表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二百里の街  作者: task
1/1

京都(1)

私はビッグバンでも起きたのかというほどの明るさに叩き起こされた。驚き慌てて目覚めると、皆突然起こされ不機嫌になりながらも、眠そうにおのおのの席で起き始めていた。腕時計は朝の6時45分を指していた。

今、私は京都発の夜行バスの中。その夜行バスが朝の仙台をずかずかと進んでいるところだった。もうすぐ仙台駅近くにあるバス乗り場へ着くので明かりがついたようだ。出発したのが昨日の夜10時前だったのでおよそ9時間かかったらしい。そうすると陸路でおよそ800キロも来たことになる。窓の外を覗くと桜で有名な西公園が見えたところだった。今は夏なので桜は青々としている。だが、これはこれで清々しい。

起きてから目が覚めていくうちに、もう少し優しい起こし方はできないのかという不満がふつふつと沸き上がったがこれが乗客を確実に起こせる最善の方法なのだろう。むしろ優しく起こしすぎて乗客が起きれなかったなら、バス会社にも乗客にも不都合なことが起こることは避けられない。

周りを見回すと、夜行バスでの旅行に慣れていそうな男性がいた。もう準備を済ませ、着くのはまだかと待っている。夜行バスは完全に横になれないし、その上揺れがひどいため安眠はまずできないというのに、なぜ彼は貴重な睡眠時間を削ってまで周りが寝ている中荷作りしたのかは全くの謎である。

一方、やっと目が覚めていそいそ降りる支度をし始めた私は京都に住んでいる平凡な学生である。一方、やっと目が覚めていそいそ降りる支度をし始めた私は京都に住んでいる平凡な学生である。私がなぜ京の都から杜の都へと行くことになったのか。発端は高校時代へと遡る。




私は行灯だけが灯された古い神社の境内のようなうすら暗い状況から青春が始まった。だんだん暗くなる青春は数あれど、初めから暗い青春なぞあるのかと思うかもしれないが、実際あったのだからしかたない。

高校時代、私は仙台の進学校の一つ数えられる学校に通っていた。その高校の生徒たちや立地等を見れば、運か時が味方すれば大概の人は恋人が、そうでなくとも沢山のよい朋友ができそうに見える。私もそう思っていた。

しかし高校一年の時、運も時も私に味方をせず、むしろ私が幸せになるのを拒む災難を降らす強敵として立ちはだかり、私は恋人どころかろくな友人さえ殆どできなかった。その時私に降りかかった全ての災難は、せっかく同じ高校に進学した片思いの相手が異なるクラスにいってしまったという運もなく時も解決しない不幸に起因し、それによるモチベーションおよび成績の低下、そして成績低下による友人からの孤立といった具合に連鎖的に降りかかった。これらのことは楽しい青春を過ごすためには大きなハンデになり、出だしから私の青春は奈落の底へ転落してしまった。なんだこのハンデは。そもそも、なぜ私のようなほとんどのことにおいて平均的で取り柄がない者に神はハンデを付けたのか。そしてそんなハンデがない奴らは何もかも平均以下なのに何故可愛らしく性格の良い恋人ができているのだ。奈落へ落ちる私は暗い底に向かってそう叫んだのだった。

そんな我が身に起こる理不尽な不幸を考え涙を浮かべながら、私は奈落から這い上がろうと気が滅入った時によく行く青葉城址へと向かった。道のりは急な勾配になっているが、一所懸命に坂を登って仙台を見下ろすと心地よい気分になれるのだ。しかし久々にやってきてみると高校の同級生どもがデートスポットに使っているらしく、知らないうちに進んでいたカップリング反応の結果を見て私はますます気が滅入ってしまった。もう仙台に逃げ場がなくなった私は黙って馬に乗っている伊達政宗とともに、美しい杜の都と爽やかな風に吹かれている男女を見ながら、長い間哀楽を共にした仙台を離れる決意をしたのだった。

この状況を打開し、青春を、ひいては人生を好転させるには私が魅力的に、また周りが私を魅力的に見るようにならねばならぬ。そのためには学業を人一倍精進する以外道はない。しかし仙台で精進できる学業の程度はたかが知れている。よし、ならば仙台を、そして東北を出てやる。行くなら東京か。いや、東京には数々の災難のせいで私に悪印象を持った我が高校の同級生の成れの果てが目下の広瀬川のごとく流れてくる。それでは仙台から逃げる意味がない。そしてどうせ行くなら良い大学でなければならぬ。そうでなければ遠くの大学に行くのを親が許さないだろう。これらの条件を満たしつつ、高校の奴らとお別れするにはどうすればよいか。


