第120話
観客の熱気に包まれた中、白熱する決勝戦が繰り広げられていた。
ヤマトは己の死力を尽くしながら、時空の加護を宿した勇者ヒカルを相手に、一歩も引かない戦いを演じていた。他方の相方アスラも、過去数年の大会覇者たるゴルドを相手に、白熱した戦いを繰り広げていた――はずだった。
「何だこれは……?」
思わず、ヤマトは自分の目を疑う。
幾分か疲弊した様子ながらも、アスラはゴルドを追い詰めたらしい。膝をつくゴルドを見下ろし、荒い息を吐いていた。対するゴルドの方は手酷く敗れたのか、今にも崩れ落ちそうな様子でいた。
そこまではいい。そこまではいいのだが――。
『立って! ゴルドさん!!』
『あんたはここで敗けるような奴じゃないだろ!!』
『ゴルド! お前の戦い振りを、俺たちに見せてくれよ!!』
観客席から立ち昇る、ゴルド一人を目掛けた声援。一人二人というレベルではない。会場中が示し合わせたかのように、ゴルド一人に過剰なほどの声援を送っていた。全員が、ゴルドの勝利だけを願っているかのような有様だ。実際に、試合相手としてゴルドと戦っていたアスラには、罵倒にも似た声が浴びせかけられている。
正直、何が起こっているのかが分からない。これまでの観客は、どちらか片方に肩入れすることはあっても、ゴルド一人にこうも熱狂的な素振りは見せていなかったはずだ。
(気味が悪い)
仮面の下で、顔をしかめる。
そんな心地はヒカルの方も同様だったらしく、思わず刀を下ろしたヤマトを前に、聖剣を構えることなくコロシアムを見渡している。そして、一言。
「妙な力が働いているのか?」
「力だと?」
「確信はない。が、微かに魔力の気配を感じる」
ヤマトに魔導適性はないから、ヒカルの言葉を丸っきり感じ取ることはできなかった。それでも、コロシアムが異様な雰囲気に包まれていることは、否応なく理解させられた。
「む?」
熱狂する声援の中、ゆっくりとゴルドが身体を起こしていた。
顔色は悪く、膝も笑っている。満身創痍とまでは行かずとも、普通に考えれば休むべき体調のように見える。
それはアスラも同意見だったようで、拳の構えを解いて戸惑いの表情を浮かべていた。
「あなたは、どうして」
「敗けられない……! 俺には、守らなきゃいけないものがあるんだ! ここで、敗けるわけにはいかないッ!!」
そんな、雄叫びにも等しい叫びを、たじろぐアスラ目掛けて叩きつけた。
直後に、空気をビリビリと震わせる大歓声が響き渡る。これまでも相当な熱に包まれていた会場だが、今この場を渦巻いている熱気は、それとは比べ物にならないほどに大きい。そして、その全てが一点に――ゴルドに向いている。
それだけならば、まだよかっただろう。相手が応援されているからといって動きが変わるほど、アスラは柔な男ではない。――だが。
『さっさとそんな奴、倒しちまえよ!』
『ゴルドさんは、背負ってるものがあるんだ! お前が戦っていい人じゃねえんだぞ!!』
『さっさと棄権しろ棄権! ゴルドさんの手を煩わせるんじゃねえよ!!』
アスラへ飛び交う、罵詈雑言の嵐。ゴルドを盛大に応援していた反動なのか、人の悪意が容赦なくアスラに叩きつけられていた。
「―――っ」
応援されていない程度ならば、幾らでも流すことができたのだろう。だが、こうも直接的に突きつけられた悪意を前にして、アスラは顔色を悪くさせていた。
とても聞くに耐えない醜い言葉の波に、不快感が込み上げる。
(司会は何をやっている?)
苛立ち混じりで司会席を見やったヤマトは、即座に後悔する。
『ゴルド選手立ち上がったぁぁあああッッッ!! 対するアスラ選手、ゴルド選手の気迫を前にタジタジです! もはや勝負は決まったも同然かぁッ!?』
「醜いな」
溜め息が漏れる。苛立ちのあまりに、ギリッと奥歯を噛み締める。手元にあった木刀の柄を握り込んだところで、ふと我に返る。
この会場の空気は、明らかに異質だ。数十秒前までの健全な空気はどこへやら、ゴルド以外の人ならば幾らでも傷つけても構わないと言うかのように、全員が攻撃的になっている。このまま放置していては、ゴミを投げつけられかねないほどに、最悪な雰囲気。――だが、問題はそこではない。
(いつからだ?)
