第111話
アラハド共和国という大国の首都を舞台に開催される武術大会だけあって、その規模は相当なものだ。
国中から大会目当ての人が集まるのみならず、名を上げたい腕自慢も続々と集まる。この大会で見られる武術も自然と様々なものになり、観戦するだけであっても、武道家にとって損はないだろう。
「ここが控え室か」
コロシアムの中に設けられた、関係者以外立ち入り禁止の通路。そこをしばらく歩いた先に、大会出場者のために用意された控え室があった。
その簡素な扉を目前にして、ヤマトは身体が熱くなるのを自覚する。
(いい闘気だ)
武の道を歩み始めた者は皆、無意識の内に闘気を放つようになる。単に気合いと言い換えてもいいだろう。実力に比例して大きくなるようなものではないが、大きな闘気を放つ者は例外なく、真摯に武に向き合っていると言っていいだろう。
思っていたよりも、ずっと楽しめそうだ。
期待に胸を踊らせながら、ヤマトは部屋の扉を押し開いた。
(よいものだな)
白い仮面の中で、口端が緩む。
控え室へ入ってきたヤマトへ、参加者たちの鋭い視線が突き刺さってきた。誰も、ヤマトが身につけている奇怪な仮面を気にするような者はいない。ただ武道家としての目で、ヤマトの力量を推し量ろうとしているのだ。
思わず、身震いする。
「堪らないな」
胸の奥から湧き起こる歓喜を隠そうともせずに、ヤマトは呟いた。
以前の戦いで愛刀が失われたことが、今以上に悔やまれたことはない。ここにいる全員が、相手にとって不足のない強者ばかりだ。刀で真剣勝負ができたならば、どんなによかっただろうか。
まあ、今更叶わないことを嘆いても仕方がない。急ごしらえの刀をあつらえるよりは、手に馴染む木刀を振った方がマシだと結論したのだ。
頭を振って、戦いの熱に呑まれそうになった思考を落ち着ける。
「さて、アスラはどこにいる?」
呟きながら、チームメンバーの姿を探す。
かつて武術大会を連覇していた武道家シュナの弟子にして、当人も相当の資質を秘めた逸材。まだ実戦経験が浅いゆえに生まれる隙も多いが、大会を経てそれを埋められたならば、ヒカルと戦うときの鬼札にもなり得るだろう。
部屋の中へ視線を巡らせたヤマトは、その一点に目を留めて、思わず顔をしかめる。
「レレイとリーシャか」
見るからに男臭い控え室の中で、その周囲だけは妙に華やいでいるようだった。
中心にいるのは、ヤマトもよく見知った二人――レレイとリーシャだ。部屋にいる武道家たちは、彼女たちが尋常でない力を持っていることに勘づきながらも、その浮き世離れした美貌を無視することができず、チラチラと二人に視線を送っていた。
そんな視線を向けられている二人は、ずいぶんと堂々とした様子だ。
思わずヤマトが見つめる中、レレイが口を開いた。
「流石に面妖な者が多いな」
「面妖って?」
「うむ。見たことのない武器ばかりだ。戦い方も想像できん」
その言葉を聞いて、ヤマトも周囲の武道家たちを見やる。
リーシャのように長剣を手にした剣士や、レレイのような拳法家もいる。槍を手にした狩人装束を着た男や、ひたすらに頑強そうな棍棒を下げた男などは、見覚えはなくとも想像しやすい部類と言えよう。だが、彼らの中には確かに、異様な風体をした者も混じっているようだった。
ヤマトが最初に目をつけたのは、長衣で全身を覆い隠した男だ。身体の肉をどこかに忘れてしまったのではないかと思ってしまうほど、衣に浮き上がる身体の輪郭は細い。フードを被っているから素顔を覗くこともできず、明らかに異様な雰囲気を放っている。
(この匂いは……?)
しばらくその男を見つめたところで、ヤマトの鼻孔に、嗅ぎ慣れない匂いが滑り込む。鼻を突き刺すような刺激臭だ。思わず手で目の前の空気を払う。
そこで、ふと男の正体がヤマトの脳裏に浮かんだ。
(毒物――暗殺者か?)
