第123話
二日間に渡って開催された武術大会も幕を閉じ、ラードの街は落ち着きを取り戻したように見えた。観戦のために首都ラードへ集まっていた人々は、それぞれの故郷へ戻っていき、心なしか街がガランと寂しいようにも思える。
それでも、通行人たちがこぞって大会のことを話題にしている辺り、完全にいつも通りと言えるようになるまでは、もう少し時間を要するのかもしれない。
そんな街並みを、帝国ホテルのロビーからボンヤリと眺めながら。ヤマトは、小さな溜め息を漏らした。
「何溜め息吐いてるのさ?」
「ノアか」
そのヤマトの背中が、煤けているようにでも見えたのか。
苦笑いを浮かべたノアが話しかけてきた。
「手続きは済んだのか?」
「今は待ち時間。リーシャが受付にいるから、僕はこっちに来れたってわけ」
言われて目をやれば、確かに受付の前に佇むリーシャの姿がある。
今のパーティでは、様々なことに詳しい他方で責任感の強いリーシャが、ああした役回りになっていることが多い気はする。不都合ならば調整しようとヤマトも思うが、リーシャ自身がそのことを苦とはしていないようなので、その厚意に甘えているのが現状だ。
「で? ヤマトは大会のことを考えてたの?」
「む? ……まぁ、そうなるか?」
曖昧な返答をしながら、小首を傾げる。
先日の大会を思い返していたのは正しいのだが、ヤマトの意識は、大会そのものへはあまり向いていなかったような気がする。
「どんなことを考えていたのさ」
「特に何も。ただ、燃え尽きたような心地がしてな」
その名残に浸っていたというのが、もっとも正しい表現なのかもしれない。
明らかに強いと認識しながらも、なかなか手合わせする機会に恵まれなかったヒカル。彼女と、武術大会という大舞台で刃を交えられたのは、ヤマトにとって得がたい経験だった。――ゆえに、それが終わってしまったことが、少し寂しく思えているのかもしれない。
そんな、清々しさにも似た思いを滲ませたヤマトの表情を見て、ノアは少し目を丸くする。
「意外だね。もっと悔しがってるかと思ってた」
「ほぅ?」
「ヤマトって負けず嫌いだし? 結果を引きずってるのかなぁと」
「まぁ、そうだな」
結果。
そう、武術大会の結果は、ヤマトたちの敗北――ヒカルの勝利というものに終わった。ヒカルの転移対策を編み出したまではよかったものの、結局はその力でゴリ押しされてしまったのだ。試合直後は僅かな憤りを覚えたものの、今となっては、素直に敗北を認める他ないというのが、ヤマトの正しい心境だった。
「俺が弱く、ヒカルが強かった。それが表れたのだ。この期に及んで、言い訳などしない」
「ふぅん?」
結局は、そういうことなのだ。
ヤマトが幾ら小手先の技で策謀を巡らそうとも、それを正面から打ち破れるだけの強さが、ヒカルには備わっていた。弱い者は敗北し、強い者が勝利する。ただそれだけの、自然の摂理とでも言うべきことだ。
とは言え。
「無論、勝利を諦めたつもりはないがな」
「って言うと?」
「これから目指すべき方向は定めた。そう遠くない内に、今回の借りは返すつもりだ」
そのことこそが、ヤマトがこうも清々しい気分でいられる理由かもしれない。
故郷の里を飛び出し、大陸に渡って我武者羅に刀を振り回してきた。その道すがらで様々な強者と出会い、ヤマト自身も多くの糧を得ることができた――が、どこか物足りなくはあった。日々磨かれるのは小手先の技ばかりで、このままでいいのかという閉塞感のようなものが、ヤマトの頭上にひしめくようになっていた。なまじ戦いに勝つことができていたことも、それに拍車をかけていたのだろう。進むべき武の方向性を定められず、暗闇の中を手探りで進むような毎日。
それが、先日の戦いで――この武術大会で、一気に晴れた。ヒカルとの戦いは敗北という結果に終わりながらも、ヤマトに得がたいものを与えてくれたのだ。
「まだまだ強くならねばならないからな。ノアにも、相手をしてもらうぞ?」
「えぇ? いいよ、遠慮しとく」
「無理にでもつき合ってもらうさ」
「そんな強引な」
「今更だろう?」
「それはそうだけどさ」
不満気なことを口にしながらも、ノアの表情は緩い。
