第122話
真っ二つに割れた仮面が、顔から剥がれて地面へ落下する。きっと、ヒカルの攻撃の余波に耐えきれなかったのだろう。
物悲しく揺れる仮面の破片を見下ろしてから、ヤマトは正面のヒカルに向き直る。
「どうして正体を隠していたんだ、ヤマト?」
「その方が面白そうかと思ってな」
親に悪戯が露見した子供の心境というやつは、こういうものなのかもしれない。
そんな益体もないことを思いながら、ヤマトは口を開いた。
「勝ちが約束された戦いなど、面白くはなかろう?」
「……はぁ。まぁ確かに、ヤマトらしいのかもしれないか。ノアも一枚噛んでいるんだろう?」
「よく分かったな」
何か別のことを言おうとしていた雰囲気だったが、ヒカルは諦めたように溜め息を漏らす。いい加減、友人づき合いも長くなってきた。ヤマトとノアがこういう人間だということを、ヒカルも理解していたのだろう。
一気に緊張感が抜けた様子で、ヒカルは肩をすくめた。
「ヤマト、もう降参してくれないか?」
「ほぅ?」
「傷も完治したわけじゃないんだろう? これ以上無理する必要もないじゃないか」
それはまあ、その通りではあるのだが。
ヤマトの胸中に、モヤッと黒い感情が湧き出る。
「生憎と、俺はまだ五体満足なのでな」
「もう勝負はついただろう?」
「ふむ」
きっと、ヒカルは悪意なしにその言葉を吐いているのだろう。それが分かる程度には、ヤマトもヒカルという人間のことが理解できてきた。
冷静にこの場を見てみる。ここまでの戦いで、多少の消耗はあれども万全に近いヒカルに対して、相方のアスラは脱落し、ヤマト自身も攻撃を受けて消耗している。確かに、不利状況ではある――が、詰んではいない。
ヤマトから見て、勝ちの目は確かに薄れてきているだろう。それでも、目が潰えたわけではない。身体は十全に動いてくれるし、得物も問題ない。
そんな状況で、敗北を認めて降参する?
(――笑止)
もしかしたら、意固地になっているのか。これまで鍛錬してきたという自負が、少し前まで素人だったヒカルに敗北するという結果を認めず、降参するという選択肢を取らせまいとしているのかもしれない。
そのことを自覚しながらも、ヤマトは素直に勝負を諦める気分にはならなかった。
木刀を正眼に構えて、整息する。
「……何のつもりだ?」
「見れば分かるだろう?」
「勝負はついた。こちらの勝ちだ」
「さてな。俺は馬鹿らしいから、そんなことは分からん」
結果が予想できたから早くに降参するという賢しい真似が、ヤマトにできるものか。
生まれて物心ついてから今に至るまで、ヤマトはただひたすらに刀を振り続けてきた。そんな男にできることは、これまでと同じように、我武者羅に刀を振ることだけだ。
「構えろ。続けるぞ」
「頑固者め」
「今更だな」
敗色濃厚。だからと言って諦める選択肢は、ヤマトの中にはない。
それに。
(舐めてくれるな)
その感情こそが、ヤマトを一番強く衝き動かしているのかもしれない。
確かに、冷静に場を俯瞰すれば、ヒカルは優勢だ。時空の加護を駆使した攻めをいなすことができず、ヤマトは相当な被害を出した。ヒカルは特に消耗もせず、先程の攻め程度ならば幾らでも放てるのだろう。
だからと言って、ヒカルが知った顔で勝利を確信している姿は、我慢ならなかった。
「ふぅ――」
ゆえに、これはただの意地っ張りなのだろう。
ヒカルに舐められることが我慢ならず、どうにかして意地を通してやろうとムキになっている。そんな子供じみた衝動に動かされているのが、ヤマトという男だ。
「……仕方ない。すぐに終わらせるぞ」
「そうか」
疲れたように溜め息を漏らしたヒカルだったが、次の瞬間に、再び呆れるほどの闘気を放つ。
ビリビリと肌が痺れるほどの威圧を前にしながら、ヤマトの頭は高速で回転する。
(一番の障害は、転移の力か)
文字通りの一瞬で転移を行い、人の認識外から強力な攻撃を放つ。味方からすれば頼れることこの上ない力だが、敵として相対した場合、理不尽だという感情が先に立つ。
だが、泣き言ばかり漏らしていても、何も始まらない。
(どこかに突破口はないのか)
癖と言い換えてもいいだろう。
