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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
9/59

大人の時間

 


 ラウルが階下に戻ったとき、女将は使用人の娘と二人で後片付けをしていた。常ならばまだ酒を嗜む客が残っている時分なのにと、いささか申し訳ない気持ちになる。すると顔をあげた娘がラウルに気付き、引きつった笑顔を見せて皿を抱え、そそくさと厨房に戻って行った。どうやらこの娘にも随分と怖い想いをさせてしまったようだ。

 気まずい思いを抱えたまま先ほどの席に腰を下ろすと、女将が小さめのグラスを3つと蒸留酒の瓶をカウンターに持って来た。


「……すまなかった」


 ぽつりと零せば、女将はやれやれというように、ひょいと肩をすくめてみせた。


「もう勘弁しておくれよ?」

「──気をつける」

「ちょっと先にやっててよ。終わったらうちの人も来るからさ」


 力なく笑って仕事を再開した女将に了承の意を伝え、ラウルは酒を注いで一気にあおる。

 強い酒だった。

 胸の中心を下る酒が、じりじりと粘膜から水分を搾り取ってゆく。溢れる苛立ちを溜め込むように、腹の中がかっと熱く燃え上がった。


(今夜はいい。だが夜が明けたらどうする?)


 あの子は一人で旅立つだろう。そして目的地にたどり着くことなく、その旅は終わる。わかっていながら、どうすることもできない。いや、どうにかしようとしていないだけではないのか──?

 ラウルはもう一度、半透明の酒をグラスに注いだ。

 どうするのか、どうしたいのか……考えても考えても、思考は光を弾いて揺らめく液面のように乱れるばかりでまとまらない。


 がたん、と椅子を引く音に目を向けると、宿の主人が隣に腰を下ろしたところだった。


「注いでくれるかい?」


 差し出されたグラスに酒を注ぎ、二人は軽くグラスを合わせた。


「終わったのか」

「ああ、ここんとこずっと遅かったからね、まぁ、たまに早仕舞いってのも良いもんだ」


 嬉しそうに酒を舐める主人だが、そのまま頷く訳にもいかないだろう。

 口を開きかけたラウルの目の前に、どん、と水の入った大きめのグラスが置かれた。


「もう言いっこなしだよ」


 言いながらカウンターの向こうから女将が顔を出し、酒瓶をひょいと手に取った。手酌で自分のグラスを満たしてぐいと飲んだが、盛大に顔をしかめて口を拭う。


「強過ぎじゃないの、これ」

「もとからこういう酒さ」


 けほ、と咽せる女将に苦笑する。奥に果実水があったはずだという主人に頷いた女将が厨房に下がるのを見て、ラウルは気になっていた事を尋ねてみた。


「手伝いの娘は?」

「うちの息子が送ってったよ。どうも良くないのがうろついてるって聞いたからねぇ」


 追い払ったとはいえ、あのゴロツキどもがこの辺りに居ないとは限らない。だがここの息子が送って行ったのなら大丈夫だろう。ラウルは安堵の息を漏らした。


「ねえ、ラウル……あんた」


 カウンターを挟んだ正面に、椅子を持ってきた女将がよいしょと腰を下ろした。片手に果実水の入った大振りのグラスを持って、ちびりと飲みつつぽつりと呟く。


「あんた、あの子の護衛なんだよね?」

「……いや、違うな。たまたま『筋の良くない』連中に連れ込まれそうになっていたのを助けただけだ」

「ええ?」 

「なんだって?」


 乱暴されなかったのか怪我はないのかと慌てる二人を宥めるために、ラウルは事実を告げた。


「寝る場所と食事を世話してやると言われたのを、真に受けてついて行ったようだ」


 はあ? と目を見開いて声を失った主人と女将は、たっぷり時間を置いた後に、はあ、と深く肩を落とした。


「……良いとこの子だろうとは思ったけど……そんなんだったら、引き止めとけば良かったよ」


 女将の声に、後悔の色が混じる。


「あの子、あんたが出てった直ぐ後に来てね……うちにはもう空きがなかったから、村長さんちに行ってみれば、って言ったのさ。あそこなら広いし、子供一人ぐらい泊めてくれるだろうってね。それがまさか……」

