第102話
「――む?」
静かに紅茶を楽しんでいたヤマトは、廊下の方から親しんだ気配が近づいてくることに気がつき、顔を上げた。
「これは……ヒカルたちか」
レレイの呟きに、ヤマトは首肯する。
歩いているのは三人。案内をしているメイドと、ヒカルとリーシャだろう。
「もう話が終わったってことかな」
「恐らくはな」
ずいぶん長い時間をすごした気がする。外の太陽も直上を通りすぎて、段々と夕方の兆しが訪れ始めている頃だ。ここからヒカルたちと情報共有することを考えれば、今日はもう散策する時間はないだろう。
そんなことを思い浮かべている間に、客室の扉が控えめにノックされる。
「どうぞー」
「失礼します。ヒカル様をご案内いたしました」
丁寧に礼をするメイドの後ろから、ヒカルとリーシャが顔を覗かせる。二人とも少し疲れた様子で、何事かを考え込んでいる様子だ。
「や。お疲れみたいだね」
「あぁ。まぁ、ひとまず無事に終わったがな」
頷くヒカルだが、やはりその声音からは精彩が欠けているようだ。ソファーに深々と腰掛けると、重苦しい溜め息を漏らした。
「あまり芳しくない感じ?」
「うむ……。少し難しい案件ではあるな」
思わず、ヤマトたちは互いに目を見合わせる。
「詳しく聞かせてもらえる?」
「あぁ、無論だ」
メイドに新しく入れてもらった紅茶を手にしながら、ヒカルは語り始める。
「まずは、そうだな。この地にあるという遺物についてか」
勇者の遺物。
もう記録に残っていないほどの古代に、魔王と戦って世界を救った初代勇者が使ったとされる武具の数々。そのいずれもが、常識では説明できないほどの力を秘めていることが知られている。
魔王討伐を義務づけられたヒカルも、各地に散らばった勇者の遺物を集めることが今の目的であり、ここアラハド共和国へも、その一つを回収するために訪れていた。
「遺物として伝えられてはいないものの、それらしいものはあるという話だ」
「どんなものなの?」
「身につけた者に怪力を付与するという、篭手だ」
既に発見した遺物は、聖剣と聖鎧の二つ。
魔力を浄化して、ヒカルだけに有利に働く聖なる光へと変換する退魔の力を宿す聖剣。ヤマトたちはまだ目の当たりにしていないものの、着用者だけでなく周囲一帯を守護する結界を巡らせる力を宿すという聖鎧。
それらの効果と比べると、篭手が宿しているという力は控えめな気もするが。
「籠手ねぇ。ヤマトは聞いたことある?」
「覚えはないな」
無論、この街で籠手を身につけた武道家と出会ったことはある。だが、街全体に周知されているような篭手の存在には、全く覚えがない。
そんなヤマトとノアの疑念に頷きながら、ヒカルは言葉を続ける。
「力を使いこなせる者もいないから、細々と伝承が残っているだけらしい」
「あぁ、なるほどね」
ヒカルの言葉に、ノアは頷く。
勇者の遺物に限った話ではない。古代文明の遺産はその価値が理解されず、物置きに仕舞い込まれたままだったという事例は、数え切れないほどに存在する。
「大統領の話だと、近々行われる武術大会の賞品になってるということだ」
「武術大会?」
ヤマトとノアは顔を見合わせる。
つい先程、二人の間で話題になったばかりだ。
「知っているのか?」
「うん。前にヤマトがここに来たときに、情報を仕入れていたみたい」
ヒカルの視線に、ヤマトは首肯を返す。
アラハド共和国の首都ラードで毎年開催される武術大会。大国ゆえに集まる選手のレベルが高いこともそうだが、様々な部族に伝わる武術が多く見られることも、注目の的になる大会だ。
「そうか、ならば話は早いな。篭手を手に入れたいのならば、今年の優勝者と交渉するか、私たち自身が優勝する他ないということだ」
「ははーん」
面白い話を聞いたとばかりに、ノアが声を上げる。
ヤマトとしても、元々武術大会には興味があっただけに、それが旅の目的と合致することは歓迎すべき事態だ。
等しく興味深そうな表情を浮かべるヤマトとノアとは反対に、レレイは怪訝そうな表情を浮かべる。
「この国の長が譲ることはできなかったのか?」
「それは……」
レレイの指摘に、ヒカルは言葉を詰まらせる。
ヒカルに代わって、ノアが口を開いた。
「大統領って言っても、そんなに権利があるわけじゃないんだよね」
「ふむ?」
「国の運営を決定する権力は持っているけど、それを自由に使えるわけじゃない。大統領は、この国の人の顔色を伺わないとやっていけないんだよ」
ザザの島という狭い世界しか知らなかったレレイには、想像しづらいことかもしれないが。
アラハド共和国という国は、その名が示す通り、国民一人一人に相応の力が認められている。幾ら大統領の命と言えども、国の民をないがしろにするようなことは認められないのだ。加えて、アラハド共和国の成立過程――多民族国家であることが、大きく関与している。
「大統領の一存で優勝賞品を変えちゃうのに、納得しない人がいるってこと」
「ここの国の者にとって、大会で武勇を示すことは大きな価値を持っている」
何度も言っている通り、アラハド共和国には文化の異なる民族が多数混在している。生活様式が違うだけならばまだしも、中には言語すらも異なる民族がいるほどだ。そんな彼らが対等に競える場として、武術大会が開かれている。アラハド共和国の国民にとって、この武術大会は己の武を――更に言うならば、民族の武を示す場にもなるのだ。
そんなヤマトの説明に、レレイは納得の表情を浮かべる。
レレイの疑問が氷解したところで、今度はノアが口を開いた。
「じゃあ、とりあえずヒカルたちも大会に出場するってことでいいのかな?」
「あぁ、そのつもりだ」
ヒカルが首肯する。
その姿を横目で伺いながら、ヤマトは胸の奥から口惜しい気持ちが込み上げてくることを感じた。
(怪我さえ治っていればな)
身体中の怪我が治っていれば――否、怪我があったとしても、愛刀さえ無事であったならば。無理を押してでも、ヤマトは大会に出場していたはずだ。
だが今は、大会を傍観していることしか許されていない。
(……刀を調達するか?)
