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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
極東カグラ編
148/462

第148話

 大粒の雨が滝のように降り注ぎ、一メートル先すらも見通すことができない。

 極東中が雨水に沈んでしまいそうな豪雨を見上げて、霊峰シュテンの参道を登っていた青鬼――ジークは、そっと溜め息を零した。

「派手になるとは思ったけど。これは正直、予想以上だね」

 ジークがリーシャとヤマトの二人との戦いの中で行ったことは、言うだけならば至極単純であった。単に、戦いの中で大規模魔導術を密かに展開し、機を見て発動させただけだ。霊峰シュテンを通る魔力の流れに乗じて発動した魔導術は、ジークが想定した通り、遠く離れた地の封印を解除することに成功していた。封印から解き放たれた魔王の右腕は、辺りへ濃厚な魔力を振り撒き、極東独特の“鬼”と呼ばれる異形の者を呼び起こした。

 予想以上だったのは、その規模と強さだ。鬼は霊峰シュテンのみならず都カグラにまで出没して、人を襲い始めている。加えて、彼らは並大抵の魔獣が比ではないレベルの強さでもって、迎撃する戦士たちを追い返しているらしい。

 今ジークが悠々と参道を登っている間にも、都に住まう人々は鬼の猛威に晒され、死傷者も加速度的に増えているはずだ。

(罪悪感がないと言えば、嘘にはなるけど)

 元々は太陽教会の聖騎士――それも、最強かつ最優たる第一席の名を冠していたのだ。かつては本気で守りたいと思った人々が苦しんでいることに、思うことが何もないわけではないのだが。

 溜め息と共に、首を横に振る。

「今の僕に、そんな資格はないな」

 どんな思いを抱いていると言っても、今のジークはテロリストだ。厳重に封印されていた初代魔王の身体を解放し、世界に混乱をもたらそうとしている。そのことに一切同情の余地はなく、ジーク自身、己が悪役になっていることを疑いもしていなかった。

 陰鬱な気分になりかけた心地を払拭するように、ジークは空を見上げた。秋の雨が、知らず知らずの内に熱をもっていた頬を冷ましていく。

 雨粒を全身で受け止める中で、ジークの脳裏に、チリッと何かが焼けつくような感覚が生じる。

(確か、あのときも――)

 前を見ても後ろを見ても、果ての見えない参道が延々と続いている。既に相応の時間を歩き続けている気がするが、一向に社に着く兆しは見えない。

 そのことを確かめてから、ジークは“その日”のことを思い返した。


 聖騎士第一席の名も既に馴染み、大陸を震撼させた魔王襲来の報せに際して、勇者候補として選定された直後のことだ。

 その日の空も、ちょうど現在の空模様と同じように、滝のような大雨を降らせていた。夜もかなり更けて、神官たちも自室で眠りに就いた頃合いに、ジークは聖地ウルハラの鍛錬場に立っていた。

(ここからが本番だ。今よりももっと鍛え上げないと――)

 最強かつ最優たる第一席であると共に、救世の勇者の名を戴いた。

 その偉大すぎる称号に恥じぬ男になろうと、ジークはただひたすらに研鑽の日々をすごしていた折のことだ。

「―――?」

 いつも通りの、誰もいないはずの鍛錬場。

 一人で黙々と剣を振り続けていたジークは、そこに、普段ならば感じないはずの気配を悟った。

(リーシャではない。なら、いったい誰だ)

 ジークを追って聖騎士入りしたリーシャならば、このような殺気立った気配は出さない――否、出せない。

 剣のみに己の生涯を賭し、対峙した相手をただひたすらに倒すことだけに専念する戦狂いの殺気。時代が移れば英雄とも呼べる覇気だろうが、この平穏な現代においては、ただ狂人のそれでしかない。

 素振りしていた剣を止め、ゆっくりと振り返る。

「何者だ。ここが聖地ウルハラであることを知っての狼藉だろうな」

 言いながら、ジークは侵入者の影を睨めつける。

 身の丈はジークと同程度。その身を包む外套は雨に濡れ、夜闇を映したかの如き黒さになっている。そして手には、一振りの細い剣。

 間違いない、襲撃者だ。

(僕を狙ってきたのか?)

