第113話
ギズメルとガラゾ。
司会の男の説明によれば、大男二人組の名前はそう言うらしい。過去二回に渡って大会へ出場し、その両方で初日突破を果たしている。
(初日突破か)
このアラハド共和国で開かれる武術大会は、二日間に渡って執り行われる。参加者があまりにも多すぎるために、二日に分けなければ、とても運営できるような状況ではないのだろう。そして、初日の分を予選、二日目の分を本戦と言い分けるのが一般的だ。
過去二回の出場で、両方とも本戦出場。これだけの人数が参加している中を勝ち抜いているのだから、相当の力を持っていると見ていい。
(腕が鳴るな)
ゾクゾクッと武者震いを覚える。
右手首の動きで木刀を振り回す。やはり愛刀と比べると幾分か軽いものの、扱いやすさは同等。
「兄者……」
「あぁ。弟よ、全力で行くぞ」
ゆらりゆらりと歩を進めるヤマトに対して、ギズメルとガラゾは身構える。その気配に油断の色はなく、二人とも真剣にヤマトと相対していることが伝わってくる。
『おおっと!! ナナシ選手、ギズメル選手とガラゾ選手に対して、一対二の戦いを申し込んだ模様です! それだけの自信があるということでしょうかぁっ!!』
囃し立てるような、司会の声。
実際にヤマトを強者と見なしたわけではないだろうが、観客席は一層の盛り上がりを見せる。彼らも、波乱を予感させる展開は堪らないらしい。
(もし――)
もし、ここでヤマトが呆気なく敗北したならば。
この熱狂の只中にあるコロシアムは、瞬く間にヤマトとアスラへのブーイングに包まれるだろう。それはそれで、少し見てみたい気もするが。
(敗けてやる必要はないな)
ヤマトの目的は、ヒカルの危機感を煽ること。もっと言えば、ヒカルに勝って優勝してみせること。
ならば、ここで立ち止まっている暇はない。
「ふ――」
鋭く息を吐きながら、木刀を正眼に構える。
怪我の療養に努めていたから、こうして人と対峙するのは久し振りだ。感覚が鈍っていないかが、一瞬だけ心配になる。
「兄者、俺が前へ出る」
「おう。背中は任せておけぃ」
戦闘態勢に入ったヤマトに応じて、大男二人組も表情を改める。
弟――ギズメルが、腰を落としながら地面に両手をつく。四足歩行の獣が飛び出す寸前のような体勢だ。故郷の島国に伝わっていた、相撲を取る力士の姿が重なる。
その後方で、兄――ガラゾが、腰元に幾つもぶら下げた手斧を握りしめる。ガラゾの巨躯と比べると玩具のような小ささだが、その刃に秘められた殺傷力は相当なものだろう。
『ギズメル選手とガラゾ選手、早くも必殺の構えに入りました!! どうやら、一気に勝負を片づけるつもりのようです!! 対するナナシ選手は――木剣でしょうか? 木剣を構えています!!』
戸惑いのざわめきが、観客席から立ち昇る。
それを意識の外へ追い出して、ヤマトは二人の姿をジッと注視する。
(共に膂力に長けた戦士。連携に粗もなさそうだな)
それは、日頃から二人組で活動しているがゆえの強みなのだろう。弟のギズメルが前へ出て、兄のガラゾが後方から支援するスタイル。ちょうど、ヤマトとノアの連携にも類似している。
綿密な連携が取れる相手というのは、それだけで驚異的だ。個の力が劣っていようとも、高度な連携が組めるだけで逆転できるようになる。それは、ヤマトとノアがこれまでの戦いで証明してきたことだ。
(どうしたものか)
静かに佇んだまま、二人の様子を観察する。
ギズメルの腰が、グッと下げられた。
「行くぞぉぉおおおおッッッ!!」
コロシアムを揺るがすような叫声。同時に、ギズメルが駆け出した。
