逃亡
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しかし、“その日”は直ぐにやって来た。
前回よりも近い所を狙って爆撃していた。まるで鼠を弄ぶ猫だ。最後の最後まで決して殺さない。
それでも衝撃波で、施設の窓硝子が全て割れ、建物の一部が吹き飛んだ。負傷する兵士も出た。
私はリュックに食料をありったけ詰め込み、銃を持つと、マルテとの“約束の場所”に向かった。
「フリッツ、何処へ行くんだ?」
壊れた建物の建材が崩れ、その下敷きになって動けないハンスが叫ぶ。
大丈夫だ。混乱が収まれば誰かが助け出してくれるだろうし、軍医に手当てして貰える。大丈夫だ。
ハンスを見捨てる言い訳を、マルテの姿が見えるまでずっと心の中で呟いていた。
マルテを見付け、手を取り鉄条網の向こうへ。
予め、鉄条網は切って置いた。
ハンスが密告したかと思いきや、暫く走っても誰も追って来る様子は無かった。
小高い丘を上がった所で息が切れ、様子を見ようと、振り返った時だった。
空からの落下物が風を切る厭な音。そして
“それ”は施設のほぼ中央に落ちた。
爆撃機は遥か向こうにいるのに。
「風向きが変わったんだ」
弄んでいた鼠をうっかり殺してしまった猫のようにばつが悪くなったのか爆撃はぴたりと止み、爆撃機はそのまま去って行った。
燃え盛る炎は収容所をあっと云う間に飲み込んだ。
「ケートヒェン!クララ!ヒルダ!」
マルテが女の名を叫ぶ、きっとあの収容所で仲良くなった女達だろう。
「ハンス……」
そして私も、あの時見捨てた友の名を呟いた。
しかし、いつまでも感傷に浸っている場合では無い。
マルテは勿論、私でさえ見付かれば脱走兵として処分される。今のうちに少しでも国境に近付くか、何処かへ隠れて、完全にドイツが陥落するまで身を潜めているか、それしか方法が無かった。
そして、
本当の悲劇はこれから起こるなどと、私もマルテも思いもしなかった。