 心当たりがない、とはとても言えない。

 現存するただ一人の聖剣術の使い手。聖騎士第一席。救世の勇者候補。これだけの肩書きを持っているのだ。自惚れてしまうならば、これからの太陽教会の旗頭ともなるべき男でもある。

 教会に害意を持つ者や、教会の躍進が都合悪い勢力――例えば帝国といった国からすれば、ジークという男は、いない方が都合のいい人物だと言える。

 とは言え。

(まさか、ここまで忍び込んでくるとはな)

 ジークがいるのは、聖地ウルハラにおいても奥地に位置する鍛錬場だ。ここへ忍び込んでくるためには、表の教会部分や、騎士団の宿舎などを人知れず潜り抜けてくる必要がある。

 そのことを考えるだけでも、目の前にいる襲撃者が並大抵の使い手ではないことは伺える。

 そんなジークの探るような視線に対して、男は黙したまま何も応えない。ゆらりと剣をぶら下げたまま、外套の中からジークを観察しているようだった。

「答えろ。さもなくば、お前を賊と見なして斬るぞ」

 幸いにも、先程まで素振りをしていたおかげで、ジークの身体は温まっている。

 今すぐに戦いになったとしても、普段通りの実力を出すことは可能であろう。

 静かに戦意を高めたジークに対して、長いこと沈黙を保っていた襲撃者が、外套の中から低い声を漏らした。

「お前が、ジークだな?」

「は?」

 思わず間抜けな声を漏らしてから、慌てて気を引き締め直す。

「……だからどうした」

「聖騎士最強の男がジークだと聞いた。ならば、手合わせを願いたい」

 ジークの頭に疑問符が浮かぶ。

 試合を装って暗殺をするつもりなのだろうか。いや、流石にそれは迂遠がすぎる。何か他に狙いがあるのか。それとも、本当に手合わせがしたいだけなのか。

 グルグルと疑問が渦巻く頭で、ジークはとりあえず剣を正眼に構えた。

「む?」

「……来い」

 目の前の男が賊なのか、ただの不審者なのかは判断できないが。

 いずれにしても、ここで切り伏せてしまえば済む話だ。

 ある意味思考停止に等しいジークの動きに対して、男は妙に嬉しげな様子を見せた。細い剣を正眼に構えて、グッと腰を落とす。その構えに気負いはなく、ただそれだけでも相応の実力を有していることは伺える。

(余程自分の実力に自信があるのか?)

 密かに警戒レベルを上げた直後だ。

 半身になっていた男が、音もなく、滑り込むように間合いを詰めてきた。

「な――っ!?」

 目を剥く。それでも、長年鍛錬してきたジークの身体は、ジークが思考するよりも速く動いてくれた。

 受けの型。剣の腹を横に寝かせ、

 焦りばかりが募るジークの視界の中で、男は剣を逆袈裟に斬り上げる。

「くっ!?」

「シ――!」

 気迫の声と共に、剣の切っ先がジークの胸元を掠めていく。騎士団の制服が音もなく斬れ、胸から血が滲み出る。

(鋭い!?)

 男が握っていた剣の斬れ味に、ジークは脂汗を滲ませる。

 普段相手にしている騎士たちと同じ感覚で剣を受け止めようとしては、瞬く間に真っ二つにされてしまうだろう。可能な限り刃には触れないよう、細心の注意を払わなければならない。

 気を改めてジークが向き直ると、剣を振った姿勢から戻った男が、僅かに首を傾げてから、剣を腰元の鞘に収める姿が目に入る。

「何のつもりだ?」

「止めだ」

 その言葉に、ジークは首を傾げる。

「いきなり何を――」

「お前の剣はつまらん」

 思わず、絶句する。

 いきなり試合を申し込んできたかと思えば、唐突に試合を取りやめ。極めつけに、戦うのがつまらない?

 傍若無人にもほどがあるだろう。

 どう反応することもできず、口をパクパクと開閉させるジークに対して、男は言葉を続ける。

「お前は戦おうとその剣を振っていない。ただ、模範たる型をなぞっているにすぎない」

「………」

「確かにお前は最優の騎士なのだろう。だが、強くはない。殺気もなく闘気もなく、ただ茫洋と振るだけの剣に、何の恐れも感じられん」

 ただの不審者の言葉。ジークの半生を知っているわけでもない、ひたすらに無責任な言葉でしかない。

 そんな理性の言葉に反して、胸中にはグルグルと気味悪い感情が渦巻いていた。言葉にしがたいほど複雑な情動が、ジークの頭をかき乱してくる。

 床までもがグラグラと揺れているように思える中、ジークは半ば無意識に、その場から立ち去ろうとしている男の背中に向かって言葉を吐いていた。

「お前の名前は?」

「む?」

 なぜ、それを問おうと思ったのか。

 その答えはジークの胸中には浮かんでこなかったが、男はしばし考え込んだ後に、ゆっくりとその名前を呟いた。

「――ヤマトだ」


 本人はもう覚えていないようだったが。

 結果から言えば、その束の間の邂逅こそが、ジークの人生を一変させたと言っていいだろう。聖騎士として、皆の期待に応え続けるだけの人生を送る自分に疑問を抱き、いつしか、騎士団の中にも居場所はなくなっていた。表舞台から足を踏み外し、こんなテロリスト紛いなことを続けるようになっている。

