第126話
人気の少ない山道を歩くこと、しばらくして。
空高く上がっていた太陽が沈み始める頃合いになって、ヤマトたち一行は山間の集落へと到着していた。
「――もう陽が沈んだね」
「夏もすぎたからな。これから先、どんどん早くなるぞ」
「一日が短くなるような気がしてくるよ」
「違いない」
赤く染まった空を見上げながら呟くノアに、ヤマトも首肯する。
もっとも、陽が沈んで暗闇に包まれたら何もできなかった昔とは異なり、現在では夜闇の中でも様々なことができるようになっている。冬に入り、夜の時間が長くなったとしても、そう悲観的に捉える必要はない。
が、寂寥感を覚えること自体は、至極自然な話だ。
「今晩はここで越すとしよう」
「賛成。一日歩きづめで、いい加減疲れたよ」
ヤマトの言葉に、ノアは自分の細い脚を擦る。
帝国の台頭に伴い、大陸で一般的に使われる魔導技術のレベルは跳ね上がった。国単位を移動するならば魔導列車が、街と街とを行き来する程度であっても魔導車が使える時代だ。大陸の人々はそれらを使うことに慣れていき、一日中歩き通すという経験をしなくなった。
他方、大陸とは違って、極東には公共交通機関のようなものはほとんど存在していない。せいぜい、川や湖を渡るための船が運行されている程度だ。自然、極東の人々はどこかへ行こうとしても、徒歩以外の手段は取れない。徒歩で山を越えることくらいならば、日常茶飯事なのだ。
朝方に港へ到着してから、夕刻の今に至るまで。途中で昼休憩を挟みながらも、ヤマトたちは一日中山道を歩き続けたことになる。
「………」
「ヒカル、大丈夫?」
「うん? うん、平気」
顔全体を覆う兜越しに、ヒカルがどんよりと暗い雰囲気をまとっているのが分かる。異世界がどんな場所かは詳しく知らないが、こんなに歩いた経験もないのだろう。心底疲れ切った様子で、既に一刻ほどは無言のままだった。
思わず、ヤマトはノアと目を見合わせる。
極東出身者のヤマトは無論、大陸でも冒険者として活動していたノアも、まだ体力に余裕がある。一方、ヒカルがずいぶんと消耗した様子なのは無論、彼女に付き従っていたリーシャや、物珍しそうに辺りを見渡していたレレイまでもが、相当に疲弊した様子だった。
(これは――)
軟弱な。とまでは、流石に思わないが。
彼女たちはいずれも、武の世界では相当な高みに至った者たちだ。この程度の行程で疲れ果ててしまうとは、正直予想だにしていなかった。
「今すぐにでも休みたい」という欲求がダダ漏れな彼女たちの姿に、ヤマトは思わず苦笑を漏らしてしまう。
「でも、ずいぶんのどかな村だねぇ」
「うむ。まぁ、そう恵まれた場所でもないからな」
無言で暗い雰囲気を放つ一行を尻目に、集落を見渡したノアが呟く。
極東ではよく見られる、一般的な集落と言っていいだろう。人口はせいぜい百人程度。山間という立地ながらに大きく広がった水田は見事だが、それも中規模程度の広さでしかない。既に陽が沈んだからか、畑仕事に勤しむ者の姿は見当たらないが、ちらほらと家々の間を行き来する村人の姿は認められる。皆、ヤマトと同じ黒髪黒目だ。
ノア同様に集落を一望し、その言葉に同意してみせながら、ヤマトは小首を傾げた。
「だが、少し閑散としている気はするな」
「へぇ? 何かあったのかな」
「聞いてみなければ、それは分からないが」
季節は秋。例年通りであれば、ちょうど収穫時期になった米に、集落中の人々がかかりきりになっているはずだ。黄金色の光を放つ稲穂に、次々にそれを収穫する農家の人々。それこそが、極東の秋の風物詩と言っても過言ではない。
だが、今ヤマトたちの目の前に広がっている光景は、いささかそれとは異なっているようだ。水田から生えた稲穂は心なしか色艶が悪く、実り具合も寂しいように見える。
「不作か? 今年の冬は苦労しそうだな」
「あぁ、こっちには列車もないもんねぇ」
これが大陸の話であれば、魔導列車を使った輸送で食料を運び込んでしまえば、致命的な事態は免れる。多少出費の痛い冬にはなるだろうが、街が丸ごと餓死するような未来だけは、ひとまず避けられるのだ。
