見えない花が開くとき・3
広間には蓄光球がいくつも置かれ、室内をまばゆい光で満たしている。そして中央には膝ほどの高さの丸い大きな卓があり、色とりどりの料理がところ狭しと乗っていた。
豪商というだけはあり、どの皿の料理も豪華に飾り立てられ美味そうだ。その中でもまず目を引くのが飴色に焼かれた羊の丸焼きで、色鮮やかな野菜に埋もれながらも湯気を立て、辺りに香ばしい匂いを漂わせている。他にも具沢山の焼き飯、細工が施された分厚く大きなピデ、香辛料と肉の入ったうどんにあっさりとした汁もの、自家製チーズや庭で採れた果物などで卓は大いに賑わっていた。
招かれた客たちは歓声を上げながら靴を脱ぐと背もたれ付きの分厚い座布団に身を沈め、主の到着を待ちわびる。そして場に一同が揃ったところで屋敷の主、デュランが席につき、陽と月の神に感謝の祈りを捧げて羊を皆に取り分けた。次に果実水の入った杯を高く掲げ、この場に巡り会えた幸運に感謝の言葉を述べると共に乾杯だ。客たちも主の声に唱和して、ささやかと言うには豪勢な宴が始まった。
皆が和やかに歓談しながら思い思いに手を伸ばし、山と盛られた料理はあっというまに空になる。その様子に目を細め、デュランが思い出したようにぽつりともらした。
「……ミシュアルの言っていたことは……本当だったのですね」
視線の先には息子がいる。今日は何度も泣いたせいか腫れぼったい眼をしているが、いまはジュリアとカイルに挟まれ機嫌良く笑っていた。あんな顔は久しぶりだと頬を緩めて見守っているがやはり娘のことが気になるのだろう。杯を置くとデュランは肩を落として重々しく息を吐いた。
「そのようですな。しかもその『花』とやらが魔術の邪魔までしているそうで」
「ああ……私があのとき、もっとちゃんとあの子の話を聞いていれば……!」
「デュランさま、あまりご自分を責めますな。手がない訳ではありません。なあ、ラウ坊」
「……ええ。我々も全力を尽くします」
必ずお嬢さんを取り戻しますとデュランとハイダルにうなずき返し、ラウルは顔を巡らせ左隣に目を向ける。そこではカイルが幸せそうな笑みを浮かべて懸命に肉を頬張っていた。一口食べては隣のミシュアルと楽しそうに語り合い、その向こうのジュリアに勧められた食べ方を試してみては、新たな味を発見したのか闇色の瞳を輝かせる。
見えない「花」が咲いたとき、なにかが起きることは間違いない。なのにそれを間近に控え、カイルはそれを怖れてはいないようだ。必ず守るから、と告げたその言葉を信じてくれているのだろう。ならばラウルは守り通さなければならなかった。罪もない子供が傷つくような、そんな悲劇は二度と起こしてはならなかった。
「わたしが囮になります」
自分を狙うものとミシュアルの姉、ナスリーンを攫ったものが同一らしいと知ったとたん、カイルはためらうことなく申し出た。
「潜入して、ナスリーンさんを助けてきます」
「いやいやいや、そういうことはしなくていーから」
間髪入れずに突っぱねられて、カイルはむうと唇を突き出した。
「ザックさんも見ていたでしょう? わたし、ちゃんと戦えます」
確かにソネルを投げ飛ばした手技は見事なものだったらしい。しかしだからといってカイルを危険に晒すわけにはいかなかった。ただでさえ見習いを含めて4人の護衛士と、おまけに騎士まで揃っているのだ。年若い少女に頼るなど護衛士としての矜持が許さぬし、向こうにしてもたいして抵抗がなければ余計に怪しむことだろう。そのうえ犯罪に加担する魔術士がいる以上、用心するに越したことはない。
「チビはさ、『か弱い乙女』だって油断させとけよ。まあ、いわば切り札だな」
「モーブレーの言う通りだ。犯人は俺たちで捕まえる。そいつに居場所を吐かせてナスリーン嬢を助け出すから」
万が一の時のために大人しくしていてくれと頼み込むと、カイルは不承不承うなずいた。しかし納得できない部分もあるようで、心配そうに眉をひそめてうかがうようにぽつりとこぼす。
「……ナスリーンさんがどこにいるのか、その人が教えてくれなかったら?」
