第109話
遅れました、ごめんなさい。
帝国ホテルと銘打たれたそこは、基本的には他国からやって来た者――高級商人や上級冒険者、観光目当ての道楽貴族などを主な顧客としている。帝国製魔道具で快適さを提供していることは無論だが、そこに加えて、ホテルが置かれた現地の特色を反映していることも、特徴の一つと言えよう。
何が言いたいのかと言えば。
「いい匂いだ」
「相変わらず豪勢だよねぇ」
ヤマトとノアは、揃って感嘆の溜め息を漏らす。
ホテルに備えつけられた、豪華絢爛な食堂。幾つも並べられたテーブルでは、上等な帝国式スーツを来た男女らが和やかに食事を楽しんでいる。所詮は一介の冒険者にすぎないヤマトにとっては、思わず背筋を正してしまうほどに、高級感溢れる雰囲気だ。
そして、食堂の中央。純白の割烹着を着た調理師たちが立ち並ぶ前に、色とりどりの料理が並べられていた。
「これは北地風の羊肉焼き。こっちは南海からの海鮮煮。これは東方の……サラダ?」
「山菜料理だ。ここから東には多くの山菜が自生している。それを料理に仕上げたものだな」
「ほほぉー」
先日もそうだったが、このホテルでは基本的にビュッフェスタイルを採用している。コックらが腕によりをかけて作り上げた料理を、客が自由に取り寄せる形式だ。並んだ料理の前に立つだけで、料理の芳香が鼻をくすぐり、思わず視線を彷徨わせてしまう。
先に述べた通り、ここに並んだ料理は多種多様だ。北地風の肉料理に南方風の海鮮料理など、一見すると何の共通点も見出だせない品が多数。だが、そんな雑な仕事を、かの高名な帝国ホテルがするはずもない。
「これ全部、共和国の料理なんだよね」
「とても信じられんがな」
ノアの言葉に、ヤマトもしみじみと頷く。
大陸各地の料理を集めたような有り様だが、ここにあるものは全て、共和国で――共和国内の様々な部落で親しまれている料理だ。それこそ、共和国人ですら把握し切れていない特産料理というものまでもが、この場に並べられている。
「北の遊牧民に、南の漁師たち。東の農夫たちって感じかな。共和国ならではのバラつきだよね」
「帝国は違うか」
「そうだね。帝国も国土は広いけど、魔導列車とか魔導車で整備されて、どこも似たような感じになっちゃったから」
自虐するようなノアに、ヤマトは口をつぐむ。
国土を比較するならば、帝国も共和国も同程度の広さと言えるだろう。対する資金力や技術力を比べたときには、帝国は共和国を凌駕したものを持っているものの、他方で地方ごとの特色も失われてしまっているのが現状だ。短期間での急速な発展に伴い、地方に根づいていた文化が失われてしまった。
そうした背景を抱えているからこそ、帝国ホテルは、現地の文化を最大限に活かす運営をしているのかもしれない。聞けば、帝国人には、他国への観光旅行に相当入れ込む傾向もあるという。
「まぁ、今は関係ないことだね。ヤマトはどれにするか決めた?」
「うむ」
頷きながら、トングを手にしたヤマトはひたすら肉を掴んでいく。
アスラと共に武術大会へ出場すると決めたときからだ。聖地の戦いで怪我をして以来、どこか淀んでいたような血流が盛んになり、身体が精を求めているような感覚にすら陥っている。ひたすら肉を食べて、身体に力を蓄えたいところだ。
「バランス悪いよ?」
「む」
言われて、手にしていた皿を見下ろした。
見事なまでに肉肉肉。肉汁滴る赤身肉から、芳しい匂いが立ち昇る。
「野菜も食べないと」
「後でな」
「まったくもう」
呆れたような視線を向けてくるノアから逃れるように、ヤマトは更に肉を積んでいく。
共和国の各種名物料理を楽しみたい気持ちもあったが、今日の気分は、肉一色だ。幾らノアに注意されようとも、そこを譲るつもりはなかった。
「これでよし」
正しく肉々しいと言うに相応しい有り様になった皿。それを見下ろして、ヤマトは満足気に頷く。
いい加減に腹の虫も限界が近い。空いている席がないか、ヤマトは食堂を見渡したところで。
「む?」
「うん? 誰かいた?」
ヤマトが視線を留めた先に、ノアも釣られて目を動かす。
食堂の片隅。大きな窓から星浮かぶ夜空が望める席に腰掛ける、見るからに異様な人物。食堂という和やかな場所に似合わない、全身を覆う銀甲冑。
辺りに誰もいないらしいことを確かめて、ヤマトはその人物の元に歩を進める。
「ヒカル、一人か」
「うん? ……あぁ、ヤマトか。ノアは?」
ヒカルの言葉に、ヤマトは背中側を指差して応える。
納得したように頷くヒカルの対面に、ヤマトは手にした皿を置いて腰掛ける。
「うわぁ、凄い肉」
「うむ。今日は腹が空いたからな」
微妙に引き気味なヒカルの言葉を遺憾に思いながらも、ヤマトは目の前の皿に意識を集中させる。
思えば、ここ最近はこうも肉々しい料理を前にしていなかったかもしれない。ヤマトの獣性を刺激するような肉の芳香に、舌舐めずりをしたくなる。
「やぁヒカル。僕も失礼するよ」
「構わない。私はもう食べ終わったからな」
言いながら、ノアがヤマトの隣に腰掛ける。その手元の皿を覗き込めば、ノアは様々な料理を満遍なく並べたらしい。色鮮やかな皿が、見るだけでも目を楽しませてくれる。
「一人で食べてたの?」
「うん。リーシャとレレイにはもう会ったのか?」
「会ったよ。二人で大会に出るんだってね」