まるで大岩が転がってくるような威圧。思わず、ヤマトは仮面の下で顔をしかめる。
(正面から受け止めるのは困難。ならば――)
「うりゃぁッ!!」
ヤマトの思考を遮るように、今度はガラゾが叫ぶ。舞台を駆けるギズメルをちょうど避けるように弧を描きながら、二振りの手斧が投擲された。高速で回転する刃は、体皮を掠めただけでも重傷になりかねない威力を秘めている。
(厄介な)
心の中で毒づく。
ヤマトの逃げ道を塞ぐように放たれた、幾つもの攻撃。その全てに必殺の威力が秘められており、一歩でも対処を間違えれば、即敗北が待っている。例えギズメルとガラゾを多少上回る力量の持ち主であっても、この連携攻撃を凌ぎ切るのは困難だろう。正直、武術大会という場には不釣り合いなほどに、殺意の高い攻撃だ。
――それでも。
(嬉しいものだ)
仮面の下で、口元が弧を描く。
それだけの攻撃をしなければ勝てない。それだけの価値を、あの二人はヤマトに見出したのだ。それを誇らしく思えないで、何が武人だろうか。
大舞台での緊張を忘れて、ヤマトの心臓が高鳴る。
「ヤマトさん!?」
背中越しにアスラの叫び声を聞きながら、ヤマトは一歩前へ出る。
(弧を描く投擲。独自改良した形状のせいで、軌道が読みづらい――が、不可能ではない)
二歩と半分だけ前に出て、半身になる。
それで、投擲攻撃を完全に見切られたことを悟ったのだろう。ガラゾがその表情を驚愕に歪めるのが、ヤマトの視界に映った。
(鍛え抜いた巨躯での体当たり。単純であるがゆえに誤魔化しが利かず、強力)
瞬く間に迫るギズメルに対して、ヤマトはゆらりと木刀の切っ先を向ける。挑発するように、先端をクイッと二回上げる。
それで、ヤマトの意図は伝わったのだろう。ギズメルの目の光は剣呑になり、更に勢いを増す。
(受け損なえば、骨の数本は折れるか。人間離れした膂力は、大したものだ)
ドクリドクリと心臓が脈打つ。
辺りの音も風も忘れて、ヤマトの意識には、己とギズメルの姿だけが描き出される。世界の動きが、ゆっくりと進む。
(生憎と、目には自信がある)
それは、黒竜との立ち会いで身につけた力。
余計なものを排し、目の前に広がる戦いにのみ意識を集中させる。身体の全感覚を総動員させて、全ての動きを見切る。
「うぉぉおおおおおッッッ!!」
雄叫びを上げて、ギズメルが拳を振りかぶった。
全身の筋力と突貫の勢いを一点に込めた、文字通り必殺の一撃。鍛え抜かれた戦士であろうとも、それが直撃すれば爆発四散してしまうだろう。
それを目前にして、ヤマトは薄っすらと笑みを浮かべる。
(誘いに乗ってくれて助かったぞ)
ギズメルの拳が狙うのは、ヤマトの木刀の先端。
鋼のような拳が、木の刃に触れた瞬間。計り知れないほどの威力が、木刀を伝わってヤマトの身体を貫く。
(――ここだ)
魔獣の一撃を受けても、ここまでにはなるまい。それほどの衝撃を、ヤマトはひたすらに受け流していく。
木刀から、手首。更に腕を通って肩を抜け。腰に膝を抜け、最後に足裏を通じて地面へ流す。
「―――」
一歩間違えれば、衝撃波はヤマトの体内を食い尽くしたことだろう。そうなれば、脆い人の身体はすぐに破裂し、機能不全に陥ることが予想できる。
それでも。
「な………ッ!?」
「見事」
ギズメルの拳は、ヤマトの木刀で受け止められていた。刀の先端に鳥を止めるかの如く、奇妙なまでの静寂さで、木刀の先端に拳が止まっている。示し合わせたとしても、こうすることは難しいだろう。まるで予定調和のように、ギズメルは木刀に縫い留められていた。
