【銀の都】 泡沫のディストピア。共有する人々。-Radiant Silverworks-
正直にお答えください。思うだけでも結構です。
あなたは、この世界に、必要のない人間は、いると思いますか?
※
世界の終わり。
「リストカットって、いいよね」
俺は放課後の理科準備室で、じっと手首を見られていた。そもそも、理科準備室なんて名前をつけられたこの場所は、実際のところ物置に近い。
紙媒体の本、実験用の薬品、それらを整理したケース、そのすべて。この世界が〝ナノアプリ〟で覆い尽くされてから、その価値を等しく失った。
「リスカって、目に見えて、消えないんだよね。うらやましいな」
そう呟いた彼女は、バカだった。
「消えない傷跡って、死にたいと願った、確かな意識の集約性だと言えるよね」
「だったらなんだよ」
「どうもしないよ。ただ、羨ましいなって、思っただけ」
「皆元はバカだろ」
「うん。知ってるよ。ふふ」
嬉しげに笑う。
「私は臆病なの。だから、自傷できないんだ。きちんと、自傷できる人に憧れる」
笑って、手を取りあげる。
「……長井クンのココ。この下に、確かな〝痛み〟があった。そうだよね?」
「忘れたよ」
口から出たのは嘘だった。目を背けたくなるのを耐える代わり、思いきり不機嫌な顔を作っておく。
俺の手首に浮かぶ、躊躇い傷は、ニセモノだから。
退屈しのぎで作った違法ナノアプリ【Dummy Scarlet】で作った紛いもの。これを使えばいくらでも、自分の身体に傷痕をつけることができる。いわば、切り貼り可能な、安物のタトゥーと変わらない。
「ジグザグに奔る線が、綺麗だね」
「離せよ」
「ごめんね」
苦笑する。皆元は何故か、このニセモノの傷に、異様なほど心惹かれていた。
「さてと。そろそろ戻らなきゃ。テストの採点が残ってるんだ」
「さっさと帰れよ」
言うと、皆元は「ひどーい」と頬をふくらませた。
「長井クンも、午前中ぐらいはちゃんと授業出ないとダメだよ?」
俺のクラスの担任は、情緒不安定な風に笑い、去った。
二○五六年。
先進国の飲料水には必ず、一定の【M.A.N.A.S -Multiple Assembly of Nano Application Systems-】が含まれている。(人々は略してマナ、あるいはマナ水なんて呼び方をした)
細胞よりも小さな〝ナノアプリ〟を活性化させるその成分は、俺たちの赤血球と共に全身を巡り、常にクリーンな健康状況であるかを監視する。そしてあらゆる面での〝健康性〟を維持するべく働き、データをリアルタイムで、各種医療機関と送受信する。
おかげで、俺たちは日常的に水分を摂取するだけで、病気と縁が切れることが保障された。とはいえ、この超高齢化社会。百歳を超え、さすがに免疫機能が落ちた年寄り連中が、外科の手術に耐えきれず死んだ。ということが極稀にある。しかも大げさにニュースで報道され、左や右やらの団体が祭りのように騒ぎだすのだ。
つまり、現在の俺たちは、
「必要充分すぎる、健康優良児であるわけね」
「……皆元」
「長井クン、先生のことを呼び捨てにしてはいけませんよ」
俺は無視して、手元に置いたミネラル水のペットボトルを傾けた。
今は放課後、場所は理科準備室。
俺と皆元、埃をかぶった紙媒体の書物、実験道具と収納棚。この部屋で有用なのは、十年も昔に作られた、旧世代の永久ストーブぐらいだ。
「今日は寒いねぇ」
「二月だからな」
「雪が降るらしいよ」
「そうか」
「はぁ、さぶさぶ……」
皆元が、床に屈んで両手を向ける。
「長井クン。このストーブはね。永久エネルギーの燃費効率が悪かったんだよ」
「あぁそう」
