第119話
『――皆様お待ちかね! いよいよ、本大会の決勝戦が始まりますッ!!』
既に聞き慣れた司会の声が、コロシアムを目前にしたヤマトとアスラの耳に届いた。
直後に、大歓声が湧き起こる。空気や地面がビリビリと震えて、控えているヤマトたちの腹の奥までもが揺れる。
「いよいよか」
この戦いが終われば、二日に渡って続いた武術大会が終了する。街中が選手の話題一色になり、戦士たちが誇らしい顔で通りを歩く二日間も、これで終わりだ。
名残惜しいような気持ちが胸の奥から込み上げてくるが、ぐっと飲み込む。
(今はそれどころではないな)
ヤマトたちが控えている入り口の反対側、そこにいるだろう二人の姿を空想して、目つきを鋭くさせる。
ヤマトが相手取る必要があるのは、ヒカルだ。魔王征伐の任を背負って大陸を旅する、教会認定の今代勇者だ。その実力は折り紙つきであり、弱点だった戦闘経験の浅さも、度重なる修羅場を乗り越えたことで克服しつつある。間違いなく、これまで相対した誰よりも難敵となるだろう。
『東口より、ナナシ選手とアスラ選手の入場です!!』
そのアナウンスと共に、先導していたスタッフの男が手招きをする。
コロシアムから溢れ出す熱気を前に、思わず顔をしかめた。
「……よし」
腰元に握り慣れた木刀が下げられているのを確かめてから、ヤマトは前へ足を踏み出した。
コロシアムへ出た瞬間、降り注ぐ陽光に目が眩む。思わず立ち止まったところで、向かい側に既にヒカルとゴルドの姿があることに気がつく。
(流石に、観客はあちら寄りか)
相変わらず気後れしてしまうほどの声援だが、彼らの視線は相手側に向いているらしい。それを知った途端に、ふっと心が軽くなるのを感じる。
(我ながら、現金なものだな)
とは言え、緊張で身体が凝り固まっているよりは、余程マシだろう。
深呼吸をして身体から力を抜きながら、視界の先に立っているヒカルへ視線を投げる。
(気づかれてはいないようだな)
ノアがどこかから調達してきた仮面には、認識阻害の魔導術が付与されているらしい。事実、レレイやリーシャにも、刃を交えた段階で即座に露見したものの、ある程度正体を隠すことには成功していた。今こうして対峙しているヒカルも、ナナシの正体がヤマトだと気づいた様子はなく、緊張を滲ませた様子で立っている。
「ふぅ――」
整息。
慣れない環境でざわついていた心が落ち着きを取り戻し、視界に映る情報量が増えていく。色鮮やかになった世界の中で、腰元の木刀を抜き払った。
「うん……?」
その刀身を見やったヒカルが、何かに気がついたような素振りを見せる。が、今はそれどころではないと思い直したのか。小さく首を横に振って、正面へ視線を戻す。
『それではこれより、決勝戦を開始します! 皆様、準備はよろしいですかぁッ!?』
そんな司会の煽りと同時に、観客席から湧き起こる歓声がコロシアムを揺らす。武術家たちに、それほど多くの人々が注目してくれていることに、僅かな嬉しさを覚える。
「アスラ。打ち合わせ通りに」
「分かりました。そちらもお気をつけて」
小声でアスラに話しかければ、強い決意を秘めた瞳で、アスラは頷き返してくれる。
ヒカルの相方であるゴルド――ここ数年の武術大会連覇を果たしている、本大会のヒーローとでも言うべき男だ。彼からも得体の知れない強さが感じられるものの、だからと言ってヒカルから目を離すことは許されない。ゴルドへの対処は、アスラに一任する他ないだろう。
『泣いても笑っても最終試合! この戦いを制したペアが、本大会の覇者となります!! それでは――試合開始ッッッ!!』
そのかけ声と同時に、鐘の音がコロシアムに響き渡る。
歓声が湧き起こる中、ヤマトはぐっと腰を沈める。
(先手を取らせるのは愚の骨頂。ならば――)
木刀を下段に構えながら、踏み出す。同時に、ヒカルへ殺気を叩きつける。――挑戦状だ。
ヒカルもそれに気がついたらしい。ヤマトとアスラの間で彷徨わせていた視線を、ヤマトに固定させる。同時に、身体から闘気が溢れ出す。
「―――っ!?」
思わず、身体が武者震いを起こす。
敵として相対したのは、グラド王国で開かれた武術大会以来か。そのときと比べると、今のヒカルは見て明らかなほどにレベルを上げている。今ヤマトに叩きつけられる闘気一つ取ってみても、もはや歴戦の戦士と言って差し支えないほどに濃密なものだ。当時は一応接戦を演じることができたが、今はどれだけ喰い下がれるだろうか。