「そうしたら、わたしの出番よね」
任せて、と声をあげたのはジュリアだ。きょとんと小首をかしげたカイルに、魔術で自分から話したくなるように仕向けるから大丈夫だと胸を張る。
「姉さん、あんた……『探しもの』専門じゃねぇの?」
「ええ。でも学校ではね、ひととおり習っているから」
「いや、習ったからってできるこっちゃねえだろ?」
「ジュリアは『旗持ち』なんだよ。それも……帝国の」
専門外は難しいのではというザックに、不機嫌そうなケネスが口を挟んだ。
「旗」とは魔術学校を卒業した証である。これを持っていればどこでも一人前の魔術士と認められ、中でも帝立学校卒は一目置かれる存在だ。そして「旗」が持つ色の数が多いほど優秀な魔術士とされている。
「へえ、ちなみに色はいくつあんのよ?」
「三色」
「……マジ?」
ああ、と首を縦に振ったケネスから、ザックは恐る恐る視線を移す。はにかみながらもうなずくジュリアに騎士はあんぐりと口を開けて固まった。
「なんだって魔術『師』が……こんなとこで『探しもの屋』なんてやってんだよ」
「ええと。……どうしてもやりたいことがあった、から」
ジュリアはちらりとラウルを見ると、頬を染めてうつむいた。「やりたいこと」など一目瞭然のその姿にザックはがりがりと両手で頭を掻きむしり、信じらんねえとしきりにぼやく。
「それもこれもおっさんに会うためか? っかー!」
「そ、それだけじゃない。わたしは宮仕えに向いてないのよ」
「んなことねーだろーがよ。だいたいなあ……」
ザックが冷やかしジュリアは慌てて言い繕い、その隣ではケネスがむっつりと腕を組んで押し黙る。
その様子を見守りながらもラウルはなんと言って良いのかわからなかった。「魔術師」とは「魔術士」の中でも飛び抜けて力が強いものを指している。「魔術士」でさえそうそう見つかるものでもないのに、あのときの少女がさらに数の少ない「魔術師」だったとは。しかも帝都を一歩外に出れば魔術士への偏見は根強いものがあるというのに、助けられた礼をしたいと親元を飛び出して、何年も自分を捜してくれていたのだ。
人生でもっとも輝かしい時期をひとり見知らぬ土地で過ごすなど、並大抵の苦労ではなかったろうに。
その心の強さにラウルは敬意を抱かずにはおれなかった。感嘆の意を込めた視線を送るとジュリアははっと息を呑む。そしてこほんと咳払いをすると立ち上がり、鮮やかに染まった頬を隠すように皆に向かって頭を下げた。
「とにかく! わたしだって皆の力になりたいの。だから帰れなんて言わないで」
お願いします、とジュリアがそう言うのには理由があった。
調査の結果、ナスリーンとカイルの「花」はやはり魔力をもつ人間──魔術士にしか見えないものであり、しかも魔術を退ける作用まであったのだ。だからカイルが攫われてしまえば2人を捜す術がなくなってしまう。
もちろんジュリアの腕が悪いわけではない。事実、この屋敷に逗留することになり、宿に馬と荷を取りに戻ったザックが帰り道に商店街でなにやら買い物をしていることはあっさりと言い当てた。しかしそれも、カイルと手を繋いだ途端に見えなくなってしまうという。そのうえ透き通った赤い莟はもうだいぶ膨らんで、明日か明後日か、ほどなく咲くだろうということだった。この街に来てからカイルが訴えていた恐怖、そしてラウルが見えなくなったこと、それらの謎は解けたが一行はまさに瀬戸際という状況だったのだ。
「皆さんの邪魔にならないようにします。できることはなんでもしますから」
「魔術師が役に立たねえなんてこたねーよ。頼りにしてる。──おっさんも、構わんよな?」
小首を傾げて同意を求めるザックとジュリアにラウルは力強くうなずいた。
「ああ、よろしく頼む」
「はい! ……ありがとうございます」
許しを得ると、ジュリアは輝くような笑顔をみせる。
そして必ずナスリーン嬢を助けようと、一同は固く誓い合ったのだった。
「はい、ミシュアルくんはこれでいい? カイルちゃん、お肉はこの葉っぱで巻いて食べると美味しいわよ?」