「あぁ。作戦を盗み聞きするわけにもいかないからな。今日は一人で食べることにしたのだ」
言いながらも、ヒカルの口調は柔らかい。きっと人恋しい心地ではあったのだろう。
そんなヒカルの心境を悟ってか、ノアもしばし歓談に興じることにしたらしい。
「ゴルドって人、どうだった?」
「真面目な男だな。加えれば、少し気を張りすぎなようにも思える」
「ほぅ」
ヒカルの語るゴルドの印象に、ヤマトは思わず声を漏らす。その印象は、ヤマトがゴルドから感じたものと些か異なっていたからだ。
ヤマトにとってのゴルドという男は、人の好さそうな顔をしながらも、存外に強かな一面を持った人間だ。虫も殺せないほど善良そうな雰囲気を振り撒きながらも、損得勘定に抜け目はなく、必要とあれば人を利用することも厭わないような男。根っこが善性であるがゆえに、一応信頼はできそうだというくらいだろうか。
「よほど孤児院のことが大切らしい。そのためならば、何でもするくらいの気概はありそうだ」
「ははーん」
ヒカルの言葉に、我が意を得たりとばかりにノアが頷く。
孤児院のため――すなわち、孤児院経営に必要な優勝賞金獲得のためならば、手段を問わないということか。まだ短いつき合いのヒカルにそう思わせるほど、ゴルドの思いというやつは強いのだろうか。
まぁ、それはともかく。
「強さの方はどうだ?」
「私の目が確かじゃないことは、ヤマトも知っているだろう?」
「それでも、印象くらいは言っておけ」
微妙に不服そうながらも、ヒカルは小さく頷く。
「正直、あまり強そうではない。大会連覇記録を持っていると聞いていたが、他の参加者より際立ったところは、今のところ見えてこない」
「そうか」
「八百長で全員下したと言われた方が、まだ信じられるくらいだ。どんな手を使ったのやら」
ヒカルの言葉には、ヤマトも概ね同意するところだ。
ヤマトの目からすれば、ゴルドは一般人に毛が生えた程度でしかない。今日の夕方に知り合ったアスラと比べても、戦えばアスラが勝つことは間違いないように思える。
「優勝できそうなの?」
「……できる、はずだ」
ノアの疑問に、ヒカルは自信なさ気に答える。
その語句の弱々しさに、肉を食べようとしていたヤマトは手を止め、ノアと目を見合わせる。
「自信なさそうだね」
「情けない話だが、そうだな。あまり勝ち進める自信はない」
いよいよ重症だ。グラド王国で開かれた大会のときには、もう少し自信があったように記憶しているのだが。
小首を傾げるヤマトの前で、ヒカルは更に言葉を続ける。
「ヤマトとノアも知っているだろうが、私はあまり武術に詳しくないからな。幾ら加護があるとは言え、ふとした瞬間に負けるやもしれん」
「それは……」
「大会参加者も、例年より数が多いという話を聞いた。これまで無名であっても、私より上手の者がいてもおかしくないだろう」
「まあ、そうなんだけどさ」
愚痴のようになってきたヒカルの言葉に、ノアは困ったような表情を浮かべる。
聞いているだけで陰鬱な気分になるほど弱気な発言だが、確かに、ヒカルの言っていることは全くの間違いとは言いづらい。それだけに、ノアも否定しづらくて困り果てているのだろう。
「ふむ――」
ただ、思うに。
単純な話で、ヒカルは自信が持てないでいるだけなのだ。
時空の加護という強大な力を持ちながらも、それは所詮は借り物の力。これまで様々な窮地を潜り抜けてきたからと言って、その事実が変わることはない。借り物の力で自信を抱けるほど、ヒカルは傲慢な性格ではない。
ある意味で勇者らしい謙虚な考え方だが、それで心の均衡を保てなくなっているのは、少し問題かもしれない。
「……すまない。妙なことを言ったな。忘れて――」
「まぁ、分からない話ではないな」
ヤマトの言葉に、ヒカルは視線を上げる。
「故郷にいたときは、俺も試合前日は暗い気分になったものだ。嫌な想像ばかりが頭に浮かび、すぐに逃げ出したい心地に駆られたこともある」
「本当に?」
「あぁ。そんなときに、決まってしていたことがある」
ヒカルの視線が一段と強まったことを感じる。
「それは?」
「ただひたすらに、刀を振り回した」
その言葉を聞いたノアの呆れた顔が気になるが、今はそれに気を留めない。
真剣な様子で見つめてくるヒカルに、ヤマトは言葉を続けた。
「要は、確固たるものが自分の中にないから惑うのだ。ならば、それを得られるように足掻く他あるまい」
「……そっか」
「得られなくとも、それでよい。ここで顔を陰らせているよりは、百倍もマシだろうさ」
つまるとこと、悩んでいる暇があったら何かしろという話なのだが。
ヤマトの言葉に感じ入った様子のヒカルは、それを噛み締めるように数度頷いて、顔を上げる。
「ありがとうヤマト。おかげで、少し気が晴れたかも」
「お役に立てたならば、何よりだ」
「じゃあ私はここで失礼する。二人はゆっくり楽しんでくれ」
先程までとは打って変わった、力強い言葉を放つヒカル。そのまま席を立つと、ヒカルは肩で風を切りながら颯爽と食堂を出ていく。
その頼りがいのある背中を見つめながら、ヤマトは小さく頷く。
「意外。ヤマトもそういうことを言えたんだ」
「お前は俺を何だと思ってる」
「脳筋で熱血なバカ」
それはまあ、その通りなのかもしれない。
ノアの悪口に思わず笑みを浮かべながら、ヤマトはまだ温かい肉料理を口に運んだ。