(否――喰い下がってみせるとしようか)
これでも、戦士の先達としての意地のようなものはある。幾ら時空の加護が強大なものであろうとも、そう簡単に勝利を掴ませはしない。
木刀の切っ先が地面を這うほどの、低い構えから。膝を曲げ、前進する力を上方へ打ち上げる。
「速いっ!?」
「『蛇咬』」
蛇の牙に見立てられる斬撃が、低空を潜り抜けてヒカルへ飛び込む。
通常は上段から振り下ろされる斬撃に対し、低空から繰り出す高速の斬撃。初見での対処は難しく、人として当たり前の思考を持つならば、どうしても後手に回らざるを得ない。その例に漏れず、ヒカルも咄嗟にバックステップを選択した。
加護による身体強化も相まって、一気に間合いが離れる。このまま仕切り直しへ持ち込まれては、素の能力で劣るヤマトにとっては、苦しい展開となる。――ゆえに。
「シ――ッ!」
「くっ!?」
更に深く、踏み込む。
下段から木刀を跳ね上げた勢いを、殺さず前方へ転換。更に加速する中、グルリと回した木刀を胴の脇に添え、身体を捻る。
ヒカルが相手だ。元より油断などはどこにもないし、持てる力は全て出し切るくらいの気負いでいる。
「秘技――『疾風』」
気を刀身にまとわせて、一気に振り抜く。
直後に無数の鎌鼬が空を走り、ヒカルの身体へ襲い来る。
「ちぃっ!」
対するヒカルは、口惜しそうな声を漏らしながら更にバックステップ。同時に、魔力をまとわせた聖剣で空を薙ぎ払う。可視化されるほどに濃縮された魔力の波が、空を舞う鎌鼬を一気に吹き飛ばしていく。
(収束が甘かったか?)
鞘を使わなかったがゆえに、気の練りが甘くなっていたのかもしれない。
苦々しい思いになりながらも、それを即座に払拭する。一瞬でも動きを鈍らせる余裕は、今のヤマトにはない。
凄まじい威圧を放つ魔力の波を潜り抜け、更に前進。木刀を身体の脇に寄せ、切っ先はヒカルの胸元へ。
「ふっ!」
一息漏らすのと同時に、三撃の刺突を一思いに放つ。胸元、右肩、脇腹を撃ち抜いた確かな手応え。
だが、ヒカルは動きを鈍らせない。攻撃を受けたことなどなかったかのように、聖剣を上段へ振り上げる。
「悪く思うな」
「くっ!?」
流石に、引かざるを得ない。
咄嗟にバックステップしようとしたところで、ヒカルが深く踏み込む。直後に、嫌な予感がヤマトの脳裏を駆け巡る。
「ふんっ!!」
ヒカルの足が地面を踏み鳴らした途端に、魔力の波が溢れ出して大地を揺らす。魔導術の形を取ってすらいない、純粋に魔力を使った力技だ。
後ろへ飛ぼうとしていたヤマトは、地揺れに足を取られる。グラリと姿勢が崩れる中、万全の体勢で聖剣を構えるヒカルの姿が目に映った。
「終いだ」
「――『柳枝』!」
咄嗟に姿勢を正そうとする力を抜き、全身を柔らかく保つ。振り下ろされた聖剣を目前に、木刀を盾のように構えた。
聖剣の刃が触れる。同時に、思わず膝をつきたくなるほどの重い衝撃が、ヤマトの身体を打ちつけた。
「ぉぉおおおッ!!」
気合いの声を上げる。
ギシギシと悲鳴を上げる身体を無視して、木刀を傾ける。ヤマトの身体の中心を捉えていた聖剣が、徐々に木刀の刀身を削りながら、横へ滑り落ちていく。
我慢のときは、どれほど続いていたのだろうか。数分ほどにも感じられたやり取りの末に、ヒカルの聖剣が横へずらされ、ヤマトの真横の地面に突き刺さる。
「なっ!?」
驚愕の声を上げるヒカル。明確な隙が生まれているが、それを突けるほどの余裕は今のヤマトにはない。
即座にバックステップして、間合いを離す。
「はぁ――っ」
一息漏らしたところで、身体が悲鳴を上げていることに意識が向く。直接確かめるようなことはしないが、傷口の幾つかが開いているかもしれない。ジクジクと鈍い痛みが身体中を駆ける。
本当ならば、即座に攻めへ転じなければならないのだが、今は身体が休息を求めていた。
荒く息を吐くヤマトに対して、ヒカルはゆっくりと姿勢を正す。消耗した様子はない上に、より気を研ぎ澄ませているようにすら見える。
(これは、参ったな)
正直、想定以上だった。
このままヤマト一人でヒカルを抑え続けるのは、はっきり難しいと言わざるを得ない。早くも、アスラの援護が欲しくなってきたところだ。
そんなことを思いながら、アスラとゴルドの戦いへ視線を飛ばしたヤマトは、思わず自身の目を疑った。
「何だこれは……?」