牧場
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其処は、確かにアウシュビッツやゲットー等の収容所や強制居住区とは明らかに違っていた。
捕虜達は、お馴染みのダビデの星が縫い付けられた青と白の縦縞の服を着せられていたが、それは比較的新しい物で清潔な印象だったし、全員自分にサイズの合う靴を履いていた。
そして何より彼らは、他の所では虐げられ、差別されていると云うのに、ここでは笑顔さえこぼれている。
収容されているのは子供か若い女ばかりだし、皆、肌色も良く健康的だった。
そう、あの縞の服さえ無視すれば、ここは収容所などではなく、工場か学校のように思えた。
女達は織物や縫い物、その他農業、加工品などを作る労働力になっていたし、子供達はほぼ一日中広い敷地内で遊んでいる。
―良い“原料”が取れる様に“家畜”にはなるべくストレスを与えるな―
―食用の肉は生きたままの人間の肉が一番だ、最後の最後まで生かしておけ―
ベッケンバウアー大佐の命令。
しかしそれは捕虜を“家畜”として見た上での発言だ。否、本当の家畜……牛や豚でさえ生きたまま肉を削がれるなどと云う残酷な目には遭わないだろう。
「あっちと比べたらここは天国だ」
私と同じ収容所の看守だったハンスが云う。
確かに。
私達は死体と云う禍々しいものを、ここに来てから見た事が無い。
だが、女達が織り上げる布は人間から刈り取った毛髪が原料だし、彼らが一日一度の入浴で使う石鹸は、人間の脂肪で出来ていた。
良い食事も提供されるが、それはここで作られた作物の他は生きたまま切り取られた人間の肉の加工品が殆どだ。
顔の肉を片側半分削ぎ落とされた少年が、たぶん自分の肉も入っているであろうハムやソーセージを嬉しそうにぱくつく様を複雑な思いで見ているのは私だけでは無かった筈だ。
「肉を切られる時、痛く無いのかい?」
ある日、私はもう何度も肉を切り取られていると云う少年に訊いてみた。
「切られる前に“注射”されるんだ。だから痛く無いよ。後で痛くなった時も云えば注射してくれるから大丈夫だよ」
一種の痲酔……いや、麻薬を打たれているのかもしれない。
少年の腕には包帯が巻かれ、顔の肉は左側の目から下が無かった。
「君のお父さんやお母さんは?」
「お父さんは……知らない。お母さんはユーゲントの射撃の練習台にされた」
ここに居れば、闇雲に殺される恐怖からだけは逃れられる。
だから妙に安心しているのか?
だが、切り取る肉が無くなれば間違いなく死ぬ。
事実、傷口からの感染症で寝たきりになっている子供も少なくは無い。
この収容所初の死体を見るのはそう遠い未来では無いだろう。
それでも“殺される”よりはいいのか。
そうだ、私達だって人の子だ。“殺す”のは厭だが、勝手に“死んだ”となれば誰のせいでも無い。そう思う事が出来る。
始めて捕虜を撃った時、悪夢に苛まれた。
私の放った弾丸が当たり、頭部が赤いものを吹き散らし弾けた。
その直前まで確かに生きて、怯えていた人間が一瞬にして只の肉塊になる様が繰り返し脳裏に浮かぶ地獄。
私は兵士に向いていないのだろう。
この“地獄”に早く慣れようとする反面、そうなる事を望んでいない自分も確かに居たのだ。