第132話
見るからに大陸人だったヒカルたちが店内に姿を隠すと、市場は普段通りの姿を取り戻す。商人が客を盛んに呼び込み、人々が活気に満ちた表情で並べられた品々を眺める。いくら戦乱の世と言えども、こうした部分はまだ変わってないらしい。
かつて見た都の一端がそこにあるような気がして、ヤマトは思わず安堵の溜め息を零した。
「懐かしいな」
親にくっついて都まで来たとき、ヤマトが足を運んだのは大抵がこの市場だった。生まれ育った里では見ることができない、極東各地の珍品を食い入るように見つめては、露店の店主に苦笑いされたものだ。刀術を学び始めてからはあまり来ていなかったが、ヤマトの心の中には、この市場はある種特別な場所として刻み込まれていた。
(人の数は、流石に減っているようだな)
感慨に浸りながら辺りを見渡して、ヤマトはそのことを確信する。
都の人々がどれほど頼もしくあろうとも、戦乱の煽りを避けることはできなかったのだろう。国の都であるカグラの人々も、戦のために徴兵されているのかもしれない。
「――ふむ」
ふと、引っかかる。
今の極東は戦乱の只中にある。今や大陸でも戦争が勃発することは少ないが、戦争の最中というものは、人々が甚大なストレスに見舞われるものだ。市場にもろくな商品が出回らなくなり、客も金をほとんど落とさなくなるのが通常。
ならば、ヤマトの目の前に広がっている光景は、いったい何だろう。未だ戦乱の途中だというのに、人々はそれを忘れたかのような明るい表情を浮かべている。そこに無理している様子はなく、皆自然と明るく振る舞っているようなのだ。
これは、少々――いや、かなりおかしいのではないだろうか。
モヤモヤと胸中に暗雲が立ち込める。腕組みしたまま黙考しようとしたヤマトだったが、ふと頬に誰かの視線を感じる。
「………?」
邪気は感じない。
ゆっくり視線の元を見返せば、通りの片隅に、目を丸くしてヤマトを凝視している少女の姿があった。
(誰だ?)
見覚えはない。思わず、首を傾げそうになる。
少女の年の頃は、十ほどだろうか。ヤマトの胸元くらいまでしかない背丈に、ほっそりとした身体つき。人形のように整った顔立ちをしている。その下には、この市場にはあまり相応しくないほどの上質な着物を身に着けているのが分かる。
それだけならば、ただ名家のご令嬢なのだろうと思う程度で終われたのだが、明らかに異質なものが一つあった。
(あれは、刀か)
小柄な少女の体躯には見合わない、大人向けの長刀が一振り。その少女は、それを背負っていた。
少女が扱うもの、ではないだろう。見るからに少女はそれを持て余し、ズルズルと地面に擦っているような始末だ。それでも、少女にとっては相当に大事なものらしく、ヤマトの方を凝視しながらも、後ろ手に刀の鞘をしっかりと掴んでいた。
(見るからに、訳ありのようだが――)
自分には関係ないか。
そう思って視線を逸らそうとしたところで、ヤマトはそれを見てしまう。
「―――っ!?」
「おいおいお嬢ちゃん、そいつをちょっくら貸してくれねぇか?」
「大丈夫、それさえ寄越せば、何も悪いことはしねぇからよぉ」
着物を着崩した男たち――腰に帯刀している。流れの浪人だろうか――が数人、少女を取り囲んだ。
怯えた様子で表情を歪めた少女は、男たちが包囲の輪をずらすがままに、路地裏の方へ入り込んでしまう。
「………」
それを眺めながら、ヤマトは腰元の木刀に手をかける。
昨日借りた鉄刀は破損してしまったから、今使える得物はそれ一つだけ。頼りなくはあるが、街中で躊躇なく振れるという点では、逆に都合はいいのかもしれない。
ちらっと店内の様子を伺う。
(まだ出てくる様子はないか)
ノアたちに一言声をかけておきたかったが、今それをしていたら、少女たちを見過ごしてしまうかもしれない。
(少し席を外すぞ)
無言のまま密かに謝罪してから、ヤマトは少女たちが消えた路地裏を睨めつける。
辺りの人々は、少女の身を襲った難事に気づいていないのか。それとも、気づいていて見ていないのか。いずれかは分からないが、少なくとも、動き出そうとしている者は誰一人いない。
今ヤマトが動かなければ、少女はどうなってしまうことやら。
「ふぅ――」
軽く整息。
意識を整えて、路地裏へ駆け込む。
一息で人混みをかき分けたヤマトは、路地裏で刀を抜き払おうとしている男たちの姿を目にする。そして、怯えて腰を抜かした様子の少女が一人。
(これは……)
即座に、意思を固める。
腰の木刀を抜き払って、口を開く。
「そこまでだ」
「あん? 誰だてめぇ」
突然の乱入者に、男たちは刀を手にしたまま振り返る。
粗暴な口振りに、薄汚い着物姿。仄かに酒臭さが漂ってくる、典型的な浪人姿。――それとは裏腹に、ずいぶんと質のいい太刀。
(そういうことか?)
