第115話
『皆様お待たせいたしましたッ!! いよいよ! いよいよ、あのゴルド選手の登場です!!』
拡声の魔導具を手にした司会が、大声を張り上げる。
直後に、熱に浮かされた観客席から大歓声が立ち昇った。ヤマトがコロシアムで試合をしていたときとは比べ物にならないほど、活気に溢れた声援だ。
「凄い人気だね」
「流石に、連覇記録の保持者は違うな」
感心したようなノアの呟きに、ヤマトも頷きながら答える。
アラハド共和国全土から大会参加者が集まるとは言っても、観客のほとんどは、首都ラードの住人ばかりだ。そんな彼らにとって、同じくラード在住で大会連覇を達成しているゴルドは、応援するにうってつけの存在なのだろう。
『東方より、ゴルド選手とヒカル選手のペアが入場します! ゴルド選手は既に大会連覇記録を保持しており、本大会の優勝候補! ペアを組むヒカル選手は、太陽教会の下で勇者として活動しています! その腕は大陸屈指のものとのこと、期待が高まります!!』
熱狂するコロシアムの中、司会に呼び出されたゴルドとヒカルが姿を現した。
ゴルドの方は流石に慣れたものなのか、歓声を上げる観客たちに手を振って応えるほどの余裕を見せている。大舞台を目前にしたにも関わらず、その佇まいから緊張の色が伺えないのも驚愕すべき点だろう。いつも通りの自然体という様子で、悠々と肩を回している。
一方のヒカルの方は、鎧兜で細かな様子は伺い知れないものの、どことなく動きが強張っているように見える。勇者として活動しているとは言え、ここまでの人の熱に当てられた経験は、そうないのだろう。落ち着きない様子で、腰元の聖剣の柄を握り締めていた。
「ふぅむ」
「ゴルドって人のこと見てるの?」
「うむ。やはり、そう腕が立つようには見えんとな」
納得いかない面持ちで首を傾げるヤマトに、ノアも神妙な様子で頷く。
「正直、見ている限りだとギズメルとガラゾって人たちの方が強そうだけど」
「それは間違ってないな」
身体つきの屈強さが違うのは無論だが、戦いへの気負いといった面についても、彼ら二人の方が戦士然としていたように思える。
だが、彼らはせいぜい初日突破で留まり、ゴルドは数年連続で大会優勝を果たしている。
「何か隠しているのかもしれんな」
「何かって?」
「さてな。聖剣のような類かもしれん」
持ち主に桁外れな膂力を付与する魔剣というのは、確かに存在している。その効果の強力さが原因で厳重に保管されているのがほとんどだが、極一部だけ、人知れず外へ出回っているものもあると聞く。そんな武具をゴルドが手にしているのならば、確かに大会連覇は果たせそうだ。
見たところ、ゴルドも己の肉体を得物とする戦士らしい。身につけているのは、動きやすそうな服を除けば、腕と脚を守護する篭手と脚甲、それに胸当て程度。それらも、極めて普通の代物のように思える。
「まぁ、見てみれば分かるかな」
ゴルドを観察する目を外しながら呟いたノアに、ヤマトは首肯する。対戦相手がどのような戦いをするかを知るのも、大会初日にやるべきことだ。
『対する西方からは、本大会初出場のペアが入場! ギギ選手とザザ選手です!!』
既にゴルドとヒカルを応援する声で一色になったコロシアムに、彼らは姿を現した。
灰色の外套で全身を覆い隠し、顔には狐を模した仮面が貼りついている。身体つきが伺えないばかりではなく、何を得物とするのかを知ることもできない。徹底して、自身らの情報を隠そうとしているようだった。
「ヤマト、見覚えはある?」
「……ふむ」
ノアの問いに、ヤマトは自分の記憶を洗い出してから、ゆっくりと首を横に振る。
「直接見たことはない」
「想像はできそう?」
「自分の武器を隠そうとするのは、一撃必殺――目撃者を出さないことを信条とする者に多い。初見殺しに特化していると言ってもいいだろう」
その言葉に首を傾げたノアは、小さく口を開く。
「暗殺者とか?」
「可能性はある」
「止めた方がいいと思う?」
「ヒカルが死ぬ心配はいらない。ゴルドについては、知らん」
ヒカルとペアを組んでいるからと言って、ヤマトが気にかけてやる必要はない。
少し困った表情を浮かべたノアも、すぐに同意するように頷く。
「それもそっか」
『それではいよいよ! ゴルド選手ヒカル選手のペア対、ギギ選手ザザ選手のペアの試合が始まります!! 皆様、準備はよろしいですかぁッッッ!!』
司会の叫び声が響くのと同時に、観客席の熱気が更に高まる。
それとは反対に、舞台には冷たい緊張感が張り詰めた。
『――試合開始ッッッ!!』
その合図と同時に、外套の男――ギギとザザが、その場から駆け出した。
「ほう」
「速いね」
速度を取り出すならば、ヤマトよりも速いだろう。
瞬く間にヒカルたちとの距離を詰めたギギとザザが、灰色の外套の中からナイフを取り出した。手に持って振るにはやや小振りな、投擲用のナイフ。
「細工済みかな?」
「恐らくは」
ノアとヤマトが呟いたことは、ヒカルとゴルドも即座に推測したらしい。
ギギとザザが放った投げナイフを、余裕をもった体捌きで避ける。剣や篭手で払い除けることもしない、安全策。ナイフは空を切り、そのままヒカルたちの背後へと抜けていく。
