プロローグ ストレンジア
【おはようございます……ナイト様】
そう短く女性の声が頭の中に響き……彼のゲームはスタートした。
【世界初にして最大の五感連動型VRMMORPG、ファイナルクエスト・ウイザードソウルサガ~ギアス転生の軌跡~】アメリカの大手パソコン会社と、日本のゲームメーカーが共同開発することにより誕生したこのゲームは、今までのヴァーチャルリアリティという概念を根底から覆した。
まず最も違う点は【ゲームの世界に入れる】ということだろう。
今までのゲームといえば、当然コントローラーをもってディスプレイの中の世界を視るものであった。
だがこのゲームは、実際にゲームの中の物を、文字通り五感で感じることができるのだ。
視覚や聴覚はもちろん、脳をゲームのデバイスに直接接続することにより、ゲームの世界でものに触れた触覚や、土の匂いや料理の匂いを感じられ、同時に食事をした際の味までわかる……当然痛みや、寒さ、暑さも――――現実に比べれば大幅に緩和されているが――――感じることができ、【最もリアルなRPG】として、発売から半年でプレイヤーが1000万人を超えた大ヒット作品となった。
潜水艦のソナーを応用して作られたドットのテニスゲームから始まり、ゲームの歴史は早くも100年を超えようとしている。
映像技術、音響技術の進化は目まぐるしく、4ビットから始まったドット絵のゲームは30年ほどで写真と区別ができないほどの美麗な世界へと変貌を遂げ、さらにはVR技術の確立により視覚と聴覚をゲームの中に侵入させることに成功をした。
その40年後に五感すべてを侵入させられるようになった……これだけ聞くと短く感じるかもしれないが。
その間、触覚、嗅覚、味覚のどれ一つとしてゲームの世界に侵入することができなかった点を考えれば、一度に五感すべてを侵入させたこのゲームがどれほどの技術革新であり、どれほど人々に衝撃を与えたかは想像に難くない。
「初めに種族を選んでください……ナイト様」
「なんだこれ……量が多すぎて見きれないんだけど……」
次に異なる点は、キャラクリエイトの自由度の高さだ。
選べる種族も人間から始まり、エルフ、ノーム、ドワーフといった古くから人々に愛された人種はもちろんのこと、悪魔や天使、邪神や妖精、スライム、オオカミ、ハムスターにシーラカンスと、全500種―――課金によりオーダーメイドも可能―――の種族からキャラクターを作成が可能である。
当然、種族によるパラメーターアドバンテージというものは存在せず、キャラクリエイト時に与えられるポイントをそれぞれのステータスに自由に割り振っていくことでプレイヤーはキャラクターを作る。
身長も最大3メートル、最小10㎝で自由に設定することが可能であり、そのため身長10㎝の妖精が巨大な斧を振り回してドラゴンの首をはねて回ったり。名状しがたき汚泥のような怪物が、僧侶として教会で癒しの力を存分に発揮するなどというのは日常茶飯事であった――――――当然割合的には人間が多かったが―――――
「人間でいいかな、ここは……ステータスは、攻略サイトに書いてあった通りにしてと……」
「ありがとうございますナイトさん……次に職業をお選びください」
次に、このゲームの最大の特徴は職業の充実によるできることの多さだ。
戦闘職は15種だが、それに加えて技術職が245種も存在する。
当然、戦闘職とは冒険者として戦闘を生業とする職業のことであり、剣や弓、時には銃をもってクエストをこなしゲームを進める。それが基本的なゲームプレイ方法であり、このゲームのサービスが始まった初期も職業は戦闘職である15種しか選べなかった。
だが第二アップデート、~天地創造せし貝獣~により技術職というものが追加された。
始めは武器や防具を作る鍛冶師や、アイテムを作る錬金術師……技術職が作ったアイテムの取引を行う商人程度であったが。建築士、罠師、エンジニアという職業が追加、ワールドが広くなるにつれ、MMOの世界はその姿を大きく変えていった。
プレイヤーが作った武器を世界大会の優勝者が使い、プレイヤーがギルドを作り、プレイヤーが拠点を作る。
昨日まで森だったところに気が付けば魔王城ができていたり。
イギリスのエンジニアギルドが作った大量のパンジャンドラムの進撃により、ゴブリン大量発生イベントが5分で終了したりなど……。
技術職の遊び方は戦闘職に比べ幅が広く、二つ目のアカウントを作ってからが本番とまで揶揄されるようになったほどだ。
これが意図してかどうかは分からないが、このゲームは結果としてプレイヤーが自分たちで世界を作るゲーム……という形で人気を広めていった。
もちろん自由度が高いため、争いも当然のようにあった。
より良い拠点を得るために、PVPを仕掛け拠点を奪うなどの行為も当然のように行われ、しかしレイドバトルの際には昨日まで戦っていたプレイヤーと協力してボスを倒すなんて光景も日常茶飯事だ。
決して初心者に優しいといえるゲームではなかったが、しかしそのやりこみ要素の多さや、時間を掛ければ報われるという徹底されたゲームシステムにより、多くの人間はそのゲームにのめりこんでいった。
「まぁ、ナイトって名前だし騎士だよな」
「ありがとうございますナイト様……それでは、転移を開始します。転移先は半径五キロメートル内に強大な敵がいない場所にランダムに転生します。その場に応じて順次、チュートリアルが表示されますのでご安心を」
「あぁ、これがなぁ……変なところに飛ばされなきゃいいけど」