その一撃が虚仮威しだったわけではない。現実に、ヤマトの背中から先の舞台には、見るからに痛々しい損傷が刻みつけられている。石畳は木っ端微塵に砕け散り、もうもうと砂煙が立ち昇っている。
あまりにも異様な光景。観客も声を上げることを忘れて見守る中、ギズメルが口を開いた。
「全て、受け流したのか!?」
「然り」
「は、ははは! マジかよ……」
「貴殿の腕があったがゆえの技だ。誇るといい」
言い返しながら、ヤマトは木刀を外し、切っ先をギズメルの喉元に突きつける。
格の違いを感じ取ったか。その動きを前にしたギズメルは、避けようとはせず、静かに頷く。
「俺の敗けだ。完敗だぜ」
「よい敵手であった」
ギズメルが膝をつき、その場から離れる。
開けた視界の中、ヤマトは残ったガラゾへ視線をやった。
『うおおっ! まさかまさかの展開! ギズメル選手がナナシ選手に敗北しました! 残るはガラゾ選手のみ、いったいどうなるっっっ!?』
我に返った観客が、一斉に大声を上げる。
よもや、ヤマトが本当に勝つと思っていた者はいなかったのだろう。予想だにしない展開を前に、誰もが興奮を隠せないでいる。
(次は奴か)
血が沸き立つのを自覚しながら、ヤマトは一歩ずつ確かめるように、前へ進む。
顔色を悪くしていたガラゾだったが、すぐに表情を改める。覚悟を定めたような眼差しで、腰元の手斧を再び握りしめる。
「ここで何もせずに敗れるなど、弟に顔向けできんからな。全力で喰い下がるとしよう」
「天晴」
「オラァッ!!」
叫びながら、ガラゾは手斧を投げる。何の捻りもない、愚直なまでに真っ直ぐな投擲。
思わず首を傾げそうになったヤマトだったが、直後に、ガラゾが再び投擲の姿勢に入ったのを見て首肯する。
(同時攻撃か)
「オラオラオラッ! 全部出し切ってやるぜ!!」
全てで四――否、五本の投擲。軌道もタイミングもバラバラな上に、最後の一本は視界から外れるようにズラしてある。加えて、斧の弾幕の後ろを、ガラゾが駆ける。
それらを正面から受け止めようとするのは、極めて困難だろう。手斧の数に限りはあるのだから、適当に回避するのが賢い選択肢だ。――だが。
(面白い)
仁王立ち。
木刀を手にしたまま、手斧が描く軌道を見切る。
「ふんっ!」
気迫の声と共に、木刀を奔らせた。
五つの斬撃を、撃ち落とし、絡め取り、跳ね上げ、逸らし、叩き返す。
真っ直ぐに跳ね返ってきた手斧に対して、ガラゾは動じる様子を見せないまま、
「舐めるなよッ!!」
手斧の柄を掴み取る。
高速で飛来する斧の柄を取る、離れ業。それだけでも、ヤマトからすれば称賛したくなるほどの冴えだ。
「おらぁッッッ!!」
「見事」
滑らかな曲線を描いて襲い来る、斧の刃。
それに臆することなく、ヤマトは木刀を跳ね上げた。刀身に気を這わせ、脳裏に必殺の斬撃を描く。
「『斬鉄』」
奇妙な手応えが返ってくる。
振り上げた木刀の刃は手斧を正面から受け止め、斬り裂く。木の刃が鉄の斧を斬る、非現実的な光景を目前にして、ガラゾは呆けたように口を開く。
「俺の勝ちだ」
「……すげぇな、あんた」
ガラゾの言葉が、少し面映い。
木刀をガラゾの首元に添えてやれば、司会の男が慌てたように拡声の魔導具を掴み取った。
『なんということでしょう!! ナナシ選手、圧倒的な実力を見せつけてガラゾ選手を撃破!! 勝者、ナナシ選手とアスラ選手です!!』
わっと歓声が立ち昇る。
木刀を腰元に仕舞い、空を見上げながら。ヤマトは、身体に残る心地よい熱さの余韻に浸っていた。