そうだ、京都へ行こう。


早速、高校が「京都行くならここに行け」と言ってくる大学を徹底的に調査してみると、自分のレベルより高すぎもせず低すぎもせず、さらに校風も望ましく、希望の学部は日本屈指の優秀さと、一世紀以上前に誰かが私の誕生を予言し、私の為に創設したのかと思うほど合っていた。これは私にハンデを付けまくって楽しんでいた神が遂に情けをかけてくれたことの現れか。この大学なら僕にも行けるぞ。あとは奮闘努力するのみ。私は暗い青春を早い段階から大学入学までお預けにして、勉強に打ち込んだ。

中高生が勉強したがらないのは、仲の良い友達と遊びに行ったり愛しの恋人とランデブーしたりと青春が楽しいからであって、よく勉強している高校生は青春、つまりは普段の交遊関係や恋愛がつまらないと思っているか、そもそもそんなものが無いので勉強するのだ。なかなか中高校生の子供が勉強したがらないと熱心な親御さん方は不満に思っているかもしれないが、それが普通なのである。むしろ試験前や受験期でもないのに自発的に毎日勉強し始めたら本気で心配してやっていただきたい。人生一度きりの青春を楽しめるようにサポートすべきであろう。

しかし誰にもそんな心配されずに自ら青春にしばしの別れを告げた私は、その対価として、当たり前のようにその大学に入ることができたのだった。


四月、京の都の八重桜が九重に匂いをまき散らしているころ、私は京都についた。私は用意周到なところがあり、それでいて後先考えないところもあるので、受験前からとっておいた下宿にすぐさま移り住み、仙台からの荷物を次々と搬入した。その下宿は大学からほど近いところにあるやや古いアパートの一階の一室であり、トイレ及び流し付の六畳一間でありながら家賃も安いという夢のような場所である。

しかしながら最初半月はとんでもない数のサークルの熱烈歓迎により気が休まらず、次の半月はノーベル賞級の授業により気が休まらなかったため、毎日帰ってきても下宿にところせましと置いてある引越の段ボールに手を触れようともしなかった。毎日帰ってきても下宿にところせましと置いてある引越の段ボールに手を触れようともしなかった。そのため、その段ボールの隅に住んでいた生きた化石たちがわやわやと活動を始め、次の半月中私は六畳間に広がる彼らを手厚く葬ることに専念せねばならなくなった。

この種の生物は仙台の家屋には殆ど棲息しておらず、これほどの大群を見たのはこの時が人生で初めてである。そのおぞましさを文字で表現したのなら、多くの読者が吐き気を催すだろうからやめておく。もちろん、それを見つけた瞬間私も貧血と吐き気を催した。しかしながら、様々な書籍で京都の生きた化石のしぶとさが論じられていたので念のため仙台から持ってきた、各種化学兵器で駆逐を開始したのだった。


そしてその争いも収束し、段ボールも開け終えた初夏のある昼。

私は六畳間に寝転がり、テレビを見ていた。京都のローカル番組がやっており、目新しさに楽しく見ていた。やがてその番組も終わり全国区のテレビショッピングが始まると何人かの芸能人が青汁のうまさを熱弁しはじめたが、あまりにもワンパターンで面白くなかったのでテレビを消した。しかし部屋に閉じこもっていても何もすることがないので、京都観光でもしてみることにした。ふらふら下宿を出ていこうとすると、ちょうど隣の部屋に誰かが入っていこうとしていた。

その時、私は嫌な雰囲気を感じ取った。いままでにも感じたことのある雰囲気。京の都の風と杜の都の風の悪い部分だけをかき集め、足し合わせたような風が吹いた。

「おい、お前・・・」

私は声を震わせながらその暗い影に話しかけた。

その影はこちらを振り返り、私を見るとにやにやと笑った。

「あ、お前もここに住んでたのか」

見慣れた丸眼鏡と顔が、そこにあった。


この男は園田といい、私の他にこの大学へ行った数少ない我が高校の卒業生である。高校二年生のとき席が隣だっただけの縁で知り合った私のろくでもない友人の一人であり、自ら恃むところすこぶる厚く常に他人を見下してくるくせして、いろんな奴と友人になろうと無駄な努力を重ねていた奴である。だがこんな性格の奴にそんなことができるわけもなく、いつも私に友達欲しいだの恋人欲しいだのぐちぐち文句を垂れ、私はそれを毎回「それが分かるなら僕にも彼女がいるよ」とあしらっていた。彼がこの大学を志したのは彼が好きなバンドのライブがこの近くでやるからという何とも情けない理由であり、彼から見習うべきところはどこから湧いてくるのだかわからないその自信だけである。

