しろい境界の内側で
私の住むまちは、周囲をぐるりと山で囲まれている。
夏は暑く、冬は寒く。特に目立った観光資産もなく。山を越えてわざわざ訪れる人も殆どおらず、このまちは山を外との境にして完結している。
閉鎖的な空間で育った子供たちの多くは、ある程度の年齢になると外の世界に興味を持つ。人のあふれる都会。背の高い建築物の群れ。それらを夢見て、瞳を輝かせて、若者たちは山を越えて旅立っていく。
そして数年、数十年後に彼らは必ずこのまちに戻ってくる。
朝、いつものようにサンダルを引っかけて外に出た。
今日は曇り空。低気圧による大量の雲が降りてきて山にかかっている。そうしてすっぽりと裾まで覆い隠し、雲は山を白い空の背景と同化させる。
全ての山が白に隠れた時、山に囲まれたこの小さなまちは、白い境界の曖昧な茫洋とした空間へと姿を変えるのだ。
狭く平穏な普通のまちが、広く、空虚で、ぞくりとするほど幻惑的な空間に。
霞がかった大気に目を細めて遠くを見る。果てはすぐそこにあるはずなのに、今は何も見えない。ただ濃淡のある白がどこまでもどこまでも続いている。どこまでもどこまでも、続いているように見える。
深く息を吸うと、冷たく湿った空気が肺を満たした。
雨はすぐそこまで来ている。
――しと、しと。
細く雨が降り始めると、白は一層濃くなって平地の家並みさえもぼやかした。
――しと、しと。
静かな雨音に混じって人が水を踏む音が聞こえる。
――しと、しと。
――ぱちゃ、ぱちゃ。
軒の下に腰かけてぼんやりと雨の帳の向こうへと視線をやった。
霞んだ風景が徐々に人影を浮かび上がらせ、こちらへと近付いてくる。私のよく知っている人だった。
「……やあ、久し振り」
都会に出ていたはずの古い友人が、また一人この故郷に。
「元気だったかい」
「そっちこそ。都会はどうだったかい」
楽しかったよ、と彼らは語る。
そりゃあ色んなトラブルもあったけれど、やり甲斐のある仕事に刺激的な娯楽。一分一秒たりとも退屈することはなかったよ。
だけど、ねえ。どうしてか時折ひどく狭くて息苦しいような気がするんだよ。
曇りの日に、背の高いビルの群れを見上げていると特にね。
このまちの方が、よほど小さいはずなのに。
友人は私の隣に腰掛けて、雨の向こうどこまでも続く白い空間を眺めた。
風が吹いて灰色がかった白を押し流し、その下からまた別の白が覗く。鮮やかな山の緑はどこにもなく、水底のようなひんやりとした白い空間が続いている。どこまでもどこまでも続いているように見える。
空と同化したまちの境界線を、友人はいつまでも見つめている。囚われたように魅入っている。
このまちの住民は、故郷を決して捨てられない。
たとえ離れても、いつかは必ず帰ってくる。
それはきっと、この景色を忘れられないからなのだろう。