第136話
辛うじて大地を照らしていた太陽も既に沈み、辺りは夜闇に包まれる。
ヤマトたちがすごす場所も例外ではなく、屋敷中がすっかり暗く閉ざされてしまった頃合い。ヤマトたちは侍女に案内されて、屋敷のとある一室へと足を運んでいた。
十人ほどであれば楽にすごせるほどの部屋で、床中に畳が敷き詰められている。その上には幾つかの卓が置かれており、それぞれをヤマトたちが使えるようにしているらしい。卓の前に敷かれた座布団に腰を下ろしながら、ヤマトは部屋をざっと見渡した。
「ここは……」
「宴会場とかかな? でも、それにしては狭いよね」
同様に辺りを見渡したノアは、不思議そうに首を傾げる。
通常、宴会場と呼べる部屋であれば数十人が入れる程度の広さがあるものだ。それと比べれば、この部屋は整然と整えられてはいても、些か狭すぎるように見える。
それに頷いてみせながら、ヤマトは口を開いた。
「恐らくは、ここの当主が私的利用のために作らせた宴席だな」
「私的利用?」
「公的にできない、程度の意味合いだ」
その言葉で理解できたらしく、ノアは何度か頷く。
「密会とかに使う感じか」
「そうなる」
頷きながら、ヤマトは後ろで無言のまま佇んでいたヒカルを振り返る。
「む? どうかしたか?」
「……いや、大したことではないのだがな」
ヤマトをネタにした談合でハナとは打ち解けられた様子だったが、ここではまだ、ヒカルは鎧兜で素顔を隠すつもりでいるらしい。背筋を正して毅然とした佇まいで、ヤマトたちの中では一番の上座に腰を下ろしている。この大陸に来てから、こうして公の席に入る経験は相応にあったらしく、その姿は中々に堂に入っているように見えた。
とは言え、緊張しないというわけでもないようだ。ヤマトの目から見るに、その動きはいつもよりも多少固いようではある。こうした礼事に疎いヤマトですらそう見えるのだから、分かる者が見れば、より顕著に緊張していることが伝わってしまうことだろう。
「何かをするでもないのだ。もっと肩の力を抜いたらどうだ?」
「簡単に言ってくれるな」
「ですがヒカル様。ある程度の懐も示してくださらなければ、勇者としての格が疑われます」
そう言ってヤマトの援護に回ってくれたのは、ヒカルのすぐ隣の席に座っていたリーシャだ。
ホタルの厚意で屋敷に招かれた際に、ヒカルが大陸で勇者稼業を営んでいることは伝えている。ここの者がそれをどう捉えるかは分からないが、相応の大きな態度をしたところで、すぐに無礼と取られることはないはずだ。
「立場で言えば、私たちの方が上なくらいなのです。もっと堂々としてください」
「むぅ……」
ヤマトたちに混じって冒険者気分でいたヒカルからすれば、それはあまり受け入れ難いことではあるのだろう。だが、確かに事実だ。
ヒカルは大陸各地で支持される救世の勇者であり、段々とその力を認められてきた存在なのだ。太陽教会の下にいるという立場ながらも、小国の王程度であれば、ヒカルを敬わなければならないほどの存在。対してこちらの当主は、かつて極東を丸ごと治めていた英傑の血を引くと言えども、今はただの一武家の長でしかない。国の長とはとても呼べない以上、極東の力をどれほど大きく見積もったところで、立場はヒカルの方が上なのだ。
そのことを伝えるリーシャの言葉に、ヒカルはしばらく呻き声を漏らした後、諦めたように溜め息を吐く。
「善処するよ」
「……もうそれでいいです」
頼りないヒカルの言葉に、今度はリーシャが諦めたように溜め息を吐く。
異世界育ちのヒカルは、聞けばごくごく普通の一般家庭の人間だったそうなのだ。あまり無理に要求を突きつけても、いい結果にはなるまいという考えがあるのだろう。
ヤマトは無言のままノアと顔を見合わせて、静かに苦笑いを浮かべる。
それから、特に何かを口にするでもなく、ボゥッと虚空を見上げていたところで、にわかに廊下が騒がしくなるのを察知する。
「来るな」
「いよいよか」