「でもまぁ、何事もなくて良かったよ。本当に。色々と世話をかけるねぇ」

「そうさね、ありがとうよ。ラウル」

「礼を言われるような事はしていない」


 苦虫を噛み潰したような顔になったラウルに、二人は笑ってグラスを傾けた。

 女将は最初の一口が効いたようで、すでに頬をほんのり赤く染めている。暑い、と手で顔を仰ぎながらも酒を舐め、ラウルと主人に酒を薦めて確認するような言葉を漏らす。


「ねぇ、あの子……貴族さまだよね」

「……恐らくは」


 グラスを転がしながら、ラウルは応じる。


「貴族さまってのは、あたしらみたいな田舎者とは口も利かないものだとばっかり思ってたけど、あんな子もいるんだね。うちの料理を美味しい美味しい、ってたくさん食べて」

「おや、そうだったのかい? そりゃ嬉しいねぇ」


 厨房に籠りきりだった主人が頬をゆるませた。女将もカイルが可愛くてならない、というように目を細めている。


「二人で一緒に帰って来たから、あたしゃてっきりあんたが護衛についてくれたんだとばっかり……」

「あれを保護者に届けようとしただけだ」

「でもさ、その保護者って……」


 かららん、と入り口のカウベルが鳴った。

 咄嗟に腰を浮かしたラウルと宿屋の夫婦が見つめる中、のっそりと入ってきたのは武器屋の店主だ。


「なんだ、もう店じまいか? 今日はやけに早いじゃねぇか」

「ついさっきまでは、これでも盛況だったんだけどね」


 がらんとした店内を見回し零した店主に、女将は笑って肩をすくめてみせた。


「……ふん」


 店主はラウルを認めると目をすがめ、ずかずかと歩いてきた。そして無造作に、宿の亭主とは反対側の席に座る。


「親父さんは、なんにする?」

「なんでも良い。強いのをくれ」

「はいよ」


 席を立った女将に目もくれず、店主はカウンターに肘をつき、探るようにラウルを検分した。


「親父さん、今日はどうした? こんな時分に珍しいねぇ」

「ああ、この坊主に用がある。……確か暇だと言ってたな?」


 ラウルは無言でぎろりと睨んだが、店主はまったく動じなかった。


「依頼でも入ったか?」

「……いや」

「仕事があるんだが」

「親父さん、その話はちぃと待ってくれ。こっちもいま取り込み中でね」

「ああ? 坊主は黙ってろ」


 武器屋の店主に坊主呼ばわりされた宿屋の主人が、その迫力に一瞬怯んだ。店主はそれに畳み掛けるようにして一気に切り出す。


「実はな、カイルっつうガキがいてだな」

「「なんだって?」」


 その場にいた全員が、互いの顔を見合わせた。



 ◇  ◇



「……で?」


 先を促す武器屋の店主に、ラウルはしぶしぶ口を開いた。


「連れて行くといったら、断られた」

「ほ! そりゃあいい!」


 目をまんまるに見開くと、店主は破れ鐘を叩いたような声で笑い出した。主人に大声を窘められて手で口を塞ぎ、それでも息を漏らしながら身体を丸めて膝を叩いている。

 真っ赤になった顔をようやく上げると、店主は意地の悪い笑みを浮かべてラウルを冷やかした。


「で、お前さんはすごすごと引っ込んで、こうしてヤケ酒煽ってるってわけか」

「…………」

「そうむくれるなよ、坊主。ほれ、伝言だ」


