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運命の環は巡る  作者: らみ
北方公路
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カユテ村の夜・2

 


 げほげほと咳き込みつつ滲んだ涙を拭っていると、目の前にグラスが差し出された。ありがたい、と中身を一気に飲んで、ラウルは更にまたひとつ咳き込んだ。それは乳精に蜂蜜と柑橘果汁を加えた、サーレという甘い飲み物だったのだ。

 蜜入りは苦手だと知っているくせに、と恨みを込めた視線を向けるが女将は全く気にした様子もない。


「随分と仲良くなったもんだねぇ」


 大丈夫ですか? とラウルの背中をさすっていたカイルにも同じものを渡し、女将は感心したように頷いた。一体いつから見られていたものか、口元が笑いをこらえるように歪んでいる。


「ははっ、そう睨むんじゃないよ!」


 ぷっと吹き出してそそくさと厨房に消えた女将だったが、湯気の立つ皿を手に、またすぐに戻ってきた。

 ラウルたちの食事ができあがったようだ。

 カウンターと厨房を忙しなく行き来して、女将は料理の載った皿を二人の前に次々に並べてゆく。


 出されたのは、山羊乳のチーズ、芋と野菜を合わせてすりつぶしたエズムと色とりどりの温野菜、薄く切った羊肉の香草焼き、鶏肉に下味をつけて油で揚げたカナト、3種類の豆のスープ、小麦粉を練って薄く焼いたピデ、挽肉と野菜の煮込みと、随分と盛りだくさんだった。二人分にしては量が多い気もするが、残ってもラウルが片付けると踏んでいるのだろう。

 並べられてゆく料理に、カイルは瞳を輝かせ、手を叩いて喜んだ。


「……凄い!」

「足りなかったらお替わりもあるからね。遠慮するんじゃないよ!」

「アクサライ風ですね。とても美味しそうです」

「カユテの郷土料理さね。さ、食べな!」


 にっと笑って少年の背中をぽんと叩き、女将は足早に戻っていった。厨房から料理を運び、注文を受けながら空いた皿を戻してと、毎日この時間は多忙を極めるのだ。


 カイルの視線はすでに料理に釘付けで、これでは話をするどころではないだろう。ラウルもひとまず食事にすることにした。

 ピデにチーズと羊肉を挟んで包み、それをそのままカイルに渡す。

 少年は、こくりと喉を鳴らして渡されたピデを見た。そのまま食べるのだろうと思っていたが、両手で持ったピデとラウルの顔を交互に見て、泣きそうになっている。

 食べたいが、どうすれば良いのかわからない。

 そんな様子でピデを見つめ、再び小さく喉を鳴らした少年に、ラウルはああ、と頷いた。

 貴族の子なら、手掴みで物を食べることなどないだろう。食べられないのも無理はない。意図したわけではないが、「お預け」させてしまったようだ。


「この辺りでは、こうやって食べる」


 ラウルは自分でも同じものを作って右手で持ち、そのまま豪快に齧りついた。羊肉にチーズの塩気が丁度良く、肉汁がピデにしみ込んで、これもまた旨かった。

 ラウルが頷くと、少年の顔がぱっと輝く。

 手本通りに右手でピデを持ち、カイルは小さな口をそれでも精一杯開けて齧りついた。だがやはり、持ち方が甘い。肝心の具が反対側へ逃げてしまい、皮しか口に入らなかったようだ。ピデから飛び出た肉を恨めしげに見つめ、微妙な顔でカイルは皮を飲み込んだ。そして今度はピデを返して両手でしっかりと持ち、齧りつこうと口を開ける。

 ところがそこではっと固まり、少年は恐る恐る、目だけで隣を見上げてきた。

 この食べ方で大丈夫なのか、とラウルの反応を窺っているようだ。

 食事のマナーを気にする必要などないというのに、やはり気になってしまうらしい。

 口を開けたまま真面目に待っている少年が「よし」と許可が出るのを待つ仔犬のようで、ラウルは面白くて仕方がなかった。目を細めて笑いながら、どうぞ、と示してやると、途端に猛然と食べ始める。