無論のことだが、大会で対戦相手を殺害することは、規約で禁止されている。恐らくは、毒物で相手の身体能力を減衰させ、暗器で確実に体力を奪うスタイルの戦士なのだろう。
とは言え、彼の本業は暗殺。生死を賭けた実戦であるはずだ。それを考えれば、ここは暗殺者が出場していいところではないようにも思える。
「変わり者だな」
その一言だけで、ひとまず暗殺者風の男を意識から外す。
次にヤマトが目をつけたのは、ジャラジャラと音が鳴るほどに無数の槍を持った男だ。屈強そうな身体つきだが、どちらかと言えば俊敏さに長じたもののようには見える。
(狩人か)
北地の方には、険しい環境の中で狩猟生活を営む部族がいるという。恐らくは、その近辺からやって来た者なのだろう。
槍を幾つも持っている理由は定かではないが、身のこなしを見る限りでは、生半可な腕前ではないようだ。相手をすれば、相応に苦戦を強いられるだろうという直感も働く。
ヤマトが彼らの姿を確認している他方で、レレイとリーシャの会話は続いていた。
「ただまあ、試合に勝つくらいならばできそうだな」
「へぇ、自信あるのね」
「私一人では厳しかっただろうが、リーシャがいてくれる。そう遅れは取るまい」
「な……!?」
存外に真っ直ぐだったレレイの言葉に、リーシャが白い頬を赤く染めた。
「ずいぶんと買ってくれるじゃない」
「リーシャは強い。それに、これまで散々鍛錬に励んできたからな」
「……そうね。なら、自信持たなきゃ駄目か」
耳を澄ませながら、ヤマトも心の中で頷く。
相手よりも力量が上回っていれば、戦いに勝つことができる。多くの者はそう捉えがちだが、現実はやや異なる。確かに力量の上回った者が勝ちやすい面はあるが、それ以上に、躊躇いのない者の方が勝利を収めるものだ。自分の腕や、相方の腕。そうしたものにより強い自信を抱けている方が、戦場においては高い力を発揮できる。
そうしたことを鑑みれば、リーシャはやや考えすぎなところがある。自分の気持ちに真っ直ぐなレレイとは、案外いいパートナーだったのかもしれない。
「じゃあ、ヒカルたちと戦うこともできそうかしら」
「ふむ。可能性は高いようだが……」
ふと、レレイの視線がこちらへ向いているように感じる。
顔の向きを正さないままに、レレイとリーシャの会話に意識を集中させた。
「何? あの人がどうかしたの?」
「うむ。妙な仮面を被っていると思ってな」
「あぁ、認識阻害の仮面ね。間口を広げている分、正体を隠して出場したいって人もいるのよね。一応、運営の方で本人確認はしているから、問題はないわよ」
「そうか」
「……まだ気になるの?」
「うむ。強そうだな」
努めて、レレイの言葉を無視する。
下手に反応してしまえば、そこから二人に正体がバレてしまいそうだ。バレたところで、どうにかなるものでもないのだが。
「ああ見えて、絶えず周囲に気をやっている。その上、無駄に気を高揚させることなく、平静を保ち続けている。それだけでも、充分以上の腕前だと分かる」
「……確かに、かなりの腕前を持ってそうね」
相手の力量を測るという点では、リーシャよりもレレイの方に軍配は上がるらしい。
レレイの言葉に促されて、リーシャの視線までもがヤマトの背中に突き刺さる。
「ふむ? どこかで見た覚えもあるのだがな……」
「奇遇ね。なんだか私も、そんな気分になってきたわ」
思わず、額に脂汗が滲み出る。
未だ言葉を交わしておらず、二人がヤマトを観察し始めた程度だ。にも関わらず、二人の目は認識阻害の仮面を貫いて、ヤマトの正体を暴き出そうとしている。ノアの忠告に従わず、迂闊に二人と会話をしようものなら、一瞬でヤマトだと判明していたところだろう。
祈るような心地で、ヤマトは視線を上げた。
「――これより、予選を始めます! 出場者の皆様は、準備を始めてください!」
祈りは通じたらしい。
控え室に入ってきたスタッフの声に、室内がにわかに騒がしくなる。
「いよいよか」
「えぇ。悔いの残らないよう、全力を出し切りましょう」
背中の方から、二人の爽やかな声が聞こえてくる。
それを聞き届けてから、ヤマトは部屋の隅に突っ立っていたアスラの元へ、半ば逃げ込むように歩を進めるのだった。