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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
極東カグラ編
137/462

第137話

 アサギ一門当主のアズマを交えた夕食は、つつがなく進行してくれた。非公式な場ながらに格式張った雰囲気の食事会に緊張していたヒカルも、最後の方には、かなり緊張を解けていたようだった。

 既に食事は一段落し、ヒカルはアズマと世間話――の皮をかぶった、実際には密談――に花を咲かせている。気がかりがないと言えば嘘になるが、ヤマト程度の浅知恵では、ヒカルの手助けをすることができない。リーシャにヒカルの補助を任せてしまって、ヤマトはさっさと部屋の外へと出ていた。

「……懐かしい風だ」

 部屋から漏れ出る仄かな光と、夜空に浮かぶ丸い月明かり。その二つに照らされた縁側に、ヤマトは腰を下ろしていた。

 秋が深まり、夜風もかなり冷たくなってきている。あまり油断して風を浴びていては身体に障る。それが分かっていても、今しばらくはその場から動く気にはなれなかった。

(少し酔ったか?)

 フワフワと浮つく心地を自覚する。

 ここから飛び出したときには、もう二度と戻らないくらいの覚悟は固めていたはずだ。それでも、数年振りの帰郷はヤマトにとっても、何かしら感じ入るところがあったらしい。今こうしてボゥッとしている間にも吹き抜ける夜風や虫の声、果てには月明かりまでもが、どこか懐かしく感じられる。

 一度失ったからこそ、その有り難さがより理解できるようになるというものだろうか。

「ふっ」

 思わず、笑い声が口をついて出てくる。

 らしくない。そんなことをうだうだと考えている暇があるなら、身体を動かすか、さっさと寝てしまう方が性に合っている。

 熱を帯びた頭を抱えながら、用意された寝室への道を思い出そうとしたところで。ヤマトは、廊下の奥からひっそりと近づいてくる気配に気がつく。

「兄上? こんなところでどうしたのです?」

「ハナか」

 視線を向ければ、蝋燭を手に廊下を歩いていたハナの姿が目に入ってくる。先程までの夕食の席では姿が見えなかったが、主君の食事を邪魔しないよう、どこかへ姿を潜めていたのだろう。

 再び縁側に腰を落ち着かせてから、ハナの格好を見やる。

 アサギ一門の家臣団が身につける装束だ。白地の布に紺色の紋様が描かれた着物は、一目でも相応の高級品であることが分かる。他方、装飾過多で動きを阻害することはないよう、細かな作りの部分に工夫が凝らされているようだ。

 今でこそアサギ一門は落ち目になっているが、ヤマトがまだ極東にいた頃では、アサギ一門は都カグラを支配する名門武家であった。その家臣団の象徴たる装束は、言わば極東を代表する精鋭部隊の証であり、幼き日のヤマトにとっては憧憬の的だったことを覚えている。

 複雑な思いと共にその着物を見つめていると、ハナが表情を僅かに顰める。

「何か言いたいことでも?」

「いや。ただ、妙な格好だと思ってな」

「妙とは何ですか妙とは」

 頬を膨らませて憤るハナに、思わず笑みが零れる。

「冗談だ。まさか、お前がそれを着ることになるとはな」

「……大したことではありませんよ」

 言いながら、ハナは頬を染めて視線を逸らす。

 既に落ち目とは言え、アサギ一門の家臣団――それも、当主の娘たるホタルの近衛として抜擢されるには、相応の実力が要求されたはずだ。正直、今のヤマトの実力でそこまで至れるかという点には、若干の疑問も残る。

 それだけの鍛錬を積んで、立派に職務に励んでいる妹の姿に、何となく誇らしい気分になる。

「仕事の調子はどうだ? 最近は情勢も危ういだろう」

「そうですね。ただ、流石にカグラへ侵攻してくる勢力はまだいませんから、今の内は気楽なものですが」

 ハナの言葉の端々に、そう遠くない未来への危機感のようなものが感じられる。

 古くからこの国の都として栄え、国の象徴たる神皇が住まうカグラ。確かに、この街へ侵攻してくる武家がそういないのは、一つの事実であるはずだ。――とは言え、それもいつまで保つかは分からない。

「怪しい勢力がいるのか?」

「一門が都の統治に追われている間、国中の各地に散った家々は、それぞれに合併統合を済ませています。正直、武力のみを比較するのであれば、アサギは既に遅れを取っていますね」

「……そこまでか」

 誰かに盗み聞きされないように小声になったハナの言葉を聞いて、ヤマトは思わず唸り声を上げる。

 カグラの街並みが平穏そのものだったのと比べると、アサギ一門はずいぶんと危機的状況に追い詰められているらしい。今の平和が保たれているのも、神皇が住まう都へ手出しはしまいという、それぞれの理性が働いているからなのかもしれない。

