第134話
カグラという街が、極東の都であり続けた理由は何だろう。
交通の要となる場所に位置し、否応なく商人が集まって栄える都市であったことが、その理由の一つと言えるだろう。だが、これだけを取り出してみても、理由の全てを説明したことにはならない。
都となるに相応しいだけの立地であったことの他にも、もう一つの理由がある。むしろ、そちらの方が、カグラが都であり続ける主な理由と言えるだろう。
“それ”が、ヤマトたちの目の前にそびえ立っていた。
「へぇ、あれが……」
「神皇が住まう御所だな」
感心したように溜め息を漏らすヒカルたち。
彼女たちに説明しながら、ヤマト自身も久々に御所と対面する。
一見すれば、屋敷よりは要塞という言葉がよく似合うものであることがよく分かる。底が見通せないほどに深い堀と、純鋼鉄製の頑強な高い塀。それらに囲われて、外からでは中を見通せないような有様になっている。唯一の出入り口である正門ですら、鋼鉄の重々しい扉が備えられ、風が通る隙間もないほどにピッタリと閉ざされているのだ。
極めつけは、その警備だろう。
(相変わらず、物々しい雰囲気だな)
比喩ではなく、文字通りの意味で虫一匹をも通さない厳重な警備だ。正門前や堀の上には、見るからに精強な武者たちが立ちはだかっている。大陸での武者修行を経て、それなりに腕に自信をつけ始めていたヤマトから見ても、一対一の戦いを制するのが精一杯だろうと伺わせるほどの凄腕揃いだ。そんな、一国程度ならば容易に相手にできるだろう戦力をもってなお、彼らの顔に油断の色はない。皆が任務へ真摯に取り組み、真剣な面持ちで御所の周囲を警戒しているのだ。
彼らの鋭く冴え渡る闘気に、自然とヤマトの背筋が伸びる。
「む」
ふと、警備をしていた武者と目が合う。
ヤマトたちが御所をボンヤリと眺めていたことに気がついたのだろう。あまり表には出さないものの、警邏の兵たちから闘志が立ち昇る。
「行くぞ」
「え? ……分かった」
控えめに御所を眺めていたヒカルたちも、兵たちの警戒を見て取ったのだろう。溜め息を漏らしてから、名残惜しいように御所から視線を逸らした。
「戦乱の渦中とは思えないほど、質の高い警備だな」
「だろうな」
ヒカルが零した言葉に、ヤマトは小さく頷いてみせる。
アサギ一門の没落に伴い、首都カグラの権威は落ち目にあるというのが、これまでのヒカルたちの認識だったはずだ。それからすれば、下手をすれば大陸屈指と称せる実力を持つ剣士が揃って警護しているこの場所は、些かならず不可思議であっただろう。
案の定、疑問の視線を向けてきたヒカルたちに応えて、ヤマトは口を開く。
「この地には、太古から受け継がれた神話がある。いわゆる、創世神話というやつだ」
「ほう?」
「よくある話だ。かつてこの島を作り上げた神々は、その力の一端を当時の神皇に授け、いずこかへと姿を消したという。ただそれだけの、な」
事実、この程度の神話ならば大陸にも幾らでも転がっている。現在の王権は、神によって授けられた由緒正しきものである。ゆえに、王に従え。ただそれを言うためだけに作られた、政治的な神話だ。
そんなヤマトの話を、ヒカルはすんなりと飲み込めたらしい。「早く続きを」と急かす視線を受けて、ヤマトも頷く。
「大陸の神話のほとんどは、既に形骸化している。仮に残っていたとしても、そのまま信じるような者はもはや存在しない。理由は分かるか?」
「……帝国か?」
自信なさ気にヒカルは答える。
彼女からすれば、その答えは半ば当てずっぽうなものだったのかもしれない。帝国という超国家は、大陸に根差した古い価値観のほとんどを破壊し尽くしたという理解があるから、咄嗟に口をついて出てきたのだろう。
そして、それはこの場合においても正しい。
「その通りだ」
「え?」
「帝国によって教会が弱体化するに従い、王と神を結びつける風習もまた終止符を打たれた」
戸惑いの声を漏らしたヒカルを置いて、ヤマトは言葉を続ける。
魔導技術の発展に伴って、神への信仰心を抱く人々も急速に減少した。胸中で神を信じなければならない世は終わり、より即物的に、現実と向き合う方が得になる世になったのだ。もはや王族にとっても、神は力を借りる存在ではなくなった。――ゆえに、切り捨てた。