ヤマトの胸に、一つの疑問が浮かぶ。
全く脈絡なく悪意を剥き出しにする観客に、彼らの声援を一身に背負うゴルド。その構図は、いったいいつ作られたものなのか、まるで覚えがない。少なくとも、開戦時にはなかった空気だ。加えて、その唐突な変化に、自分が少しも疑念を抱いていなかった。ただ闇雲に苛立ちを募らせていただけだ。
「これは――」
何かが起こった。
その確信と共に、ヤマトは観客席を見渡す。
席から立ち上がり、顔を紅潮させながら罵詈雑言を浴びせる者が多数。ごく僅かに理性を保っているらしい者もいるが、全員が萎縮した様子で縮こまっているのが見える。
(あいつは――ノアはどこにいる?)
観客席の中でも、もっとも高い場所に作られた区画――貴賓席。そこの隅の席に、ノアが腰掛けているのが目に入る。心なしか真剣な面持ちで辺りを見渡していたノアの方も、ヤマトの視線に気がついたらしい。
遠目で、コクリと小さく頷くのが見える。
(やはり、そういうことなのか?)
間違いであってほしいという願いを秘めながら、ヤマトは心を落ち着かせていく。
生まれつき、ヤマトに魔導適性は皆無だ。常人なら感じ取れるレベルの魔力も感じられず、無論動かすこともできない。それでも、丸っきり感知できないわけでもない。
「心頭滅却――」
体内を巡る気を意識しながら、目を開く。
薄っすらと辺りを漂う魔力。その中に、見るからに異質なものが紛れ込んでいることに気がつく。――そして、その発生源も。
「やはり、か」
「何?」
相対していたヒカルが、ヤマトの漏らした言葉に反応する。
それには答えないまま、ヤマトは呆然と立ち尽くすアスラの元へ歩を進めた。
「アスラ」
「―――っ!? ヤマトさん、これはいったい……?」
「知らん。が、不愉快なことに違いはない」
不愉快。――あぁそうだ、不愉快だ。
胸の奥で燻る苛立ちの炎を自覚しながら、ヤマトはアスラの肩を叩いた。
「ヒカルを足止めしてくれ。俺が片づける」
「それは、ですがっ!?」
「すぐに終わることだ」
それ以上の問答は無用とばかりに、言葉を切り上げる。
アスラに代わって前へ出た途端に、会場中から視線が投げかけられるのを感じ取る。一周回って清々しい気分になるほどに、悪意しか感じられない視線の雨嵐だ。
『何だあいつ』
『いきなり出しゃばってきたな』
『お前もとっととそこから失せろ!!』
一人の男の叫びを皮切りに、会場が再び沸き立つ。
それを目前にしたヤマトは、木刀を抜き払う。
「―――」
「俺の相手は、お前か?」
「それが?」
「誰が相手でも関係ねぇ。俺には、やらなきゃいけねえことがあるんだ。敗けてられねえんだよ……!!」
やらなくてはいけないこと。
優勝賞金で孤児院を経営することだろうか。その心意気は、確かに立派だと思うが。
「知ったことではない」
「は?」
「貴様の事情など、知ったことではない。興味もない。敗けてやる道理もない。喚く暇があったら、その拳を構えたらどうだ」
矢継ぎ早なヤマトの言葉に、ゴルドがたじろぐ素振りを見せる。
「お前、何を」
「俺も戦士の端くれだ。戦術に汚いも潔いもないと承知はしているが、な。――その技は、流石に許容しがたい」
「……まさか」
ゴルドの表情が、一瞬だけ恐ろしいほどに険しくなる。
それで、ヤマトは改めて確信を得た。
「その汚い魔力を仕舞ったらどうだ?」
「気づいたのか」
「気づかれないと思ったのか」
言い返せば、憎々しげにゴルドは表情を歪める。
対するヤマトは、静かに溜め息を漏らした。
コロシアム中の観客が一丸となってゴルドを応援し、対戦相手を罵倒する。そのタネは単純明快。ゴルドによる、精神誘導の結果だ。ヤマトは咄嗟に気がつくことができなかったが、魔導術の力も関わっているのだろう。思考を誘導され刺激された観客は、見事なまでにゴルドの思い通りに動き、対戦相手だったアスラを攻撃した。
