第117話
「シ――ッ!」
「甘いっ!!」
横薙ぎに振り抜いた木刀を、リーシャは手にした長剣で下から跳ね上げた。そのままの勢いで袈裟懸けに襲い来る刃を前に、バックステップで距離を取りながら、ヤマトは胸中に焦燥感が募るのを自覚していた。
(押し切れない……っ!!)
リーシャは剣術も高いレベルで使いこなすものの、最大の武器と言えるものは魔導術だろう。魔力適性が皆無なヤマトからすれば、矢継ぎ早に魔導術を繰り出されるだけでも苦戦必至――否、それだけで詰んでしまう可能性すらある。ゆえに、ここまでの戦いではリーシャに魔導術を使わせないことを念頭に、攻めを絶えさせない戦い方をしていた。
だが、押し切れない。
(詰め方を誤ったか?)
ヤマトの胸中に暗雲が立ち込める。
ヤマトは体力をほとんど消耗していないが、それはリーシャも同様だ。それだけを取り出せば、時間を浪費しただけで、戦況に差し支えはないと思えるだろう。
だが、これはチーム戦だ。
「くっ!?」
「まだまだ行くぞ!!」
背中越しに、アスラとレレイが争っている声が聞こえる。苦悶の声を上げているのがアスラで、それを攻め立てるのがリーシャだ。微かな期待を抱いていたものの、二人の戦いはレレイの優勢に進んでいるらしい。
連携面での勝利を難しいと断じたからこそ、それぞれで一対一を立ち回る方針に決めていたのだが。判断を誤っただろうか。
(いや――)
その疑心を、ヤマトは内心で否定した。
元々、この戦いは苦労するだろうと予想はできていた。それは、ヤマトとアスラの連携面が拙いことも一因だが、それ以上に、レレイとリーシャのペアの総合力が高いことが理由だ。およそ全てのタイプの相手に対応できるだけの地力が、このペアには備わっている。
基礎力で劣り、対応力でも劣る。そもそものペアとしての力だけを見るならば、ヤマトたちが勝てる相手ではない。――ゆえに、奇策に転じる必要があった。
(無理を通す他ないか)
なまじレレイへの幻惑が通用したから、いらない欲が出たのかもしれない。
今のヤマトが取るべき行動は、泥臭く外面が悪い戦い方であろうとも、強引に勝利をもぎ取ることだ。
「ふぅん?」
ヤマトから放たれる気配が変容したのを感じたのだろう。リーシャは面白そうに声を漏らし、口端を上げる。
「何かやるつもり?」
「無理を通す。それまでだ」
答えながら、木刀を上段に構える。守りをある程度妥協する代償に、攻めへ特化する構え。
それを見て、何かに気がついたのか。リーシャは眉をひそめて、口を開こうとする。
「あなた――」
「行くぞ」
言葉の先を制するように、ヤマトは踏み込む。
何かを言いたげな様子のリーシャだったが、ひとまずは言葉を飲み込むことにしたらしい。目つきを鋭くさせながら、バックステップで距離を取ろうとする。レレイがアスラを倒すまで、徹底して時間稼ぎに走るつもりなのか。
(賢い選択だが)
当たり前のことだが、人の身体は後退するよりも前進するのに適している。
すぐに距離を詰め、刀の間合いにリーシャを捉えた。普通ならば、ここで刀を振ってしまうのがもっとも効率的であり、安全な手だが。
更にもう一歩、深く踏み込む。
「なっ!?」
斬撃をいなす心算だったのだろう。至近距離まで肉薄したヤマトを前に、リーシャは驚愕の声を漏らす。
もしもリーシャが攻めに転じていたら、ヤマトは為す術なく斬られたところだった。防御一辺倒な傾向を読み取った上での、賭けに近い行為だったが。
(通ってくれたか)
安堵の息を漏らしそうになるが、まだ気を抜いていい状況ではない。
密着にほど近い間合いならば、刀を振るよりも拳を振った方が速い。その判断に従って、ヤマトは半身になり、
「ふんっ!!」
「くぅ!?」
肩を前方へ突き出し、体当たりをかます。
駆ける勢いと体重を乗せたぶちかましを胸元に受けたリーシャは、苦悶の声を上げながら、上体を泳がせる。
(入りが甘かったか!?)
