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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
極東カグラ編
139/462

第139話

「世話になった」

「いえ。ホタル様の恩人の方々ですから。また何かあったら、遠慮なく訪ねてください」

 軽く頭を下げるヒカルに、門の外まで見送りに出てきたハナが応じている。

 ホタルを助けたことの礼として、ヤマトたちはアサギ一門から、宴会の誘いと一晩の宿泊の提案を受けていた。もう数晩――場合によっては、極東滞在の間中はずっと、屋敷に泊まらせてもらえばいいとヤマトは考えていたのだが、リーシャとノアの見解によれば、それは違ったらしい。礼を受け取り終えた以上、あまり無闇に一門の屋敷に長居することは、様々な点から避けた方がいいという判断とのことだ。

 少々面倒臭くはあるが、ヤマトの理解が及ばないような、小難しくも大切な理屈があるのだろう。そう思って、ヤマトは彼女たちの決定に異論は挟まなかった。

 二人の会話に聞き耳を立てながら、ヤマトはふと空を見上げる。

(雲行きが怪しいな)

 秋特有の白い雲が高く点々と浮かぶ晴れ空ではあるが、西方の空模様は中々にご機嫌斜めらしい。夏の嵐を思わせる、分厚く灰色の雲が空を覆い隠していた。まだ遠くはあるが、直にこちらに来てしまうかもしれない。

「嵐が来るぞ」

「分かるのか?」

 ヤマトの視線に釣られて空を見上げたレレイが、おもむろに口を開いた。

 それに反応しながらも、ヤマトも辺りの空気が湿り気を帯びていることに気がつき、眉間にシワを寄せる。

「風を読むのは得意だ。あと少しすれば、嵐になるな」

「ならば、早く宿を調達しなくてはならんか」

「なるべく頑丈な宿がいい。相当に激しくなるはずだ」

 その言葉に、ヤマトはますます表情を険しくさせる。

 四季折々で表情をガラリと異にさせる極東の風土。秋は、目に美しい紅葉や実りの豊富な季節である一方で、ひどく天気が荒れやすい季節でもある。数日おきに激しい嵐が襲っては、貧しい家の倒壊騒ぎが頻発するのも、毎年のように起きる恒例行事と言えよう。岩塊を丸ごと転がすほどの突風に、川を氾濫させる大雨。とても、生身の人間が出回れるようなものではない。

 レレイの言う嵐がどれほどのものなのか、ヤマトにはまだ分からないが。

(備えは十全にしておく必要があるか)

 金は問題ないから、安心して休める頑丈な宿と、嵐の間を凌ぐための食料を確保しなければならない。だが、今から動いたところで、充分な量を確保できるだろうか。

 思わず難しい表情になるが、すぐにそれを改める。

(悩んでいても仕方ないことだ)

 悩む暇があれば、一刻も早く市場へ駆け込めばいいのだ。

 そう考えて視線を下ろしたところで、チリッと首の裏がひりつくような感覚を覚える。何気なくすごしていた時間の中に、ノイズが生じているような気がする。

(何だ?)

 内心で首を傾げながら、ヤマトはさっと辺りを見渡す。そこそこの人が行き来する、昨日見たままの表通りだ。特に怪しげなところはないように思える。

 半ば無意識の内に戦闘態勢に入っていたらしく、ヤマトの右手は、先程手に入れたばかりの刀の柄にかかっていた。

「ヤマト? どうかしたのか?」

「……分からん。妙な気配がしたのだが」

 改めて気配を探ってみるも、怪しげなものは何一つ見つからない。

 いつしか、ヤマトが感じていたノイズのようなものすら、どこかへ失せてしまっているようだ。

(警戒はするべきか?)