ジュリアは肉と野菜をかいがいしく取り分けて、中身が減れば果実水を注ぎ足す。カイルはそれに礼を言い、教わったように肉を包んで味見をする。一口食べると眼を丸くして、同じものを包み直すとラウルに「はい」と差し出した。それをラウルが「美味い」と褒めればジュリアと一緒に破顔する。葉っぱは嫌いと避けていたミシュアルでさえそれを見るなり「ぼくも」とねだり、周囲に笑みがこぼれ落ちた。宴は子供を中心に、和やかな空気に包まれていた。
それを冷めた眼で眺めながらザックはぐいと杯をあおり、中身が酒でなかったことに奇妙に顔を歪ませた。この状況で酔ってなどいられないと皆で酒を辞退したのだが、無意識のうちに馴染んだ味を望んでいたようだ。
器のせいかとひとりごち、誰に聞かせるでもなくザックは感じたままに呟いた。
「……あいつら、まるで家族みてぇだな」
「ジュリアはまだ独身だから」
律儀に訂正したのは右隣に座っていたケネスだ。これまでずっと難しい顔をして口を噤んでいたのだが、あの女魔術師のこととなると黙っていられなくなるらしい。
「へえ。でも彼女、まんざらでもなさそうだけど」
「ジュリアは誰にでも優しいんだ」
卓の向こうのラウルを半眼になって睨みながら、ケネスはいちいち答えを返す。その様子にザックはぱちりと瞳を瞬かせ、そしてにやりと口元を引き上げた
酒も飲めずにひとり退屈していたのが、これでようやく楽しめそうだ。
なにせ宴が始まってからというもの左隣ではハイダルが主と共に話し込み、会話といえば「見習い? ヤツは罰として夕食抜きでさ」とこれだけだった。右隣はずっと鬱々として気軽に話すどころではなかったし、楽しそうに笑うチビを肴にちびちびと料理を口にしていたところだったのだ。
「にしても楽しそうだよなあ。ありゃ理想的な家族そのものって感じじゃね?」
「…………」
「家族」と称された面々をちらりと眺め、ケネスは無言で杯を空けるとやはり奇妙な顔をした。くつくつ喉を鳴らしながらザックが新たな果実水を注いでやると、ぼそりと礼を言って黙り込む。
「まあ、人間の半分は女だからな。あんまり落ち込むなよ」
これでも食って元気出せ、とザックは山盛りの肉を眼の前においてやる。しかしどんよりと暗くなった若い護衛士は、それに手をつけようとはしなかった。重々しく溜息をつくと再びがぶりと杯をあおり、俯きながらもぽつりと呟く。
「ダメなんだ」
「ああん? ……なんだって?」
「ジュリアがあいつを見つけたときに──覚悟はしていた。けど、やっぱり諦めきれない」
「そっか……だよなあ。んじゃ、俺がイイこと教えてやろう」
年の差だとか、そんなつもりで助けたわけじゃないとか、おっさんはなにかってーと理屈っぽい。だからおまえさんにもまだまだ好機は巡ってくる。彼女が振られたそのときを逃すなと、励ますように肩を叩けばケネスは突然怒りだした。
「馬鹿言うな。ジュリアを拒否することなど俺が許さん」
「……あーた、言ってることがむちゃくちゃよ?」
「……わかってる」
しょんぼりと肩を落としたケネスの杯にザックは再び果実水を注いでやる。蓄光球の光を弾く半透明の液体を眺めながら、ケネスは弱々しく口にした。
「……俺を、見てくれないんだ」
「はあ?」
「あいつと会ってから、ジュリアは一度だって俺のことを見てくれない」
「えーと、そうだっけ?」
唇を強く噛み、目頭に力を込めてケネスはゆっくりとうなずいた。うつむいた目元は充血し、いまにも涙があふれてこぼれ落ちそうになっている。ザックはぎょっとして身を引くと、慌てて背中をさすってやった。
「おいおいおいおい、落ち着け、な、な?」
「お、俺はもう……いらないんだ……」
「まあまあまあまあ、そんなことはありませんって。彼女、優しいんだろ?」
「でも、もう、俺は邪魔でしか……」
ぐすっと鼻を鳴らしたケネスの前に、たおやかな白い手が伸びてきた。はっとしたザックとケネスが息を詰めて見守る前で、ジュリアは大皿から手早く焼き飯を取り分ける。形を整え野菜を2、3つけ足すと、男達には眼もくれずに皿をカイルに差し出した。そしてそのまま楽しそうに談笑し、まるでケネスがそこにいないかのように振る舞っている。
