第151話
「何の話をしていたんだい?」
「さてな」
軽い調子で尋ねてくるジークに素っ気なく返してから、ヤマトは刀を構えた。
元より大した返答を期待してなかったのだろう。ヤマトの答えに特に反応を見せなかったジークは、しばし考え込んだ後、ヤマトの後ろに控えたままでいるリーシャに視線を転じる。
「察するに、そこの妹が何か手を思いついたのかな。で、ヤマトはそれまでの時間稼ぎをしていると」
「ふん」
「それがどんな手なのかまでは分からないけれど、そう簡単に通用するとは思わない方がいいよ」
妙に自信あり気な様子でジークはそう言ってみせる。
そのことに少々の意外感を抱きながら、ヤマトは思わず口を開いていた。
「やけに喋るな」
「そうかな? 妹のことだから、口が軽くなっているのかもしれないね」
その言葉の真意までは、ヤマトにもリーシャにも掴むことはできなかったが。リーシャの方を一瞥すらせず、どこか嘲るような調子すら含まれた語調から察するに、そう大した意味も込めていないのだろう。
そう内心で一蹴したヤマトは、刀の切っ先をクイッと揺らしてみせる。
「早く始めるぞ」
「あらら、ずいぶん気が早いことだね」
溜め息と共に肩をすくめたジークは、一瞬だけ目を閉じる。――次にその目蓋を開いたとき、眼光は獰猛な鋭さを宿していた。
(戻ってきたか)
先程までの戦っていたときと比べると、ずいぶん軽い調子であったように思えたが、ジークなりに休息を挟んでいたのかもしれない。ヤマトを押し返したという事実の上に胡座をかくことなく、虎視眈々と勝利を狙った動きに移っていたということだ。
再び放たれた闘志を目前にして、ヤマトは口端を釣り上げる。
「今度はこちらから行かせてもらおうか」
戦いの主導権をジークに握られてしまったことの、意趣返しという訳でもないが。
正眼に構えていた刀の刃をやや下段へ寄せながら、ヤマトは一気に間合いを詰めた。
「相変わらず速い!」
「シ――ッ!」
口から鋭く呼気を漏らしながら、動きを小さくまとめた斬撃を放つ。
その速度が予想以上のものだったからか。表情をゆがめたジークは、ヤマトの斬撃をいなす手を即座に却下し、バックステップで間合いを離そうとする。
「逃がすと思うか?」
刃が虚しくヤマトとジークとの間を斬り裂いた。
そのことに一瞬も視線を向けないままに、ヤマトは即座に刀を切り返した。胸元を軽く薙ぐような一撃から、刺突と斬撃を融合させた一撃へ。やや上段から抉り込むように、刀を奔らせる。
「くっ!?」
後隙を突くことを許さない、間断のない連撃を前にして、ジークはその端正な顔を歪めた。反撃に転じようとしていた身体を抑えつけ、理性を総動員させて更にバックステップをする。
回避一辺倒の動きを見せようとするジークを前に、ヤマトは眼光を鋭くさせる。
「甘い」
やはり空を斬った刀に目もくれず、更に深く踏み込む。同時に、刀の柄から離した左手を握り込み、突き出す。
剣術と刀術の比べ合いと錯覚していたのか。刀の煌めきに目を奪われていたジークの腹部に、ヤマトの拳が突き刺さった。
「がぁ!?」
「終いか?」
問いかけるように言いながら、ヤマトは右手の刀を上段に掲げる。ジークの腹から抜いた左手を刀の柄に添え、踏み込む。身体をくの字に折ったジークの頭頂を目掛けて、刀を振り下ろす。
「ぬん!」
「――まだだ!!」
さながら断頭台の如き勢いで振り下ろされた刃に対し、一瞬で意識を取り戻したジークは疑似聖剣を振り上げる。
その剣身に曇ることない輝きが宿っていることを目にして、ヤマトは振り下ろした刀を咄嗟に引っ込めた。同時に、後退して間合いを離す。
(あれに刀を合わせるのは、まずいか)