俺は聞き流す。皆元は言葉を続けた。
「しかもね。可変性エネルギーを熱に変えたとき、ほんのちょびっと、一酸化炭素を排出することが判明して、当時は大問題だって騒がれたんだよ。この子、仕事はできるけど、それは他人に迷惑をかけることに等しいの。ダメな子だよね。だから私が拾ってあげたの。同族のよしみで」
「リコール品を無断で拾ってきたことに言い訳すんな。このダメ教師」
はぁ。とこぼした息は、白かった。
二月。
窓から射す西日が長くなりはじめた。放課後は変わらず、俺は不要な物置きと化した理科準備室で、情緒不安定な担任と、便利だが有害な永久ストーブと過ごしていた。
「【MANA】は〝できる人間がどうか〟を、確かめるのよね」
「なにができるって?」
「ほら。物覚えが良い人のことを、飲み込みが早い。水を吸うスポンジのようだって言うでしょ。【MANA】の効用が発動される適量って、今になっても明確には決まってないっていうじゃない」
皆元が、どこか寂しそうに言って、ミネラル水を煽るように飲んだ。
「私はね。昔からとびきり【MANA】の吸収率が悪いの。私はこの世界で、一番ダメな人間じゃないかって、ずっと、不安で、仕方がないの」
「あのなぁ」
まだそういう考えの大人がいたのかよ、と呆れる。
「むかし、そういう噂があったのは知ってるぞ。【MANA】の吸収率が悪いやつは〝できの悪い人間〟だってな」
一口、水で口を潤してから言ってやる。
「確かに【MANA】の効用は、個人特有のDNAや、タンパク質によって左右されることが判明してる。だからってな、それが物覚えがいい人間だったり、才能に満ちた人間の基準にはなんねぇんだよ」
「そうかなぁ?」
「そうなんだよ。ったく。いいか、皆元」
「せっ、先生を呼び捨てにしたっ!」
「黙れ聞け。たとえば。個人の食べ物の好みが分かっただけで、その人間に、どんな才能があるかなんて分かると思うか? お前が言ってるのは、それと一緒だぞ」
「分かるんじゃない?」
皆元は言った。ぐびぐび、水を飲みながら言いきった。
「血液型による性格判断には、なんの根拠もないって言われてるけど。それを信じる人と、頑なに信じない人っているじゃない」
「血液判断?」
「いいから聞いてよぅ。でねでね、信じる人とそうでない人の詳細を探ることで、どうして血液型占いを信じてしまうのか、あるいは信じようとしないのか。その判別は十分に可能でしょ。応用すれば、食べ物占いだって出来るっぽくない?」
皆元は、頭が悪かった。
「前置きが長い上に論点がズレてる。そもそも俺が言いたいのは、科学的根拠が一切ないことを、不用意に信じるなってことなんだよ」
「うーん。長井クンってさ」
「なんだよ」
「先生になれそうだね」
「なぁ、皆元」
「うんなぁに?」
「おまえの担当科目、なんだっけ」
「生物科学だよ?」
「今すぐ辞表出してこい」
「な、長井クンにそんなこと言われる権限なんてないもんね~っ」
情緒不安定な大人が「これだから最近の中学生は!」とかなんとか言いながら、ペットボトルを、大きく逆さまに煽った。
「ん、ぐ、んぐ、んぐんぐ」
水を飲む。
飲めば、正しく、追いつけると信じているのか。
足りない才能が、努力で補えると信じる、凡人のように。
それが無理ならせめて。凡人になれるのではないかと信じて。
「んぐんぐんぐぐっ」
「皆元」
俺は席から立ちあがった。手を伸ばして、それを奪う。
「もうやめろ。飲み過ぎだ」
たぷんっと。底に残った僅かな水が、たゆたう。
「やだ。まだ飲み足りてないもん」
「この水中が」
「長井クンにはわからないよ。すごく、飲み込みはやいんだもん。あっ、そうだ」