 ふと、思い至ることがあった。

「ホタルが街に迷い込んでいたが、あれは“そういうこと”なのか?」

「……断定はできませんが、恐らくは」

 「他言無用です。あと、ホタル“様”です」とつけ足して、ハナは小さく頷く。

 それを見て、ヤマトは眉間のシワを深くさせた。

「重度だな」

「きっかけ一つさえあれば、容易に崩れるでしょうね」

 辺りに漂う重苦しい雰囲気に耐えられず、ヤマトは溜め息を漏らす。

 “そういうこと”。つまりは、正体は定かではないものの、アサギ一門に敵意を持つ者の策謀によって、ホタルは街中で一人になるよう誘導され、始末されそうになったのだ。思い返してみれば、チンピラにしか見えなかった襲撃者たちは、やたら質のいい刀を使っていた他、ホタルへの殺意までは抱いていなかった。もしヤマトが切り込まず、ホタルが攫われたとあれば、その身と引き換えに何らかの交渉が仕掛けられる他、一門の失墜を世に知らしめることにもなる。

 何気なく首を突っ込んだ事件だったが、想定以上に大きな意思によって動いていたらしい。そのことに、頭の奥がズキッと痛むような幻覚を感じる。

「護衛に励めよ」

「……分かっています」

 ヤマトの言葉に、ハナは弱々しく頷く。

 そも、ホタルが街中で一人になっていたことが、ハナたち家臣団にとっての失態だ。結果的にホタルが無事に戻ってきたからよかったものの、この件は家臣団を咎めるに充分なものとなるはずだ。

 沈鬱な表情になってしまったハナを前に、ヤマトは溜め息を噛み殺す。

(いらんことを言ったか?)

 冷静沈着で凛とした雰囲気をまとうハナだが、その実責任感が強く、自分の失態は長いこと気にするような性質であることを、ヤマトは知っている。それを思えば、いらない指摘だったかもしれない。

 落ち着かない心地のまま、夜空の月を見上げる。

「――兄上」

「む?」

「どうして戻ってきたのです? もう二度と戻らぬものとばかり思っていましたが」

「ふむ」

 ハナの言葉に、ヤマトは小さく頷く。

 彼女が言う通り、この極東を飛び出した当初は、ヤマトも二度と故郷の土を踏まない覚悟を固めていた。事実、数年に渡って大陸を放浪する間にも、故郷の家族へ便りの一つも送ろうとはしなかったのだ。

「確かに、もう戻らぬつもりではあったがな」

「なら、なぜ――」

「今は、俺もやらねばならん役目を背負った身でな。その一環だ」

 勇者ヒカルによる魔王征伐の旅。

 勇者と魔王が戦わなければならない使命といったものへは、大した興味も抱いていなかったのだが。ヒカルと友誼を結んだ今となっては、彼女の役目を支えてやりたいという気持ちも出始めている。

 それが果たせるときまでは、ヤマトは今のような旅を続けるはずだ。

「……では、すぐに出ることになるのですね」

「恐らくは」

 極東に封じられていると伝わる、魔王の右腕。その在り処を確かめ、無事に封印が施されていることを知ることができれば、ヤマトたちは再び大陸へ戻ることになるだろう。

 そう考えながら頷いたヤマトに、ハナは弱々しく溜め息を漏らす。

(重症だな)

 記憶の中にある姿とは打って変わって、ずいぶんとしおらしい妹の姿に、ヤマトは戸惑いを隠せない。

「どうした。らしくないぞ」

「そうですね」

「……むぅ」

 幾ら人の感情の機微に疎くとも、ハナが言外に言わんとしていることは、ヤマトにもおよそ察することができている。

 要は、ヤマトには残っていてほしいのだろう。戦乱の渦が加速度的に勢いを増し、もうすぐそこにまで戦いが迫っている情勢の中で、ハナはかつてない不安に苛まれている。だからこそ、ヤマトのような戦力を欲している。

 一人の兄として、その願いを叶えてやりたい気持ちも、確かにあったが。

 ハナの沈んだ顔を見下ろして、ヤマトはやれやれと肩をすくめる。

「今日の昼、ホタルと一つ約束をしてしまってな」

「約束?」

 顔を上げたハナに、ヤマトは小さく頷いてみせる。

「今の役目を終えたら、こちらに駆けつけて力になるとな」

「それは……」

「せいぜい一年程度だ。それくらいなら、堪えられるだろう?」

 ヤマトの言葉に、ハナの表情が明るくなる。

 途端に気恥ずかしさを覚えたヤマトは、頭をかきながら、縁側から立ち上がる。

「話はそれだけだ。俺はもう寝るぞ」

「はい、兄上!」

 夜中にも関わらず元気な声を上げるハナに、ヤマトは頬を緩める。

 まだ極東にいた頃、ヤマトの後ろをついて回っていた妹の姿が、ふと脳裏に蘇った。

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