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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
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カユテ村の夜・4

 


 サリフリは東の大国、アクサライ王国の都だ。北方公路と中央公路の終着地で、大陸東部最大の都市でもある。トゥルネイ山地を越えればアクサライ王国だが、王都は東の海に近い場所にある。そのためここからサリフリに向かうなら、広大な草原をほぼ横断することになる。

 カユテの村から徒歩でほぼ一月──準備もなしに、気軽に行けるような場所ではない。


 カイルは身を固く強ばらせて膝に置いた手を見つめ、じっと息を潜めていた。ラウルは椅子を引くと身体全体を少年に向ける。するとその一瞬、小さな身体がぴくりと動いた。視線はそのまま膝に当て、しかし全身でこちらの動きを探っている。

 ラウルが呆れ、席を立つのを待っているのだ。

 けれどそんな考えなどお見通しだった。恐れを完璧に隠せなかった時点でこの子は勝負に負けたのだ。ラウルはじっと動かない。少年からは、どうして、なぜと戸惑う気配が漂ってくる。

 握りしめられた小さな白い手を見守りながら、ラウルは静かに息をついた。それから怯えさせないよう、努めて冷静な声を出す。


「……一人で行くつもりだったのか……?」


 図星を指され、ぐっと息を飲んで少年は押し黙った。眼光鋭く見つめていると、十分すぎるほどの時間を置いて、白い顔がかすかに動く。

 ラウルは右手を伸ばし、その艶やかな黒髪にそっと手のひらを載せてやる。触れた瞬間ぴくりと身体は強ばったが、何度か優しく梳いてやると、だんだんと力が抜けてきた。もう片方の手をひやりとした頬に添え、もう一度頭を撫でてから、両手でもって頬を包み込むようにして小さな顔を引き寄せた。

 眉根を引き絞り、唇も固く引き結んで眼だけを逸らしたカイルだったが何度か名を呼んでやると小さく細い息を吐き、観念したようにラウルの瞳を見上げてくる。

 覗き込んだ闇色の瞳の中には確固たる決意と不安、そして心細さで揺れていた。「何もわからない」と言っていたのだから、それも当然だろう。だがそれでも「行く」という意思は固く、揺るぎそうにない。

 ならば、とラウルは心を決めた。


「俺は……」


 押し殺した声に震えが混じる。呼吸を整え、ラウルはもう一度、強い意志を言葉を載せた。


「俺には故郷に弟妹がいる。一番下の妹は、おまえと同じぐらいの年頃だ」


 覗き込んだ闇色の瞳の中に、翠の瞳の男がいた。眼を細めると男の輪郭は徐々に小さく華奢になり、やがて思い出の妹に重なって見えてくる。家を出たとき、あの子はまだ幼かった。きっと今頃この子よりも大きくなっているだろうが、どうしてもこの「カイル」という子とだぶってしまう。

 含むことなく無条件でラウルを慕ってついてくる。この子は妹と同じだった。


「故郷には……護衛士になってからは一度も帰っていない。だがそれでも彼女が困っていると聞いたら助けてやりたいと思うし、何をおいても駆けつけるだろう。──カイル、それはおまえも同じだ」


 その言葉に、美しい白い顔がくしゃりと歪む。眼の縁を赤く染め、どうして、と唇を戦慄かせながらも少年は大きく息を吸った。それから一度きつく閉じられた目蓋は、歯を食いしばりながらもゆるゆると開かれる。潤んだ漆黒の瞳に照明の光が反射して、まるで夜空の星を閉じ込めたかのように瞬いていた。けれど今にもこぼれ落ちそうだった涙は零れなかった。少年は唇を強く噛み、必死になって耐えていたのだ。


「……ありがとうございます、ラウル。貴方は優しいひとですね。──その言葉は、とても嬉しい」


 頬に添えられた両手を取るとそっと握り、カイルはでも、と続けて微笑んだ。もう一度、すうと息を吸い込みぐっと溜め、震えを押さえながらゆっくりと、静かに静かに言葉を紡ぐ。