そのことを視界の端に捉えて、ヤマトはそっと笑みを零した。
「あ、そういえばさ」
「む?」
「ヤマト、アスラさんとは挨拶した?」
「大会で別れたのが最後だな」
一応、そのときに別れの挨拶のようなものは交わしている。だから、そう律儀に挨拶をする必要もないだろう。
ヤマトはそのくらいの心境だったのだが、ノアの方は違ったらしい。
「一回、改めて会ってきたら?」
「ふむ」
「シュナさんとも、今なら別の話ができるかもしれないし」
シュナ。
かつて大会を連覇していた女傑であり、どこか超然とした雰囲気をまとう女武道家。ヤマトとも旧知の仲であり、数年前にアラハド共和国を訪れたときには、そこそこ世話になった。ゴルドに大会で敗退したことをきっかけに、現役を退き、現在はアスラの師匠をしているようだ。
数日前にヤマトとノアが訪れたとき、確かに引退した理由について、詳しいことを語ってはくれなかったが。
「……まぁ、必要あるまい」
「薄情じゃない?」
「そんなものだ」
「ヤマトがいいなら、それでいいけど」
街を離れる程度でいちいち挨拶される方が、むず痒くなる。シュナはそんな人間のはずだ。
唯一、シュナが引退を決意した理由だけは気になるが。
(まぁ、あらかた想像はできる)
ゴルドが仕込んだ観客の声に、心を折られた――などでは、決してない。そうつき合いは長くないが、彼女がそんな柔な精神をしているとは、とても思えない。
平静を保ったまま、観客を味方につけたゴルドを目の当たりにして、シュナはきっと感じたはずだ。そんな道理から外れた手段を用いてまで勝とうとする、ゴルドの勝利への執着を。そして、何かいらないことを考えてしまったのだろう。
(勝ちなど譲ってもいい、とかか?)
それは、武道家として――戦士として、抱いてはいけない考えだ。
勝ちへの執着を失った戦士ほどに、見苦しいものはない。負けてもいい程度の考えしか抱けない者に、この修羅の世界へ踏み込むことは許されないのだ。
そんな考えを抱いてしまった自分に、惑い、苦しみ、そして諦めた。そんなところだろうか。
(今更考えても、仕方のないことか)
シュナという好敵手を失ったことは痛いが、その弟子たるアスラは前途有望だ。いつの日か、彼が完成された戦士として立ち上がってくれることを祈るとしよう。
小さく首を振って思考を切り替えたヤマトは、静かに顔を上げた。
すると、足取り軽くレレイが歩み寄ってくるのが見える。
「あぁレレイ。何かいいものは買えた?」
「うむ。なかなか品揃えはよかったぞ」
「それはよかった」
レレイと、今は姿が見えないヒカルが連れ立って入っていたのは、ホテル内に設置された土産屋だ。いわゆる観光客向けの品物を揃えている店であり、品揃えも質も充分。他国へ出向くも充分に観光できなかった商人や冒険者が、故郷の家族のために手早く土産を用意するときに重宝するという話だ。
ヤマトたちは自分の荷物で手一杯なものの、空間収納を使えるヒカルと、まだ荷物の少ないレレイからすれば話は別だ。きっと、二人で存分に買い物をしたことだろう。
「ヒカルは?」
「リーシャの方だ。一人に任せきりなのは忍びないと言ってな」
言われて視線をやれば、受付前で歓談に興じるヒカルとリーシャの姿が認められた。
街を気軽に出歩くための軽装を着たリーシャに対して、ヒカルは完全武装もいいところだ。相変わらずの全身を覆う甲冑姿だが、その腕に備わった篭手だけは、これまでのものとは違っている。
「あれが遺物か」
「初代勇者の篭手。着けた人に怪力を与えるって話だけど」
「笑えないな」
時空の加護による身体強化だけでも、充分以上に手がつけられない膂力が与えられているのだ。それが更に増幅されるなど、とても信じられない話である。ヒカルの相手をしなければならない魔王軍一行には、同情すら覚える。
(いや、違う――)
そんなことを考えた自分を、ヤマトは即座に否定する。
(あれほどまでに強くならねば、勝つことは叶わないということか)
人の常識を逸脱した力。それを得てもなお、勇者と魔王の戦いは熾烈なものとなる。
ただの傍観者として眺めるだけだったなら、安穏としても何ら問題なかっただろう。だが、今のヤマトは、勇者一行に加わった剣士ヤマトなのだ。無論、その戦いで足手まといになることなど、許されない。――何より、ヤマト自身が許せない。