これまでの常識――相手の得物をも斬撃で断てることを前提としていたならば、そのまま刀を振り下ろしていた。だが、ヤマトの斬撃では、ジークの聖剣を両断できないことは、つい先程示されてしまった。無論、このまま振り下ろしても、ヤマトは依然として優位を保てただろう。だが、確実に仕留められない以上、無闇に刀へ負担をかけるような真似は極力避けたいところだった。
(厄介だな)
すっと目を細める。
今やってみせたように、接近戦の技術に関してはヤマトの方がジークを上回っているようだ。だが、斬撃を胴へ直撃させてやれるほどには、その差は隔絶していない。せいぜい、刀術の中に紛れ込ませた体術を叩き込める程度だ。それでは、決定打に欠けている。
見れば、確かな手応えがあった正拳突きの負傷すらも、今のジークは何事もなかったかのように振る舞っていた。疑似聖剣から放たれている光の粒子に治癒の力があるのか、ジーク自身が『治癒』の魔導術を使っているのかは判別できないが、小さな攻撃を積み重ねても無駄らしいという事実は変わらない。
要は、勝負を決したいのならば、ヤマトはジークへ斬撃を直撃させるか、ガラ空きの胴へ渾身の打撃を叩き込むくらいのことは、何とかやってみせなければならないのだ。
「ゲホッゲホッ……、流石だね。だけど、それじゃあ何の意味もないよ」
「らしいな」
「痛いのは御免だけど、痛いからって死ぬことはない。ヤマトの攻撃はどれも強烈だけど、剣の直撃くらいなら避けられる」
つまりは、手詰まりだ。
ここから勝ち筋を見出そうとするならば、無理矢理にでもジークの防御を剥がしてやらなければならない。――それはそれで、ヤマトとしては心躍る戦いの予感を覚えるのだが。
(今回の主役は、あいつだからな)
ふっと息を吐いてから、ヤマトは構えを解く。そのまま、怪訝そうな表情を浮かべたジークを見やりながら、背中越しにリーシャへ声をかけた。
「準備はできたようだな?」
「何とか、だけど。ひとまず、形にはなったわ」
体力を相当に消耗したらしく、掠れ気味な声になっている。それでも、顔を見ないでもヤマトが感じ取れるほどの力強さが、その声には込められていた。
「何のつもりだ?」
「すぐに分かる」
苛立ち混じりなジークに答える。
そのヤマトの言葉に応じるように、ヤマトの周囲に――否、辺り一面の虚空に、無数の小さな煌めきが生まれた。
「これは……!?」
「見覚えはあるだろう?」
言いながら、ヤマトはその場から一歩横へズレた。
ヤマトの背中からジークの前に現れたのは、酷く顔を青ざめさせ――それでいながら、会心の笑みをたたえたリーシャだ。その手元には、虚空に浮かんでいるのと同じ煌めきが浮かんでいる。
「聖剣術!?」
「ぶっつけ本番だったけど。成功してくれてよかったわ」
その言葉に応えるように、散りばめられた小さな輝きが一斉に瞬く。
間違いなく、リーシャはこれら全てを掌握している。それが伺える光景に、ヤマトは小さな笑みを浮かべた。
「お手本はすぐ近くにあった。それに、私は兄さんの妹だから。同じことができないわけがないでしょう?」
「……ははっ」
しばし呆然とした面持ちで辺りを見渡していたジークだったが、小さな笑い声を漏らすのと同時に、目の焦点をリーシャの元に合わせる。
「どう、兄さん。これで、あなたと同じ場所に立てたかしら」
「いやはや、これは驚かされた。確かに、間違いなく聖剣術だ。ずいぶんと腕を上げたね」
存外に素直に称賛するようなジークの言葉に、リーシャは微かに眉尻を下げる。
だが、すぐに表情を改めたジークが、戦意を顕わにしてリーシャに視線を送る。
「だけど、これはただ模倣してみせただけ。リーシャが僕に勝てる理由にはならない」
「そうね」
ジークの言葉は真実だと、リーシャも自覚していたのだろう。事実、ジークの扱う聖剣術は光の粒子を剣の形にまとめきっていたのと比べると、リーシャの聖剣術は、せいぜい光の粒子を掌握した程度に留まっている。そのことに反論するでもなく、リーシャは素直に頷いてみせた。
