第108話
夜も更けた頃になって、ヤマトとノアはようやく帝国ホテルへと帰り着いた。
相変わらずの高級感溢れるホール。先日はその雰囲気に萎縮したものだったが、今の疲労したヤマトたちからすれば、その空気もホッと一息吐けるものに思えた。
「いやぁ、朝から歩き回ったねぇ」
ノアが溜め息を漏らしながら呟く。これまで疲れを表に見せていなかったノアも、相応に疲れを感じていたらしい。
「移動した距離自体は、そこまででもないのだがな」
「色々あったから。精神的に疲れたんだよ」
ノアの言葉に、ヤマトも首肯する。
朝からゴルドが経営する孤児院に行き、昼にはシュナの家へ。夕方にシュナの弟子たるアスラと出会い、つい先程までは、アスラの腕前を確認していた。なかなかにイベント目白押しな一日だったが、その甲斐あって、ヤマトたちにとっても得られるものが多かったように思える。
「でも、思ったよりアスラさんの腕が立っててよかったよ」
「素質は相当――否、天才と言ってもいいだろう」
夕方に見たアスラの動きを思い返しながら、ヤマトはノアの言葉に頷く。
鍛え抜かれた肉体の強靭さもそうだが、それ以上に、身体の動かし方を直感で理解している。本来ならば長い鍛錬の果てに会得する、最大限に効率的な動きというものを、アスラはほとんど時間をかけずに習得してみせていた。
シュナは弟子のアスラのことを、「ちょっと面白そうな奴」と評していたが。ヤマトからすれば、アスラはちょっとどころでは済まないほどに、面白さを秘めた男に思えた。
「そこまでなんだ?」
「うむ。今はまだ経験不足ゆえの粗が目立つが、鍛えれば化けるな」
惜しむらくは、武術大会までもうほとんど日がないことと、ヤマトに大して拳術の心得がないことだろう。己の肉体を武器とするアスラに、適切な指導を行えないでいることが、少しもどかしく思えた。
「まあ大会も長いから、大勝負までに経験が積めればって感じかな」
「うむ。試合とは言え、人との立ち会いは相当な経験になる」
今年の参加者がどれほどかは知らないが、大国アラハド共和国の首都で開催されるだけあって、相当な人数になるだろうと予想はできる。となれば、ヒカルとゴルドの組と戦う前に、かなりの対人経験を積めるはずだ。
「アスラの方はいいとして、問題はヤマトの方か」
「うむ。そうだな」
ノアが言っているのは、ヤマトの怪我についてではない。
未だに代用品の目星もついていない、ヤマトの刀についてだ。
「ここの大会って、真剣が認められているんだよね? 確か」
ノアの言葉に、ヤマトは首肯する。
グラド王国の首都グランダークで行われた大会では、真剣は認められていなかった。怪我人や死傷者が出ないようにという配慮によるものだったが、ここアラハド共和国では、充分な治癒魔導士を用意できているのだろう。例え重傷であっても、即死でなければ治癒するという自信があるのかもしれない。
「じゃあ、流石に刀を探さないといけないよねぇ」
「俺は木刀でも構わないがな」
「また?」と言うように、ノアはジト目を向けてくる。
「舐められるよ?」
「舐められたところで、負けはしない」
いつだったか、似たようなやり取りをした覚えがある。
少し前のことを思い返すヤマトに対して、ノアは諦めたような溜め息を漏らす。
「もう。ヤマトがいいなら、それでいいよ」
「おう」
一つの懸念が片づいたところで、ぐぅっと腹の虫が鳴った。思えば、昼に軽食を食べただけで、それ以外にまともなものを口にしていない。
意識すればするほど、空腹感が耐えがたいほどに増していく。
「あぁ、お腹空いた。早くご飯食べたい」
「同意だ」
空きっ腹を抱えたヤマトは、ボンヤリとホールを見渡した。
「む?」
「どうしたの? ――あ、リーシャとレレイか」
ヤマトがふと目を留めたところを見やって、ノアも小首を傾げる。
高級感溢れるホールの片隅には、チェックインを待つためのソファーやテーブルが設置されている。スーツを着こなした帝国商人たちが席に腰掛ける中、隅の方にある一卓で、レレイとリーシャが卓を囲んでいた。
「ヒカルはいないのかな。珍しい組み合わせだね」
声には出さないが、ノアの言葉にヤマトも首肯する。
勇者ヒカルの指導役であるリーシャと、ヤマトたちがザザの島で仲間にしたレレイ。ヒカルとリーシャは無論のこととして、ヒカルとレレイは聖地での試合を経て仲を深めていた。自然、リーシャとレレイが会話するときは、その間にヒカルの姿があったものだが。
今見ている限りでは、リーシャとレレイは一対一で会話しているらしい。雰囲気は良好そのものだ。
「何かあったのかな?」
「直接尋ねればいい」
言いながら、ヤマトは二人の元へ歩みを進める。
特に気配を隠しもしていなかったから、リーシャとレレイも途中でヤマトに気がつく。顔を上げてヤマトとノアの姿を認めると、その表情をほころばせた。
「ヤマト、ノア。お帰りなさい」
「うん、ただいま。二人で何話していたの?」
辺りにヒカルの姿がないからだろうか。挨拶をするリーシャの雰囲気が、いつもよりもだいぶ柔らかいように思える。
ノアの質問に対して、リーシャは苦笑いを。他方のレレイは、満面の笑みで答えた。
「近々、武術大会が行われるという話だっただろう? せっかくだから、私たち二人で出ようと思ってな」
「へぇ!」
「今はその打ち合わせの途中だ」
レレイの説明に、ヤマトとノアは互いに目を見合わせる。