 緩みかけていた意識を引き締め直して、整息する。

 呼吸を整えてから、ヤマトはヒカルたちの方へ視線をやる。ちょうどそのタイミングで、二人の会話も終わったらしい。様になっている動きで振り返ったヒカルが、ヤマトに向けて小さく首肯する。

「行こう、皆」

「どうぞ、お気をつけて」

 折り目正しい礼をするハナの姿に、一瞬だけ視線が吸い寄せられる。

 即座に首を振って雑念を散らしてから、ヤマトは口を開いた。

「まずは宿の確保。それと数日――余裕があれば十日分ほどの食料を買おう。直に嵐が来そうだ」

「嵐?」

「ここに帝国技術は入っていないからな。嵐一つを凌ぐだけでも、相応に苦労するぞ」

 小首を傾げたヒカルに、ヤマトはそう返す。

 帝国技術による様々な恩恵を受けた大陸では、嵐が来るたびに慌てて備えなければならないようなことはない。宿はどれも雨風では倒れないほど頑丈な上に、商店も天気を問わずに営業しているからだ。いざとなれば、食品配達の依頼さえもできる。

 自然現象一つに怯える必要がない大陸と比べれば、極東を始めとする辺境の地は、何とも生活しづらい場所と言えよう。

 そんな事情をおおよそ察したのか、ヒカルは曖昧に頷く。

「分かった。宿の目星はついているのか?」

「さて。数年前と変わっていないならば、あるにはあるが」

 何度も言っているが、今の極東は戦乱の只中にある。この平穏そうな都においても、戦の影響は少なからず出ているはずなのだ。かつて宿を経営していた者が、戦火を恐れてどこかへ姿を隠したとしても、全く不思議ではない。

 要するに、ヤマトの記憶はほとんど頼りにならないということだ。

 そのことを悟ったヒカルは、兜の奥からくぐもった声を漏らす。

「そうか……」

「いざとなれば、あいつを頼ればいい。仮にもアサギの家臣団なのだ、相応の家は持っているだろう」

 言いながら、ヤマトは屋敷の中に戻るハナの背中へ視線を飛ばす。

 都にいる知り合いと呼べる人間は、ハナくらいなものなのだ。父母を始めとする他の家族たちも、都から少し離れた場所にある里で暮らしている。今から行こうとしても、道中で嵐に遭遇するのが関の山。となれば、頼れるのもハナしかいない。

 そんな考えでの言葉だったのだが、すぐ隣のノアがにんまりと口を歪めるのを視界の端に捉えて、反射的に後悔する。

「……どうした?」

「んー?」

 溜め息混じりでノアの方へ声をかければ、ノアはニヤニヤとした笑みを崩さず、言葉を返してくる。

「ずいぶん妹さんを頼りにしてるんだなーと思ってさ」

「また余計なことを」

 うんざりとした声をヤマトが漏らすのと同時に、ヒカルの傍で控えていたリーシャが、そっと顔を上げるのを視界の端に捉える。

「でもいいよね。妹があんな立派に仕事してるなんて、誇らしくならない?」

「さてな」

「落ち目とは言っても、エリート集団の一人でしょ? それに、その中でもトップクラスっぽいし」

 からかう気満々なノアの言葉に続いて、リーシャの視線がヤマトに突き刺さった。

 思わず、溜め息を漏らしたくなる。そのまま無視してしまってもいいのだが、そうするのも、どこか大人気ない気はする。

(立派な仕事か)

 ノアがそう言うのは、ハナがホタルの近衛としての任を任せられているからだろう。同じ女性であるという点は考慮されていそうだが、それでも、一門の娘を守護できると信頼されているのは、確かな実力を持つ証左に他ならない。

 そのことを認める気持ちは、確かにヤマトの中にもある。

 とは言え。

(あいつは“あの”ハナだからな)

 素直にそれを外へ出せないのは、単なる気恥ずかしさの他にも、幼い頃の記憶が残っていることが理由だ。

 年はそれほど離れていなかったが、幼い時分のハナは、先程までの姿から想像できないほどに内気な少女だった。何をするにしてもヤマトの傍から離れようとせず、外に友人の一人も作らないような人見知り。立派に独り立ちする姿など想像もできず、ヤマトとしても、思わず心配してしまうほどのか弱い妹だった。

 それが、かくも毅然な女武者に育つとは。月日は人を変じさせると言うが、正直、本当にハナだったのかすら怪しくなっているのが、ヤマトの正直な心持ちだ。

(だが、誇らしいかどうかと問われたら――)

