第14話
グランダークの中心部は国による管理が行き届いた場所であり、その商業区には、国による審査を経て合格した商店のみが出店を許されている。ゆえに、街並みは整然としており、法に触れかねないような魔導具も取り置いてはいない。
一方で外縁部は国が管理できていない場所と言うことができる。流れの行商人や表舞台には出せない品を扱う闇商人が潜伏し、雑多な街並みの中に澱んだ闇が眠っている。
「……凄まじい熱気だな」
「ここはいつもそうだねぇ」
外縁部の商業区までやって来たヒカルは、そこの溢れるほどの熱気に圧倒された様子であった。
国の認可を必要としないため、各地から流れてきた商人がそれぞれの店を開いている。そのため商品も、険しい山々に囲われた北地風のものや、四季折々の恵み豊かな東洋風のものまでが様々に混在している。ともすれば店一つ程度は容易に埋もれてしまうような雑然さの中で、商人はときに図々しいほどの勢いで客引きをしていた。
「立ち止まらない方がいい。邪魔になる」
「そうだね、適当に見ながら歩いてみようか」
ヒカルは無言のままそれに首肯する。
客の数がそれほど多いわけでもないのだが、見るからに分かる冒険者が一箇所に立ち止まっていれば、自ずとその周囲から人は少なくなる。無法者という印象が強い冒険者をやっていくならば、その辺りに適宜配慮することは必須と言える。
客引きの活気に溢れた声を尻目に歩いていたヤマトの鼻孔に、すえた臭いが流れてくる。ヒカルもそれに気がついたらしい。
「妙な臭いがするな」
「たぶんあの屋台からじゃないかな」
ノアが指差した方を見れば、そこには北地の保存食を置いている屋台がある。独特な臭いを放つ黄色い塊や、水気が少しも感じられないほどに乾いた団子、半ば変色している肉塊などが並んでいる。
「北地は険しい山と厳しい寒さが有名な場所だからね。そこで冬を越すための保存食作りが盛んだって話だよ。この臭いは、その過程でどうしても出てくるものみたい」
「食べられるのか?」
「ちゃんと作られたものはおいしく食べられるって話だけど……」
「あれは無理だな」
興味津々といった様子のヒカルに、ヤマトは首を横に振る。
「見た目は似せているが、あれはただ腐らせているだけだ。無理すれば食えるだろうが、腹を壊すぞ」
「……それは残念だ」
「帝国ならまだしも、ここに他所の本物が流れているとは考えない方がいい」
遠く離れた地にものを売りに来るならば、相応に栄えた場所でないと利益は望めない。グランダークはこの王国では随一の街ではあるが、大陸を見れば――帝国と比べれば、ほどほど程度でしかない。
「あそこの店は? 東洋のものを置いているっぽいけど」
ノアに促されて目をやれば、確かに東洋風の表面な滑らかな皿や細身の刀が置かれていた。
「粗悪品だ。器の方が焼きが粗すぎてすぐに割れる。刀は見た目だけだ、あれでは何も斬れまい」
「よく分かるねぇ」
「慣れだ」
感心したように溜め息をつくノアに応えながら、ヤマトは話を続ける。
「ここの奴らも、物好きか実物を知らない者しか狙っていない。端からまともに商売する気はないのだろう」
ヤマトたちに客引きの声がかけられないのは、ヒカルが物々しい鎧を身にまとっていることだけが理由ではない。各地を転々としている冒険者や傭兵は実物を知っている可能性が高いからこそ、声をかけてもうま味が少ないと商人が理解しているのだ。
「認められないにも理由がある。あまりここのものは買わない方がいい」
「夢のない話だねぇ。掘り出し物とかはないの?」
「あるが、見極めるつもりならば相応の出費は覚悟することだな」
「うへぇ」
ノアは端正な顔を歪める。それでも好奇心は抑えられないらしく、ヒカルと一緒になってあちこちの屋台に目をやっている。
暇を持て余した貴族やその夫人などは、戯れに目利きを試しにここへ降りてくることもあると聞く。大抵は外れの品を掴まされて帰ることになるのだが、彼らはそうした失敗すらも楽しんでいる節がある。
「ノアはあまりこういう場所には来ないのか?」
先程とは打って変わってヤマトが説明していることを訝しんだのか、ヒカルが尋ねてくる。
「僕はあんまり。こういう場所での用事はヤマトに任せちゃうかな」
