第103話
アラハド共和国をさんさんと照らし出していた太陽も沈み、代わりに月が空に浮かぶ頃合い。
ヤマトたち一行は、政府が調達した高級ホテルに到着していた。
ご多分に漏れず、このホテルも帝国様式のそれだ。要塞にも匹敵するほどの堅牢な作りでありながら、住まう者が快適にすごせるように腐心されている。大陸の最先端技術が惜しみなく使われており、長らく帝国に寄っていないヤマトたちからすれば、見て機能が分かりづらいような魔導具まで置かれている。
「……綺羅びやかな場所だな」
床全面を大理石で覆った、ホテルのホール。思わず折り目を正したくなるような荘厳さが、そこには漂っている。
その空間を一望して、呆気に取られた様子でレレイが声を漏らした。
「流石は帝国ホテルって感じだよね」
「帝国ホテル?」
「帝国が大陸全土に展開している、国営ホテルのこと。それなりの値段はするけど、快適さは折り紙つきだよ」
「帝国とは凄まじいものだな」
しみじみと頷くレレイに、ヤマトとノアは真顔のまま頷くしかできない。
事実、帝国の技術力や資金力は、あまりにも他国よりも優れすぎている。その差は、帝国に次ぐ国力を有するはずのアラハド共和国が、全く追随できていないほどに大きい。ホテル一つを見てみても、共和国が現地の総力をもって作り上げるよりも、遠く離れた帝国が展開させる方が、質が高く仕上がっているほどだ。
帝国の統治者たる皇帝に、野心さえあったならば。この大陸――いや、この世界は、帝国の名の下に統一されることは間違いないだろう。
国を支配する者ならば、そのことに危機感を覚えるのかもしれないが。
「まぁ、便利なのはいいことだよね」
「そうだな」
根無し草たる冒険者からすれば、気楽なものである。
利用する側からすれば、より高レベルな魔導具を供給する帝国は、感謝こそすれど恨む筋合いはない相手だった。
そんなヤマトとノアへ、チェックイン中のリーシャが振り返ってきた。
「部屋割りはどうしますか?」
「男女別でいいんじゃない?」
そう言ったノアに、一瞬だけヒカルとリーシャの視線が突き刺さる。
「何さ」
「あぁ、いや、何でもない」
じっとりとした視線を返したノアに、ヒカルは歯切れの悪い返事をする。
男女別で部屋を分けるのならば、ヤマトとノアの組と、ヒカルとリーシャとレレイの組に分かれることになる。人数も二対三で、ちょうどいいはずだが。
(……そういうことか)
ヒカルとリーシャの視線の意味を悟って、思わず溜め息を零しそうになる。
もはや言うまでもないが、ノアは外見だけを取り出すならば、絶世の美少女だ。妖艶さといった方面には長じていないものの、中性的で悪戯っぽい雰囲気は、充分に男受けするものと言えるだろう。実際、ノアの容姿だけを話題にするならば、ヤマトとしても気にせざるを得ないほどのものだ。
とは言え、事実としてノアは男性だ。出会ったばかりの頃ならばまだしも、今のヤマトがノアを“そういう“対象として見ることは、全くない。そのことは、ヒカルにも再三告げているはずなのだが。
(よく飽きないものだな)
男装して厳格な雰囲気を作っているものの、ヒカルの正体は、極めて普通な娘と言っていい。年頃の娘ともなれば、他人の色恋沙汰に興味が絶えないのかもしれない。
説得するだけ無駄だ。そんな諦観と共にヤマトが首を振れば、ノアは微妙にげんなりした表情になりながらも、口を閉ざす。
「へ、部屋割りはそれでいいとして。明日はどうする?」
兜の中で脂汗でも滲ませているのだろうか。少しどもりながら、ヒカルが話題を変えてきた。
ヤマトたちとヒカルとの間の微妙な空気に気づいていないらしい。レレイが小首を傾げながら、口を開く。
「ゴルドという者に会いに行くのではないか?」
「大会連覇を果たしている男だな」
その話に、ヤマトとノアの意識が切り替わる。
今期大会の優勝賞品に、勇者の遺物たる篭手があるという。無論ヒカルたち自身で優勝するつもりではあるが、保険をかけるに越したことはないだろう。
「うむ。既に政府から使いが行っているらしい。明日の昼に彼の元へ訪れるのがいいだろう」
「じゃあホテルから直行する感じかな。場所は分かるの?」
「あぁ、大丈夫だ」
自信あり気にヒカルは頷く。
彼女の後ろでリーシャも頷いているから、記憶違いで迷うようなことはないだろう。
「了解。それじゃあ、また夕飯時にね」
ノアの言葉に頷いたヒカルは、リーシャとレレイを連れて立ち去っていく。
三人の背中を何気なく見送ったヤマトは、そのままノアの方へ向き直る。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「あ、やっぱり分かる?」
ヒカルたちがいる前で言い出さなかったのは、何かはばかられる理由があったはずだが。
無言で続きを促すヤマトの視線に、ノアは首肯する。
「ゴルドっていう人が話題に出たじゃん? どのくらい強いのかなと思ってさ。ヒカルも心配そうだったし」
「あぁ」
ノアの言葉に頷く。
ヤマトの目から見て、ヒカルに勝てるような人材がそういるとは思えないのだが。
「だが、俺は会ったことはないぞ」
「前に連覇してた人とは知り合いだったんでしょ? その人はどのくらいの強さだったのかなって」
「ふむ」
確かに、ノアにはその話をしていた。
アラハド共和国の首都ラードから東に広がる、険しい山岳地帯。そこの出身だと語る武道家だ。五年ほど前にヤマトがこの地を訪れた際には、その者が大会連覇で名を轟かせていた。
「どうせ、試合とかもしたんでしょ?」
「まあ、したが」
微妙に引っかかる言い方をしてくるが、事実ではあるのでヤマトも頷く。
「得物の類は使っていなかったな。威力よりも速度を重視した拳法を得意としていた」
「レレイみたいな感じ?」
「あぁ。とは言え、技の冴えは上手だろうな」
その分、レレイには野生の勘とでも言うべきものが備わっている。まだ拳法は洗練されているとは言いがたいものの、実戦――特に生死を賭けた戦いにおいては、その強さは際立ってくるはずだ。
「レレイと戦うと、どっちが強いかな?」
「……試合ならば、相手に軍配が上がるはずだ。だが、実戦ならばどうだろうな」
「じゃあヒカルと戦ったら?」
その言葉に、ヤマトは肩をすくめて答える。
「それこそ歴史に名を残すほどの達人でなければ、技で時空の加護に太刀打ちはできまい。ヒカルが勝つだろう」
「まあそうだよね」
ノア自身もある程度武を修めているから、ヒカルがどれだけ規格外な存在なのかも分かっているのだろう。苦笑いをしながら、ヤマトの言葉に頷く。
「それに、ゴルドという者がどれほどの腕なのかは知らないが、ヒカルに勝てるほどの猛者ならば、名が知られてないのは妙だ」
「あぁ、それは確かに」
未だ経験不足なところが見えるとは言え、既にヒカルの実力は大陸屈指のものに至っている。今のヒカルに勝てる者がいるならば、他国にまで名を馳せていなければおかしい。
そんなヤマトの言葉を聞いて、ノアも懸念するところがなくなったらしい。すっきりした表情になって、頷く。
「じゃあ心配する必要もないか」
「それを確かめるために、明日会いに行くのだろう?」
「それもそうでした」
おどけたように笑うノアに釣られて、ヤマトも小さく笑みを零した。