 精一杯口を開けてピデに齧りつき、頬張る姿はまるでリスかなにかの小動物のようだった。具を落とさないようにと視線は手元に当てたまま、それはもう懸命という言葉そのままに食べている。


「可愛いねぇ。……まるでリスみたいだ」


 思ったそのままを耳元で囁かれ、ラウルはどきりとして振り返った。するとそこには女将が空いた皿を腕に乗せ、人の悪い笑みを浮かべて立っている。


「なにを……」

「いい子じゃないか。大事にするんだよ」


 言うだけ言って、女将はまた厨房に戻っていった。

 肩をすくめ、ラウルは少年の姿を眺めながら鳥唐揚げ(カナト)をひとつ、口に放り込む。

 ぱりっと揚げられた皮の中は、まだ熱かった。ぷりぷりとした肉が噛む度に口の中で踊り、噛み締めるほどに旨くなる。肉の旨味を最大限に引き出すこの味付けが、この宿の名物だ。

 羊肉を挟んだピデを食べ終えた少年が、ラウルを振り仰いだ。

 こういった田舎料理は初めてだったのだろう。黒い瞳は生き生きと輝き頬を上気させ、喜色満面といった様子だ。


「わたし、こんなに美味しい物を食べたのは初めてです!」

「……そうか。なら、今度はカナトはどうだ? ここの名物だ」


 カイルのフォークをカナトに突き刺し、小さな手を取り柄を握らせる。

 どうやって食べるのかと再び首を傾げる少年に、ラウルはそのまま齧るよう促した。

 カイルは両手でフォークを握り、恐る恐る口に運ぶ。

 一口齧ると大きな瞳がさらに開かれ、そしてくしゃりと頬が崩れた。

 右手でカナトの刺さったフォークを持ち、左手で頬を押さえ、口を閉じながらも笑み崩れるという器用な真似をして、カイルは幸福に浸っている。

 最初の一口をじっくり味わい飲み込むと、少年はラウルを見上げて歓喜の声を上げた。


「……美味しい!」

「だろう? 好きなだけ食べると良い」

「はい!」


 少年は、残りのカナトを夢中になって食べ始めた。その様子は微笑ましく、眺めているだけでも心が暖まる。まるで親鴨になった気持ちで雛を見つめながらも、ラウルはそっと拳を握りしめた。


 少年の手は細く、柔らかかった。

 変声前だとしても細すぎる手首と指。このぐらいの年ならば、もう少し骨が太くても良いはずだ。それに上着の襟と髪に隠れてはいるが、首も華奢で。

 そして、この服。

 明るい場所でよく見ると、この子の服は随分とくたびれていた。黒が褪せたような色の外套は毛羽立って所々汚れているし、仕立ても良くない。青鈍色の上着も袖口がすり切れている上に短くて、まるで大きさが合っていなかった。おそらく靴も同様だろう。カイルは中身に対して酷く不釣り合いな、襤褸(ぼろ)と言っても良いものを(まと)っている。

 確かに一人で歩くなら、下手に上等な服よりも古着の方が良いだろう。だがそれにも限度というものがある。この服はあまりにも酷過ぎて、いっそ哀れになるほどだ。

 連れがいるなら、こんな格好はまず絶対にさせない。


(一人……というのは間違いない、か。……それに)


 ヨーグルトソースをたっぷりつけた温野菜を口にしながらも、ラウルは思考を巡らせた。

 この子の傍は楽しくて、手放したくないという気持ちはある。

 しかしそれは「帰さない」という意味ではない。ましてや金にならないからといって、今更放り出すつもりもない。先ほど女将がちょっかいをかけてきたのは、それを心配してのことだろう。だがそんなことをされなくとも、ラウルは「持ち主」に届けるぐらいのことはしてやるつもりだった。

 けれど。


(届けるとしても──どこに行けばいい?)