行使しているヒカルも自覚できていないような、転移を行う際の癖。それを把握することができれば、ヤマトにも対処はできるかもしれない。
全身全霊をもってヒカルに意識を集中させる。どんなに僅かな動きも見落とすまいと、目を凝らす。
(――来る)
唐突に、それを直感する。
その本能に逆らうことなく、ヤマトは前方へ身体を投げ出す。地を転がり体勢を立て直しながら、背中側の方を見やる。
「避けた!?」
ヤマトがつい先程まで立っていた場所の、すぐ後ろ。聖剣を空振った姿勢のヒカルが立っていた。
相変わらずの無茶苦茶な力だ。まるで反応することができないし、転移先を予想することも困難。
「――いや、違う」
反応できない? それは違う。
現に、今のヤマトは確かにヒカルの転移に反応していた。半ば直感に等しいものではあったが、反応できたことに違いはない。だが、その原理が分からない。
(……ノアだったら)
ヤマトの相方たるノアだったら、どう考えるのだろう。
一瞬だけ貴賓席の方へ意識を飛ばす。その刹那、天啓のような閃きがヤマトの脳裏をよぎる。
「意識、視線……?」
思わず、ヒカルの顔面を見やる。
相変わらずの鉄仮面で覆われたそこからは、表情を読み取ることはできない。僅かに開けられた穴から、冷静な光を宿すヒカルの瞳が覗けた。
(試す価値はあるか)
木刀を正眼に構えて、ヒカルに向き直る。同時に、意識を集中させて“それ”を探る。
“それ”はヤマトの胸元を這い回り、木刀の切っ先を捉え、呼吸を捉える。ヤマトとヒカルの間をさっと巡った後に――
「そこッ!」
「くっ!?」
左斜め後ろ方向。
そちら目掛けて、ヤマトは木刀を突き込んだ。同時に手へ返ってくる硬い感触に、確かな手応えを得る。
続け様に追撃を繰り出そうとして、“それ”がヤマトの身体を外れたことを察知して、手を止める。
直後に、ヒカルの身体はかき消えて、ヤマトから遠く離れたところに現れる。
(どうにか、成功してくれたか)
結局、ヒカルに痛打を与えることはできなかった。だが、転移を破る一手は探り出せた。
そのことに会心の笑みを浮かべながら、ヤマトは再び木刀を構える。
「……なぜ」
「今答える義理はないな」
戸惑いの様子を隠せないヒカルを突き放すように、言葉を放つ。
ヒカルの転移を察知できた理由。それは、実のところ非常に単純明快だった。
(兜が邪魔になるかと思ったが、上手くいったな)
“それ”とはすなわち、視線のことだ。
人は普段、無意識の内に視線を動かす。思考の動きに応じて視線は彷徨い、分かる者からすれば、それは表情の変化以上に分かりやすい印となってくれる。ヒカルについて言うならば、彼女は転移をする直前に、必ず転移先へ視線を向けている。兜に紛れて分かりづらくはなっているが、まだ察知できるレベルだ。
相手の視線と呼吸から狙いを読み取る。突き詰めれば、それは未来予知にも似た力を発揮してくれると言う。
「来ないのか?」
「く……っ」
ヤマトの言葉に、ヒカルは僅かにたじろぐ。
まだ一回だけ対処してみせただけ。それでも、ヒカルの胸中には一つの疑念が生じたはずだ。すなわち、転移を完全に対処されてしまったのではないかという恐れだ。それが、ヒカルから平静を奪い取り、思考を空回りする。
時空の加護による優位性。それは既に、失われたと見ていい。状況は五分だ。
(ここからが、正念場だな)
沸き立つ心を鎮めるように、ヤマトはそう心の中で呟く。
転移を封じる手を出せた。その影響は計り知れないが、逆に言うならば、対策を一つ編み出しただけだ。未だ、ヒカルを封殺できるには程遠い。
加護による身体強化をひたすら押しつける戦法に出たら? 未来視の力は、今のヤマトにも充分以上に脅威的だ。その中で繰り出される転移に、果たして反応できるのか。聖剣の力は?
幾つもの恐れが心の中に浮かぶ。同時に、熱い闘争心が湧き出る。
(これでこそ、面白い――)
約束された勝利などない。
互いが打てる手を模索し、勝利目掛けて全力を尽くす。それこそが戦いの醍醐味であり、ヤマトが心惹かれるもの。一瞬たりとも気を抜けず、ギリギリの綱渡りを延々とやらされるような緊張感。
あぁ、これでこそ面白い。
ジリジリと陽光が照りつける中、ヤマトは薄っすらと笑みを零した。