 ずい、と無遠慮に差し出されたのは、灰色のざらりとした紙だ。二つに折られたその紙を開いてみると、そこには短くこう書かれていた。



『対の剣の持ち主へ

 片割れを目的地に送り届けてやってくれ。

 ランドル』



「……なんだ、これは」

「鍛治師の(じじい)からの手紙だ。あの小僧がその剣と一緒に持って来た。小僧が言うには『この手紙を剣と一緒に渡すよう、言われてきました』だとよ」


 はっ! と息を吐いて店主は続ける。


「何度読んでも何が何やらさっぱり分からんかったが、小僧が出てってすぐにお前が来た。なあ、これはどういうこった?」


 ──その問いに答えられるものは、誰もいなかった。

 奇妙な沈黙が落ちる中、酒をまた一口飲んで、店主は吐き出すようにラウルに告げる。


それ(・・)を売るつもりはなかった。だがそれでも、と望んだのはお前さんだ」


 ラウルは顔を伏せ、唇を噛んだ。眉間に皺が寄り、グラスを握りしめる手に、知らず力が込められる。


「だからあん時は、あえてこれは渡さなかった。小僧と会えるかどうかもわからんかったしな。ところがどうだ、ちゃあんと面倒見てるじゃねえか」


 店主は大きく息を吐き出して、今度は水をがぶりと飲んだ。


「なあ……『特級護衛士』さまが『たまたま』暇で、『たまたま』こんな辺境まで来て、『たまたま』あの剣を手に入れて、『たまたま』小僧を拾ってって、どこにそんな『偶然』があるんだ、ええ?」


 ──そう、いっそ怖いぐらいに「偶然」が重なり過ぎている。まるで台本通りに劇を演じる役者のようだ。

 いくらなんでも出来過ぎだ、そう言って、店主は両手を広げて頭を振った。


「俺ぁ、得体の知れねぇもんには逆らわんことにしとるんだ。意地を張っても碌なことにならんからな」


 腹をくくれ、と肩を叩いた店主に、ラウルはぽつりと零した。


「……だが俺が受けたところで、あいつが了承するとは思えん」

「だったらその手紙を見せてみろ。小僧は否とは言わんさ」

「あたしもあの子に言ってみるよ。あんたと一緒にいるのが一番安全なんだってね」

「なぁ、ラウル。頼むよ」


 同時に三方から迫られて、流石のラウルもいささか身を引かざるを得なかった。そしてそれを狙ったかのように、武器屋の店主は小さな革袋を押し付けてくる。


「それが駄賃だ」

「おい、誰も受けるとは……」

「断られたら返してくれ。いずれにせよ村を出る前に店に寄れ。小僧にもそう言ってある」


 言うだけ言うと銅貨を置いて、店主は上機嫌で席を立って出て行った。

 残されてラウルは唸った。機嫌は下降する一方だ。


(──不愉快だ)


 かつてないほどの不快感と疲労感がラウルを襲う。

 ロバには舐められ、武器屋ではぼったくられ、ゴロツキどもには三流呼ばわりされ、挙げ句の果てに、勝手に「大荷物」を背負い込まされてしまった。

 剣のこともカイルのことも、すべて自分で決めたことだ。この選択に後悔はない。なのに己の意志の及ばないところで一方的に物事が進み、否応無しに巻き込まれる──そんな気持ち悪さがどうしても拭えない。

 一体何が切っ掛けで、どこで間違った選択をしたのか、いくら考えても答えは出ない。鬱憤を晴らそうにも当たる相手はどこにもなく、酒に逃げるしか手がないときた。


(やってられるか)