薄情なようではあるが、それが政治というものなのだろう。
「なら、帝国の力がまだ届いていないここでは、その神話が信じられているってことか?」
「まぁ、そうなる」
「ふむ。その神を守るために、凄腕の剣豪が集まっているのか。信心深いものだ」
「……そうだな」
細かく言えば違うのだが、ヤマトは曖昧に頷く。
極東の歴史を詳しく知らない者に、かつての神皇は、確かに奇跡のようなことを幾度となく起こしたと言っても信じられないだろう。何かの伝説や誇張だと一笑に付されて終いだ。だが、それらは紛れもない事実として、極東に住む者――ヤマトも含めて、全員に語り継がれている。
この島国に住む人々にとって、どれほど都の権威が落ちようとも、神皇は変わらず国の守護神であり、最高権力者なのだ。国の覇権を巡って争う武者たちですら、神皇に対してだけは一目置いている。御所を警備する武者たちも、島国各地から派遣された腕自慢たちで構成されているほどだ。
とは言え、それらの事情を全て明瞭に説明するには、ヤマトは口下手すぎた上に、時間がかかりすぎる。今のヤマトたちには、それよりもやるべきことが残されている。
「さぁ、行くとしようか」
「はい」
ヒカルと話していた間、ずっと左手を握り続けていた少女に声をかける。
年が十ほどにしては、ずいぶんと聞き分けのいい子だ。ヤマトが十歳頃のときには、いったいどんな有様だっただろうか。
「……ヤマト。まさかとは思うが、お前の心当たりというやつは」
「む?」
ヒカルの言葉に、少し首を傾げる。次いでヒカルの視線の先――頑強な堀と塀に囲われた御所を見やったところで、即座に首を横に振った。
「違うぞ」
「そ、そうか。ではどこなのだ?」
「すぐ隣の屋敷だ」
言いながら、ヤマトは御所の右隣に位置する屋敷を指差した。
相応に大きな屋敷ではあるのだが、御所のすぐ隣に並んでいるために、ずいぶんとこじんまりとした印象を受ける。全体的に年季の入った――悪く言えば、古ぼけた感じのする屋敷だった。手入れできていないとまでは行かずとも、行き届いてはいないようだ。
「……荒れているな」
「既に没落した家だ。こうなっても仕方あるまい」
ヒカルの言葉に答えながらも、ヤマトは思わず遠い目になってしまう。
これが、かつてこの国で一番の覇を示した名家の屋敷だというのだから、ときの流れは残酷なものだ。
「没落? と言うと、ここは――」
「まぁ、そういうことだ」
頷いたヤマトは、少女の手を引きながら屋敷の門を見やる。
既に寂れてしまった屋敷とはいえ、一応は名家のものなのだ。立派に鎧を着こなした二名の門衛が警備をしている。そして、そんな彼らに向けて、門の前で何事かを言いつけている女性が一人。彼女も簡易なものではあるが、武者鎧を身に着けている。この家の従者なのだろうか。
「……む?」
ふと、女性を見やっている内に、ヤマトの脳裏に何かが引っかかる。
あの女性を、どこかしらで見た覚えがある。始めは軽微な違和感だったものが、段々と膨らみ始めた。今では、すっかり確信にも似た何かに変じている。
「ヤマト?」
突然足を止めたヤマトに気を取られてか、ヒカルたちも足を止める。
その中で一人――ヤマトと手を繋いでいた少女が、ヤマトの手を離すと、一目散に女の元へ駆け出していった。
「ハナっ!!」
「――ホタル様っ! ご無事だったのですね!!」
その声にバッと振り向いた女武者は、むっつりとした表情を喜色満面に変じさせると、凄まじい勢いで少女の身体をかき抱いた。
「よかった、よくぞ、よくぞご無事で……!!」
「ハナ、苦しい……」
「も、申し訳ありませんっ!!」
ガバッと少女の身体を解放した女武者だったが、少女の手を離そうとまではしない。もう二度と離すまいという意思すら感じさせるほどの、力強さだ。
それに少女も諦観を抱いたのか、どことなく遠い目になる。表情に乏しく見えたのは、単にヤマトたちに人見知りしていただけなのかもしれない。
「ホタル様、お怪我はありませんか!? どこか、少しでも痛いところがありましたら――」
「ない。それより、助けてくれた人がいる」
早口でまくしたてる女武者から逃れるように、少女はヤマトたちの方へ視線を向けた。