体勢を崩しながらも転倒しなかったリーシャに、ヤマトは思わず歯噛みする。だが、今はその瞬間すらも惜しい。
ヤマト自身も乱れる体勢の中、木刀を脇の傍に寄せる。身体を捻らせ、腕を丸ごと鞭のように見立て、脳裏に竜の尾を描く。
「『竜尾』」
「―――っ!?」
リーシャは声にならない悲鳴を上げながら、長剣を縦に構える。受け止めるつもりか。
(ならば――)
即座に方針を変更し、横薙ぎの一撃をすくい上げるように上方へ。竜の尾を思わせる威力の一撃を、リーシャの剣を撫でるように上空へ放つ。
予期せぬ方向に力をかけられて、リーシャの手から長剣が離れる。
「なっ!?」
陽光に煌めきながら、剣が空を舞う。
リーシャがそれに意識を取られたのは一瞬。即座に気を取り直し、バックステップ。指を立てて口を開こうとする。
「甘いッ!!」
叫びながら、ヤマトはリーシャのバックステップに追いすがる。木刀を腰溜めに、切っ先は真っ直ぐリーシャへ。
ここで慢心して距離を取られていたら、魔導術に嬲られていたことだろう。だが、今の間合いにまで至ったならば、流石に魔導術は効果を持たない。それを悟って、リーシャは立てていた指をそっと下ろした。
背筋を伝う冷や汗を自覚しながら、ヤマトはリーシャの喉元に木刀を突きつける。誰の目にも明確な、詰みの形。
『――おおっと! 激しい剣戟の末、ナナシ選手がリーシャ選手を下しましたぁッッッ!!』
司会の男が叫び、観客席から歓声が立ち昇る。
身体に重い疲労感を覚えながら、ヤマトは木刀を下ろす。まだ試合は終わっていないが、一息入れないことには動けそうにもなかった。
「見事ね、ヤマト」
「うむ」
晴れ晴れとした表情のリーシャに平然と返事をしてから、思わずヤマトは口をつぐむ。
「今のは、その、違う」
「ふふふっ! 言いたいことはあるけど、また後でね」
「……そうしてもらえると助かる」
朗らかに笑い声を上げるリーシャから顔を逸らして、アスラとレレイの戦いに目をやる。
アスラはよく持ち堪えているが、そろそろ苦しくなった頃合いだろう。縦横無尽かつ変幻自在なレレイの連撃を前に、防御に専念するしかなくなっている。
「レレイは強いわ。あなたも、あまり油断してると敗けるかもね?」
「知ってるさ」
もう少し休息を入れたかったが、あまり時間はない。
「今行く!」
二人へ声をかけてから、ヤマトは駆ける。
アスラは表情を明るくさせ、レレイは対照的に険しくさせる。攻撃の手が更に苛烈なものになるが、アスラは必死に凌ぐ。
「ふんっ!!」
「くっ!」
上段から木刀を振り下ろし、二人の間に割り込む。
レレイは口惜しげな声を漏らしながらバックステップをし、アスラは猛威が去ったことに安堵の息を漏らす。
「よく堪えた」
「いえ、おかげで助かりました。正直、そろそろ限界だったので」
レレイの打撃を受けたことのあるヤマトは、しみじみとアスラの言葉に同意する。
華奢な体躯であるものの、レレイは一撃一撃に全身の力を乗せる術を心得ている。ゆえに、見た目以上の破壊力を有しているのだ。下手に受け止めようとすれば、骨ごと叩き折られる未来も見える。
だが、戦況は二対一だ。アスラは消耗しているとは言え、かなり優勢になっただろう。
そのことはレレイも認めているらしく、ヤマトたちを見つめる視線が険しくなっていた。
「……リーシャが落とされるとはな。驚かされたぞ」
「少々強引に寄らせてもらった」
「なるほど。あいつは少し考えすぎるきらいがあるからな」
そうは言うものの、レレイはリーシャの実力を認めていたのだろう。傍目には外傷のないヤマトの様子に、少なからず驚いているようだ。
ヤマトの後ろで整息したアスラが、口を開く。
「状況はこちらが有利です。敗けを認めてはもらえませんか?」
「戯言だな。多少の不利程度に諦めていては、何もできまいよ」
相変わらずの凛々しい物言いに、ヤマトは内心で同意する。
場が不利か有利かで行動を変えられるほど、ヤマトもレレイも賢い人間ではない。取り柄と言えるものは、ひたすらに己を貫くことができることくらいなのだ。この程度の逆境は、諦めるかを論ずるにも値しない。
拳を構えて姿勢を低くするレレイに応えて、ヤマトも木刀を構える。
「む? そなたは――まぁ、よい」
「………」
何かに気がついた様子のレレイに、ヤマトは口を閉ざす。
「よい機会だ。私がどこまで至れるか、試させてもらうとしよう」
「来い」
アスラは後ろで何かを言いたげにしているが、努めて無視する。間合いが近しい者同士が連携を組むには、相当な鍛錬が必要だ。同時に戦うよりも、相方の苦戦に割り込み、交代するような戦術の方がいい。
ヤマトが注視する先で、レレイの姿勢がぐっと沈み込んだ。
「ふっ!!」
レレイが駆ける。
ザザの島で対峙したときと遜色ない速度だ。ヤマトの脳が錯覚を起こし、残像を浮かび上がらせる。
(やはり、視界に頼るのは厳しいか)
即座に方針を転換。目を凝らすのではなく、思考を加速させる。
レレイの速度を脳裏に描き出し、肉薄するタイミングを測る。姿勢を低くし、木刀は腰に添える。
(ここか?)