その園田が隣の部屋に陣取っていたとは。大学入学以降目が回るほどに忙しく、私は彼の存在に気づいていなかったのだ。しかしこのアパートの入居者の殆どが私のような大学生だったので、彼が住んでいても特に驚きはしなかった。それは彼も同じらしい。

園田は疲れたように私に言った。

「近頃とんでもない目にあっているんだよ」

「それはなんだ、どうせどうでもよいようなことだろう」

「いや、俺の部屋に例の黒いのが湧いてね。駆除するのに一苦労したよ」

「黒いのって、あれか」

「ああ、あのすばしっこい奴」

私はひやとした。明らかに私の部屋で養殖された子たちの末裔である。いくら園田が駄目な奴だからといって私の養子たちが迷惑をかけてしまったのはよいことではないだろう。正直者の私は素直に彼に謝ることにした。

「申し訳ない、それ僕の部屋に暮らしていたやつらがそっちに逃げたのかもしれない」

「なんちゅうものを飼ってるんだ、お前は」

池井戸潤の小説に出てくるいやみな上司のように、彼は言い放った。

「いや、別に飼育したかった訳ではなかったんだけれどね」

「知ってるよ、お前そういう趣味だもんな」

「相変わらず嫌な言いぐさだ」

「まあ良い、ただこんなことをしてくれたんだから今夜どこかで俺に奢れ」

「はいはい、仕方ない、今日は予定もないしそうしよう」

本当は嫌だったが、こっちに非があるのに相手の頼みを拒否するのは私の美学に反する。私は彼とその夜食事する場所を決めたあと、そそくさと下宿を後にした。



さて観光しようと外に出たが特に行くあてもなく、しばらく賀茂川近辺をぶらぶら散策していた。しかし初夏と言えども盆地特有の暑さに加え、やたらに多い観光客の熱気が東北生まれの私を襲い、賀茂大橋まで来たところで暑さに負けてしまった。体を休めるため、近くの自動販売機から買った飲み物を飲みながら橋にもたれかかって景色を眺めることにした。

向こうには山々がかすかに望め、また川沿いには古く小さなビルがちょこまかと建ち、それらに挟まれて日本家屋や大正ロマンな建物が胸を張って肩を並べ、と夢の世界のような不思議な雰囲気を醸し出している。なにか奇妙なことが起こる気配が空気中に酸素以上の割合で含まれている様子である。この地であれば、近くへ大阪の美少女四人姉妹が花見旅行しにきてもしっくりくるし、夜に三階建て叡山電車が走り抜けても驚かないだろうし、後ろの方で陰陽道の試合が行われていてもそんなもんだと思うだろう。

しかし、そんな京都は仙台によく似ているなとも思った。特にこの賀茂大橋からの景色は仙台の広瀬川にそっくりではないか。そういえば仙台藩を治めたかの伊達政宗の居城、青葉城は清水寺の舞台と同じ構造を取り入れていたという話は仙台にいた頃聞いたことがあった。絶壁に建てるのに都合が良いからだと思っていたが、仙台の街路も京都のように縦横にしきられているので、もしかしたら伊達政宗は京都を参考に仙台の街を造ったのかもしれない。

そう思うと、一瞬自分が仙台にいるような気がした。

すると遠くに多くのアンテナが配置された電話会社のビルが見え、近くの大通りにはケヤキ並木が見えた気がした。広瀬川が流れていた。木の香りがした。しかし、次の瞬間には元の暑い賀茂川の風景に戻った。多分、暑さで疲れていたため、また生まれてからずっと仙台の風景を見て生活してきたためにそう見えたのだろう。