 それを頭の中に思い浮かべたとき、素直に一つの感情が出てきた。

 妙なほどの胸がスッとして、不思議と上の方を向きたくなる。

「ヤマト?」

 黙りこくったままのヤマトを案じてか、不思議そうな表情を浮かべたノアが口を開く。

 そちらに目の焦点を合わせてから、ヤマトは曖昧に頷いた。

「まぁ、そうだな」

「うん?」

「誇らしくは、あるのだろうな」

 屋敷の中へ姿を消したハナの背中を、門の傍に幻視する。

 刀を握ることも知らず、ただ後ろをついてくるばかりだった妹。そんな彼女が、今や名門武家の近衛なのだ。ヤマトが極東を飛び出してから数年、ハナがどんな生活を送ってきたのかは知らないが、並大抵の苦労ではなかったはずだ。

「信じ難くはあるが、誇らしい。あいつが立派に責務を果たしていることを、嬉しく思うさ」

「ふぅん」

 ノアだけでなく、ヒカルやレレイにリーシャの視線までもが、ヤマトに殺到する。妙に生暖かく優しい、不気味な視線だ。

 途端に気恥ずかしさが込み上げてきたヤマトは、顔を思い切りしかめて、首を横に振る。

「それで終いだ。さっさと買い出しに行くぞ!」

「あ、ちょっと待ってよ!」

 非難の声を上げるノアたちを無視して、ヤマトは大股で通りを歩き去っていった。



     ◇◇◇◇◇



「――やれやれ。まさか、この距離で気づくとはね」

 極東の首都カグラの一角。

 道を行き交う人の影で紛れた路地裏に、その男は立っていた。

 スッとした細身の体躯を大陸風の装束が包んでいる。サラリと金髪が流れる中、顔面は悲哀の表情を浮かべた青鬼の面で覆い隠されている。得物の類は何も見当たらないものの、歴戦の戦士が放つようなピリピリとした闘志が、青年の辺りには漂っていた。

「気の鍛錬だか何だか知らないけど、ちょっと勘のよさが異常だよ」

 半ば愚痴を零すような口振りで、青年は毒づく。

 彼の視線の先に“いた”のは、最近の大陸で名が知られてきている勇者ヒカル一行。その一員である、刀を扱う剣士ヤマトだ。

 距離を充分以上に取った上に、人混みに紛れ、気配を薄めてから投げた視線。常人のみならず、視線に敏感な傭兵であっても、それに気づくことはないだろうと自信があったのだが、それは儚くも崩れてしまった。

 ヤマトを視界に捉えたのは、時間にしてほんの数秒。それにも関わらず、ヤマトは男の視線に気がつき、即座に警戒度を跳ね上げさせた。あと少しでも長く見つめていたら、男の居場所さえも、ヤマトに察知されてしまったことだろう。

 思わず、安堵の息が漏れる。

「あと数秒遅れてたら、任務失敗になるところだった」

 呟きながらも、男は内心で首を横に振る。

 明確に正体を掴まれたわけではないが、“何か”がいると、ヤマトは認識してしまったはずだ。もはや、今と同じような手段は取れない。そう考えれば、今回はほとんど失敗と言うに等しい結果だろう。致命的ではなかった、というだけだ。

 後悔が男の胸中に渦巻くが、すぐにそれを飲み込む。

「今更うだうだ言っても、仕方ないことか」

 大事なのは、確実に任務を遂行すること。

 思いがけないイレギュラーが生じたが、だからと言って、そう簡単に任務失敗にするわけにはいかない。多少のアドリブも利かせられないようでは、傭兵失格の誹りも免れない。

 軽く深呼吸をして、鼓動に落ち着きを取り戻させる。問題なく頭が回っていることを確かめてから、男は空を見上げた。

「下見も仕込みを終わった。決行は明日かな」

 言いながら、男は脳裏に勇者一行の姿を思い描く。

 明確な理由はないものの、彼らがきっと前に立ちはだかるだろうということを、男は強く確信することができた。

 思わず疼いた右手を、ぐっと握り締める。

「聖地以来だね。今度は最後までつき合えそうだから、きっと退屈はさせないはずさ」

 その言葉と、「ふふっ」と小さな笑い声を残してから、男は路地裏の奥の闇へ姿を消していった。

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