身体から緊張を滲ませるヒカルとは対照的に、ノアの方は平然としたものだった。
廊下へ続く襖へ視線をやってから、ノアは口を開く。
「ねぇヤマト。ここの当主って、どんな人が知ってる?」
「む。……一応な」
一瞬だけ口ごもってから、ヤマトは小さく頷く。
「どうだった?」
「温厚な方だ。争い事よりも芸事を好む性格で、都を豊かにしようと腐心している」
「ふぅん……」
曖昧に頷いたノアだったが、何事かを考える素振りを見せた後、小さく声を上げた。
「時代を間違えた人って感じ?」
「………」
思わず、ヤマトは無言のまま顔をしかめる。
それは、ノアの言葉が少々不遜であったから――ではない。まだここの主を一瞬も見ていないにも関わらず、その本質に近い部分をズバリ言ってのけた、ノアの聡明さが理由だ。
都を統治する立場にある、アサギ一門。その当主である男は、決して暗愚なわけではない。物事の常道をよく理解し、そのためにすべきこともこなせるだけの器量はある。――が、それまでなのだ。これまでの地続きのような事業はできても、新たに革新的な事業を起こすことはできない。平和な都の発展はこなせても、失墜した都を再起させるだけの力はないのだ。
黙り込んだヤマトをちらりと見やって、ノアは気の毒そうに笑みを浮かべる。
「もう少し前の時代――戦いが始まってない頃だったら。あとは、ここが大陸だったら。その人はもっと活躍できるのかもね」
「間違っても、誰かに聞こえるようには言うなよ」
「分かってるって」
ヤマトが釘を差せば、ノアは神妙な面持ちで頷く。
確かに、名君とは言い難い人物だ。彼のおかげで家は衰えなくとも、発展することはない。この戦乱の世において、真っ先に蹴落とされるタイプの君主。――それでも、確かに支持を集める人間ではあるのだ。事実、この屋敷に勤めるような人間の大半は、彼に心を寄せた者なはずだ。
モヤモヤと胸中にわだかまる暗雲を自覚したとき、ヤマトの耳に、襖の外から声が届く。
「――失礼します」
その言葉と共に入ってきたのは、ひょろりとした優男だ。そのすぐ隣には、綺麗に着飾ったホタルの姿がある。
「………っ」
人形のように無表情でいたホタルだったが、ヤマトの姿を捉えた途端に、その目が揺れた。が、今はそれを表に出すべきではないと判断したのだろう。優男の影に隠れるようにして、静かに歩を進める。
部屋へ入った優男は、さっと部屋中に視線を巡らせた――ヤマトを見たところで、視線が一瞬だけ止まった――後、ヒカルの対面にある席の前へ腰を下ろす。ヒカルへ向き直ると、ゆっくりとその頭を下げる。
「ヒカル様。この度は私の娘を助けて頂いたと聞きました。誠に感謝致します」
「うん」
優男の言葉に、ヒカルは鷹揚に頷く。
ずいぶん尊大に見える仕草ではあるが、下手に口数を増やせばボロが出るという判断なのだろう。そして、恐らくそれは正しい。
ヒカルの態度に特に反応することなく、優男は言葉を続ける。
「申し遅れました。私、このアサギ一門の頭領を務めるアズマと申します。以後、お見知りおきを」
「ヒカルだ。勇者をやっている」
言葉少なく、ヒカルも優男――アズマの挨拶に応じる。
ひとまず、それで話の主題は終えたらしい。ふっとアズマの雰囲気が和らいだところで、廊下から料理を持った侍女たちが入ってくる。
「もう遅い刻限ですから、まずは食事にしましょう。そう豪勢とは言えませんが、私たちなりの贅を尽くしたつもりです」
「ふむ」
その言葉に釣られてヤマトが料理を覗き込めば、確かに色とりどりで目にも楽しい品々が並べられている。漂ってくる芳香も、ヤマトの食欲を刺激するものばかりだ。
どうやらヤマトだけではなく、ノアたちもそれに心を動かされているらしい。ヒカルも、兜で素顔をそのまま伺うことはできないものの、ソワソワと落ち着かない様子になっている。
そうしたヤマトたちの反応は、アズマのお気に召すものだったらしい。ニコニコと上機嫌な笑顔を浮かべながら、アズマは頷く。
「それでは、食事を始めるとしましょうか」