しばらく休んで回復した後、再びあてもなく歩いていると、見慣れた七夕飾りが商店の軒先にかかっていた。五色の小さなかわいらしい吹き流しである。そうか、七夕は七月か。仙台では七夕まつりを八月に行うため、七夕は八月の印象が強い。そのため、私をはじめ仙台人は初夏の七夕飾りには大抵違和感を感じる。だが、この小さな七夕飾りに私は違和感を感じなかった。おそらく、これもあらゆることを貪欲に吸収する京都の街の雰囲気によるものなのだろう。しかし、その雰囲気も七夕飾りを見て生じた望郷の念を阻止することはできなかった。

その後、下鴨神社へ参拝しに行った。特に理由はない。入り口に派手で立派な門があり境内には木が生い茂りと、もしこれが仙台の街中にあったら完全に浮くだろうと思ったが、例のごとく京都の雰囲気のおかげで周囲と同一化していた。境内には日本史の教科書に出てきたような、もしかしたら出てきたのかもしれない建物が立ち並び、京都の歴史の深さへの驚嘆と理系でも高校時代日本史を真面目に学ぶべきだったという後悔が感じられた。また日本の首都であった頃の厳格な香りもいまだに残っており、青葉城址に代わる私の避難場所になりそうであった。さすが1000年以上の歴史を持っているだけある。

そんな風に境内をうろついているうち日が暮れてしまった。この分だと京都の観光を大学在学中に終えられるか怪しいところである。そもそも京都に住んでいる人でも見れていないところがあるのではないだろうか。

完全に日が沈むと、園田から電話がかかってきた。そろそろ約束した店に来てほしいとのことだった。ちょうど空腹を感じていたので、早速行くことにした。



園田とは烏丸駅近くの蕎麦屋で待ち合わせした。私は蕎麦に目がなく、高校時代から一人で蕎麦湯をすすりながら勉強していたほどであり、蕎麦のために小遣いを使い果たしたこともあった。その頃の私が京都へ大学の下見ついでに旅行した際、夕食にいただいたのがこの蕎麦屋の蕎麦だった。関西圏の蕎麦は不味い、やはり関西はうどんの方が良いと言うが、ここの蕎麦は例外である。下手な仙台の蕎麦や大阪のうどんより遥かに上で、江戸っ子が食べればその風味への感動と関東の蕎麦より旨いことへの悔しさで泣き出すだろう。また蕎麦と一緒に頼める鱧も旨く、大学の友人と初めて外食したのもここであった。

私が蕎麦屋に着くと園田はだらんと足を伸ばしながら鱧を食べていた。

「お前、僕が来る前になに食べてるんだ」

「やっぱり京都の鱧は旨いな」

園田は笑って言う。

「あんたが来るのが遅いから食べて待ってただけだ」

「少しは人としての礼儀をわきまえろ」

そういいつつも、私は彼から鱧を一つもらった。爽やかな夏の味がした。

私は席に着いてとろろ蕎麦と園田が食いたいと言ったかき揚げ蕎麦を頼んだ。

園田が言った。

「今日、どこかに行っていたようだけど、どこ行ってたのか」

「観光だよ。やっぱり昔の首都であっただけあるな」

すると園田はへらへら笑った。

「京都はまだ首都だ、東京を首都にするなんて法律は出てないんだよ。みな東京が首都だと思っているだけだ」

園田はどうでもよいような細かい部分を気にする。日本の首都ごときを論じるなら自分の身だしなみを気にした方が良い。私はため息をついた。

そんなことお構いなしに園田は話を続ける。

「お前、誰と行ったんだ」

「誰とも。一人で」

「へえ、一人でねえ」

園田はにやにやしながら水を飲む。

「一人でなにが悪い。というか、お前もそんなもんじゃないか」

私が語気を荒くして言うと園田はさらに可笑しそうに笑った。

「実はそうでもなかったり」

「え」

私は思わず彼の汚い顔を凝視した。

「俺恋人ができたから」

誇らしそうに、またどこか恥ずかしそうに言い放った。

「そんなことあり得ない」

「あり得ちゃうんだよ、俺も信じられんが」

目の前の男を殴り倒したい気分に駈られたが、そんなことをしたら捕まるし、そもそもそんなことができるほど腕力がないのでその衝動を抑えた。

「お前のようなろくでなしと付き合う人とは、一体誰だ」

「中学校からの知り合いだよ。高校で離れちゃったけど大学も学部も同じだったからさ」

「それで意気投合、か」

「全くその通り。あと、お前は俺の彼女より付き合いが短いんだから、不用意に俺にろくでなしとか言うな」

「…お前、運がいいなあ。さすが京都、不思議なことが起こる街だな」

私は羨ましそうに言った。事実、羨ましかった。

そんな私を見て、園田が言った。

「お前、好きな人くらいいるだろう」

その質問を聞いて、私は思わず、中学時代からの友人である一人の女性を思い浮かべた。



仙台は日本三大不美人の地の一つに数えられるため、他の地方の人は美女がいないという先入観を持っているであろう。しかしながら秋田県、福島県などから美人の流入が相次ぎ仙台にも美人が結構な数いた。中学校の頃の先輩にもアイドルになった人がいたほどである。だが私が恋したその人は、両親とも宮城人というのに、美しかった。