そこで、ようやく女性の方もヤマトたちに気がついたのだろう。軽い咳払いをしてから、その佇まいを正した。
(今更すぎるだろ)
思わず、ヤマトは心の中で呟く。それと同時に、胸の中に広がっていた疑惑が、一つの確信へと至る。
「これは失礼しました。この度はホタル様をお助け頂いたとのことで、まことに――」
「長々しい口上はいらないぞ」
「へ?」
ヤマトが声を出す。それと同時に、女武者はガバッと勢いよく顔を上げた。そして、何かに驚いたように固まってしまう。
これ幸いと、ヤマトは女武者の顔をまじまじと眺めてやる。端正な顔立ちではあるのだろう。目鼻立ちは整い、肌も透き通るように白い。ヤマトの目から見ても、それなり以上の美人ではある。――が、まことに残念なことだったが、目つきが悪すぎる。およそ真っ当な道を進んでいるとは思い難いほどに、その目は全てを憎むような光を宿しているように見えた。表情がむっつりとして無愛想なのも、その悪印象に拍車をかけている。あれでは、嫁の貰い手も現れないことだろう。何と哀れな。
内心で低い笑い声を上げていると、唐突にノアが口を開いた。
「あれ、あの人って」
「おう」
「ヤマトそっくりだね」
「はぁ?」
「特に目つきとか表情とか」
「冗談言うな」
「……ほーん?」
ヤマトの反応を受けて、何かに気がついたのか。ノアの唇がゆっくりと弧を描き、目から怪しげな光が漏れ出す。
「ねぇ、ひょっとしてあの人ってさ――」
決定的な一言をノアが漏らす直前に、女武者は硬直から解放されたらしい。
わなわなと身体を震わせながらヤマトを指差し、唇を開く。
「あ、あ、あ……!!」
「何が言いたい」
むすっと無愛想にヤマトが言葉を返したところで、女武者は身体の震えを止める。そして、一言。
「――兄上ぇぇぇえええええっっっ!?」
既に黄昏時にほど近くなった都カグラに、間抜けな女武者の叫び声が木霊した。
◇◇◇◇◇
夕刻になり、人通りも減った都カグラの大通り。
そこを、ゆらりゆらりと怪しい足取りで歩く一人の男がいた。
「あぁ。初めて来たけど、これは中々刺激的な場所だね」
ここ極東では滅多に見られない、大陸風の装束を身にまとった男だ。服の端から白い素肌が覗き、頭頂から金色の滑らかな髪が流れる。さぞ端正な顔立ちをしているのだろうと期待させられる出で立ちだったが、その顔面は、何故か悲哀の表情を浮かべた青い鬼面で覆い隠されていた。
とても尋常ではない格好だ。この場が極東でなかったとしても、職務質問を免れることはできないだろう。そんな不審極まりない格好にも関わらず、通行人は彼を視界に捉えても反応することなく――存在にすら気づいた様子もなく、その場を歩き去っていくばかりだ。
誰に止められることもなく、ゆらりゆらりと歩を進めていく仮面の男は、夕陽の下で怪しげな雰囲気を醸し出す路地裏に視線をやる。
「人の目に触れることなく、世の裏に屯する混沌の者たち。既に失われたという話だったけど、まさかここで出会えるとは」
人気が全くない路地裏。ただ風が通り抜けるだけの静かな場所――のはずだ。
だが、男には確かに何かが見えているらしい。「ふふふっ」と再び楽しげな笑い声を漏らしてから、夕焼け空を仰ぎ見る。
「使いっ走りのような依頼はあまり好まないけど、これは中々の当たりだったかな」
光あるところに闇あり。それは、この世界全ての場所に当てはまる法則であろう。だが、その間に混沌が――魔が生まれるような場所は、既にそのほとんどが失われてしまった。今の大陸には、些か光が強すぎる。
それに引き換え、この極東という島国の、何と楽しげなことか。光と闇が渦巻き、数多の魔が産み落とされている。いずれは、この島全体が魔のモノで埋め尽くされてしまうかもしれない。
「ま、本当にそうなったら困るんだけど」
茶化すように言葉を零しながら、鬼面の男は北方――都カグラの中心部の方へ視線を投げる。
「毎度毎度、似たような任務ばかりで大変だけど。今回もやってみましょうか」
陽はもう間もなく沈む。茜色に照らし出された都の姿は、どこか物悲しい雰囲気をまとっているようにすら見える。
そんなカグラを見やって、彼が何を考えているのか。生憎と、その顔面は青鬼の面が覆い隠していて、その表情を伺うことはできなかった。