「適材適所というやつだ」
正確には、ノアにはこうした場所での活動は向いていないというだけだが。
男の身でありながら男を惑わす淡麗な容姿をしたノアでは、いささか目立ちすぎる。だから、大抵はヤマトが繁華街などでの用事を済ませることになるし、どうしてもノアが赴くときもヤマトが同行することにしている。
「俺には荒事が向いている。それ以外はノアに頼ることになるがな」
「適材適所か。コンビとしては理想なのだろうな」
「そうならざるを得なかったってだけだけどね。役割分担すれば、だんだん慣れてくるよ」
頷くヒカルに、ノアはやや早口になって誤魔化そうとしている。相変わらず、人から褒められることには慣れていないらしい。
そのまま見ていてもよかったのだが、後から恨まれても困る。話を逸らした方がいいだろう。
「――ここで何かを買うならば、ああいった店を選ぶといい」
ヤマトはとある屋台を指差す。
客入りはあまりよくないらしく、若干寂れた印象を覚える。店番は純朴そうな娘が一人だけ。客引きをすることなく、どこかおどおどとした目で通行人を見送っている。
「理由でもあるのか」
「まあな」
訝しがるヒカルに応えながら、店先に立つ。
「織物だな」
「いいっ、いらっしゃいませっ!」
緊張した様子で声を上げる娘を手振りで抑えながら、ヤマトは品物に目をやる。
鮮やかな色合いで染め上げられた手拭いだ。むらなく均一に織り上げられた布は、手に取れば滑らかな感触を返してくる。
「へぇ、かなり上物なんじゃない?」
「あ、ありがとうございます!」
感心の息を漏らすノアに頷きながら、最初に手に取った手拭いをそのまま購入する。質に反して値段は手頃なほどであった。
「これはどこの品なんだ?」
「それは……」
ノアと同じように感心しながら頷いていたヒカルの言葉に、店番の娘は困ったような笑みを浮かべる。
「ここの品だ」
「ここ? それはつまり――」
「この王国の特産品だ」
ヤマトの言葉を聞いて、ヒカルはむっつりと黙り込んでしまう。
娘に会釈してその場を後にしながら、ヤマトは言葉を続ける。
「元々、この王国は織物が名品だった。このグランダークでもやはり、こうした織物は盛んに売られていた」
思い返すのは、ノアと冒険者コンビを組んですぐの頃にグランダークを訪れた時のこと。赤を基調とした街並みの中で、人々が色鮮やかな織物を手にした姿は、見ているだけでも心が踊ったものだった。
「状況が変わったのは、帝国が鉄道を通してからだ。すぐに帝国製の魔導具が市場に並べられ、織物は中心部の商業区から姿を消した」
「……帝国」
ヒカルの声に苦々しいものが混ざる。
「そこまでして、帝国は憎まれないのか」
「憎む人もいるはずだよ」
そう言ったノアが、先程の店の娘を振り返る。
「さっきの人も、たぶん元々は職人の弟子とかだったんじゃないかな。ああいう人は、きっと素直に帝国を歓迎はできないと思う」
「抵抗はしないのか」
「する場所もあるけど、ここは帝国にも近いから無理だったんだろうね」
「……難しい話だ」
「本当にね」
帝国の力は強大だ。ゆえに、土着のものなどは瞬く間に淘汰されてしまう。
それでも、そのことを受け入れたくなるほどに、帝国がもたらした恩恵は大きい。帝国に生活を奪われた職人たちさえ、帝国の力によって生き延びているのが現状だ。
「やり方が強引すぎるってことは確かだよね。ここ数年は特に」
そうノアが締めくくったところで、ヤマトは歩いていた足を止める。
「この先が目的地だ」
見る先には、陽の光が差し込まないほどに狭い路地が長く続いていた。地面にゴミも転がり、遠目に浮浪者が寝転がっているところも見える。
「どういうことだ?」
「ここまでは、言うならば表の市場だ。怪しい品であっても、せいぜいがぼったくり程度。だがこの先は裏の市場だ」
「裏の市場……」
「下手をすれば違法物を掴まされる。用心することだ」
ヒカルの雰囲気が固くなる。
裏の市場は、小悪党がうろつく表側の市場とは完全に質が違う。一歩踏み外せば本物の悪が姿を現す、魑魅魍魎の住処。気を抜けば、歴戦の傭兵も瞬く間に身ぐるみを剥がされる。
「行くとしようか」
ノアとヒカルを促してから、ヤマトは路地に足を踏み入れた。