その彼女の名は南条さんといった。背はやや低めで肌は少し焼けていた。髪は顔を隠すようであったが、その髪を結んだときにあらわになる顔は可愛らしかった。親戚は全員宮城人だが家系図をたどると山陰の羽衣伝説の天女に行き着くらしく、そのせいか五人の男性を虜にしたというかぐや姫のような雰囲気を放っていた。

また彼女はあらゆる文化的活動に長けており、絵を描けば必ず一番上の賞に入賞し、小説を書けば絶賛の嵐、ピアノの腕前は一級品であった。それでいてそれらを自慢したり他人をけなしたりは一切せず、いつも自分はまだまだだと言っていた。

中学三年生の時、私はそんな彼女の隣の席になった。実は私と彼女は小学校の頃から同じ学校であったがあまり関わりが無かったので、ちゃんとした関係はこの時から始まった。しかし二人とも内向的であったため、消しゴムを拾ったり教科書を見せたりする時以外はあまり話をしようとしなかった。

転機は美術の時間に訪れた。その日、美術の時間内に校舎の絵を描けという課題が出た。絵の技術に関しては平均以下であった私はなんとか当たり障りの無い絵を描こうと程度の低い努力をしていた。その際、かねてより絵がうまいと聞いていた南条さんの絵が参考になるかもしれないと私はふと思い、隣を覗いてみた。

するとそこには、風景が広がっていた。三次元の空間を二次元に落としてしまったような絵であった。絵の中の木々がそよ風に吹かれている気がした。その校舎の中でこの絵を描いている彼女がいるかもしれないと思った。そして彼女の筆はその絵をさらに現実に近付けようとしていた。

「その絵、すごいね」

私は思わずそう聞いてしまった。そう聞かないと天罰が下る気がした。

南条さんは私に顔を向けると笑顔で「そんなこと無いよ」と言い、また自分の世界へと戻っていった。一心不乱に絵と向き合っている彼女は魅力的であった。

そしてその時以来、私はその横顔を忘れることができなくなった。彼女に恋をしてしまったのだった。

それから、なんとかして彼女と話そうと努力し、まあまあの仲までたどり着くことができた。


中学卒業後、彼女は私と同じ高校へ進学したが、一年時彼女と違うクラスだった私はかなり落ち込んだ。この高校では、二年生から文系理系でクラスが別れることになっていた。私は、南条さんは文系だろうと推測し、もう会えないかもしれないと失望した。またもう南条さんと笑顔を近くでは見られないとも考えさらに絶望した。このことこそが高校時代初期に私に降りかかった数多の災難の発端である。

ところが。二年生になったとき、彼女は私と同じクラスであった。彼女は理系の道を進んだのである。彼女を呼び止めて聞いた話によれば彼女は一度は文系の方を選択したものの、先生のなんの気なしの勧めにより理系へ変更したらしい。運命の神と先生の気まぐれに心から感謝した。

私に進路の経緯を語った彼女は天女のように笑って言った。

「でも、私あまり理科とか数学が得意じゃないんだ」

「おっと、それは大変だ」

「そうなの、だから私に教えてもらえる?君数学愛好会だったよね」

「まあ一応ね」

当時私は数学愛好会という数学をひたすらやるだけが目的の不毛な会を立ち上げ、さらに私より優秀な会員を差し置いて会長の座に居座っていた。それは青春を手放すことを正当化するためにやったことだったが、まさかそれのお陰で青春の方がとことこやってくるとは。何より彼女の方から誘ってくれたのが嬉しかった。私は嬉しさのあまり青春を無くすという目標を忘れて、快諾した。

その後、私は考査のごとに放課後に彼女と勉強した。大概南条さんは理系科目を私に聞いてきたので、その度に教えてあげた。幸い、唯一平均以上の能力が数学だったので南条さんには簡単に教えられた。そうして私が定理を上手く使って教えてあげるたび「わあ!」「すごいね!」と可愛らしい反応を見せたので今死んでも構わないほど嬉しく思った。