人というのは、存外に分かりやすい生き物だ。他人に応援されているとあれば、いつも以上によく動くことができ。逆に、他人から貶される中では、普段の半分ほどの力も発揮できない。
そのことを、ゴルドは充分以上に理解していた。
(あのままアスラに任せていたら、あるいは)
アスラは敗北していただろう。
存外、アスラの師匠だったシュナも、この方法で倒されたのかもしれない。
とても許容できないとは言え、見事な手際だ。それは認めざるを得ない。きっと、事前に入念な準備もしてきたのだろう。その根気は称賛に値する。だが、それを看破された以上、ゴルドに打てる手はない。どんなに観客を煽ってみせたところで、すぐ目の前に対峙するヤマトの動きを止めることは、もはや叶わない。
そのことを感じ取ったのか、ゴルドの身体から力が抜け落ちる。どこか憑き物が落ちたような表情をしているから、彼自身、自分のやっていることに罪悪感を抱いていたのかもしれない。
もはやゴルドに戦意はない。このまま首元に刀を突きつければ、それでヤマトの勝利だ。――だが。
(気に入らん)
そんなゴルドの姿が、ひどく癪に障った。勝利への執着を失い、敗北を受け入れた姿は、先程までのゴルド以上にヤマトの苛立ちを加速させる。
ヤマトは首を横に振りながら、口を開いた。
「つまらない男だ」
「何だと?」
「今ここにあるのは、俺とお前の試合だ。そこに余人を交えるなど、無粋の極み。そう言っている」
「………」
「結局、自身の力では到底勝てないと、とっくに諦めていたのだろう? 話にならん」
「……お前に何が分かる!!」
「知らん。興味もない」
孤児院経営のため? 孤児を救うため? この街の治安をよくするため?
ゴルドがどんな信念を抱いて、その行為に手を染めていたのか。幾つかの予想がヤマトの胸によぎるが、全て切り捨てる。――全く、関係のないことだ。
「もし、貴様も武道家の端くれというのなら」
言いながら、闘気をゴルドに叩きつける。
「拳を構えろ。勝利を渇望しろ。それすらできない者に、ここに立つ資格はない」
その言葉に、ゴルドは目を伏せた。
ゴルドにどんな過去があったのか、どんな事情があったのかは知らない。だが、ゴルドの身体つきを見れば、彼が本気で武に取り組んでいたことは分かる。あれは、並大抵の努力では手に入れられないものだ。文字通り、血の滲むような思いを続けて鍛錬に取り組む。そんな過去が、ゴルドにもあったはずだ。
そんなヤマトの推測が正しかったのか、それを確かめることはできないが。
「―――」
顔を上げたゴルドが、拳を構える。ヤマトの叩きつけた闘気に顔色を悪くさせながらも、瞳にしっかりと闘志をみなぎらせている。
(幾分かマシな表情になったか?)
真剣なゴルドの表情を見て、ヤマトは小さく頷く。――だが、それもまだまだ甘い。
きっと、ゴルドの中には劣等感にも似たものがこびりついているのだろう。戦意を固めた風体となった今でさえ、彼は無意識の内に、ヤマトに勝つことを諦めている。
(負け癖がついているな)
それを見抜きながら、ヤマトは「ふん」と鼻を鳴らす。
慢性的な負け癖の対処は、ひどく厄介だ。一度勝利した程度では自分を信じることはできず、次の敗北で再び心が闇に閉ざされる。時間と共に解決する類のものなのかもしれないが、更に悪化するかもしれない。
そんなことを思い浮かべながら、木刀を正眼に構えた。
「貴様に、敗けを刻んでやる。これまでの敗けが気にならなくなるほどの、決定的な敗北だ」
「舐めるなよッ!!」
ゴルドが踏み出す。確かに鍛錬を詰んできたのだろう、合理的な歩法に、理想的な構え。力の入れ具合も素晴らしく、まともに喰らえば大打撃を受けるだろう。
それを前にしながら、ヤマトの意識は池の水面のように凪いでいく。心地よい静寂の中、ゴルドの動きが手に取るように見えた。
「――眠れ」
踏み込みながら、木刀を一閃する。
会場が、一瞬で静寂に包まれるような錯覚。どこかスッキリとした表情で、ゴルドが倒れ込む姿を、ヤマトは見届けた。