無論、ギギとザザはその程度のことは想定済みだったのだろう。地に這うほど体勢を低く保ちながら、ヒカルとゴルドにそれぞれ分担して肉薄する。
「見事だな」
「徹底して手元を隠してる。あれじゃあ、何をするつもりなのかが分からない」
出方が分からないというのは、それだけでも脅威となる。
表情を険しくさせたゴルドが飛び退る他方で、ヒカルはその場に仁王立ちする。堂々たる佇まいのまま、片方――ギギの攻撃を受け止めるつもりのようだ。
「大胆だね」
「冷静な判断だ」
ヒカルの判断に、ヤマトは首肯する。
ギギがどんな攻撃をするつもりなのかは分からないが、外套の中に隠せる程度の暗器を――否、常識的なレベルの得物を使うのならば、ヒカルの聖鎧を貫くことは不可能だ。加えて、ヒカルには超人的な身体能力がある。下手に間合いを離して壁際に近づくよりは、この場で一気に畳み掛けるのが賢明だろう。
バックステップで戦場を移すゴルドに対して、ヒカルとギギは激突する。ザザの情報を推測するためにも、ゴルドの視線はヒカルたちの方へ向いていたようだが。
「まぁ、こうなるよね」
「当然の結果か」
至近距離へ踏み込んだギギは、外套の中から何かを取り出そうとする。――それよりも早く。ヒカルの振り抜いた拳が、ギギの腹へ突き刺さった。地を割るほど鋭い踏み込みに、迷いなくありったけの威力を乗せた拳。加減を間違えれば、即座に人の胴体が弾け飛んでいたことだろう。
貴賓席から見下ろしているヤマトたちの目からは、そこで何があったのかを正しく知ることはできない。だが、結局その一撃で、ヒカルとギギの勝負は決着したらしい。白目を剥いたギギが仰向けに倒れ、ヒカルは平然とした佇まいで、ゴルドとザザの方へ向き直る。
「ひとまず、勝負の結果は決まったわけだけど」
「ここからが本番だな」
ヒカルがギギを圧倒した以上、残されたザザがゴルドとヒカルを倒せるとは思えない。この勝負、ヒカルたちの勝利は揺るがないだろう。
後は、思い残すことがないよう、ゴルドとザザの勝負を見届けるだけ。ゴルドがどんな使い手なのかを、見定めるだけだ。
倒されたギギを振り返ることなく、一直線に突貫するザザに対して、ゴルドはようやく拳を構える。背後のスペースにはまだ余裕はあるが、いつまで退いていても仕方がないという判断だろう。
手を伸ばせば届くほどの距離まで踏み込んだところで、ザザは外套の中から腕を突き出した。しなやかな筋肉はついているものの、細い腕。黒い篭手で覆われているようだが、妙にその篭手が大きい。
「あれは……」
「仕込み篭手かな? 篭手の中に、暗器を仕込めたりするんだよ」
ノアの言葉に、ヤマトはなるほどと頷く。
それを証明するかのように、ザザが突き出した腕から、唐突にキラリと銀閃が奔った。
「針――いや、矢を仕込んでいるみたいだね」
「殺意が高いな」
拳を振るには、やや遠い間合い。それにゴルドは戸惑っていたのだろう。怪訝そうな表情を浮かべたゴルドへ、ザザの篭手から射出された矢が飛来する。
間違いなく不意討ち。虚を突かれたゴルドは、その矢に咄嗟に反応してみせるが、到底避けられる間合いでは――。
「む?」
「避けたね」
思わず、ヤマトは目を見張った。
遠目で、ゴルドの姿が一瞬ぶれたように見える。これまでの動きが嘘であったかのような高速移動で、矢の軌道上から身体を逃したのだ。
必殺の一撃を避けられたザザだが、動揺を最小限に抑え、次の手を打つ。手の中に秘めていた短刀を握り締め、そのまま横薙ぎにゴルドへ振り抜く。あまりに鮮やかな動きで、ゴルドの視点からは、突然手の中に短刀が現れたように見えたはずだ。
再び高速移動で回避したゴルドに息を吐く暇を与えず、次々に拳や膝、爪先を振り抜いていく。その尽くに凶器が仕込まれており、受け損なえばどうなるか分かったものではない。
「全身凶器か。確かに、暗殺者らしいかも」
「どちらかと言えば、奇術師のようにも見えるがな」
並大抵の戦士が、常識を持ってザザの攻撃を対処しようとすれば、秘められた刃に襲われたことだろう。およそ常道と呼ばれるものの裏をかくように、彼の連携は組み立てられていた。その裏に確かな研鑽の跡が伺えて、ヤマトは嘆息する。
だが、ゴルドはその全てを回避していく。どれも紙一重のところで、ゴルドの動きが一気に加速するのだ。その速度の切り替わりに、ザザの方が対処に困らされているようだった。
「あの動き、何だろうね? 魔力の動きは見えないけど」
「……気、か?」
自信なさそうにヤマトは呟く。
確信が持てないでいるのは、ゴルドがその動きをするのが一瞬だけなせいで、目が追いつかないからだ。直前までの緩やかな動きとのギャップが、ヤマトの脳を誤認させる。
「まあいずれにしても、見た目よりも強いのは間違いないか」
「あぁ。強いと言うよりは、上手い類の使い手だ」
身体の一部分に一瞬だけ気を這わせて、刹那の高速移動をする。それ自体はヤマトにもできる技術だが、考えついた発想力と、戦いの中での使い方が上手い。常人ならば幻惑させられるのは間違いない上に、仕掛けが判明したところで、そう容易に対処できるようなものでもない。
(これは、存外に厄介な相手だな)
チリッと、ヤマトの胸中で闘争心が火花を上げたところで。
ゴルドの拳がザザの鳩尾を打ち抜き、勝敗は決した。