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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
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カユテ村の夜・3

 


「わたしの家はとても遠くて……馬でも船でも辿り着けないところにあるのです」


 夢見るような眼差しで、左腕に手を添えカイルは静かにそう言った。その様子はピデを頬張っていた時とは別人のようだ。

 ひどく大人びて、儚げで、このまま今にも消えてしまいそうで──胸がざわめき不安に駆られ、咄嗟にラウルの手が伸びた。


「……熱でもあるのか?」

「あ、信じてませんね?」


 額に当てられた大きな手を両手で外して、カイルはぷうと頬を膨らませた。


「悪かったな。で、なんの謎掛けだ」


 外された手の親指と人差し指で膨らんだ両頬を押すと、ぷすっと音がして空気が抜けた。ついでにむっと突き出された唇を、指の背でつまんで引っ張ってやる。カイルはむうむうとうめき声を上げながらラウルの袖口を引っ張って抗議したが、そんなものは仔猫がじゃれつくようなものだ。痛くも痒くもない。

 ひとしきりその顔と柔らかい唇の感触を堪能してから手を離すと、カイルはぷはっと息をつき、涙目になって口を押さえた。


「……酷いですよ、ラウル」

「大人をからかうのが悪い」

「からかってなどいませんよ?」

「なら、そんな『遠く』から、どうやって来たと?」


 山羊が登るような崖の上か、と訊けばそれも違うと否定する。では場所はと問えば、わからない、だ。この子の話はあまりにも曖昧で、現実味がなさすぎた。尋ねるラウルの声も、つい呆れ混じりになってしまう。

 だがカイルはいたく真剣な顔で小首を傾げて指を顎に添え、記憶を探り、言葉を選びながら語りだした。


「詳細は思い出せないのですが……あれは、連れ出されたというか……『襲われた』というのが一番近いでしょうね。──そう、寝込みを襲われたのです」


 すっかり温くなってしまったサーレをまた一口飲んで、カイルは淡々と物語る。その様子は、まるで夢の中の出来事を話しているようだ。


「抵抗する間もありませんでした。幸い連れはかろうじて逃がすことができたのですが、わたしは逃げ切れなくて。……連れ込まれた先で運良く魔術士の転送陣を見つけたので、迷わず飛び込みました。それで出た先が、たまたまあの方の庵のそばだったのです」


 ラウルは唸った。やはり厄介ごとに巻き込まれていたようだ。巻き込まれた、というよりむしろ当事者か。

 だが「襲われた」との自覚があっただけでも上出来だ。無自覚だとしたら、これの従者があまりにも気の毒すぎる。

 けれど、とラウルは眉をひそめた。

 なぜこの子は、こんなにも落ち着いているのだ。

 襲われたのは自分だというのに、これではまるで人ごとではないか。

 襲われて、怖くはなかったか。逃げたといっても追っ手がいるかもしれない。それで不安にはならないのか。剣はあってもたった一人で知らない場所を彷徨って、金も持たずに心細くはなかったか。鍛冶師とやらに出会わなかったら、どうするつもりだったのか。

 すべて虚言なのか。そう疑ってしまうほど、カイルは平然とし過ぎていた。


 ラウルは目を凝らし、じっと様子を窺った。

 表情は、変わらない。だが綺麗に色づいていた頬が、色を無くしている。左腕に当てた手にも、わずかに力が込められている。緊張しているのだ。

 ──ならなぜこんな、あえて平気な顔をしているのだ。

 胸の奥底からどろりとした不快感が沸き上がる。それを押さえようとラウルは腹にぐっと力を入れたが、疑問はどうしても拭えなかった。



「……だとしても、襲った奴は『馬も船も使わずに』どうやってそこまで行った?」

「それこそ、魔術ですよ」


 カイルはぽんと手を合わせた。

 できなかった問題が解けたと報告する子供のように、その高い声が弾んでいる。黒い瞳を輝かせ、口元には笑みすら浮かべ、新しい出来事に興味津々といった様子で喋りだした。


「術式や触媒などの詳細はわかりませんが、そうとしか考えられません。そもそも魔術には……」

「……いい加減にしろ!」


 ラウルの中で、何かが振り切れた。

 吐き出した言葉と共に、どん、と拳を打ち付ける。その衝撃に皿がかちゃりと音を立て、小さな肩がびくりと竦んだ。はっとして、驚きと悲しみをないまぜた眼でラウルを見上げたカイルだったが、すぐに口を噤んで顔を伏せた。