「今度はなんだよ」
「お水、口移しで飲んだら、吸収率よくなったり、しないかな?」
「アホか」
これ以上突っ込むも起きない。そう思ったら、皆元が一歩、二歩、距離を詰めてきた。
「おい、まさか」
「先生は本気だよ。長井クン!」
「や、やめんかいっ!」
俺は逃げた。とっさに棚に並んでいた、ホルマリン漬けの容器を持って対抗した。
二月十四日。
「長井クン、今日はなんの日でしょう」
「うるさいから帰れ。あとそれ以上、俺に近寄るな」
「ははぁーん?」
あの悪夢の日から数日。皆元は、完全に調子に乗っていた。
「先生から、チョコをもらうのが恥ずかしいんだね~」
「帰ってくれ」
俺が繰りかえすと、いつもなら「ひどーい」とか言ったあと、また情緒不安定ぎみに、意味のわからない発言をするのだが、
「ぬふふうふ。照れちゃって、可愛い子だね、長井クンは」
今日は特別、ウザかった。
「仕方ないから、先生がチョコア・ゲ・ル。もちろん、義理だよ?」
なにが「もちろん」なのかは判らない。それに、俺たちはもう、生きるためにカロリーや糖分を摂取する必要はなくなっている。
「チョコなんざいらん。水が、ほんの一口あればいいんだよ」
あるいはそれ以下。この湿気った理科準備室の、空気中に含まれた水分で十分だ。
俺たちの体内を巡る【MANA】は、俺たちを、そういった健康優良児に進化させていた。
中国大陸の仙人は、霞を食べれば生きていけるというが、現代の俺たちもまた、限りなくそれに近い。【MANA】という名の超微小のナノアプリが、大気中の分子を伝い、あらゆる栄養素をすべてダウンロードする。六十億の細胞の働きは常に監視され、今この時も、身体の状態は最適化され続けているのだから。
「ちょこ、先生の手作りだよ~?」
それにしても、皆元は空気がよめない大人だった。厭々ながら、視線を向ければ、ごていねいに包装された大きなハートが、両手に収まっている。
「……本当に義理なのか?」
「やっぱり本命がよかった?」
「冗談じゃない」
「ひどいっ!」
ひどくない。なのに皆元はぶーぶー文句を垂れたいた。
「だいたい、私たちって。基本的にもうあんまりやることないじゃない?」
「そうだな」
つまり、チョコを作ってきたのも、単なる暇つぶしということらしい。
なるほど。それなら確かに義理だと思った。
「いいよ。食べてくれないなら。ここに飾っておくもんね」
「皆元。頼むから、もうすこし台詞と行動に一貫性を持てよ」
「うん。先生は昔ねぇ、モテモテだったんだよ~」
「帰れよもう」
本当に、なんでこんなことになったんだろう。
※
去年。世界規模での「アンケート」が実施された。
『アンケートです。半数以上の取得で【DELETE】を実行します。
対象:ナノアプリが体内に適用された、十歳から、九十九歳までのヒトビト。
内容:あなたは、百歳以上の男女が、この世界で不要だと思いますか?
制限:一分
解答:YES OR NO
集計中:YES―(「x,xxx,xxx,」count++++++)
NO―(「x,xx」count++)
大人たちは、いつだって、俺たちに言ってきた。
自分で出来ることは、自分でやらなくちゃいけない。
ただし、一人で出来ないことは、誰かと協力して、みんなでやり遂げよう。
確かに、その通りだった。
おかげでこの国は、極めて大きな癌を取り除くことに成功した。
『アンケートです。半数以上の取得で【DELETE】を実行します。
対象:ナノアプリが体内に適用された、十歳から、八十九歳までのヒトビト。
内容:あなたは、九十歳以上の男女が、この世界で不要だと思いますか?