それでも、リーシャの目から闘志の炎が消える様子はないらしい。むしろ、更に激しく燃え盛っているようにすら見える。
「何か、策があるってことかな」
「――いいえ」
警戒するように目を細めたジークに対して、リーシャが返した答えは否定。思わず訝しくなるほどにスッキリした面持ちで、真っ直ぐにジークを見つめる。
「私が打てる手はこれで全部。後は、私が意地を通すだけよ」
「……意地か」
「兄さん。あなたが何を考えているのか、何がしたいのか、私には分からない。兄さんなりに抱いた正義というものが、もしかしたらそちらにあるのかもしれない。――でも!」
空中の疑似聖剣を動員し、己の身体の周囲にまとわせる。同時に、リーシャは腰のレイピアを抜き払い、切っ先をジークの胸元に向けた。
「ヒカルは私の友だちなの。兄さんがあの子を傷つけようと言うのなら――全力で立ち向かってみせる!」
疲弊を隠せないながらに、リーシャはその目に強い決意の光を宿す。
それをジークは、どこか眩しいものを見るように目を細めてから、すっと目の色を変えた。
「いい発破だ。なら、後は僕にそれを示してみなよ」
全力の闘志を放ちながら、一振りの疑似聖剣を正眼に構える。
そんなジークの威圧に当てられてか、身体を固くさせたリーシャを見やり、ヤマトは小さく口を開いた。
「思い切りやれ。俺が見届けてやる」
「………ありがとう」
小さな声で礼を言うリーシャに、ヤマトは無言のままで笑みを浮かべた。
リーシャにとって、ジークがどのような兄だったのか。それをヤマトが伺い知ることはできなかったが、少なくとも、リーシャがジークに、信頼か疑念か、尊敬心か劣等感か、愛情か憎悪か――いずれにしても、只ならぬ思いを抱いていたことは分かる。
ならばきっと、この戦いはリーシャ自身の手によって幕を下ろす必要がある。彼女自身が、幕を引かなければならない。
(傍観というのは、慣れない立ち位置ではあるが)
刀を鞘に収め、ヤマトがその場から一歩退いた。
無言のまま見つめ合う二人は、その間にバチバチと見えない火花を散らしながら、辺りの緊張感を高めていく。降り続ける雷雨や、すぐ近くで戦っているノアたちの模様までもが、二人のいる空間から隔絶されていくような感覚すら覚える。
いつ切れてもおかしくない緊張感の中。
雷鳴が、鳴り響いた。
「ふっ―――!」
リーシャが踏み込んだ。
無数の疑似聖剣を先行させながら、レイピアを片手に疾駆するリーシャ。対して、ジークは幅広の疑似聖剣を片手に、襲い来るリーシャの聖剣術を迎え撃つ構えらしい。身体を脱力させて、四方八方から迫る疑似聖剣全てを捉える。
(これは……)
その動きを見て、ヤマトは確信した。
二人ともに、この一回で全てを決するつもりだ。そして、互いの狙いが合致した以上、それが外れる可能性は限りなく低い。
思わず固唾を飲んだヤマトの視線の先で、ジークは危なけなく聖剣の攻撃全てを凌ぎ切った。だが、それに安堵することなく、即座に駆け寄ってくるリーシャの姿を正面に捉える。
リーシャとジークの間合いが一気に狭まった。
「ぉぉおおおおッッ!!」
「ハァッ!」
上段から擬似聖剣を振り下ろすジークに対して、真正面からレイピアを突き込んだリーシャ。
その激突は、ほんの一瞬で終焉を迎えた。
(――決まったか)
呼吸することを忘れて見入っていた自分に気がつき、ヤマトはホッと息を吐く。
それを合図とするように、二人のときは動き始め――リーシャが、ガタッと音を立てて地に膝をついた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
荒く呼吸を繰り返すリーシャ。
