。また、農業を営もうとしても、あまりに少ない水資源ゆえに、作物を満足に育てることができない。採集できるだけの恵みも望めない以上は、自らの手で、食物となる家畜を育てる以外に手はなかったのだろう。
すっかり難しい表情になってしまったレレイに、ヤマトとノアは揃って苦笑いを浮かべた。
「そんな遊牧民しか暮らせない場所だから、他の国もここには手を出そうとしないんだよね。やたら広くはあるけれど、美味みはそんなにない」
他の国――すなわち、帝国も含めた話だ。魔導列車の普及に伴って大陸各地に進出した帝国だが、そんな彼らであっても、エスト高原へは未だに手を出そうとしていない。理由は単純で、統治する労力に見合ったものが望めないからだ。
そんな事情はあるものの、エスト高原は、大陸ではもうほとんど見られなくなった、帝国の影響をほとんど受けていない地と言うことができる。現に、ヤマトたちが今乗っている魔導列車もまた、エスト高原に入ってすぐのところに終着駅を設けているくらいだ。
(だからこそ、面倒ではあるのだがな)
思わず、ヤマトは溜め息を零しそうになる。
そんなヤマトの様子には気がつかなかったようで、レレイは難しげな表情のまま口を開く。
「見た目とは裏腹に、過酷な地であるということか」
「そういうこと。だから、僕たちも通り抜けるためにどうするか、もう一度考え直さないといけない」
「ふむ。確かに、この地を歩き抜くというのは無理な話に思えるな」
レレイの言う通りだ。
一年前のヤマトとノアは甘い考えでこの地に足を踏み入れたものの、手持ちできる食料には限りがあったため、結局は餓死しそうになり、慌てて引き返したのだ。
「そういうこと。今回はヒカルがいるからまだマシだけど、それでも手は考えなくちゃいけない」
ヒカル。
ヤマトたちが共に旅する勇者の少女のことであり、彼女は強力な時空の加護を宿している。異空間へ物品を収納することすら可能にするその加護を使えば、ヤマトたちは労せず、数カ月分程度の食料を運ぶことが可能になるのだ。
その時点で問題の大半が解決しているような気はするが、とは言え、心の底から安心してしまう訳にもいかない。
「苦労しそうだな」
「本当にね」
気の重そうなレレイの言葉だが、そこには悲壮感ばかりではなく、隠し切れない高揚の兆しが秘められているようだった。
すぐ先に困難な旅路があることが分かっていても、それに好奇心を滾らせずにはいられないというのが、冒険者の性。
(すっかり、冒険者稼業が板についたようだな)
そのことがおかしくて、ヤマトは少し口元を緩めた。
そんな中で、穏やかに走り続けていた魔導列車がゆっくりと減速し始めたのを感じ取った。