そんなジュリアの背中を切なげに見送って、ケネスは大きく肩を落とすと背中を丸め、力なく項垂れた。
「……見たろ? 俺は、俺は……もう、用済みなんだ」
用済み。
その言葉に胸の奥がずきんと痛む。まるでつい先日までの自分を目の当たりにしているようで、身体の奥底から苦い想いが広がってゆく。あのときはチビが抱きしめ癒してくれたがザックに男を抱く趣味はない。かといって誤解をそのままにしておくのも気が引けた。
(ったく、めんどくせぇ)
両の拳を握りしめ、歯を食いしばって嗚咽をこらえるこの馬鹿者は自分が捨てられたのだと本気で思っているようだ。魔術士の護衛だというのに、ものを知らないにもほどがある。
ちっ、と軽く舌打ちすると、ザックはケネスの耳を引っ張った。
「おおい、ボク? よーっく見てみろよ。あの姉ちゃんは誰を見てる?」
「──いっつ! は、はな、せ」
「いいから答えろ。そしたら離してやっから」
「……あ、あいつ」
「あほう!」
平手で額を叩いてやると、ぺちっと小気味良い音がした。仰け反りぐっと唸ったケネスが涙目で睨んでくるが、それに片頬だけを引き上げて、ザックは顎をしゃくって促した。
「もう一度、しっかり眼を開けて見てみやがれ。彼女が夢中になってんのはおっさんじゃねぇだろ? チビどものほうだ」
「──え」
確かにジュリアがなにかれと世話を焼いているのはカイルとミシュアル、この2人だけだった。いちいちカイルが隣のラウルに皿を回しているので3人の面倒を見ているようにも受け取れるが、ジュリアの視線はラウルには向いていない。
「あ、あれ……?」
「おまえさん、よくそれで魔術師の護衛なんかやってたな?」
「どういうことだよ」
「あいつら『雛』だろうが」
「え……? まさか」
この単語には聞き覚えがあったのか、ケネスの瞳が徐々に丸くなってゆく。知っていたならなぜ気がつかないのだとザックはがりがり頭を掻きむしった。
「あそこまで露骨だったら普通、わかんだろーが」
魔術士には奇妙な習性があることが知られている。もはや本能といってもいいかもしれないが、魔力を持ちながらもその力に目覚めていない「雛」を見つけると、その世話を過剰なほどに焼きたがるのだ。それは突き動かされるような衝動で、抑えることは不可能に近いらしい。さらに魔術士たちは「雛」が喜ぶことに至上の幸福を感じるため、構うことに夢中になるとほかはなにも目に入らなくなってしまうようなのだ。
「あの様子じゃあ彼女、『雛』に出会ったのは初めてなんだろ? しかもチビのほうはまーったく自覚がねぇからな。余計に世話のしがいがあるっつーか」
「いや、だって……学校に、その、『雛』って子がいるんじゃ」
「だあほ!」
びしっ、とこめかみを指で強く弾いてやるとケネスの頭は斜めに傾ぎ、うが、とうめいて手を当てた。額には赤い指の跡までついて、そこそこの色男が台無しになっている。
「──ってえ! なにすんだよ!」
「あのな、魔術学校ってなあ、本人が自覚するから行くんだろ? そうなったら『中雛』だ。まっさらな『雛』なんかいるわけねーだろ」
「……あ」
「やーっとわかったか。魔術士はただでさえ数が少ないからな。おまけにいつのまにか自覚しちまうヤツもいるし。だから『雛』に出会えること自体、奇蹟みたいなもんなんだよ」
浮かれているのもじきに落ち着く。いっときのことだから好きにさせてやれよとザックが肩を叩いて微笑みかければケネスは涙を浮かべてうなずいた。決してないがしろにされたわけではないと理解したせいか、すっかり晴れやかな顔になっている。
「よかった……」
にじんだ涙をそっと親指でぬぐいつつ、ケネスはジュリアを見つめて微笑んだ。
その横顔に、もはや暗い影は欠片もない。やれやれ、と小さく肩をすくめたザックが卓の周りにぐるりと視線を流してみれば、他の面々もみな柔らかな笑みを浮かべて子供たちを見守っていた。
