第153話
「元聖騎士でありながら、この大陸に混沌をもたらそうとした罪。その重さは分かっているだろうな、ジーク?」
「………」
薄暗い部屋だった。
広さは二十メートル四方ほどありながらも、その中を照らす照明は酷く少なく、数メートル先を見通す程度にしか視界は保たれていない。そんな中でも分かるほどに、周囲からは刺々しい視線がジークの全身に突き刺さっていた。
(暇な奴らだね)
ジークの視線の先にいるのは、審問席に腰掛けた男たちだ。全員が橙色の神官服を身にまとっているが、それに見合わないほどにギラギラと欲深い光を目に宿している。
極東の首都カグラでの戦いに敗れ、勇者ヒカルの手によって大陸まで移送されたジーク。その身柄は、リーシャたちの手配によって聖地ウルハラ――かつて、ジークが聖騎士として守護していた地へと更迭されていた。
元聖騎士として、聖地を襲撃した件や極東に百鬼夜行を引き起こした件について、その責を問われるという。
(まあ、どうなっても構いはしないけど)
そんな思考が脳裏に浮かび、いよいよ自分が教会の人間ではなくなっていることを自覚する。かつての聖騎士の制服を着せられてはいるものの、己の本質は、既にクロに雇われたテロリスト紛いの傭兵の方に寄っているらしい。
そのことにおかしな気分を抱きながら、ジークは自分を取り囲んでいる面々をジッと見渡す。
(想像はしていたけど、結構な数が逃げ出したのかな)
ジークの頭に浮かんだのは、クロの依頼に従って先日敢行した、聖地ウルハラ襲撃事件のことだ。
そのときのジークは聖地の門前に陣取り、クロと赤鬼が内部に侵入する間の陽動役を努めていた。ジーク自身の手で教会を破壊した訳ではないものの、クロによって呼び出された黒竜が暴れまわった影響で、聖地ウルハラは再起不能なレベルにまで破壊されてしまった。かつての姿を取り戻そうと復旧作業は行われているようだが、未だそれが完成した様子は見られない。
そんな事件の煽りを受けて、元々聖地に勤めていた聖職者の大半が、この地を去ったのだろう。それを示すように、ジークの視界に入る審問席には空きが多く見られていた。
「元聖騎士ジーク? 聞いているのかジーク!」
「……そう喚かなくても聞こえる」
審問会の仕切りをしていた司祭が、額に青筋を浮かべながら叫び声を上げる。
辟易とした気持ちを隠そうともせずに応えれば、司祭は更に苛立ちを強めたようで、ガミガミと激しい語気で言葉を続ける。
それらを聞き流しながら、ジークの思考は空へと逸れていった。
(本当に、くだらない)
ここで行われているのは、詰まるところ茶番でしかない。
まだ教会の権威回復も聖地の復興作業も終わっていないというのに、ジークの罪を問うことに躍起になっている。聖騎士が機能していない以上、彼ら自身でジークの起こしたことを調べることもできず、また罰を課したとして、それが果たされるよう強制することもできない。そんな現実から目を背けて、何かをしているような気分に浸っているだけだ。
(さっさと抜け出したいところだけど)
ジークは己の手首に視線を落とす。
そこには、鈍い光を放っている手錠がかけられていた。細い鋼で作られただけの質素な手錠であり、怪力の加護を宿した者であれば、そのまま引きちぎることも可能な程度の頑強性しか持っていない。それでも。
(魔力封じの枷。我が妹ながら、なかなか容赦がないね)
この枷を嵌めたリーシャを想起して、苦笑いを漏らす。
身に着けた者の魔力を片っ端から喰らい、魔導術など使えないようにする拘束用魔導具。重犯罪者を捕らえるために使われるものであり、いかな凶悪犯罪者であろうとも、これを嵌められた以上は常人程度の力しか発揮できないようになってしまう。
これを外すためには、枷の鍵を開けるか、外部から枷を破壊するくらいしか方法はない。いずれにしても、辺りに協力者のいないジークからすれば、無理難題に等しい話だ。
(……リーシャか)
極東で対峙したときの妹の姿を、もう一度脳裏に呼び起こす。
ジークが聖騎士から事実上の追放をされる直前に、リーシャは聖騎士入りを果たしていた。その実力は聖騎士と認められるに相応しいものであったが、実の兄が左遷されたのだから、先が茨の道になるだろうことは想像に難くない。下手をすれば、一生下働きとして酷使される可能性すらあった。聖地から出ていく際にも、リーシャの扱いをどうするかで頭を悩ませたものだ。
そんなリーシャが、立派な聖騎士として成長を遂げていたのだ。もはやジークの背中を追うばかりだった頃の弱々しさはなく、一人の立派な騎士として、毅然とした佇まいをジークの目に焼きつけてくれた。
(思ったより嬉しいものだね)
ただ優秀な聖騎士に成長したに留まらず、かつてはジークだけが使える技だった聖剣術をも会得してみせた。その上で、勇者ヒカルたちと協力した結果ではあるが、ジークの起こした百鬼夜行騒動を解決させてみせたのだ。間違いなく、今のリーシャはジークと対等以上の存在になったと言える。
妹の晴れ姿とでも言うべきものを見て、ジークの胸に浮かんだのは嬉しさだった。
(いい仲間に恵まれたね、リーシャ)
かつて、ジークの頭にはとある悩みがわだかまっていた。
幼い頃に才能を買われて聖騎士入りして以来、ただ模範的な聖騎士とあることだけに腐心してきたジークには、燃え上がる激情といったものが欠落していた。人並み程度の感情は抱けても、自分の生涯を賭してでも成し遂げようと思える夢がなかったのだ。己の感情を殺し、教科書に書かれた規範にだけ則り、理想の聖騎士然とした振る舞いを真似するだけの毎日。そんな日々を漠然とすごし、毎日を不満に思いながらも、それを打開しようという気概すらも持てない自分のことが、堪らなく嫌いだった。
そうした悩みに囚われた末、ジークは邪道へと足を踏み外してしまった。後悔するつもりはないし、後悔したところで何にもならないことではあるが、もっと違う道があったはずだという思いは捨てきれない。
そんな、未練に囚われ苦悩に満ちたジークとは異なって、リーシャは正道を歩み続けている。頼れるよき仲間たちに囲まれたリーシャが、この先で道を外れるようなことは、きっと起こらないだろう。
「――ジーク! 貴様いい加減にしろよ!」
「………」
司祭の怒鳴り声で、ジークの意識が引き戻された。
漏れそうになる溜め息を噛み殺しながら、ジークは偉そうにふんぞり返っている司祭を見上げる。
「なんだその反抗的な目は……! 貴様、自分の立場が分かっているのか!?」
「どうでもいいよ。早く結論を出したら?」
聖騎士としてここに勤めていた頃には、司祭相手にこんな口を聞くことになるとは、思いもしなかった。
それは、ジークだけでなく司祭の方も同様だったのだろう。
「貴様……ッ!!」
顔色を怒りの赤を通り越して、どす黒く変えさせて、司祭は拳で机を叩いた。
「貴様は無期懲役! 一生を牢の中ですごせ! 誰か、こいつを牢にぶち込め!!」
「とても司祭とは思えない暴言だね」
「とっとと失せろ!!」
司祭の言葉に呼び出された聖騎士が、ジークを拘束する枷を掴む。
そのまま引きずり出そうとする力に逆らわず、司祭の怒声を背中越しに聞き流しながら、ジークは審問会の場を後にした。