ふと、思い立つ。
ここは刀の文化が根差した地とは言えないものの、それなりに極東――ヤマトの故郷ともほど近い場所だ。数は少ないし質も悪いだろうが、一時しのぎのための刀くらいならば、探せば手に入るかもしれない。
得物さえあれば、ヤマトも大会に出場することができる。身体が本調子ではなくても、そこそこ動くくらいはできるはずだ。
密かに頷いたヤマトだったが、すぐ隣からジトッと湿度の高い視線が向けられていることに気がつく。そっと視線を寄せてみれば、ノアの姿がある。
「どうした?」
「ヤマトは出ちゃ駄目だよ」
「………」
思わず、自分の頬を撫でる。
読心術を会得しているのではないかと思うほどの精度で、ノアはヤマトの考えを見抜くことがある。ノアは表情に出ていると言うが、本当にそんなものだろうか。
そんなヤマトの思いを尻目に、ヒカルたちの話は続いていく。
「二人一組のペアで競うらしい。私はリーシャと組むつもりだ」
「ヒカルが出ていいの?」
「大統領が言うには、構わないという話だ」
その言葉に、ヤマトはいささか驚かされる。
ヒカルが持つ時空の加護は、あまりにもその恩恵が大きい。幾ら武を修めた者であっても、下手を打てば大怪我しかねないほどだ。
「じゃあ、とりあえず優勝はできそうなのかな?」
「無論、そのつもりではあるのだがな」
ヒカルの口調が沈む。
首を傾げるヤマトとノアに、ヒカルに代わってリーシャが口を開いた。
「聞けば、ここ数年連続優勝を果たしている選手がいるのだとか」
「ほう」
声が漏れる。
よほど実力が隔絶していない限り、連戦連勝を成し遂げるというのは無理な話だ。少し実力が勝っているくらいでは、時の運次第で勝敗は容易に入れ替わってしまう。つまり、連覇を果たしているという選手はよほどの実力者なのだ。
(だが、数年前からか)
ヤマトがかつてこの街に訪れたときに、大会連覇を果たしていた武道家と出会った。その者は確か、十年前ほどから連覇を続けていた記憶があったのだが。
「ゴルドという選手で、この街出身の武道家だそうです。念の為にも、一度彼と会っておく必要はありそうですね」
「ゴルド?」
聞き覚えのない名前だ。
確かめるように視線を向けてきたノアに、首を横に振って応える。
「大統領の話では、徳のある人物らしい。交渉すれば、貸与の可能性はありそうだが」
「ヒカルたちが優勝するのに越したことはないか」
ノアの言葉に、ヒカルは重々しく頷く。
ヤマトからすれば、武術大会に出場しているだけで歓喜できるものなのだが。ヒカルは何故、こうも暗い表情を浮かべているのだろう。
「まぁ大丈夫じゃない? 加護を制限しなくていいなら、ヒカルが心配するようなことはないでしょ」
「そうならいいのだが……」
正直、ヤマトの目からすれば、素の身体能力でヒカルに敵うような者などいるはずがない。余程の失態をしない限りは、ヒカルの優勝は固いように思える。
それでもヒカルにとっては不安要素は消えないらしく、どことなく自信なさそうな態度を崩せないでいた。
「……まぁ、なるようにしかならないよね」
結局、ノアもヒカルを鼓舞することを放棄したらしい。
肩をすくめながら零すように出た声に、ヤマトも無言のまま首肯した。