(子供ってーのは凄えよなぁ……笑うだけでなんかこう、こっちまで満たされるっつーか)
口の端でくすりと笑い、ザックは焼き飯に向かって手を伸ばす。ほんの少し入った香草のせいなのか、これが妙に病みつきになる味なのだ。残りも少ないことだしいっそ全部食っちまおう、と皿の中身をかき集めていると、右隣の卓のふちに置かれた拳が小刻みに震えているのに気がついた。
今度はなんだと首を向ければケネスの頬が強ばり不自然に引きつっている。
「くっそガキ……!」
ぎりぎりと音を立てて歯を食いしばり、今にも噛みつかんばかりに睨みつけているのはミシュアルだ。
子供はふあ、とあくびをもらすとジュリアにぴったりとしがみつき、その豊満な胸に顔の半分を埋めている。やがてジュリアが笑顔で膝の上に抱き上げると、ほお擦りをしてその感触を堪能している、ように見えた。
ケネスの拳はぷるぷる震え、白くなるほど握りしめられている。そのうえ目にしたことの衝撃と怒りのあまり、青ざめながらも頬を紅潮させるという器用な真似さえしでかしていた。
またかよ、と頭を抱えたくなったザックだが、気をとり直して若い護衛士の肩をつかんで引き寄せた。
「おい、落ち着けよ」
「こ、こ、こんなこと……許せるか? あの、神聖な場所に触れて良いのは……」
「おまえさんじゃねーこたぁ、確かだな」
きっぱりと断言すると、ケネスの顔がくしゃりと歪む。今度こそぐしぐしとべそをかくのにザックはほとほと困り果てた。
「おいおい、泣くなよ」
「泣いてなんか……っ」
「はいはいはい。子供のやることにいちいち目くじら立てないの」
転がっていた手拭きをぐいと顔に押し付けて、がしがし乱暴にぬぐってやる。ぶへ、とかほぶ、とかいう情けない声を聴いているとこちらまで泣きいような気持ちになってくる。
「どうされました?」
「なんでもありまっせん! あまりに料理が美味いので、それに感動しているようです!」
心配そうに声をかけてきた屋敷の主に満面の笑顔でもって返事をし、ザックはつんとしてきた鼻の奥を頭を振って誤摩化した。
(なんか、疲れた……)
1日の疲れがどっと押し寄せてきた気がする。
ザックは深く肩を落とすと大きな溜息をついたのだった。
◇ ◇
「はー……」
やはりチビの淹れた茶は美味い。凝った疲れが洗い流されていくようだ。
案内された客室で、ザックはラウル、カイルと共に小さな卓を囲んでいた。そこで食後の一服兼打ち合わせとなったわけだが、室内はどこかぴりりとした緊張をはらんでいる。
国境で出会ったとき、なぜ「帝国の騎士」から逃げようとしたのか、その理由を教えて欲しいとザックが頼み込んだのだ。
建前はもちろん聞いている。どうみても上流の、貴族だろう娘が髪を切り、男装してまで旅をするその理由。この屋敷の主、デュランなどは「意に添わぬ婚姻を迫られて」というのを真に受けたようだった。他の面々も、込み入った事情があるのだろうとそっとしてくれている。ザックにしてもカイルに嫌われるようなことをしたくはないというのが本音である。けれど、それを曲げても聞いておかなければならなかった。
(さーて、どうするか……)
こきこき肩を鳴らしながら回していると、目の前でちょこんと腰を下ろしたカイルが恐る恐る口を開いた。
「ザックさん。お疲れでしたら、また日を改めて」
「ダーメ。いい機会だから話しちまおうぜ、な?」
事情を聞くだけだから、とことさら優しい声を出してみたが、カイルはきゅうと身体を縮めて小さくなった。そのままつつつ、と移動して、ラウルにぴたりと身を寄せる。すると、それまで静かにザックを見つめていた強面の護衛士殿がおもむろに口を開いた。
「確かにこの子は寝ているところを襲われ逃げてきた。相手もその目的もわからない以上、警戒するのは当然だろう。だから口止めした。これがすべてだ」
「……や、それはそーなんだけど」
知りたいことはそんなことではないのだ、と頭をぐるりとかき回し、ザックは声を潜めてそっと身を乗り出した。
「あのさ、これから話すことは機密だから口外しないでくれっかな」