「わたしは貴方を巻き込むつもりはないし、貴方もわたしには、これ以上関わらない方が良いのです」


 手にした2つの大きな手をラウルの膝にそっと戻し、カイルは自分の外套を手にすると、椅子を引いて立ち上がる。

 ラウルは動けなかった。戻された両手から視線を逸らせぬまま、低い声が地を這うように漏れだした。


「……どこに行く?」

「ご馳走さまでした。とても美味しかったです。奥方、食事の代金は?」


 その問いに答えること無く、カイルは振り返って女将に問うた。

 客室へ続く階段のそばではらはらと成り行きを見守っていた女将は、二人を交互に見やりながら手を横に振る。


「い、いや……この人から貰ってるから」

「……そうでしたか。重ね重ねお世話になりました。ラウル、ありがとうございます」


 今度はただ頭を下げるだけだったが、それでも優雅に礼をとり、カイルはふわりと微笑み踵を返した。

 そしてすぐに眉根を寄せて口元をきつく結び、ぐっと耐えるように顎を引く。あくまでも独りで行く、とその決意は変わらない。けれど俯くことなく前を見るその姿は、こうなっては痛々しいだけだ。

 ラウルの中で押さえ込んでいた不快感が、胸の奥底から再び沸き上がってくる。今度は止められなかった。いや、止めなかった。


「どこに行くのかと聞いている!」


 椅子が、大きな音を立てて後ろに倒れた。

 ラウルは立ち上がり、逃がさないとばかりに片手でカイルの腕を掴む。その弾みで小さな外套がばさりと落ちた。厚手の上着の下に隠された腕は、力を込めればあっさりと折れそうなほど細く華奢だ。

 まだ親の保護が必要な年なのに、こんな細い腕で、たった独りで、本当にサリフリに向かうつもりなのか。

 怒りと悲しみと苛立と、そのすべてがラウルを(さいな)む。


「空いている部屋は無いということですので……っ。先ほどの小屋にでも行って、休みます!」


 男の腕を振り払おうと、カイルは身をひねって暴れだした。しかしラウルの胸ほどの身長しかないのでは、体格差がありすぎる。髪を乱して必死に抵抗しても、護衛士たる男はびくともしなかった。

 二人のどちらを止めたものかとおろおろしていた女将だったが、息を切らしながらの少年の言葉に眼を丸くした。


「ちょっと坊や……!」

「……っ! 馬鹿か、お前は!」


 今度こそ、くすぶっていた怒りが爆発した。

 ラウルは落ちた外套を拾って暴れる頭に被せ、強く腕を引く。空いたテーブルに置いてあったランプを手に取り、はなして、ともがく身体を引きずるように階段を登り、部屋に向かった。


 鍵を開けてカイルを部屋に押し込み、ランプを壁のフックにかける。扉を閉めると、息を荒げながらもやっとカイルは大人しくなった。

 広いとも言えない室内は、弱々しい光に照らされている。薄暗い中で、寝台に置いてあった荷物を手早くまとめる男をカイルはじっと見つめていた。

 まとめた荷を床に置いたラウルは、立ち上がってテーブルの下を指し示す。


「そこの桶で手足を洗える。水は少ないが我慢しろ。上に置いてあるのは飲用だ」


 傷むのだろうか、掴まれていた腕を押さえながら、カイルはなぜ、とラウルを見上げた。


「ここは、貴方の部屋でしょう?」

「そうだ。部屋は狭いが寝台は広い。お前一人入れたところで、休むのに障りはない」

「……でも」

「邪魔になるようだったら遠慮なく追い出す。良いな? ……おとなしく寝てろ」


 そのまま部屋を出ようとしたラウルの背中に、戸惑いを含んだ声がかけられた。


「……貴方は?」

「……下で、飲み直してくる」


 立ちすくむその姿を一瞥し、ラウルは部屋の扉をそっと閉めて鍵をかけた。


 少年は、その身の不幸を嘆く訳でもなく、大人に助けを求めるわけでもない。怖くて不安で寂しくて、それは隠そうとしても隠しきれないほどなのに、援助を申し出れば(かたくな)に拒絶する。だがそれは明らかに、ラウルを災いから遠ざけようとする意思だ。また襲われるかもしれないという、その可能性が否定できないと知っているのだ。

 その上で、たった一人でサリフリまで行くと言い張る子供に腹が立って仕方がなかった。


(ゴロツキどもには簡単について行くくせに……)


 扉を閉める前、縋るような眼で立ち尽くしていた白い顔が、ラウルの眼に焼き付いて離れなかった。




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