第105話
首都ラードの裏側とでも言うべき、閑散とした住宅街。
真昼になっても相変わらず人気の少ないその通りを、ヤマトとノアは連れ立って歩いていた。
「全然人増えないね」
「皆働いているのだろう」
それでも、井戸端会議に興じる主婦の姿すら見えないのは、ある種異様な光景でもあった。
(それもある意味、共和国らしいのかもしれんがな)
辺りを見渡しながら、ヤマトは今朝見た新聞の記事を思い出す。
帝国意識の極まりと言えばいいのだろうか。最近の帝国で女性労働者が増え始めたことの影響を受けて、ここアラハド共和国でも、女性労働者を増やそうという動きがあったらしい。その甲斐あって共和国の労働力はかつてない程に高まったものの、その代償として、空き巣の多発や解雇者の増加などの問題も生じているという記事だった。
そう考えれば、一見して穏やかに見える住宅街の閑散さは、共和国の歪みが表出しているものと言うことができるのかもしれない。
「ま、それはいいんだけどさ」
「む?」
ヤマトの前を歩いていたノアが、くるりと振り返る。
「何か引っかかるところがあるって感じだね?」
「ほう」
「ゴルドっていう人とヒカルが組むことに、あまり納得がいってないのかな」
「どうだかな」
「理由、聞いてもいい?」
言葉でははぐらかすようなことを言っているものの、実際のところ、ノアの指摘は的を射たものなのかもしれない。
武術大会の優勝賞品にある、勇者の篭手。魔王討伐の任を受けたヒカルたちは、それを何としてでも手に入れなければならない。既に大会連覇を果たしているゴルドと、当代勇者として着実に実力を伸ばしているヒカルが手を組む。それは、目的達成のためにはもっとも合理的な手段と言えるだろう。そのことは、ヤマト自身も認めている。
ならば、何を納得していないのか。
「……面白くない」
その言葉が、口をついて出てきた。
「へぇ?」
興味深そうな視線を向けてくるノアを見返しながら、ヤマトは胸中にわだかまるモヤを解きほぐしていく。
「年に一度の武術大会だ。きっと、各地から強者が集まってくるのだろう」
「だろうね」
「皆、その晴れ舞台で武勇を示す夢を抱いている」
ヤマト自身が一番よく分かっていることだ。
幼い頃から武芸一辺倒で生きてきた人間にとっては、その武を示すことでしか、己の価値を明らかにすることができないのだ。ただ腕っ節が強いだけの人間は、その力を恐れられ、疎まれるのが関の山。大会優勝などの栄誉をあって初めて、他人から認められるようになる。
「それに、戦いは先が分からないからこそ面白い」
「その感覚は僕には分からないけど、確かにそう思う人はいるだろうね」
「皆が貪欲に勝利を求めるから、戦いに華が生まれる」
それは、武を――否、武だけに限った話ではない。他人と何かを競うところには、互いに勝利への渇望があることは、絶対に譲れない前提だ。勝利を望むからこそ、戦士は努力と創意工夫を積み重ね、更なる高みへ至ろうと精進する。観客も、そうした戦士の背景があるから、彼らを応援するのだ。
だが、今回の件はどうだろうか。
「ヒカルは絶大な力を持つ。加えて、脅威となるはずだった者すら味方に入った」
「まあ、ヒカルとゴルドの優勝はまず確実だろうね」
「面白くない」
試合結果が揺るぎようがないから面白くない、のではない。
ヒカルもゴルドも、己の勝利を信じて疑っていない。もはや敵などいないと安心し切って、大会に向けた戦意すら欠けている現状。それこそが、あまりにも面白くない。
「そっか」
「賢い手だと理解はしているのだがな」
「自分は馬鹿なんだって、ヤマトはいつも言ってるじゃん」
そう言って微笑むノアから、ヤマトは思わず視線を逸らす。
もう半ば諦めていることとは言え、こう自分の内面を見透かすようなことを言われるのは、流石に気恥ずかしい。
「ヤマトが思っていることは分かったよ」
「大したことではない。一日経てば忘れる程度のことだ」
「ま、そうかもしれないけどさ。言ってないっけ? 僕も、面白いことは大好きなんだよね」
慈愛の微笑みから一転して、ノアの表情が小悪魔のような悪戯っぽい笑みに変わる。
それを視界の端に捉えて、ヤマトの胸中にふと嫌な予感が湧き起こる。同時に、どうしようもないほど、それに惹かれる自分の存在を感じる。
「ねぇヤマト。どうせなら、僕たちの手で面白くしない?」
「……何をするつもりだ」
「そう大層なことじゃないけどさ」
ノアの頭には、どうやら“面白く”するための手段は既に思い浮かんでいるらしい。
(もしくは、最初から思いついていたのかもしれないな)
そんなことをヤマトは空想する。
事実、これまで共にすごしてきた時間の中で、ノアならばそれも可能だろうと思えるようになっている。最初からどうするかを考えついた上で、ヤマトの意思確認をしているのだ。
いったい、ノアの慧眼はどこまで見通しているのだろう。そんな感慨が胸の奥から沸き起こってくるが、忌避感のようなものは全くない。
「ヒカルたちが意識するくらいの敵を、僕たちが作ろうよ」
「ほぅ」
救世の勇者と、武術大会連覇記録の保持者。誰が見ても最強と思える彼らが、脅威と思えるほどの敵手。
どれほどの人材を用意すれば、それを叶えることができるのだろう。
「当てがあるのか?」
「一応ってくらいだけど。ただ、最悪なら僕たちが出ればいいかなって」
「俺が出ることになるぞ?」
「どうせ止めても出るつもりだったんでしょ? なら、最初っから出場する方向で考えた方が、建設的ってものじゃん」
そのノアの言葉には、ぐうの音も出ない。
事実、ヒカルたちの目を盗んで大会に出場しようという心算はあった。まだ愛刀の代わりになるような武器が手に入っていないが、探せばどこかには置いてあるはずだ。怪我の調子も、本調子には遠くても動けるくらいにはなっている。
「……それで、当てとは?」
「誤魔化したね」と小さく笑うノアを、努めて無視する。
「前にここに来たとき、大会を連覇していた人がいるってヤマト言ってたよね」
「あぁ」
「ひとまず、その人のところに行ってみようかなって」
真意が掴めず、ヤマトはノアの顔を覗き込む。
対するノアは、自信あり気な表情を崩そうとしない。
「策でもあるのか?」
「いや? 行き当たりばったりもいいところって感じ。だけどまあ、大丈夫じゃないかな?」
「ふむ?」
「口振りから察するに、ヤマトとその人ってそこそこ仲良くなったんでしょ? ヤマトが仲良くなる人のタイプって、だいたい決まってるし」
「と言うと?」
「勝負にすごいこだわる人」
信頼されているのか、馬鹿にされているのか。
微妙に判断に困るノアの言葉に、ヤマトは僅かに顔をしかめることしかできなかった。