第125話
大陸の国々と比べたとき、極東の風土は、季節ごとの特徴が出やすいことが知られる。
冬は雪が積もって銀世界となり、春には花々が咲き乱れる。夏になれば青々とした木々の上から熱い陽光が降り注ぎ、秋には赤く色づいた葉が、見る者の目を楽しませてくれるのだ。
やたら長く感じられた夏も終わり、本格的に秋らしくなってきたこの頃。極東の山々は、燃えるような赤に染まっていた。
「……いつまで見ていても、飽きないね」
「えぇ、本当に」
全身を大陸風の甲冑で覆い隠した戦士――ヒカルと、それに付き従う女騎士――リーシャが、ホッと感動の溜め息を漏らした。
大陸を震撼させた魔王再来の一報に際し、異世界から現れた勇者ヒカル。他に類を見ないほど強力な加護の持ち主であり、勇者の名に恥じないほどの実力を有している。日頃は厳格な男のような素振りをしているものの、その鎧兜の中はただの少女同然であり、こうした木々の美しい光景を好むような感性の持ち主だ。
そのヒカルの従者として、太陽教会から派遣された聖騎士リーシャも、長い金髪をさらりと流しながら木々に目をやっている。本人の美貌が相まって、ただそこに立っているだけで、一枚の絵になるような光景となる。リーシャは、ヒカルの目の前でこそ騎士然とした振る舞いを崩さないものの、彼女の目がないところに限れば、年相応に砕けた姿を見せてくれる。
そんな彼らの視線の先にあるのは、赤や黄色に染まった木々の葉だ。さながら春の花々のような絢爛さを醸し出す葉は、思えば、大陸ではほとんど見ることのできなかった光景かもしれない。
どことなくむず痒い心地にさせられながらも、ヤマトは満更でもない様子で頬をかく。
そんなヤマトを生暖かい視線で見ていたノアも、ゆっくり口を開いた。
「でも、確かに大陸じゃ見ない光景だよね。風土の違いかな?」
「無論、それもある。だが、最たる原因は別だな」
「って言うと?」
生まれも育ちも帝国なノアでは、案外気がつけないことなのだろうか。
そんなことを思いながら、ヤマトは口を開く。
「大陸は到るところに帝国の力が及んでいるだろう?」
「まぁ、そうだね」
大陸西方に莫大な版図を獲得しながらも、その圧倒的な技術力によって、他国が追いすがれないほどの大国となった帝国。敵視する風潮はありながらも、大陸に位置する国々は帝国の力を抑え切れず、国内の深部にまで帝国文化が浸透してしまっている。
それの、弊害とでも言うべきものの一つだ。
「大陸の木々はほとんどが、帝国によって新たに植樹されたものだと聞いている」
「木材資源として活用しやすい品種だね。――あぁ、そういうことか」
得心がいったように頷くノアを見ながら、ヤマトは言葉を続ける。
「木の種類によっては、冬になっても葉が落ちないものがあるらしい。恐らく、新たに植えられた木々はそうしたものなのだろう」
「帝国文化の弊害ってことか」
「良し悪しではあるがな」
ただの冒険者として――観光客として見てみれば、季節折々の顔を見せてくれる極東の木々の方が、より大事にするべきものに見えてくる。だが、これが商人の目から見てみると、話は逆になってくる。自然のままに捻じ曲がり、木材とするために複雑な加工とする極東の木々よりも、真っ直ぐに伸びてくれる帝国の木々の方が、商品価値は高いのだ。
一概に、帝国文化が悪いと言い切ることはできまい。事実、そのおかげで発展したという面も、存在しているのだから。
(とは言え――)
口を閉ざし、ヤマトは想像する。
この色鮮やかな木々が切り倒され、全てが均一な木々に置き換わった光景。季節が移ろっても緑一色のままであり、人の手によって完璧に管理された自然の姿。
(俺は御免だな)
不思議と、モヤモヤとした感情が胸中に立ち込める。
長らくこの地から離れていたものの、まだ故郷への愛着心は萎えてはいなかったらしい。そのことに、少しだけ嬉しさに似た思いを感じる。
そんなヤマトを尻目に、ノアは言葉を続けた。
「ここは帝国の影響がほとんどない、数少ない場所ってことか」
「大陸西端の帝国と、東の海を越えた極東だ。ここにまで入り込んでいるなら、帝国は世界を制したと言っても過言ではないな」
「確かにねぇ」
そんな具合に気楽に言ってみせたヤマトだったが、その心中は言葉とは反対だった。