「……強くならねばならんな」
「どうしたの、急に?」
「いや。改めて確認しただけのことだ」
訝しげな視線を向けてくるノアに応えながら、ヤマトは気を取り直す。
今はまだ平穏なれども、こうして腑抜けている時間など、本来ならば許されていない。一刻も早く強くなるために、すぐに刀を振っているべきか。
そんなことを思い立ったタイミングで、ちょうどリーシャとヒカルが戻ってくるのが目に入る。
「ごめんなさい、待たせたわね」
「いやいや。リーシャもお疲れー」
これで、ホテルのチェックアウトも終了した。本来の目的だった勇者の遺物を回収することもできた今、ここに思い残すことはない。
そんなヤマトの考えとは反対に、ノアが口を開いた。
「そういえば、ゴルドさんって今どうしてるのかな。ヒカルは知ってる?」
「あぁ。孤児院にいるはずだが、今は忙しいだろうな」
元々の目論見通りに、賞金を満額手に入れたゴルドは、今頃それを前に頭を悩ませていることだろう。彼が孤児院経営の中で強かな男になったとしても、それが通用するほど、ここにやってくる百戦錬磨の商人は甘くない。どうにか損をしまいと、必死に立ち回っているはずだ。
「既に挨拶は済ませた。問題はないぞ」
「そっか」
ノアの言葉に合わせて、ヤマトも小さく頷く。
ゴルドが取っていた、事前の仕込みによって観客の思考を誘導し、自身に有利な場を作り出すという戦術。それはとても認められるようなものではなかった。だが、確かに彼も一端の武道家なのだと、ヤマトの前でゴルドは示してみせた。その意味で、ヤマトもゴルドのことを、心の底まで嫌うことはできないでいた。
いつかゴルドが、武道家として真っ当な力を身につけることができたならば。そのときこそ、改めて雌雄を決してみたものだ。
いよいよ、ノアも思い残したことはなくなったらしい。
そのことを確かめてから、ヒカルはゆっくり言葉を出す。
「では、次の目的地を決めるとしようか」
「次ねぇ」
「残された遺物の情報は入っているのか?」
ヒカルに言葉を振られたリーシャは、曖昧に首肯する。
「伝承によれば、北地に靴と、西方に兜があるそうです。しかし、まだ詳しい場所までは判明していません」
「そうか。今行ったとしても、待たされる可能性はあるな」
勇者の遺物探しは、ひとまず休止するべきだろうか。
ならば、次の目的は自然と決まってくる。
「なら、初代魔王の封印を巡るべきか」
「あぁ、クロが言ってたやつか」
ノアの言葉に、ヒカルは首肯する。
聖地ウルハラで対峙したときに、クロが語っていたこと。確か、その内容は――
「南の海に右脚を沈め、西方の山に左足を隠し。北の凍土で左腕を凍らせ、東の島々に右腕を封じる。大陸の中心地で、心臓に楔を打つ。でしたか」
「……よく覚えているな」
「記憶力には自信がありますから」
感心するようなヒカルの言葉に、リーシャは少し誇らしげに返事をする。
微妙にほっこりした気分になるが、今はそれどころではない。
「大陸の中心――聖地にあった心臓は、既に解放された。他の四つが今どうなってるかは分からないが、確認する価値はあるだろう」
「まぁ、そうだな」
聖地の地下に眠っていた魔王の心臓は、クロの手によって導かれた黒竜が喰らった。それを魔王軍が利用できるのかは分からないが、放っておいていいことではないだろう。
「ここから一番近そうなのは、東の島々ってやつか」
「極東ですか」
リーシャの言葉に、ヤマトは思わず視線を空へ投げる。
そんなヤマトの反応を気にすることなく、ヒカルは言葉を続けた。
「そういうことだ。幸い、こちらには極東出身のヤマトがいるからな」
「なるほど。地の利はありそうですね」
それはまぁ、その通りなのだろう。
何かを期待するようなヒカルたちの視線に、ヤマトは諦めの吐息と共に首肯する。
「分かった。道案内は引き受けよう」
「よし! なら決まりだな。次の目的地は――極東の島国だ!」
意気揚々と言ってのけるヒカルに、元気よく頷く一行。
そんな面々を見渡してから、ヤマトも微妙な心境を隠せないまま、神妙に頷くのだった。