制限:一分
解答:YES OR NO
集計中:YES―(「x,xxx,x」count+++)
NO―(「x,x」count+)
二択のアンケートは唐突に行われた。問われた内容は十歳刻みで、減少した。
俺は当時からひねくれていて。体内の【MANA】が告げてくる声に、嘲笑うように即答してやった。すべて【NO】を選んでやったのだ。
『皆さま、ご協力ありがとうございました。今回の結果を元に、該当する年代の方々には【DELETE】を。一度でも【YES】を選択した方々には、【UPDATE】の対象にさせていただきます。それ以外の方については、追ってご連絡をさしあげます。それでは』
一秒たらず。
【MANA】は、二つの命令を実行した。
【DELETE】――四十歳以上の人間は、全員等しく〝消え去った〟。
【UPDATE】――あらゆる〝自意識〟が上書きされ、人間、一人あたりの思考がまるごと〝共有化〟された。
人間は、とてもクリーンな生き物へ、同一化された。
すこやかに、健康的に、平和的に。頭の中で思い描いた理想郷は実現した。
人々は、特別な愛を詠うことはないが、誰かを傷つけることもなくなった。
人々は、日常を、苦しみも悲しみもなく、生きている。
今日も水を飲み、体内の【MANA】を活性化させ、常に元気に優しい笑顔を保っている。健康的で、余裕があって、誰にでも優しいのだ。
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」「おやすみなさい」
同じ人間である彼等は、共通の言語を持つ。
一切のストレスなく、自然の動植物と同じように、幸福に生きていた。
世界はとても上手く回る。
人々は二十歳を超えると結婚し、新しい男女が一人ずつ生まれる。そして彼ら、彼女らは例外なく、アンケート対象の分岐点となった『四十歳』になると、どこかへ〝消える〟。
予定調和に、【UPDATE】されていた俺の両親も〝消えていた〟。
正直、それでなにか困ったことはない。俺の元には多額の生活保護金が入るようになったうえ、基本的に食事をする必要もないからだ。
衣類や雑貨など、適当にありあわせを買えば、それで十分こと足りる。
足り過ぎて、そんな世界に馴染めなくなった。俺は、両親が〝消えた〟翌日から、真面目に生きる気が失せ、気がつけば中学の教室を抜け出し、校舎をさまよっていた。
保健室、屋上、裏庭。
劣等生が好むお決まりの場所を転々とし、最後にはなにを思ったか、理科準備室なんかを拠点と決めた。
そして俺と同じく、あの日、すべての選択肢で【NO】を選んだ皆元も、同じだった。人生の墓場になりそうな場所を求め、この空間に行き着いた。
中学卒業式の日。
なごやかな生徒の列には加わらず、今日も人目を避けるように理科準備室に着くと、机の上に便箋が一枚見つかった。
『主体性を持つと思われる《わたし》の自意識は、
肉体を備えた《わたし》の存在意義を欲さんとする《わたし》の優先順位より、
《わたし》。という曖昧な定義を求めて、旅立つことにしました。
さようなら、長井クン。先生は、楽しかったです』
中二病かよ。と俺は思った。
とりあえず皆元は、今日から完全に登校拒否を貫くことにしたらしい。
よく見れば床の上には広がる血痕と、カッターナイフが落ちていた。
それから、空になった【消える薬】の包みも見えた。
「…………」
俺は、一人つぶやく。
「【Call,Delete Dummy Scarlet】」
右手首。ニセモノの傷がすっと消える。
その下に広がっているのは、無数の、不揃いで、不恰好な、躊躇いの痕。
すごく格好悪い。
久しぶりにためすことにした。
皆元が残していったカッターナイフ。赤い血痕が、まだ乾ききっていない物を拾いあげ、刃を一つぶんだけ、縮める。
柄は、逆手に持った。
「はぁ」
【MANA】が告げる心拍数は、いつもと変わらず平常で。
あ、これはいけるな。と確信した。
「――ふ」
自分の喉仏を、刺してみた。
抜いた。刺した。抜いた。刺して、刺して、刃を伸ばし、刺して刺して、刃が折れて、
えぐった。
正しい人間は死ぬ。逆説的に、正しくない人間は基本的に長生きするんだろうか。イイ奴ほどすぐに死ぬって、なにかで聞いたことがある。