「けど、突然だね? 何で出場するって話になったの?」
「面白そうだったからな」
言いながら、自信満々にレレイは胸を張る。
リーシャは困ったような溜め息を漏らし、ノアも苦笑いを浮かべる。だが、ヤマトからすれば、レレイの言葉には頷ける部分が多かった。
「そうか、確かに面白そうだ」
「だろう? 各地の腕自慢に加えて、ヒカルも加わるという。ならば、参加しなければ損だろう」
「違いないな」
武を極めんとする者ならば、この舞台に胸を躍らせないはずがない。
「ヤマトたちも出ないか? きっと面白いはずだ」
「ふむ、そうだな――」
既に、アスラと共に出場することになったと教えてしまおうか。
そんな風に考えたヤマトの言葉を遮るように、ノアが口を開いた。
「怪我人に無茶は禁物だよ。出たいって言っても、出させない」
「む。それもそうか……」
ノアの言葉に、ヤマトは表情を動かさないままに疑念を生じさせる。彼女たちに隠し事をして、どうするつもりなのだろうか。
もっともすぎるノアの言葉に、レレイは表情を曇らせた。唇の先を尖らせて、少し不満気な顔だ。
「せっかくの祭りだから、ヤマトとも戦ってみたかったのだがな」
「悪いな」
「いや。確かに、怪我の療養が先だ。無茶を言って済まなかった」
申し訳なさそうなレレイの姿に、ヤマトは胸の奥がチクリと痛むのを自覚する。本当のことを思わず言ってしまいたくなるが、ノアが誤魔化したからには、何か理由があるのだろう。
何となく決まりが悪くなって、視線を虚空に泳がせる。
そんなヤマトの心境を慮ってか、ノアが話題を転換させた。
「出場するってことは、二人とも優勝狙いなの?」
「勿論だ!」
自信満々に頷いてみせるレレイに対して、リーシャは苦笑いを浮かべる。
「でも、ヒカルたちも出ているんでしょ? 勝てそう?」
「さてな。だが、目がないわけではない」
冷静にそう言い放ってみせたレレイに、ヤマトは思わず眉を動かす。
「どういうこと?」
「確かにヒカルは強い。だが、ゴルドという者の方はそこまでの力を感じなかった」
中々の慧眼だ。レレイの分析力に、舌を巻く。
「でも、大会連覇を果たしているんだよね」
「うむ。きっと、何か絡繰りがあるはずだ」
「それさえ破れば、可能性はあるはずよ」
あまり大会に乗り気ではないように見えたリーシャだが、彼女も勝機を見出してはいるらしい。レレイの言葉に同調して、確かな頷きを返している。
「じゃあ、ヒカルは二人がかりで押し切ろうって感じかな?」
「そうなるだろう。後は、これは試合であって実戦ではないからな。そこを突くことも可能なはずだ」
「ほぅ」
案外と強かなレレイの言葉に、ヤマトは声を漏らす。
「って言うと?」
「致命傷は与えられないのだろう? ならば、ヒカルの動きを制限することも可能だ」
あまり正道とは言いがたい方法だが、確かにそれは可能だろう。
その身に宿した時空の加護があまりに強力すぎるゆえに、ヒカルは未だに加護を制御し切れていない。少し加減を間違えれば、ただの人間であったら致命傷になりかねない傷を負わせてしまう。――ゆえに、そこに隙がある。普通ならば手を出さない選択肢が浮かばないほどの、大きな隙。それを目前にしても、ヒカルは容易に手を出すことができない。迂闊に攻撃を入れてしまえば、その一撃だけで相手を瀕死へ追いやってしまうからだ。
「考えたな」
「あまり取りたくない手ではあるがな」
武人としての誇りが、その手を取ることをレレイに躊躇わているらしい。確かに、邪道とそしられても文句が言えない手だ。
だからこそ、こうしてレレイとリーシャは言葉を交わしているのだろう。どこかにヒカルを破る手立てがないかと、真剣に模索している。
(よいことだ)
思わず年長者のような目つきになりながら、ヤマトは頷く。
「そっか。じゃあ、あまり邪魔しちゃ悪いね」
「うむ」
ノアの言葉に同意する。
「僕たちはこの辺りで失礼するよ」
「そうか? 分かった。私たちはまだここにいるから、何かあれば来てくれ」
「えぇ。ゆっくり休んでね」
手を振るノアに挨拶を返してから、リーシャとレレイは再び談合に戻る。その表情は楽しげでありながら、その奥には真剣味も垣間見えている。
そんな二人の表情を脳裏に焼きつけながら、ヤマトはノアと共にホールの中を歩き始めた。
「――なぜレレイたちに隠した?」
「うん? あぁ、ヤマトとアスラさんが組んで出ること?」
リーシャたちの声が聞こえなくなったところで、ヤマトは口を開く。
その疑問に、ノアは悪戯っぽい笑みを浮かべながら答えた。
「だって、その方が面白そうじゃん?」
「お前は……」
「リーシャもレレイも、ヒカルたち以外は眼中にない感じだったし。突然無名の参加者が暴れだしたら、ヒヤヒヤするんじゃないかな」
まぁ、それは確かにその通りだろう。
ゴルドという男が覇者に輝いている。その事実を知ってしまったから、他の参加者も大したことがないはずだと、リーシャもレレイも無意識に軽く見積もってしまっているのかもしれない。そのことを仕方ないと思うのと同時に、少し脇が甘いと思わないでもなかったのは確かだ。
とは言え。
「あまり趣味がいいとは言えんな」
「それは確かに」
ヤマトの苦言に、ノアは悪びれた様子もなく笑い返す。
それを見て笑みを浮かべてしまう辺り、ヤマト自身も、どちらかと言えばノアに近い人種なのかもしれなかった。