「トゥルネイ山で保護された、従者とはぐれた貴族の子供を預かっています。特徴は黒髪黒目、眉目秀麗で世間知らずです」


 治安維持を担う警備隊にこんな届けを出しても、マトモに取り合ってくれるとは思えない。それどころか、かえって誘拐の嫌疑をかけられるのがオチだ。

「荷物」を「持ち主」に届けるだけのはずが、どうしてこんな面倒なことになってしまったのだろうか。


 それにしても、本当に嬉しそうによく食べる。

 面倒ごとは沢山だが、それでもこの子は無事に返さなければ。

 そんなことを考えながらラウルは少年を眺めていたが、不意に視線がかち合った。

 どうした、と視線で問えば、闇色の瞳を何度か瞬かせ、カイルはばつが悪そうに俯いた。


「あの……すみません」


 頬を薔薇色に染め、いったい何を詫びているのかと首をひねると、そっと羊肉の皿が差し出された。


「その、わたしばかり食べてしまって……ラウルも、どうぞ」

「ああ……」


 いつの間にか、肉は半分以下に減っていた。結構な量があったはずだが、考え込んでいる間に食べてしまったようだ。

 好きなだけ食べさせるつもりだったから、それは一向に構わないのだが……そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか。

 ラウルはするりと頬を撫で、差し出された羊肉を口にした。カイルを見れば、今度は挽肉と野菜の煮込みに取りかかったようだ。カトラリーを優雅に繰っているさまは、やはり庶民とは思えない。そしてその発音の仕方からも帝都か、もしくは聖都辺りの出身だろうと見当がつく。しかしいずれもこの村からはかなりの距離があり、子供が一人で歩くには無理があった。


(トゥルネイ山の鍛冶師、と言っていたな)


 路銀を得るために剣を託された、ということはこの子は金を持っていなかったということだ。確かにあの鍛冶師の剣を売れば、それなりの金になる。帝都までなら護衛をつけ、そこそこ安全に旅することができるはずだ。


(──では、その鍛治師とはどうやって知り合った?)


 この周辺に貴族やその別邸があると言う話は聞いたことがない。この子がどこからか迷い込んだにしても、トゥルネイ山の中腹まで行けるかというと、それも疑問だ。


(そうでないなら、かどわかされたか──)


 ──おおいにあり得る。

 あのゴロツキどもに、何の疑いもなくついていこうとした子供だ。本人はそうと認識していなくとも、誘拐されていた可能性は十分にある。

 だがいずれにしても、身一つで登れるほどトゥルネイ山は容易い山ではない。


 ラウルはひとつ息を吐いた。

 想像するだけでは埒があかない。やはり本人に直接聞かなくては。


「……カイル」

「はい」


 声をかけると、少年はぴくりと身体を強張らせた。そしてすぐに布で口を拭き、膝に手を乗せ姿勢を正し、伺うようにラウルを見上げる。


「そう改まるな……食べながらで良いから」

「そう、ですか? あの……美味しくて。気が付いたら、無くなってしまいました」


 すみません、と小さく呟きカイルはそっと目を逸らす。

 今度はどうやら料理を食べ尽くしたことを叱られると思ったようだ。

 逸らされた視線の先を追えば、鳥唐揚げ(カナト)とチーズと羊肉の皿はほぼ空になっていた。いつの間に食べたのか、ラウルの軽く倍は腹に納めている。この小さな身体のどこに入っていくのやら、と呆れもしたが、食べ盛りとはこんなものだろう。まだ食べ足りないその様子に苦笑しつつ、残った羊肉をすべて皿に乗せてやる。カイルは礼を言い、まだ覚束ない手で最後のピデに包みだした。

 美味しいですと頬張る姿に眼を細め、ラウルは優しく切り出した。


「カイル、家はどこだ? 従者ともはぐれたそうだし、送っていこう」


 コツを掴んだのか、注視しなくとも中身を落とさず食べられるようになった少年は、驚いたように眼だけをラウルに向けた。そしてそのままの格好で口を動かし中の物を飲み込むと、サーレを一口飲んで、ほう、と息を吐く。

 そのまま静かに目を閉じて、ゆっくりと開いた瞳はどこか遠くを見つめるようだった。

 懐かしむような眼差しの中に、一瞬だけ悲しみの色が(よぎ)る。そして紡がれたのは、ラウルが想像だにしなかった言葉だった。


「ありがとうございます。でも、わたしの家はとても遠くて……馬でも船でも辿り着けないところにあるのです」




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