時々横をみると、南条さんが寝ていることもあった。部活がきつく、彼女はいつも校内に最後まで残っているので、その疲れが出たのだろう。机に突っ伏して寝ている姿を見ると愛しく感じたが、寝ていると勉強に支障が出るので見つける度に起こしてあげた。また彼女が起きているときには時たま他愛ない雑談をして、彼女と笑い合ったこともあった。

そして、一緒に勉強したことをきっかけに彼女とメールアドレスを交換してやり取りしたり、年賀状を送りあったりもするほどの仲に発展した。この時私は涙が出るほど幸せだった。この時期以外で、私の毎日が幸せだった期間は後にも先にも存在しない。

だが、その関係を続けるのを私は放棄した。忘れていた青春を捨てるという勝手でどうでもいい目標を完全な達成しようと、青春から逃げたのである。

そう決めた後、部活にいこうと廊下にいた彼女を捕まえ、これからはもう教えてあげられないという旨を伝えた。彼女の方からわざわざ頼んでくれてきたことを断って、怒ったり呆れたりされないか不安だった。しかし意外にも彼女は私の目を見て笑って言った。

「いままでいろいろ教えてくれてありがとう。楽しかったよ。また機会があったら一緒に勉強しようね」

そして南条さんは俯きながら、すたすたと立ち去っていった。彼女の寂しげな姿を背に、私も一人昇降口へと向かった。

私はますます自分が嫌いになった。

しかしそれ以来、私は南条さんと一言も会話することができず、私は彼女に想いを伝えることはできなかった。

彼女が私をどう思っているかは分からない。もしかしたら完全に嫌われたのかもしれないし、もしかしたら私と久々に話をしてみたいと思っているかもしれない。しかし、どちらか正しいかは実際に会って聞いてみないと分からないが、私には会ってみる勇気もないし、彼女がいま何をしているかさえよく知らない。噂によれば、彼女は仙台の国立大に行ったらしいがそれ以上の情報は遠くの関西には入ってこなかった。




「おい、どうした、脳震盪でも起こしたか」

園田が私に呼び掛け、私は我に返った。

南条さんの思い出に浸っていて彼への返答を忘れていた。

「ええと、好きな人、だっけ」

「そうだよ、どうなんだ、いるのかいないのか」

「実は…」

私は彼に南条さんのことについて語った。あまりにもあつくなりすぎて蕎麦が来たのに気付かなかったほどに語った。南条さんと私の関係を聞いた園田はやや延びた蕎麦を吹き出しそうになって言った。

「あの南条さんとか」

「びっくりだろう」

「信じられない、男性陣からの人気がクラスで一二だった彼女がお前のようなのと」

「まったく、あり得ないよねえ。でも確かにあったことなんだ」

「うん、阿呆ことしたな、あともう少しだったのに」

「いや、僕は恋愛にはナーバスなところがあるから言えなかったんだよ」

「それだから駄目なんだよ」

園田はかき揚げにかじりついた。

私はその汚い食べ方を見ながら実直にとろろ蕎麦をすすった。

突然、園田が私に言った。

「南条さんに会ってみたらどうなんだ」

あまりに突然に予想外のことを言ったので喉ごしの良い蕎麦を喉に詰まらせ、むせるほど驚きながらも私は答えた。

「でも今どこに住んで何の学部にいるかさえ知らないしな。手紙も出せやしない」

「お前、阿呆か」

彼は短く、的確な一言を私に放った。

「今の時代、メールがあるだろう」

「あっ」

私としたことがメールの存在を忘れていたとは。周りとの連絡を固定電話だけですませていたため、メールという文明の利器があることがすっかり頭から消えていたのだった。しかしその存在に気づいた私は、電撃が走るような衝撃を感じた。鼓動が早くなった。

「メールで南条さんとやり取りしてさ、今度会う約束でもしたらどうだ。南条さんは、また機会があったら、と言ったんだろ。ちょうどもうすぐ夏休みだし」

この時ほど園田に感謝したことはない。私はすぐに園田の分まで快く会計を済ませて店から飛び出し、急いでパソコンの待つ下宿へ向かった。後ろから「待ってくれ」と園田の声が聞こえたが、構わず京都の街を疾走した。

向こうには京都タワーが幻想的に輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