「シ――ッ!!」
「むっ!?」
高速の振り抜き。人の腰元を薙ぐ軌道で、刀を振り抜く。
その斬撃の一歩外の間合いで、レレイは足を止めた。
「ちっ!」
「寄らせてもらう!」
レレイがその俊足を駆使する戦術に転ずれば、ヤマトには分が悪い勝負になる。ゆえに、レレイが足を止めた今。この瞬間が、勝負所だ。
体勢が崩れることも厭わず、ヤマトは踏み込む。表情を険しくさせたレレイだが、その場に踏み留まることを選択したらしい。拳を構えて、重心を低く保つ。
(面白い――)
手数で劣るレレイと戦うならば、威力を重視するしかない。
木刀を上段へ構え、駆ける勢いをそのまま刀身に乗せる。
「ふんっ!!」
「甘い!」
まともに受ければ怪我は免れない一撃。
それを目前にしても動揺一つ見せず、レレイは半歩身体をずらして避ける。
(ここまでは、想定通りか)
レレイが拳を構える。
このまま防戦に回れば、ヤマトが反撃する暇はなくなるだろう。ならば、攻め続ける他に道はない。
「ハッ!」
レレイの拳が腹部を貫く。
鈍い衝撃に視界が暗み、嘔吐感が込み上げる。幾ら衝撃に備えたところで、耐えられるような打撃ではない。
(いい一撃だ。だが――)
膝を屈するほどでは、ない。
全身を駆け巡る痛みを無視しながら、更に前へ踏み込む。連撃の構えを取っていたレレイが、驚愕に目を見開くのが視界に入った。
「ぬんっ!」
「くぅ!?」
肩からぶちかましを入れる。
攻撃体勢に入っていたレレイに、それを避ける術はない。胸元を貫いた衝撃に、身体が浮いた。
受身を取れずに転倒したレレイに向けて、木刀を突きつける。
「これで終いだな」
『ナナシ選手の勢いが止まりません! レレイ選手の痛烈な一撃を前に、怯まず押し切りました!! 準決勝の勝者は、ナナシ選手とアスラ選手のペア!! 決勝進出です!!』
安堵の息を漏らすと、司会が叫ぶ声が聞こえてきた。
大歓声で会場がビリビリと震える中、木刀を腰元に収める。
尻もちをついたまま息を荒げていたレレイだが、やがて大きく息を吐くと、そのままの勢いで立ち上がる。まだまだ余力を残していそうな動きだ。
「見事だ、ヤマト」
「………」
思わず、顔に仮面が貼りついていることを確認する。
(認識阻害の効果つきと聞いていたが)
不良品ではないだろうか。
そんなことを思うヤマトに、レレイはふっと笑みを零す。
「お主の太刀筋は、もう何度も見てるからな。面妖な仮面を着けた程度で、誤魔化せるものではない」
「……そうか」
「よく見てる」と言えばいいのだろうか。
所在なさ気に視線を彷徨わせたヤマトは、リーシャが歩み寄ってくる姿を認める。
「レレイ、お疲れ様」
「リーシャか。すまんな」
「まだ精進が足りないってことよ。そう気にしなくていいわ」
ここ数日でも察してはいたが、やはり二人ともこの大会を通じて仲を深めていたらしい。レレイもリーシャも、その口調が柔らかくなっていた。
『それでは、続いて準決勝第二試合の準備に入ります! 観客の皆様は、どうかそのままお待ち下さい!』
「皆様、次の試合が始まりますので、一度控え室の方に入って下さい」
次はヒカルたちの試合だ。結果は予想できるが、控え室で応援するのがいいだろう。
駆け寄ってきたスタッフの男に首肯し、ヤマトたちはその場を後にした。