それに対して、聖剣を振り下ろした姿のまま静止していたジークは、驚くほど落ち着いた面持ちで体勢を立て直すと、背後にいたリーシャの背中を見つめて口を開いた。
「凄いね。ここまでだとは、正直思ってなかった」
「そう、ですか」
「仲間のおかげってことなのかな。いつの間にか、僕は置いてかれてた気分だよ」
その言葉と同時に、ジークの手の中にあった疑似聖剣が、ポロポロと光の粒子に分解されていく。
戦いの終わりに際し、聖剣術を解除した――のではない。疑似聖剣を構成していた光の一つ一つが、ジークの制御を離れていく。それを手元に残すこともできず、ジークは消えていく光の粒子を見送ることしかできないでいる。
「僕は一応、殺すつもりでいたんだけど。負けだよ、負けだ」
「兄さん……」
「聖剣術と今の一撃。その両方を、僕の聖剣を破壊することだけに使うなんてね。魔力も空っぽだし、もう動けそうにない」
空中に聖剣を霧散され、得物を失ったジーク。それに対してリーシャの方は、消耗の様子こそ伺えるものの、依然としてレイピアを握る手には力が込められ、身体の周囲に瞬く光の刃が伺える。
勝負ありだ。戦う術を失ったジークの敗北であり、未だ剣を握っているリーシャの勝利。
その実感がまだ掴めないでいるのか、リーシャは表情を曖昧な形に崩していた。勝利の嬉しさを感じながらも、それを素直に表に出すことを躊躇っているのだろうか。
何とも言い難い表情のリーシャを見やって、力尽きたように砂利の上に座り込んだジークは、ふっと笑みを零した。
「なんて顔してるのさ。それに、まだここの戦いは終わってないしょ?」
「―――! そうだ、鬼の方は――」
「もう終わるようだな」
慌てた様子で辺りを見渡したリーシャに、ヤマトは静かに答えた。
「どういうことか」と尋ねるリーシャの視線を受けて、雨の中の一点を指差す。
「ほら」
「あ……」
雷雨の中、八つあったはずの腕の内の三本だけを振り回し、狂乱する鬼の姿。
それに相対するのは、憔悴し切った様子ながらも、倒れることなく立ち続けている勇者ヒカルだ。
「ヒカル……?」
「どうにか持ち直したようだな」
鬼の痛恨の一撃を受けて、一時は戦闘不能に陥ったヒカルだが、戦いの最中で目覚めたのだろう。ノアとレレイの二人と戦っていた鬼の前に躍り出て、光り輝く聖剣を構えている。
それでも、手傷が癒えた訳ではないのだろう。存外にしっかりとした足取りで立っているものの、その動きは鈍い。自分から鬼に駆け寄ることすら、今のヒカルにとっては一苦労なのだろう。
「支援してやったらどうだ?」
「え? あっ――!」
惚けた顔を見せたリーシャが、即座に気を取り直す。未だ辺りに残っている疑似聖剣の光をかき集めて、それらをヒカルの元へ直行させた。
「ヒカルさ――ヒカル!!」
「………? リーシャ?」
「これを使って!」
どこか吹っ切れた様子で叫び声を上げるリーシャ。
その声に緩慢な動きで反応したヒカルは、リーシャが飛ばした疑似聖剣――光の粒子に包まれると、一瞬だけガクッと身体を脱力させた後、一気に力強い足取りに戻る。
「これは……? いや、それよりも、これなら――!」
本物の聖剣が放つのと同じ光の粒子。それは、当代勇者たるヒカルにとっては、大抵の魔導術以上の力を持った支援となる。
先程までの弱々しい立ち姿が嘘のように、勇ましく鬼に向けて聖剣を構えたヒカルは、その刃を天に掲げる。
『―――――!?』
聖剣から溢れ出す力強い浄化の光に、鬼は声にならない音を漏らしながらたじろぐ。本能的なものなのか、そこから逃れようと身体をよじらせるものの、もはや手遅れだ。
鬼の姿を正面に捉えたヒカルは、そのまま深く踏み込んだ。
「これで、決めるッ!!」
叫び声と同時に、光り輝く聖剣の刃を振り下ろす。その斬撃から放たれた白い閃光が、辺り一面を包み込んだ。