ヤマトの中で、一つの結論が導かれる。
他方、男たちはヘラヘラと締りのない笑い声を上げながら、ヤマトに向き直った。
「おうおうどうしたんだ兄ちゃん。ここは危ねえから、さっさと帰んな」
「それとも、俺たちとやろうってのかい? まともな刀も持ってねえのに、無理すんなっての」
ヒラヒラと手元の刀を振り、男たちはヤマトを嘲笑する。
それには構わず、ヤマトは油断なく辺りに視線を飛ばした。
(目の前に三人。奥に二人。後方に二人。ずいぶんと入念だな)
心の中で呟いたのは、ヤマトが感知した気配の数。
少女を前に刀を抜いた男が三人。路地裏の奥で、油断なくこちらを伺いながら待ち伏せする者が二人。後方の表通りで、そちらも待ち伏せしている者が二人。それで計八人。
(一度に相手するには、中々骨が折れる数だが――)
二・三・二で分かれているのならば、対処は容易い。
そのことを確信してから、ヤマトは木刀を正眼に構えた。
「あん?」
「警告は一度だけだ。今すぐにその子から手を引け。さもなくば、俺が相手になろう」
「……ハハハッ! 威勢がいいじゃねぇかよ兄ちゃん! いいぜ、そこまで言うなら、俺が遊んでやるよ!」
言いながら、浪人の一人が突っ込んでくる。
一目で分かるほどにみすぼらしい衣装とは反対に、ずいぶんと整った足取り。間違いなく、武を真摯に学んだ者だ。
そのことを確信しながら、ヤマトは半歩前へ出る。
「死に晒せぇッ!!」
「――ふっ」
男は踏み込み、上段から刀を振り下ろす。木刀ではまともに受け止められないほど、鋭く重い斬撃だ。
今度は半歩後ろへ下がって、切っ先を紙一重で回避する。目の前を通りすぎた刃を尻目に、ヤマトは木刀の切っ先を真っ直ぐに男の腹へ突き込んだ。
「ぐぉっ!?」
「眠れ」
身体をくの字に折った男を見下ろし、木刀をくるりと回転させる。すぐそこに下げられた脳天目掛けて、刀を振り下ろす。
その威力に白目をむいた男は、がっくりと身体を弛緩させると、そのまま崩れ落ちた。
(一人は何とか上手くいったか)
余裕そうな面持ちで木刀を引き戻しながら、ヤマトは残り二人に減った男たちの方へ視線をやる。
たじろぐ男たち。そちらへ一歩足を進めながら、ヤマトは先程の戦いを思い返す。
(やはり、相当な鍛錬を積んでいたな)
彼が本当に浪人だったならば、あそこまでの技量を身につけることはできないだろう。ちゃんと名のある道場で刀を学んだ、理に適った刀術の使い手だった。ヤマトでも、一歩間違えれば容易に敗北しかねないほどの腕前。
そんな男が、浪人風の衣装を着て少女を襲っている理由。どう考えてみても、ろくなものではないだろう。
(いらぬことに首を突っ込んだか?)
今更ながら、少しの後悔が込み上げてくる。
が、男たちの間から縋るような視線を向けてくる少女を見やると、そんなものはすぐに霧散した。
(……囲われたな)
後方で控えていた男たちが、路地裏に足を踏み入れたのを確認する。
前後を挟まれた形だ。数的不利を背負っている上で、立ち位置でも不利ときている。普通の思考を持つならば、あまり戦いたくはない状況だ。――だが。
「ふむ」
ゆらりと木刀を構える。
勢いと流れに身を任せたとは言え、ここまで首を突っ込んできたのだ。多少不利になったからと言って、引き返すという選択肢はない。
改めて胸中に決意を刻んでから、ヤマトは口を開いた。
「さぁ。どこからでもかかってこい。相手をしてやる――」