 最優の聖騎士から、一介のテロリストへ。中々見ることのできないほど、立派な転落であろう。

(不思議と、後悔はないけどね)

 そんな胸中を自覚したところで、ジークは参道を見上げた先に、社への出口が望めることに気がつく。

 いよいよ、戦いが始まる。

 気力体力共に充実していることを確かめてから、ジークは最後の階段を登り切った。すぐに社を見渡す。

「これは……」

 黒い柱の根本であり、各地に広がっている百鬼夜行の元凶であろうと思われる場所。

 そこには、百鬼の主とでも言うべき怪異が存在した。

『ォォォォオオオ……!!』

 巨大な骸骨だ。幾つもの人骨を継ぎ接ぎしたような身体からは、八本の腕が生えており、それぞれに分厚い刀が握られている。その全てが縦横無尽に操られているのだから、並大抵の剣士が対峙しようというのは無謀な話だろう。

 そんな、常識外れな姿をした鬼と対峙している者が三人。

「せぁっ!!」

 勇ましいかけ声と共に、小麦色の肌の娘――レレイが鬼の懐へ突っ込む。様々な角度から襲い来る斬撃をかい潜り、肋骨にあたる部分へ拳を放つ。

 見た目からはとても想像できない威力の一撃が炸裂した。骨が周囲数本をも巻き込んで砕け散り、鬼は悲鳴にも聞こえる声を漏らす。

「レレイ下がって!」

「承知!」

 その声と共に一気に下がったレレイに代わって、数発の銃声が響く。

 的確に骨のヒビを狙撃した銃弾は、本来の威力を越えた成果をもたらす。身体の各所が崩れ、鬼はその体勢を保つことができずに崩れ落ちる。

 大きな隙だ。

「今だよ!!」

「ここで決める!」

 その千載一遇の好機に際し、飛び出した影が一つ。

 全身を甲冑で覆い隠し、手には聖剣を握った騎士。その重装備に似合わない速度で鬼に駆け寄り、必殺の一撃を繰り出そうとしている。

 聖剣には魔を浄化し光にする力がある。鬼の細かな性質は知らないが、鬼にとっての急所であることは間違いないだろう。あれが当たれば、あの鬼は討滅される。今回の百鬼騒動も、呆気なく幕を閉じてしまう。

「――それは、あまり嬉しくないかな」

 指を上げる。

 魔導銃を持った少女――ノアは寸前で気がついたようだが、もう遅い。魔導術は既に完成した後だ。

「『障壁』」

 使う魔力は必要最低限。展開する場所は数点――勇者ヒカルが振るう聖剣の切っ先と、爪先の二点のみだ。

 全力の斬撃を放つ直前を狙われた『障壁』に、ヒカルの反応は間に合わない。聖剣がヒカルの手から取り零され、ガクッと体勢が崩れる。

「な……」

『―――――!!』

 何が起こったのか分からず、呆然とした様子で地に膝をつくヒカル。

 その身体目掛けて、刀を握り直した鬼が怒号と共に八つの斬撃を放った。

「ぐあっ!?」

「ヒカル!?」

 苦悶の叫びと、悲鳴。

 冗談のような軌道でヒカルの身体は空を舞い、そのまま放物線を描いて地に叩きつけられる。勇者の加護のおかげか、死にまでは至ってない様子だが、しばらく身動きすることは叶わないだろう。

 魔導術を放った後のジークを、表情に怒りを浮かべたレレイが睨めつける。

「お前、よくも!」

「僕の方を見ていていいのかな?」

 言いながら、鬼の方を指差す。

 レレイとノアの攻撃で与えられていたダメージも、鬼の性質なのか、既に治癒されてしまったらしい。万全に近い状態の鬼が、八つの刀を振り回しながら、倒れ伏すヒカルに止めを刺さんと歩み寄っている姿が見える。今はノアが何とか足止めしようとしているものの、それもいつまで保つことか。

 このままレレイがジークへ向かってくれば、間違いなくヒカルとノアの二人は鬼の凶刃から逃れられないだろう。

 そんな意図と共にほくそ笑むジークに、レレイは悔しげな表情を浮かべる。

「まぁ、心配しなくていいよ。これ以上の手出しは、ちょっと僕もできそうにないし」

「いったい何を――」

 言いかけたレレイが、ハッとした様子で参道の方へ視線をやる。

 ジークもそちらに視線を向けながら、薄っすらと笑みを浮かべた。

「やぁ。思ったよりも早かったね、二人とも」

 急いで参道を駆け上ってきたのだろう、軽く息を切らしたヤマトとリーシャ。

 二人の姿を正面に捉えてから、ジークは体内の魔力を一気に解放する。

「――それじゃあ、第二ラウンドだ。今度こそ、最後までつき合うことを約束するよ」

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