帝国が極東にまだ手出ししていない理由。それは、ただ単純に距離が遠いことだけだ。だが、近年になって登場した鉄道の台頭によって、大陸各地の距離は縮まっている。このまま進めば、あと数年程度で帝国の力は極東にも到達するはずだ。
(問題は、そのことに気づく者がいないことか)
故郷の知り合いたちを頭に思い浮かべてから、ヤマトは首を横に振る。
今のヤマトは、自分勝手に故郷を飛び出した身。ならば、極東の行く末に思い煩うような資格もあるまい。
「……ふぅ」
どことなく暗い気持ちになったところを、溜め息で誤魔化す。
そんなヤマトの様子に気がついたのか、これまで口を開いていなかった少女が、声を上げた。
「どうかしたのか、ヤマト?」
「む? いや、大したことではない」
「そうか? 何かあったのなら、すぐに言うのだぞ」
肌が健康的な小麦色に焼けた少女――レレイは、その活発な風貌に似合わない、大人びて落ち着いた視線をヤマトへ送っている。日頃の凛々しい振る舞いを知っているものの、どこか幼気な彼女にそんな視線を送られていることに、少々情けない心地にさせられた。
思わず自分の頬を撫でてから、ヤマトは辺りの山々へ視線を転じた。
燃える紅葉の木々に、地面に積もった枯れ葉の絨毯。目を凝らせば、葉の間に木の実が点在しているのが分かる。
(相変わらずの景色か。だが――)
すっと、ヤマトは目を細くさせた。
そんなヤマトの様子に気がついたのか、ノアが口を開いた。
「ヤマト?」
「まだ遠いが、魔獣の気配がする」
その一言で、和やかに紅葉を眺めていた一行の雰囲気がピリッと引き締まった。
一行の代表者として、ヒカルが声を出す。
「数は?」
「多いな。まともに相手をしようとすれば、かなりの時間を要する」
「向こうは気づいている?」
ヒカルに問われて、ヤマトは改めて気配を探る。
「……いや、気づいていないようだ」
「そっか」
どことなくホッとした様子で、ヒカルは溜め息を漏らす。
ただ、実際の事態はそう安穏としていることが許されるほど、生温いものではない。
「魔獣同士で争っているようだな」
「へぇ、珍しいね」
「だが、先に言った通り数が多い。急がねば、巻き込まれるやもしれんな」
「それって……」
ヤマトが言わんとすることに気がついたらしく、ノアは表情を強張らせた。
対照的に、事態を上手く飲み込めていないヒカルの方は、兜越しに戸惑った様子を見せる。
「つまり、どういうこと?」
「大陸では見ないほどに、魔獣が多い。気を引き締めた方がいいということだ」
先に述べたことに、少し関連する話ではある。
大陸のほとんどへ影響力を伸ばした帝国だが、彼らの功績の一つに魔獣駆除がある。元来、人々の生活の脅威となっていた魔獣に対し、効果的な魔導具を発明することによって、その脅威を大幅に減じさせることに成功したのだ。そんな帝国の功績ゆえに、今の大陸は一般人でも気兼ねなく出歩ける程度の安全は保たれている。
対する極東へは、未だ帝国の力は及んでいない。すなわち、自然の中に魔獣が当たり前に跋扈しているということだ。当然、戦う力を持たない人々が外を出歩くことは難しく、また集落が魔獣によって滅ぼされることも、そう珍しいことではない。
そんな背景を踏まえれば、今目の前で起こっている事態も、ある程度受け入れられることだろう。
(だが――)
少々、問題があった。
確かに、極東では魔獣の力は強い。大陸ならば秘境と呼ばれるような地域も点在し、未だ人が踏み込めない地があるほどなのだ。
とは言え。
(これは、多すぎるな)
とても、尋常ではない数だ。
こうして気配を探っているヤマトの肌に、魔獣から放たれる野生の威圧感がビリビリと伝わってくる。今はまだヤマトたちに気づいていなくとも、一つでも条件が違えば、即座に魔獣の大群が雪崩込んでくるだろうと想像できるほどに、彼らの気配は圧倒的だ。
人気がないとは言っても、ここは比較的人里にも近しい場所だ。無論、警備隊の手によってある程度魔獣の駆除がなされているはずなのだが。
(これでは、まるで秘境同然だな)
見慣れた景色でありながら、とても覚えがないような姿になっている故郷の地。
そのことに得も言えぬ不安感を抱きながら、ヤマトは秋の空を見上げたのだった。