しかし、これだけ人気が出たこのゲームだが、プレイヤーが全世界で2000万人を超えてからはプレイヤーが増えない時期が一時期あった。
ゲームの情報量、自由度……広大すぎるマップ。さらには緩和されてるとはいえ、ダメージを負えば痛みを感じること。
当然のことながらその点に対し、2000万人ものプレイヤーがいればアンチテーゼというものも生まれてくる。
時間を掛ければ報われるという徹底したシステムは、新規参入の敷居を大きく上げてしまっていたことも災いし。
やがてこのゲームは【始まる前に飽きるゲーム】なんて皮肉を込めたレビューを書かれるようにもなり、サービス終了のうわさも流されるほどの停滞の時期に悩まされた。(それでも当時プレイヤーは2200万人を超えていたが……)
「転生の準備をしています、しばらくお待ちください」
だが、そんな停滞気を救ったのは、運営の神対応でも、システムの大幅な見直しでもなかった。
このゲームのプレイヤー人口を六倍にまで跳ね上げた火付け役となる人物がいたのだ。
いや、人物というのもおかしいか。
なぜなら、それは……ただの掲示板の書き込みだったからだ。
―――ナイトさん―――という名前で書かれた、このゲーム専用の掲示板への書き込み。
騎士という職業を愛し、自らが考えた至高の騎士というこのゲーム内での騎士のあり方を時々現れては説教のように語り、時には自らの考えたゲームの戦術を必殺技と称してメモのように書き連ねたりもしていた。
その内容も上から目線の物ばかりが多く、相手を罵倒したりする書き込みはなかったものの、自らを常に最上級プレイヤーと呼ぶ高慢で自己陶酔に自己顕示欲を上塗りしたかのような内容がほとんど。
当然のことながら敵は多く。掲示板での言い争いがまとめサイトに乗せられるほどだった。
掲示板利用者からは、怪文書や黒歴史、もしくは荒らしとして嘲笑や炎上の的になるも、謎の【ナイトさん】の書き込みはその炎上を楽しむかのように止むことはなかった。
いや、もしかしたらナイトさんを語った誰かが、面白おかしく荒らしを楽しんでいたのかもしれないが、それを知るものは誰一人としていない
一時は正義感にかられたプレイヤーたちが、書き込みの内容から住所を特定しようと躍起になったりとした時期もあったが、すべてが無駄に終わり、ナイトさんは謎の荒らし、もしくはその上から目線な発言からミスタービッグマウスとして、このゲームの人気を阻害する要因の一つとして扱われ忌み嫌われ続けた。
【夜の太陽】という名前のプレイヤーが、掲示板の書き込みでしかなかった必殺技を用いて初代ワールドチャンピオンとなるまでは。
その日から、妄言と言われた言葉も、黒歴史と笑われた戦術も、その全てが真実となり。
ナイトさんは伝説のプレイヤーとなった。
その後、ナイトさんの伝説はゲーム外にも広がっていき、最盛期には総プレイヤー人数1億人を超える過去に例のない大人気ゲームとなる。
この少年のように、自らもまたナイトさんにならんと理想を抱いてゲームを始めるものもまた……少なくはなかった。
「転生を開始します……スタートダッシュキャンペーンとして、level50からゲームを開始します」
「最大レベル300とはいえ……50って結構大盤振る舞いだよな……」
ファンファーレの音が鳴り響き、少年の目の前にLEVEL UPの文字が表示され、やがて画面の色が透き通った青から夕焼け空のような赤色に代わる。
「お、始まったかな?」
「……お待たせいたしましたナイト様……準備が整いました。 これより■■■…を開始します」
「ん?」
一瞬、女性の声にノイズが走り、視界もカメラのフラッシュのようにホワイトアウトをし、すぐに元に戻る。
「ノイズ……やっぱ中古なのがダメだったかな」
少年は失敗したな、なんて感想を漏らしつつも、不安げに画面に触れ動作確認をするが、ステータス画面もアイテム画面も、問題なくスムーズに動く。
「ゲーム開始まであと10秒……」
「……大丈夫か」
女性の言葉にもうノイズは走ることはなく、少年は一度安堵のため息を漏らすと少しの緊張に身をこわばらせながらその時を待つ。
「……5……4……3……2……1」
「っ……」
ごくりと息をのむ。 なんだか、本当に違う世界に旅立ってしまいそうな、そんな気配を感じながら。
「……くっふふ、ゲームスタート」
あたりに光があふれ、しばらくして視界が明瞭になる。
自らの部屋だった場所はいつの間にか石造りの祭壇のような場所に代わり、立ち上がるとその手にはずっしりと重いロングソードが握られている。
祭壇から下を見下ろすと、そこには武器を持った人間が四人こちらに敵対するように剣を抜く。
「へぇ、よくできてるじゃん……超リアル」
少年はそんな陳腐な感想しか思いつかず、自分でもそう思いながらも敢えて言葉にする。
グラフィックのクオリティ、古びた祭壇の埃っぽい匂い、握った剣の感触……そのすべてがもはや本物としか思えず、そう表現することこそが、このゲームに対する最高の称賛の言葉であると理解したからだ。
「それでは、チュートリアルを始めます。まずは戦闘からです」
女性の声が頭に響き、同時に少年は剣を構えると、視界にチュートリアル画面が表示される。
こうして彼のゲームは始まった。
だが……その時少年は気づいていなかったのだ。
この世界はゲームではなく現実であることを。
そして……この世界にとって、自分たちは世界に敵対する余所者でしかないことを。