 グラスの酒を一息に飲み干して、ラウルは大きく息を吐きだした。



 ◇  ◇



 酔いはまったく感じなかったが、そろそろ休むという宿の夫婦にラウルも部屋に戻ることにした。

 短い蠟燭を載せた皿を手に部屋に戻り、扉をきしませないようそっと開ける。思った通り室内は暗く、カイルは既に休んでいるようだ。

 灯火をテーブルの上に置いて、水を一口飲んだ。酔えなくとも、多少なりとも眠れれば良い。少なくない量の酒精は、それを可能にするはずだった。

 剣帯を解き、剣を置こうとしてラウルは気が付いた。寝台には使われた形跡がなく、そこにカイルの姿が見当たらないのだ。


 どきりとした。

 階下にいた時に、誰かが出て行く気配はなかった。よもや窓から抜け出したのかと咄嗟に窓に手を伸ばし、厚手のカーテンを開けてみるが鍵はかかったままだ。ならばどこへ、と目を凝らして室内をよくよく見ると、寝台の向こう側、壁との狭い隙間に黒い塊があった。もしや、と寝台に乗り上げて覗いてみれば、案の定、カイルだ。寝台から落ちたのかと思ったが、外套を着込んだまま剣を抱えるようにして眠っているところをみると、最初からこうしていたのだろう。身動きも取れないような狭い隙間にすっぽりとはまり込んで、頭だけを寝台に預けている。


(……寝てろとは言ったが、なぜこんなところで……)


 こめかみがずきずきと痛むような気がするが、酒の所為だけではあるまい。

 何度か名を呼んで肩を揺すってみたが、頭がぐらぐらと揺れるばかりで目覚める気配は微塵もなかった。仕方なく外套の襟を掴み、ラウルはカイルを寝台に引き摺り上げた。意識の無い人間はひどく重く感じるものだが、予想に反してこの子の身体は驚くほど軽い。

 靴と外套を脱がせてから膝裏と背中に手を回し、頭の位置を整える。このままでは寝難かろうと上着を脱がせてベルトを抜き取り、シャツのボタンを首元からひとつふたつと外して──ラウルの疑念は確信に変わった。


 薄闇の中に、「少年」の白い肌がぼんやりと浮かび上がる。呼吸と共にゆっくりと上下する胸は、柔らかな曲線を描いて生地を押し上げていた。

 やはり、と身体から力が抜けた。寝台に座り込んでカイルの前髪を払い、手首を取って手のひらから指にかけて、そっと触れる。

 細い指の爪は綺麗に整えられており、指も手のひらも滑らかで柔らかい。ラウルのものとは明らかに違う、それは労働を知らない手だった。


(……持つなら剣よりも、刺繍針の方がお似合いだな)


 本来なら髪を短く切ることも、こんな襤褸(ぼろ)をまとうこともなく、それこそ結い上げた髪を飾り立て上等なドレスを着て、優雅に微笑んでいるはずだったろうに。

 それが攫われこんな辺境へと来た挙げ句、一人で王都を目指すなどと──あまりにも無謀過ぎる。


(まったく、とんだ『大荷物』だ)


 ラウルも上着を脱いで楽な格好になると、そろそろと寝台に潜り込んだ。

 かつて弟妹にしたように、上掛けでカイルの首元の隙間を埋め、胸元を優しく叩く。満ち足りたような寝顔を見ていると、凝っていた不快感が徐々に薄らぎ、消えていった。


 逆らえない「何か」に捕われたのだとしても、やりようはいくらでもある。そうやって幾多の危機を乗り越えてきたからこそ、今の自分があるのではないか。

 一度大きく息を吐いて、ラウルはゆっくりと目を閉じた。

 呼吸と共に、冷えた空気が胸の内を満たしてゆく。窓を閉めていても甲高い虫の音が、いくつもいくつも重なるように響いてくる。耳元からはすうすうと、規則正しい小さな寝息。

 故郷では、何度も弟妹たちとこんなふうに一緒に寝た。両側からそれぞれに手を取られ、寝返りすら打てなくなっても幸せだった。「あのとき」は手放してしまったが、今は違う。自分は成長し、強くなった。もう二度と、同じ轍は踏まない。踏んではいけない。

 思考が徐々に、薄れてゆく。虫の音も遠ざかる。身体のすべてを闇に委ねるその一瞬、遠い故郷の風景が、脳裏を過っていった気がした。




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