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それからというもの、施設での生活の中で、私は、彼女、いや「お嬢様」と過ごす時間が増えていった。勉強の時間、料理の時間、掃除の時間、そして放課後。何かにつけて、私はお嬢様に近づこうとした。しまいには、お嬢様にバイオリンを教えてもらったり、私のおすすめの本を貸したり・・・。
そうして一日一日と時は流れ、気がつけば、私たちはそれなりの年頃になっていた。
私はこれまでの人生の中で、感じたことのない感情をお嬢様に抱くようになっていた。人はそれを「恋」と呼ぶのかもしれない。それも「初恋」と。
ある時、お嬢様に対する私のこの感情をどう整理したらいいかわからなくなり、施設で働く女性職員に相談したことがある。その施設職員はこう言った。
「そんなに気になるのなら、デートに誘ってみたら?それで本当に一緒にいたいと思えるのなら、告白してみたら?」と。
デートに告白・・・。それまで経験したことのない行動。そういう行動が「恋愛」には必要であるということは、それまで生きてきた中で自ずと学習してきたつもりだが、いざそれを実行しようとなると、なかなか踏ん切りがつかないものだった。「どのように切り出せばいいものか・・・」私はひたすら悩んだ。
だが、いつまでもウジウジと悩んでいるわけにもいかない。私とて、もう一人前の男なのだ。このくらいの行動を切り出せなくてどうする。そう思って、とうとう私はお嬢様をデートに誘うことにした。
「決戦」の日・・・。いつものように、放課後、お嬢様のところにやってきた私。お嬢様は、今日はバイオリンではなく、ピアノを弾いていた(ここに来る前に、どちらも習っていたらしい)。
「今日は何を弾いてるのですか?」
何事もないように、私は聞いた。
「今日?今日はね、シベリウスの「樅の木」という曲よ。これを弾くと、ちょっぴり切なくなるけど、結構好きな曲なの」
「そうなのですか。たしかに、哀愁が漂っていますね」
そうでしょう、と言って、お嬢様は笑みを浮かべた。
それからしばらくの間、彼女が弾くピアノの音色に酔いしれていた。
お嬢様は真剣に練習なさっている。あぁ・・・あの話題を切り出さなくては。でも、そうすることで彼女の練習の邪魔をしてしまわないだろうか。いやいや、いかん。そんなこと気にしていては、いつまで経っても誘えないではないか。今日こそ誘わなくては・・・。
「あのぅ、突然ですが、オーケストラの生演奏って聞いたことありますか?」
「え、どうしたの急に?うーん、あるっていえばあるけど、ここに来る前だから、聞いたのはうんと小さいとき。だからもう覚えてないなぁ」
よし来た!
「そうでしたか。あの、もしよかったら、チケットがあるので、一緒に聞きにいきませんか?」
そう言って、私は泣けなしの金であらかじめ購入しておいたクラシックコンサートのチケットを見せる(もちろん2枚)。
「え、うそ!?本当に!?」
そういって、彼女はピアノ椅子から立ち、食い入るようにチケットを見つめた。
「うわっ、本物だ!しかも、このオーケストラ、あの有名な・・・。い、いいのかな?私なんかがご一緒させてもらっても・・」
「え・・えぇ・・・・。わ、私はあなたと一緒に聞きたいので・・・」
そう言ったとき、私はまともに彼女の顔をみることができなかった。何せ、こんなクサい台詞、吐いたことがなかったから。
「本当?うれしい。じゃあ、約束ね」
「はい」
こうして、私は何とかお嬢様をデートに誘うことに成功したのだった。
(お嬢様がオーケストラの演奏を生で何回か聞いたことがあったならば、どうしていたのだろう。私は・・・)