 ラウルの声も拳の音もさほど大きくはなかったが、一瞬にして食堂の中は静寂に包まれた。女将は声をかけようとしたが、びりびりと肌を刺すような怒気の前に、近づくことさえできなかった。

 ややあって村人達がちらりほらりと席を立ち、宿泊客も次々に自分の部屋に戻って行った。女将の咎めるような視線や、階段を登ってゆく客の舌打ちや非難に満ちた眼差しをあえて無視して、ラウルはカイルを睨みつける。


「おまえは──どこまで人を馬鹿にする?」


 己の意に反して連れ去られたとまるで他人ごとのように語り、挙げ句魔術の所為とは笑わせる。ラウルは魔術なるものに詳しい訳ではないが、それでも長年護衛士などをやっていると一般人よりは触れ合う機会も多くなる。魔術士にも知り合いがいるが、人や物を瞬時に移動させる、そんな魔術は聞いたこともない。

 襲われたということは、この子自体が狙われたということだ。己がどれだけ危うい立場にいるのか、そして自分を含め、剣を託した鍛治師やここの女将にどれほどの心配をかけているのか──これ(カイル)はまるでわかっていない。それどころか人を小馬鹿にするような態度を取って、故意に人を遠ざけようとする。

 なぜ大人を頼ろうとしないのか。ラウルの胸が、締め付けられるように痛む。


 項垂れた少年の表情は、前髪に隠れてよく見えない。泣いているかもしれない、そう思ったがこのまま口を噤むことなどできなかった。


(さら)われたというなら、警備隊に保護を求めるべきだろう。必要なら帝都まで連れて行ってもいい。だがまず第一におまえのすべきことは、身の安全を図り、家族に無事を知らせることではないのか?」


 その言葉に、カイルの身体がひくりと揺れた。膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめ、弾かれたように顔をあげる。

 深い闇色の瞳は濡れてはおらず、それどころか射るような鋭い眼差しでラウルを正面から見返した。


「──今は、そんな些事に構っていられません」

「些事だと……?」


 静かな、だがカイルの強い言葉にラウルの拳がぎり、と音を立てた。


「そうです。そんなことをしている暇はないのです」

巫山戯(ふざけ)るな! そんなことだと? 大事なことだろう!? どれだけの人間が、おまえを気に掛けていると思っている!」


 窓枠がびりびりと震えるほどの一喝だった。普通の人間ならとうに言葉を無くし、震え上がるような剣幕だ。だがカイルは怯まなかった。


「わかっています! それは申し訳ないと思っています。けれどわたしはどうしても、サリフリに行かなければなりません!」

「サリフリ? なぜそんなところに行く必要がある!」

「それはっ……わたしの個人的な問題で、貴方は知らなくて良いことです!」


 吐き出すようにそう言って、カイルはふいと顔を背けた。これ以上話したくない、話せないというように、唇を強く噛んでいる。

 それは差し伸べた手を無碍に振り払うような、ひどく身勝手な言い分だった。頭に血が上っていれば、このまま少年を見捨てただろう。だが瞳が逸らされるその刹那、ラウルは気付いてしまった。

 決意の中に揺らぐ、かすかな光。それは不安と怖れだ。なのにその小さな灯火を閉じ込めて、相手を想う強い煌めきで覆い隠そうとしている。


 ──この子は、ちゃんと理解しているのだ。

 知れば巻き込むからと、わざと怒らせるような真似をして。まだ孵ったばかりの雛だというのに、いっぱしの大人の真似をする。世間のことなど何も知らないくせに、矜持だけは一人前だ。

 なんと強情な子供だろうか。厳重に隠された心の底から本心を引き出すには、こちらも本気で懸からねばならない。

 ラウルは腹にぐっと力を入れ、目の前の「少年」に向き直った。




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