だが、ここ極東に限って言うのならば、話は変わってくる。冬の寒さだけでも堪えるというのに、そこに食糧不足まで加わっては、どうなってしまうやら。
(領主の手腕に期待、と言ったところか)
少々薄情なようだが、今のヤマトたちにはそう言って目を逸らすことしかできない。
それよりも、ヤマトたちが懸念すべきことは別にある。
(今晩の宿を得られるといいのだが)
思い浮かべながら、チラリと後ろを振り返る。
先程までと変わらない。酷く疲れ切った様子のヒカルたち三人が、虚ろな目で集落の水田を眺めていた。梃子でも動くまいという固い意思が、彼女たちの顔から伝わってくるような気すらしてくる。
もし、今晩寝泊まりする場所が見つからなかったら。
(……考えるのは、止めておくとしよう)
あまり楽しい想像ではない。
軽く頭を振って雑念を飛ばしたヤマトは、すぐ目の前に、集落の中でも一際大きな家があることに気がつく。
「あれが村長の家かな?」
「恐らくはな」
ノアの言葉に答えながら、ヤマトは家のすぐ目の前まで歩を進める。
この旅人も滅多に寄らないだろう集落に、宿などあるはずもない。この集落で寝泊まりをするならば、村長の家を頼る他ないのだ。だが、ただでさえ冬を越すことが危惧される状況。果たして、旅人のヤマトたちを受け入れてくれるかどうか。
半ば祈るような気持ちのまま、ヤマトは家の戸を叩いた。
「失礼。この家の者はいないか」
「おや、お客人かな」
ギギギッと軋む音を立てながら、戸がゆっくりと開かれる。
中から姿を現したのは、頬のこけた中年の男だ。畑仕事をしているだけあって最低限の筋肉は備わっているものの、ずいぶん痩せ細っているようにも見える。それほどまでに、この村は困窮しているのか。
暗雲が立ち込め始めているのを自覚しながら、ヤマトは言葉を続ける。
「見ての通り、俺たちは五人で旅をしていてな。一晩、寝床を用意して頂きたいのだ」
「はぁ、そうは申されましてもですなぁ」
「やはり、そうか」
ヤマト自身が駄目元で言っているのが伝わったのだろう。村長も、苦笑いを浮かべながら首を横に振る。
本来ならば、ここで諦めるべきなのだろう。だが、背中越しに絶望の空気を漂わせ始めたヒカルたちに、ヤマトは苦笑を深める。
「何か俺たちにできることはないか? それをもって、一泊の借りにさせて頂きたい」
「ふぅむ、できることでございますか……」
「一応、腕には覚えがある。今は刀を失っているが、魔獣退治くらいならば請け負えるぞ」
流石に、今のヒカルたちを連れ回すのは忍びない。もしそうなった場合に動けるのは、ヤマトとノアくらいなものだろうが。
そんなヤマトの言葉を受けて、村長は唸り声を上げる。彼自身、ヤマトの背後で疲弊した様子のヒカルたちの姿に、思うところがあったのだろう。しばらくして、少し躊躇うような素振りを見せながら、ゆっくりと口を開いた。
「そういう話でしたら、一つ、私共も悩まされていることがございます」
「ふむ。聞かせてもらおうか」
「近頃、この辺りに“鬼”が出るのでございます」
「“鬼”か」
その言葉に、背中越しにノアたちが怪訝そうな雰囲気を出したことに気がつく。が、今それに構っている暇はない。
“鬼”。大陸では遂に見ることができなかったが、極東では割と見る機会の多い連中だ。
「察するに、それを成敗してほしいというところか」
「はい。“鬼”によって、今年の田畑も荒らされてしまいました。これを成敗したとなれば、皆様がお泊りになることを、反対する者はいないでしょう」
「ふむ」
一つ頷く。
分かりやすい話だ。“鬼”を退治してみせれば、村に泊めてやろうということ。既に陽が沈みかけていることが少々気になるが、今の疲労困憊なヒカルたちを野宿させるのは、流石に危険だろう。
それらを即座に脳内で判断してから、ヤマトは確かに頷いた。
「了解した。その依頼、確かに引き受けよう――」