あの日、すべての選択肢で【NO】を選び続けた俺は、【MANA】に宣告された。
『長井智也さま。現状、すべての人間を愛する貴方に、アプリの更新は必要ありません。よって、貴方にはこれまでと変わりのない肉体で、どうぞ健やかなる人生をお過しくださいますようお願い申しあげます』
なかなか素敵な皮肉だった。人間の体内にある、六十数億個の微細なアプリの総体に、はたしてどういう意図があったのかなんてしらない。どうでもいい。
ただ、結果としてアンケートは行われた。この国は先進国らしく、資本主義らしく、ヒトビトが自らの多数決で、運命を決めた。
「…………ぅ」
俺は、目を覚ました。
身体を動かすと、びちゃ、びちゃ、と水音がした。にごった鉄の香りがする。
「この程度じゃ、やっぱ無理なのかよ」
起きあがった。数分ほどは気絶できたみたいだが、死ぬには遠い。
首筋に触れてみると、すっかり傷は癒えていた。痕もない。残っているのは『更新』以前に、日常的に行っていた、手首の傷だけだった。
『最新の更新』を行っていない俺は、基本的に【不死身】だ。
適当な即死ぐらいだと、【MANA】のアプリケーションが発動し、「優良な健康状態」に復帰する。さらに、二つの最新【UPDATE】も適応されてない、すなわち――、
『俺は、四十歳になっても自動的に消滅しない』
『俺の意識性は、共有化されない』。
となる。
世界から切り離された【NO_BODY】は〝自動的に死ねない〟。この世界から〝消える〟には薬を飲まないといけない。
「なんで、首を切ったりしたかな。無駄に痛ぇ」
まともに、ため息が出る。
血まみれの制服の内ポケットから、白い錠剤をひとつぶ、取り出した。【Good_night】とラベルが記されたこの薬は、体内の【MANA】を完全に停止させる働きを持つアプリだ。
俺たちの肉体はもう、大昔の紙媒体の教科書に記されているような、化学の公式では成り立ってない。
【MANA】が生み出した、構造的にはまったく同じ系統のタンパク質で構築されているのは相変わらず、しかしまったく別物である〝なにか〟によって、世界の常識の枠外にある、得体の知れないものに変わっている。
簡潔に言えば。俺たちは【MANA】に生かされている。
【MANA】が眠れば、俺たちもまた、この世界から〝消えることができた〟。
だから、俺もそうしようと思った時、
「なんだこれ」
ハートが見えた。
赤い包みで綺麗にラッピングされ、ごていねいにも『義理ちょこ』と書かれたメッセージカードが添えてあるそれ。近づいてガラス戸を開いた。
アルコールランプや、ビーカーや、電子顕微鏡がならぶ中にある、ハート。
包みを取るまえに、ふと、メッセージカードの裏側を見やったら、
『長井クンは、先生よりも長生きしてください。かしこ』
アホなことが書いてあった。皆元という教師は本当に情緒不安定だった。
それでも当時、成人していた大人の九十八パーセント以上が、一度は【YES】を選択したアンケートで、彼女は【NO】を選び続けた希少な一人だ。バカとも言う。
だから、斐甲斐しく、カッターナイフで自らの手首を切って、床に出血の痕が残るほどの傷を作ったことは、彼女にとってとても勇気のいることだった。その無駄な行為の一切については、ちゃんと覚えておいてやろう。
『そうだよ。先生はね、ここで〝死んだ〟んだよ。
〝消えた〟んじゃないんだよ。ちゃんと覚えてといてね。長井クン』
曖昧に笑って、薬を飲んだだろう。
がぶごぶ、水を煽るように飲み、この世界から〝死ぬ〟。
そんな様子を思い浮かべつつ、チョコレートの包装紙をはがした。
ハートを砕くと、ぱきり、といい音がした。
「なんだコレ、甘すぎだろ」
ぱきり、ぱきり、ぱき、ぱき、ぽた、と、音が続いた。
体内の【MANA】が、ささやかに告げてくる。
必要ならば、心的セラピーを受けるご用意が整いましたよ。
俺は答えた。今は無性に、甘いものが食いたいんだと。
「喉が乾くんだよ。バカ」
その日、久しぶりに。水を煽るように飲んだ。
体育館の方では、意識を共有化された【UPDATER】達の完全なる唱和が聞こえてくる。一音の狂いもなく、仰げば尊しを歌っていた。